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第二章
『舞台裏の散華』(2)
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2.
八度目、動揺が抑えきれない。
ろくに動いていないはずの体。なのに動悸が激しい。
脳内の混乱が、直接心肺機能を狂わせている気さえする。
「――透哉がなんで私を?」
ここに至る前に見た彼の最後の姿を思い返す。
部屋に二人きりで話しをして、どこか照れた表情をして、自分が進めたジュースを受け取ろうとしていた、はずだ。
知り合ってからの日はかなり短いけど、好きと思えた初めての異性。コンサートあとの達成感と開放感が手伝ったとは言え、気持ちに偽りはなかった。
それがどう言うわけか、意識が戻る度に意中の人に命を奪われる。
これが悪夢でなければ何なのか。
気持ちに整理がつけられぬままのアカリは、ふと、自分の体に違和感を覚えた。
それは重量感だった。
奇異に思いつつ、手を動かすと指先に硬い感触が返ってくる。
視線向けると腰部と背部に、制服には似合わない機械類が装着されていた。
数回の訓練と有事の際に一度使っただけで、普段はほとんど触ることがない、アカリ専用のデバイスだ。
「意味が分からない! なんなのよ!?」
嘆きと怒りが合わさって悲鳴となって爆発した。
しかし、アカリは即座に己の軽率さを呪う。理由は分からないが、状況が前の記憶の続きならば、今の声が彼に聞こえていないはずがない。
耳を打ったのは小さな水音。
黒く不気味な静寂の中で、高らかに響く。
アカリの悲鳴に対する、彼の返事で間違いなかった。
「エンチャント!『蜘蛛』!」
アカリは声量を抑えずに叫び、自らの背中、そこに備えられたデバイスを起動する。
アカリの背部に格納されていた棒状の物体が一斉に射出され、中空を舞い始めた。
それはリレー用のバトンを一回り細くした程度のカーボン製の強化チューブだ。それが計二十四本、アカリを中心に衛星のように漂う。
カーボンチューブが向かう先は、背部と腰部に装着された計八箇所のマウントベース。そこに魔力によって連結させることで自在に動かせる機械の四肢、マニピュレーションへと変形する。
更に個々に伸縮可変する機構が搭載されていて、均等に振り分けても長さ三メートルを超える機械の四肢を八本平行可動させることが出来る。
アカリは接近する足音から距離を取るため、手近な建物の壁面をマニピュレーターで掴み、さながら蜘蛛のように垂直に駆け上がる。マニピュレーターの先端に付いた細いアームで外壁の小さな凹凸を掴み、見えないエレベーターに乗ったみたいにほとんど無音で移動する。
上空を選んだのは、単純に水平移動で距離を稼ぐよりも垂直移動の方が安全だと錯覚したからだ。
直後、アカリは過ちを知る。
退路として選んだ建物の真下、その裾に駆け込んできた透哉が、自分目がけて真上に跳躍した。
ただの跳躍。
だからこそアカリは戦慄した。
並のエンチャンターしか知らないアカリには、透哉の規格外の運動性を予測することは不可能だった。
透明の瞳を宿した透哉が、瞬く間に迫る。
壁面を走っている最中の、真下からの強襲。アカリにとって経験のない危機だった。
咄嗟に、壁を掴んでいないマニピュレーターで透哉が振るう凶刃の迎撃を試みる。迎撃と言っても撃墜するためではなく、あくまで受けて跳ね返す、もしくは、透哉本体を拘束するためだ。
そもそも『蜘蛛』は戦闘用のデバイスではない。精密自由駆動を目的とした移動等の活動を助長するデバイスで、アカリの能力に沿って作られた試作品に近いの代物なのだ。
それでも魔力の導通で強度が向上したカーボンチューブは、一般道を走る自動車程度なら受け止められるほどの強度がある。
しかし、透哉を捕まえようと伸ばしたカーボンチューブは真横からストローみたいに両断された。
「ウソ!?」
デザインこそ気に入っていないが、性能には信頼を置いていた武器の呆気ない最後に驚愕する。
勢いを増した透哉の攻撃に震撼する時間は与えられない。
切られた反動で頭上を舞うカーボンチューブ。
アカリは残ったマニピュレーターを伸ばし、壁を掴むとそこを支点にぐるりと反転。上ることを諦め、屋上へ降り立った透哉とは反対に地上を目指し走った。
地上に戻ったアカリは、後から落下してきたカーボンチューブが転がる音を耳にしながら今度は床を走る。
手も足も使わず、マニピュレーターを高速で伸縮させて滑るように移動する。
使用不能になったのは、切断された二本だけ。一緒に吹き飛ばされた先端部分は回収すればまだ使うことが出来る。
フルパフォーマンスでこそなくなったが、戦うための力は十分に備わっている。
(二本もやられた……なんなのあの刀?)
