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第二章
第22話 機械仕掛けのシンデレラ(2)『絵』
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2.
第六学区、地下研究所の一室で透明な眼光が鋭さを増す。
殺希の挙動に合わせ、透哉は躊躇なく『原石』の力を行使した。
即座に整った臨戦態勢から滲むのは闘志や敵意ではなく、緊張と動揺。
魔力を完封する魔眼を持ちながら、魔力での攻撃に恐れを抱いていた。初めての心象だった。
十二階通路と同じ轍を踏むつもりはなかったが、正面からあの攻撃を受けきる自信はなかった。『原石』の能力は所詮魔力の流れを見るだけ。動きを見極めたところで、打開策を用意できなければないも同じなのだ。
圧倒的な攻撃力を誇る『雲切』も、以前の園田との戦いで無力さは証明されている。
(あのヘビ攻撃、切ることはまず無理だ。受けて軌道を変える、出来るのか? いや、やるしかねぇ)
全神経を集中させて殺希に対峙する透哉。
しかし、透哉が警戒する銀色のリングを触る動作を、殺希は意図して行っていなかった。
考え事の手癖として髪飾りをいじっている、それだけだった。
拳銃を突きつけた上で、引き金に指をかけて遊ぶ、そんな誤解を招く動作だった。
「さて、どうしようかなぁ……ん、やっぱり実践不足かなぁ?」
攻撃の予備動作と勘違いして迂闊に動けない透哉を尻目に、殺希は小声でブツブツ言いつつ、どこか楽しそうに髪飾りで遊んでいる。
しかし、何かに思い至り、殺希はパッとリングから手を離した。それが透哉の目には武装解除に映った。
殺希は小さく笑みをこぼす。
しかし、透哉に笑いかけたのではない――
「ミナミトウヤ、試してあげるよ。そして、思い知らせてあげる」
「あん? 何をだ――!?」
これから起こる事柄への高揚感が生んだ、嗜虐的な笑みだった。
「――根本的に、覚悟が全く足りていない、と言うことをだよ!」
前触れを無視した、本当の宣布。
殺希は三つ編みをバネのように弾ませ、透哉に覆い被さるように跳ね上がる。大蛇の強襲にばかり気を取られていたせいで、殺希の接近に反応が遅れた。
身長では勝っていたはずの殺希が何倍にも大きく見える。
それほどに透哉の心は萎縮し、反対に殺希の気配が強大になっていた。もとより殺希側に優勢だったパワーバランスが大きく傾いた。透哉は完全に呑み込まれつつあった。
殺希は三つ編みを躍動させ、悲鳴のような金属音を発する。
多足類が蠢くような、嫌悪感を抱かせる挙動に、透哉は一歩下がることで間合いを取り、必殺を構える。
それは闘志を滾らせ戦うために武器を取ると言うより、恐怖から逃れるために武器に縋る行動だった。
「エンチャント! 『雲っ」
「――遅いよぉ?」
しかし、伸縮自在な三つ編みが先回りして蛇の舌のように鋭く妖しく透哉を絡め取る。その様はほとんど簀巻きに近い。
殺希はそのまま眼前まで引き寄せると、手鏡みたいに透哉の顔を覗き込む。
殺希の余りの苛烈さに、太陽を直視してしまったみたいに目を背けたくなる。
「アハハッ、君の力が知りたいんだよ! 会場で会ったときから、ずっと!」
「そいつはありがとよ、でもこっちは先駆者のお陰であんた見てぇな奴にトラウマ抱えてんだよっ!」
殺希の声に呼応して黒い魔力が溢れ、赤い瞳が狂気発狂する。
透哉を縛っていた三つ編みが自ら銀色のリングを吐き出し、漆黒の大蛇へと変貌する。けれど、生物的なのは見た目だけ。漆黒の大蛇は金属で固められたように硬く、堅く透哉を拘束する。
「ん、先駆者? あぁ、園田のことかな?」
「なっ!?」
わざと濁して言ったにもかかわらず、殺希は的確に言い当てた。透哉は全く予想していない応酬に、目を剥く。
「あれは強かったでしょ? でも、君が倒したんだよね?」
「そうだよっ! 死にかけたけどなぁ!」
殺希が放つ叫声の中、透哉の頭の中は混乱状態に陥る。半ば自棄になりながら叫び返すも、殺希は嬉々とした顔のまま迫撃の手を、髪を、蛇を緩めない。
「園田が破壊されたって聞いたときは驚いたよ! 依頼されたから結構ちゃんと作ったんだよ? 本物の彼の魔力因子を使ってね!」
「作った? 園田を!? じゃあ、俺を目の敵するのは壊されたオモチャの報復ってことか!?」
「報復なんて、そんなつまらないことしないよ。それに――オモチャは君の方だよ?」
予想だにしないとんでも暴露に思考が奪われる透哉。
それも束の間、愉悦に歪む殺希の笑みに背筋が凍るほどの悪寒が走る。
透哉は窮地に追い込まれていた。大蛇の拘束からは抜け出せず、頼みの『雲切』もない。
〈悪夢〉の殺人的な好奇心が喉元まで迫っていた。
「どれくらい強いのか、強度があるのか、どこまでなら耐えられるのか! その細身と精神で! もう我慢できないんだよ! 試さずにはいられないんだよ!」
身動きできないことが些細に思えるほど、殺希の狂気に満ちた声の威力は凄まじい。頭から食われ、牙を肉に突き立てられる、そう誤認してしまうほどに。
「でも、残念だよ! 私が戦ったら君が壊れちゃうからね!」
「おいっ、離せ! クッソ、止めろ!」
「あっははははっ! 拒否権はないよぉ!?」
新たに大蛇と化した三つ編みが、象の足のような重量感で床を踏み叩く。
亀裂を伴う振動を断続的に響かせ、物資の詰め込まれた棚を薙ぎ倒し、室内を蹂躙する。
「だから代わりに遊んでおいで、うちの娘たちと!」
殺希は押さえ込んだ透哉を盾にして研究所の巨大ガラスに突撃する。透哉は声を上げることさえできなかった。
爆音に近い音を奏でながら、透哉を巻き付けたまま大蛇の巨体でガラス壁を砕き壊す。
殺希と壁の挟撃に透哉の口から大量の空気が吹き出た。衝撃の強さに体が圧力で弾けそうになる。
「がはふぁ!?」
「それじゃあね、ミナミトウヤ。元気だったら後でお話ししようね」
先程とは打って変わって、優しい口調になった殺希は遊び終わったオモチャに別れを告げるように透哉を手放した。
殺希の拘束から解放された透哉は、急激な浮遊感に包まれる。
壁に開いた穴からこちらを見下ろす殺希の姿がみるみるうちに小さく、遠ざかる。
透哉は未だ混乱の渦中にあり、自分が研究所の巨大なガラスを貫いたことには気付いていない。
唯一分かったのは、ガラス片諸共落下している、と言うことだけ。
透哉が空中で強引に姿勢を変えると落下先の景色が目に入る。
ぱっと見の印象は映画撮影などに使うジオラマ。
薄暗くてはっきりしないが、いくつもの建物が並んでいて市街地を模しているように見えた。
(って、景色眺めている場合じゃねぇ!)