距離を取ることで得た束の間の休息。
極短い戦闘時間ながら、その間にアカリが受けた衝撃は多すぎた。しかし、予測不能な透哉の実力、自らの武器の敗北と言った、単純な力量差への割合は比較的小さい。
常識外れな未知の武器に戸惑いながら、アカリの目尻に涙が滲み始める。
単純な恐怖が理由ではなかった。
十二学区の技術力を結集した上、魔力によって補強されたデバイスは攻撃の剣である以上に、安心と言う絶対的な盾だった。それが今、精神的にも肉体的にも脅かされていた。
同時に、その盾を破壊するほどの暴力を透哉から向けられることに、強い衝撃を受けていた。
自分の気持ちに気付いた矢先、その彼に命を狙われている事実。
涙を空中に置き去りにするほどの速さで走りながら、問う。
問うことでしか、今の透哉には触れることが出来ない。
「どうしてなの、透哉っ!」
当然、返事はなく、独白に終わる。
アカリは歯を食いしばり、死屍累々の戦場を駆ける。
最早、当たり前のように散乱する自分と同じ姿の死体。ここまでの凶行に透哉を駆り立てる理由を見つけられないままなのだ。
意識を失っている間に何か起こったのか。
透哉を傷つけることをしてしまったのか。
答えのない疑問が頭中をぐるぐると巡る。
当惑するアカリとは裏腹に、透哉からは微塵も迷いが感じられない。
自分を一点に見つめ、躊躇なく凶刃を振り下ろしてくる。
『蜘蛛』の俊足を駆使して十分距離を稼ぎ、外壁を走り、三階建て建物の屋上へと逃げ延びた。
けれど、仮初の安息地は十秒足らずで瓦解する。
アカリは地面が揺れていることに気付いた。
地震だろうか、と悠長に身構えたアカリは目を疑う。
自分は動いていないのに、景色が動いている。自分が身を寄せた建物が、斜めに切られ、ずり落ちていた。
慌てて足場である屋上を乗り捨て、飛び降りた。伸縮可変するマニュピレーターを巧みに操り、地面に設置する衝撃を分散させることで高所からの着地も難なくこなせる、それが『蜘蛛』の強みでもある。
しかし、どんな計算をしていたのか、着地地点には既に凶刃を構えた透哉が陣取っている。
透明な刀が翻り、着地のためのマニュピレーターを無情にも標的として捉える。
(――っ!)
落下しながら周囲を見回したが、マニピュレーターの届く範囲に掴めるものは何もない。
着地用に最低限のマニピュレーターを残し、迎撃と防御を試みるが、全て両断された。多数のカーボンチューブを失いながら出来たのは、透哉の攻撃を僅かに逸らして致命傷を避けただけ。
着地と同時、脇腹に鋭い痛みを覚える。血が溢れだしていた。
(これ以上減ったらまずいっ)
カーボンチューブを連結して扱う都合上、チューブの絶対数を減らされたら攻撃、防御、機動力、全てが削られる。
よろよろと立ち上がり、周囲に散乱したカーボンチューブを集められるだけ引き寄せ、連結させる。残されたカーボンチューブは半数以下の十本。
(痛いよ、透哉――)
絶望が遅れた痛みを増長させる。
出血で遠のく意識の中、アカリの目に映ったのは追撃してくる透哉。
命と武器が尽きるのは時間の問題だった。残り僅かなカーボンチューブをフル活用して逃げ出したいと思った。
でも、それ以上に透哉と向き合いたかった。
意を決したアカリは渾身を込め、足として扱っていた『蜘蛛』のカーボンチューブを全て透哉に向けて射出する。
透哉は自分に直撃する物だけを見切り、容易く切り落とす。
アカリは怯まず、残されたカーボンチューブに意識を集中させる。
透哉の横を通過したタイミングで三本を引き合わせ、死角から強襲した。透哉の胴を三角形に連結して包み、残りのカーボンチューブを可能な限り連結させ、マニュピレーターで地面を掴む。
丁度、カメラの三脚のような形で透哉を拘束し、地面に繋ぎ止めた。
「ねぇ! 止めよう、こんなこと!?」
「……」
「黙ってないで、何か言ってよ! 私が悪いなら謝るからっ! だから、だから、お願いっ!」
アカリの懇願する声は震え、涙が零れ落ちる。ようやく叶った対話は酷く虚しいものだった。
アカリがどんな言葉を投げても、透哉は無言を貫くだけ。代わりに拘束を力任せに振り解こうとする音が、拒絶の意思を告げる。
ギリギリ、メキメキと、体を捩らせ、マニュピレーターと自らの骨を軋ませながら抵抗する透哉。
「そこまで、するの? 私が、そんなに憎いの……?」
拘束具がつけられたのは脇の真下。加えて常人なら失神するほどの力で圧迫を続けているが、透哉の顔色に変化はない。
一心に、アカリを殺すことだけの全力を注いでいた。
反対に、アカリに透哉を傷付ける意図はなかった。実は『蜘蛛』は組み換え次第で、凶悪な拘束兵器としても起用できる。
極論、地面を掴んでいるマニュピレーターで首を絞め、関節を破壊することもできる。
でも、アカリはしなかった。
血の滲む脇腹を押さえながら、失血死の目前に至っても。
距離を維持したまま、刀身の及ばない位置から語りかけ続けた。
「ねぇ、透哉っ!?――っえ?」
堰を切ったように涙が溢れた。
一言だけでも話がしたかった。
こんな状況に陥った経緯を、自分が知り得ない理由を。
聞きたかった、教えて欲しかった。
しかし、透哉は最後までアカリの呼びかけには答えず、行動で応えた。
和解を求めて歩み寄ったアカリの腹部、等身を伸ばした透哉の凶刃が致命傷を与えた。
魔力の供給が絶たれ機能を失った『蜘蛛』が地面を叩き、乾いた断末魔を上げた。
「へぇ、デバイスを使っていたとは言え、結構善戦したわね。流石最後の一人といったところかしら?」
「んー? 君の注文だと今のが最後だねぇ」
会話の最中、先と変わらない制服姿のアカリが戦場に投入された。
殺希の趣旨を理解せぬままモニタリングを再開して湊が気付いた。
「さっきまで同じに見えるのだけれど? 今度こそスペックアップした別個体なのかしら?」
「同じだよ? ただ、バックアップを上書きしただけー」
「?」
どこか素っ気ない返答に湊は怪訝な顔をしたが、殺希の何かを期待した横顔に倣ってモニターに視線を向け、察した。
「私に悪趣味だなんてよく言えたわね」
「気付いた? 彼との楽しい夜を過ごし、その後に己の力が何一つ通じずに矜持を踏みにじられた、最も新しい記憶を引き継いだ娘なんだよ? そんな喜びと絶望を両立させた子がどんな反応をするか見てみたい」
「とても生みの親とは思えない発言ね」
「製作者としては多角的な動作チェックは必須だと思うよ?」
殺希の思惑通り、アカリは絶望の渦中にいた。
「何よ!? いつまで続くのよ、この夢は!?」
恐怖を忘れ、怒りを露にするも、つま先に触れた筒状の物体が、アカリを現実に呼び戻す。頼りにしていた武器はガラクタと化し、足元に転がっている。
自分が使用できる最高の武装を持ってしても、傷一つ負わすことが出来なかった。
アカリは知らない。
この仕打ちに意味も理由もないことを。
過程であり何一つ報われないことを。
受けた痛みも、
上げた悲鳴も、
流した涙も、
地下施設の中、人知れず呑み込まれて消えていく。