目下の問題は着地と、一緒に落下している大量のガラス片。
今は同じ方向に落下しているので無害だが、着地と同時に無数の刃となって透哉に降り注ぎ、身を切り刻むことは目に見えている。
拘束されていた割に体に痛みはなく、四肢にはっきりと感覚もある。あれだけ強引に振り回しておきながら体に損壊はゼロ。殺希の力加減には思わず舌を巻いてしまう。
「エンチャント!『雲切』!」
勢いよく『雲切』を抜刀。強引ではあるが回転と風圧で周囲に漂うガラス片を振り払う。
空中でガラス片を退けた透哉は、着地自体は難なくこなすと、落下して砕けるガラスの残響を聞きながら顔を上げ、口の周りを軽く拭う。
透哉が降り立ったのは奇妙な場所だった。
上空から見た様子だとだだっ広い空間だったが、四方は壁に囲まれていて、天井もある。
広さはおよそ一万平方メートル。
そこは第六学区の管理者である殺希が専有する『プール』と呼ばれる地下の大規模訓練施設であり、主に市街地戦を想定したレイアウトになっている。
その一室と言うにはあまりに広大な空間の中、透哉は怪訝な顔をした。
明らかに人の気配がする。
一瞬ここの住人かと考えたが、こんな閉鎖的で閑散とした場所に好き好んで住む者がいるとは思えない。
予め配置されていたのか、周囲には似た気配が複数あった。
『聞こえるかな? ミナミトウヤ? もう察していると思うけど、君がいる場所は戦場だよ』
場内に設置されたスピーカーから殺希の声がする。
しかし、そんなことはどうでもいい。
「いきなりなんのつもりだ!?」
ぽっかりと開いたガラス壁の穴の奥、そこからこちらを見下ろす殺希に透哉は目つき鋭く、言い放つ。
恐らく何かとの戦いを強制されるのだろうが、無茶苦茶な入場方法には文句の一つでも言わないと気が収まらない。
「あれぇ?」
透哉の言葉を無視して、殺希は間の抜けた感嘆を漏らすと目線を背後に向けた。それに合わせて代わりに姿を見せたのは、
「……流耶!?」
「違うわ。それともわざとなのかしら?」
呆れた声で言ったのは流耶ではなく、湊だった。アカリの家のベランダに現われたとき同様にどこか不機嫌そうに眉根を寄せている。
しかし、パーカーを着たラフな姿ではなく、血で布を縫い合わせたような黒と赤を織り交ぜた異彩を放つ和風のドレスだ。
その姿は流耶の正装に酷似していた。
湊の機嫌はともかく、透哉にとって重要なのはこの場に湊が現われたこと。更に言うと、湊と殺希の間に存在する繋がりに息を飲んだ。
以前、学園で流耶が自信満々に十二学区の殲滅を語ったことを思い出した。
(こいつが、十二学区の中の協力者ってことか?)
しかし、透哉の表情は硬い。今の殺希の存在は友達の友達みたいな関係に近く、とてもじゃないが信用できる相手ではない。
「おや、さっきより顔が険しくなったね?」
変化をめざとく見つけた殺希が意味深に笑みを零す。
知人の母親から始まり、研究者然とした『悪夢』から、殲滅作戦の仲間に変貌したのだ。
より近く、より物騒になった。警戒を解くことなど出来るはずがない。
「あとは終わってからゆっくり聞こうかなぁ」
「おいっ! 待てよ」
殺希は最後にそれだけ言うと奥に引っ込んでいった。飛び上がって追いかけるか迷ったが諦めた。
何故なら今まで息を潜めていた気配に動きがあったからだ。
潜んでいた獣が身じろぎをしたような、微弱ながら確かな気配の動きを感じ取った。
けれど、それだけだった。
存在感を放ちつつ、建物の中や影に潜み、姿を現す素振りを見せない。
まるで合図でも待っているように。
透哉が不審そうに、黙したままの場内を観察していると、その背後から機械音が響き、光が差し込む。
振り返ると縦開きのシャッターが軋みを上げて口を開けていた。
その奥から妙に反響する足音が近づいてくる。
(この音はっ!)
危険を察知した透哉はシャッターの正面から離脱する。
足音は一つなのに、銃で武装した集団が溢れだした。
同種の音が重なり合うことで生まれる共鳴が、異常な反響音を生み出していたのだ。
標的である透哉を発見するや否や、一斉に銃を構え、走り出す。
銃を構える動作、踏み出す足の向き、歩幅、全てが怖いほど同調している。
そして、連動するように潜んでいた気配も動き出した。
場内の空気が戦場へと一変した。
直後、透哉の視界を閃光が覆い尽くし、支配した。
『悪夢』が作り上げた狂宴が幕を開ける。
第六学区、地下研究所の一室で透明な眼光が鋭さを増す。
殺希の挙動に合わせ、透哉は躊躇なく『原石』の力を行使した。
即座に整った臨戦態勢から滲むのは闘志や敵意ではなく、緊張と動揺。
魔力を完封する魔眼を持ちながら、魔力での攻撃に恐れを抱いていた。初めての心象だった。
十二階通路と同じ轍を踏むつもりはなかったが、正面からあの攻撃を受けきる自信はなかった。『原石』の能力は所詮魔力の流れを見るだけ。動きを見極めたところで、打開策を用意できなければないも同じなのだ。
圧倒的な攻撃力を誇る『雲切』も、以前の園田との戦いで無力さは証明されている。
(あのヘビ攻撃、切ることはまず無理だ。受けて軌道を変える、出来るのか? いや、やるしかねぇ)
全神経を集中させて殺希に対峙する透哉。
しかし、透哉が警戒する銀色のリングを触る動作を、殺希は意図して行っていなかった。
考え事の手癖として髪飾りをいじっている、それだけだった。
拳銃を突きつけた上で、引き金に指をかけて遊ぶ、そんな誤解を招く動作だった。
「さて、どうしようかなぁ……ん、やっぱり実践不足かなぁ?」
攻撃の予備動作と勘違いして迂闊に動けない透哉を尻目に、殺希は小声でブツブツ言いつつ、どこか楽しそうに髪飾りで遊んでいる。
しかし、何かに思い至り、殺希はパッとリングから手を離した。それが透哉の目には武装解除に映った。
殺希は小さく笑みをこぼす。
しかし、透哉に笑いかけたのではない――
「ミナミトウヤ、試してあげるよ。そして、思い知らせてあげる」
「あん? 何をだ――!?」
これから起こる事柄への高揚感が生んだ、嗜虐的な笑みだった。
「――根本的に、覚悟が全く足りていない、と言うことをだよ!」
前触れを無視した、本当の宣布。
殺希は三つ編みをバネのように弾ませ、透哉に覆い被さるように跳ね上がる。大蛇の強襲にばかり気を取られていたせいで、殺希の接近に反応が遅れた。
身長では勝っていたはずの殺希が何倍にも大きく見える。
それほどに透哉の心は萎縮し、反対に殺希の気配が強大になっていた。もとより殺希側に優勢だったパワーバランスが大きく傾いた。透哉は完全に呑み込まれつつあった。
殺希は三つ編みを躍動させ、悲鳴のような金属音を発する。
多足類が蠢くような、嫌悪感を抱かせる挙動に、透哉は一歩下がることで間合いを取り、必殺を構える。
それは闘志を滾らせ戦うために武器を取ると言うより、恐怖から逃れるために武器に縋る行動だった。
「エンチャント! 『雲っ」
「――遅いよぉ?」
しかし、伸縮自在な三つ編みが先回りして蛇の舌のように鋭く妖しく透哉を絡め取る。その様はほとんど簀巻きに近い。
殺希はそのまま眼前まで引き寄せると、手鏡みたいに透哉の顔を覗き込む。
殺希の余りの苛烈さに、太陽を直視してしまったみたいに目を背けたくなる。
「アハハッ、君の力が知りたいんだよ! 会場で会ったときから、ずっと!」
「そいつはありがとよ、でもこっちは先駆者のお陰であんた見てぇな奴にトラウマ抱えてんだよっ!」