もし、アカリがヒロインで窮地に現われるヒーローがいたとしたら、アカリが願うとしたら、それは他でもない透哉なのだから。
凶刃を振るい、眼前に殺到する透哉なのだから。
これほど皮肉な話しもない。
作られた奈落の底、
シンデレラは踊り、
ただ幕引きを待つ。
八度目、動揺が抑えきれない。
ろくに動いていないはずの体。なのに動悸が激しい。
脳内の混乱が、直接心肺機能を狂わせている気さえする。
「――透哉がなんで私を?」
ここに至る前に見た彼の最後の姿を思い返す。
部屋に二人きりで話しをして、どこか照れた表情をして、自分が進めたジュースを受け取ろうとしていた、はずだ。
知り合ってからの日はかなり短いけど、好きと思えた初めての異性。コンサートあとの達成感と開放感が手伝ったとは言え、気持ちに偽りはなかった。
それがどう言うわけか、意識が戻る度に意中の人に命を奪われる。
これが悪夢でなければ何なのか。
気持ちに整理がつけられぬままのアカリは、ふと、自分の体に違和感を覚えた。
それは重量感だった。
奇異に思いつつ、手を動かすと指先に硬い感触が返ってくる。
視線向けると腰部と背部に、制服には似合わない機械類が装着されていた。
数回の訓練と有事の際に一度使っただけで、普段はほとんど触ることがない、アカリ専用のデバイスだ。
「意味が分からない! なんなのよ!?」
嘆きと怒りが合わさって悲鳴となって爆発した。
しかし、アカリは即座に己の軽率さを呪う。理由は分からないが、状況が前の記憶の続きならば、今の声が彼に聞こえていないはずがない。
耳を打ったのは小さな水音。
黒く不気味な静寂の中で、高らかに響く。
アカリの悲鳴に対する、彼の返事で間違いなかった。
「エンチャント!『蜘蛛』!」
アカリは声量を抑えずに叫び、自らの背中、そこに備えられたデバイスを起動する。
アカリの背部に格納されていた棒状の物体が一斉に射出され、中空を舞い始めた。
それはリレー用のバトンを一回り細くした程度のカーボン製の強化チューブだ。それが計二十四本、アカリを中心に衛星のように漂う。
カーボンチューブが向かう先は、背部と腰部に装着された計八箇所のマウントベース。そこに魔力によって連結させることで自在に動かせる機械の四肢、マニピュレーションへと変形する。
更に個々に伸縮可変する機構が搭載されていて、均等に振り分けても長さ三メートルを超える機械の四肢を八本平行可動させることが出来る。
アカリは接近する足音から距離を取るため、手近な建物の壁面をマニピュレーターで掴み、さながら蜘蛛のように垂直に駆け上がる。マニピュレーターの先端に付いた細いアームで外壁の小さな凹凸を掴み、見えないエレベーターに乗ったみたいにほとんど無音で移動する。
上空を選んだのは、単純に水平移動で距離を稼ぐよりも垂直移動の方が安全だと錯覚したからだ。
直後、アカリは過ちを知る。
退路として選んだ建物の真下、その裾に駆け込んできた透哉が、自分目がけて真上に跳躍した。
ただの跳躍。
だからこそアカリは戦慄した。
並のエンチャンターしか知らないアカリには、透哉の規格外の運動性を予測することは不可能だった。
透明の瞳を宿した透哉が、瞬く間に迫る。
壁面を走っている最中の、真下からの強襲。アカリにとって経験のない危機だった。
咄嗟に、壁を掴んでいないマニピュレーターで透哉が振るう凶刃の迎撃を試みる。迎撃と言っても撃墜するためではなく、あくまで受けて跳ね返す、もしくは、透哉本体を拘束するためだ。
そもそも『蜘蛛』は戦闘用のデバイスではない。精密自由駆動を目的とした移動等の活動を助長するデバイスで、アカリの能力に沿って作られた試作品に近いの代物なのだ。
それでも魔力の導通で強度が向上したカーボンチューブは、一般道を走る自動車程度なら受け止められるほどの強度がある。
しかし、透哉を捕まえようと伸ばしたカーボンチューブは真横からストローみたいに両断された。
「ウソ!?」
デザインこそ気に入っていないが、性能には信頼を置いていた武器の呆気ない最後に驚愕する。
勢いを増した透哉の攻撃に震撼する時間は与えられない。
切られた反動で頭上を舞うカーボンチューブ。
アカリは残ったマニピュレーターを伸ばし、壁を掴むとそこを支点にぐるりと反転。上ることを諦め、屋上へ降り立った透哉とは反対に地上を目指し走った。
地上に戻ったアカリは、後から落下してきたカーボンチューブが転がる音を耳にしながら今度は床を走る。
手も足も使わず、マニピュレーターを高速で伸縮させて滑るように移動する。
使用不能になったのは、切断された二本だけ。一緒に吹き飛ばされた先端部分は回収すればまだ使うことが出来る。
フルパフォーマンスでこそなくなったが、戦うための力は十分に備わっている。
(二本もやられた……なんなのあの刀?)
距離を取ることで得た束の間の休息。
極短い戦闘時間ながら、その間にアカリが受けた衝撃は多すぎた。しかし、予測不能な透哉の実力、自らの武器の敗北と言った、単純な力量差への割合は比較的小さい。
常識外れな未知の武器に戸惑いながら、アカリの目尻に涙が滲み始める。
単純な恐怖が理由ではなかった。
十二学区の技術力を結集した上、魔力によって補強されたデバイスは攻撃の剣である以上に、安心と言う絶対的な盾だった。それが今、精神的にも肉体的にも脅かされていた。
同時に、その盾を破壊するほどの暴力を透哉から向けられることに、強い衝撃を受けていた。
自分の気持ちに気付いた矢先、その彼に命を狙われている事実。
涙を空中に置き去りにするほどの速さで走りながら、問う。
問うことでしか、今の透哉には触れることが出来ない。
「どうしてなの、透哉っ!」
当然、返事はなく、独白に終わる。
アカリは歯を食いしばり、死屍累々の戦場を駆ける。
最早、当たり前のように散乱する自分と同じ姿の死体。ここまでの凶行に透哉を駆り立てる理由を見つけられないままなのだ。
意識を失っている間に何か起こったのか。
透哉を傷つけることをしてしまったのか。
答えのない疑問が頭中をぐるぐると巡る。
当惑するアカリとは裏腹に、透哉からは微塵も迷いが感じられない。
自分を一点に見つめ、躊躇なく凶刃を振り下ろしてくる。
『蜘蛛』の俊足を駆使して十分距離を稼ぎ、外壁を走り、三階建て建物の屋上へと逃げ延びた。
けれど、仮初の安息地は十秒足らずで瓦解する。
アカリは地面が揺れていることに気付いた。
地震だろうか、と悠長に身構えたアカリは目を疑う。
自分は動いていないのに、景色が動いている。自分が身を寄せた建物が、斜めに切られ、ずり落ちていた。
慌てて足場である屋上を乗り捨て、飛び降りた。伸縮可変するマニュピレーターを巧みに操り、地面に設置する衝撃を分散させることで高所からの着地も難なくこなせる、それが『蜘蛛』の強みでもある。
しかし、どんな計算をしていたのか、着地地点には既に凶刃を構えた透哉が陣取っている。
透明な刀が翻り、着地のためのマニュピレーターを無情にも標的として捉える。
(――っ!)
落下しながら周囲を見回したが、マニピュレーターの届く範囲に掴めるものは何もない。
着地用に最低限のマニピュレーターを残し、迎撃と防御を試みるが、全て両断された。多数のカーボンチューブを失いながら出来たのは、透哉の攻撃を僅かに逸らして致命傷を避けただけ。
着地と同時、脇腹に鋭い痛みを覚える。血が溢れだしていた。
(これ以上減ったらまずいっ)
カーボンチューブを連結して扱う都合上、チューブの絶対数を減らされたら攻撃、防御、機動力、全てが削られる。
よろよろと立ち上がり、周囲に散乱したカーボンチューブを集められるだけ引き寄せ、連結させる。残されたカーボンチューブは半数以下の十本。
(痛いよ、透哉――)
絶望が遅れた痛みを増長させる。
出血で遠のく意識の中、アカリの目に映ったのは追撃してくる透哉。
命と武器が尽きるのは時間の問題だった。残り僅かなカーボンチューブをフル活用して逃げ出したいと思った。
でも、それ以上に透哉と向き合いたかった。
意を決したアカリは渾身を込め、足として扱っていた『蜘蛛』のカーボンチューブを全て透哉に向けて射出する。
透哉は自分に直撃する物だけを見切り、容易く切り落とす。
アカリは怯まず、残されたカーボンチューブに意識を集中させる。
透哉の横を通過したタイミングで三本を引き合わせ、死角から強襲した。透哉の胴を三角形に連結して包み、残りのカーボンチューブを可能な限り連結させ、マニュピレーターで地面を掴む。
丁度、カメラの三脚のような形で透哉を拘束し、地面に繋ぎ止めた。
「ねぇ! 止めよう、こんなこと!?」
「……」
「黙ってないで、何か言ってよ! 私が悪いなら謝るからっ! だから、だから、お願いっ!」
アカリの懇願する声は震え、涙が零れ落ちる。ようやく叶った対話は酷く虚しいものだった。
アカリがどんな言葉を投げても、透哉は無言を貫くだけ。代わりに拘束を力任せに振り解こうとする音が、拒絶の意思を告げる。
ギリギリ、メキメキと、体を捩らせ、マニュピレーターと自らの骨を軋ませながら抵抗する透哉。
「そこまで、するの? 私が、そんなに憎いの……?」
拘束具がつけられたのは脇の真下。加えて常人なら失神するほどの力で圧迫を続けているが、透哉の顔色に変化はない。
一心に、アカリを殺すことだけの全力を注いでいた。
反対に、アカリに透哉を傷付ける意図はなかった。実は『蜘蛛』は組み換え次第で、凶悪な拘束兵器としても起用できる。
極論、地面を掴んでいるマニュピレーターで首を絞め、関節を破壊することもできる。
でも、アカリはしなかった。
血の滲む脇腹を押さえながら、失血死の目前に至っても。
距離を維持したまま、刀身の及ばない位置から語りかけ続けた。
「ねぇ、透哉っ!?――っえ?」
堰を切ったように涙が溢れた。
一言だけでも話がしたかった。
こんな状況に陥った経緯を、自分が知り得ない理由を。
聞きたかった、教えて欲しかった。
しかし、透哉は最後までアカリの呼びかけには答えず、行動で応えた。
和解を求めて歩み寄ったアカリの腹部、等身を伸ばした透哉の凶刃が致命傷を与えた。
魔力の供給が絶たれ機能を失った『蜘蛛』が地面を叩き、乾いた断末魔を上げた。
「へぇ、デバイスを使っていたとは言え、結構善戦したわね。流石最後の一人といったところかしら?」
「んー? 君の注文だと今のが最後だねぇ」
会話の最中、先と変わらない制服姿のアカリが戦場に投入された。
殺希の趣旨を理解せぬままモニタリングを再開して湊が気付いた。
「さっきまで同じに見えるのだけれど? 今度こそスペックアップした別個体なのかしら?」
「同じだよ? ただ、バックアップを上書きしただけー」
「?」
どこか素っ気ない返答に湊は怪訝な顔をしたが、殺希の何かを期待した横顔に倣ってモニターに視線を向け、察した。
「私に悪趣味だなんてよく言えたわね」
「気付いた? 彼との楽しい夜を過ごし、その後に己の力が何一つ通じずに矜持を踏みにじられた、最も新しい記憶を引き継いだ娘なんだよ? そんな喜びと絶望を両立させた子がどんな反応をするか見てみたい」
「とても生みの親とは思えない発言ね」
「製作者としては多角的な動作チェックは必須だと思うよ?」
殺希の思惑通り、アカリは絶望の渦中にいた。
「何よ!? いつまで続くのよ、この夢は!?」
恐怖を忘れ、怒りを露にするも、つま先に触れた筒状の物体が、アカリを現実に呼び戻す。頼りにしていた武器はガラクタと化し、足元に転がっている。
自分が使用できる最高の武装を持ってしても、傷一つ負わすことが出来なかった。
アカリは知らない。
この仕打ちに意味も理由もないことを。
過程であり何一つ報われないことを。
受けた痛みも、
上げた悲鳴も、
流した涙も、
地下施設の中、人知れず呑み込まれて消えていく。
もし、アカリがヒロインで窮地に現われるヒーローがいたとしたら、アカリが願うとしたら、それは他でもない透哉なのだから。
凶刃を振るい、眼前に殺到する透哉なのだから。
これほど皮肉な話しもない。
作られた奈落の底、
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