殺希の声に呼応して黒い魔力が溢れ、赤い瞳が狂気発狂する。
透哉を縛っていた三つ編みが自ら銀色のリングを吐き出し、漆黒の大蛇へと変貌する。けれど、生物的なのは見た目だけ。漆黒の大蛇は金属で固められたように硬く、堅く透哉を拘束する。
「ん、先駆者? あぁ、園田のことかな?」
「なっ!?」
わざと濁して言ったにもかかわらず、殺希は的確に言い当てた。透哉は全く予想していない応酬に、目を剥く。
「あれは強かったでしょ? でも、君が倒したんだよね?」
「そうだよっ! 死にかけたけどなぁ!」
殺希が放つ叫声の中、透哉の頭の中は混乱状態に陥る。半ば自棄になりながら叫び返すも、殺希は嬉々とした顔のまま迫撃の手を、髪を、蛇を緩めない。
「園田が破壊されたって聞いたときは驚いたよ! 依頼されたから結構ちゃんと作ったんだよ? 本物の彼の魔力因子を使ってね!」
「作った? 園田を!? じゃあ、俺を目の敵するのは壊されたオモチャの報復ってことか!?」
「報復なんて、そんなつまらないことしないよ。それに――オモチャは君の方だよ?」
予想だにしないとんでも暴露に思考が奪われる透哉。
それも束の間、愉悦に歪む殺希の笑みに背筋が凍るほどの悪寒が走る。
透哉は窮地に追い込まれていた。大蛇の拘束からは抜け出せず、頼みの『雲切』もない。
〈悪夢〉の殺人的な好奇心が喉元まで迫っていた。
「どれくらい強いのか、強度があるのか、どこまでなら耐えられるのか! その細身と精神で! もう我慢できないんだよ! 試さずにはいられないんだよ!」
身動きできないことが些細に思えるほど、殺希の狂気に満ちた声の威力は凄まじい。頭から食われ、牙を肉に突き立てられる、そう誤認してしまうほどに。
「でも、残念だよ! 私が戦ったら君が壊れちゃうからね!」
「おいっ、離せ! クッソ、止めろ!」
「あっははははっ! 拒否権はないよぉ!?」
新たに大蛇と化した三つ編みが、象の足のような重量感で床を踏み叩く。
亀裂を伴う振動を断続的に響かせ、物資の詰め込まれた棚を薙ぎ倒し、室内を蹂躙する。
「だから代わりに遊んでおいで、うちの娘たちと!」
殺希は押さえ込んだ透哉を盾にして研究所の巨大ガラスに突撃する。透哉は声を上げることさえできなかった。
爆音に近い音を奏でながら、透哉を巻き付けたまま大蛇の巨体でガラス壁を砕き壊す。
殺希と壁の挟撃に透哉の口から大量の空気が吹き出た。衝撃の強さに体が圧力で弾けそうになる。
「がはふぁ!?」
「それじゃあね、ミナミトウヤ。元気だったら後でお話ししようね」
先程とは打って変わって、優しい口調になった殺希は遊び終わったオモチャに別れを告げるように透哉を手放した。
殺希の拘束から解放された透哉は、急激な浮遊感に包まれる。
壁に開いた穴からこちらを見下ろす殺希の姿がみるみるうちに小さく、遠ざかる。
透哉は未だ混乱の渦中にあり、自分が研究所の巨大なガラスを貫いたことには気付いていない。
唯一分かったのは、ガラス片諸共落下している、と言うことだけ。
透哉が空中で強引に姿勢を変えると落下先の景色が目に入る。
ぱっと見の印象は映画撮影などに使うジオラマ。
薄暗くてはっきりしないが、いくつもの建物が並んでいて市街地を模しているように見えた。
(って、景色眺めている場合じゃねぇ!)
目下の問題は着地と、一緒に落下している大量のガラス片。
今は同じ方向に落下しているので無害だが、着地と同時に無数の刃となって透哉に降り注ぎ、身を切り刻むことは目に見えている。
拘束されていた割に体に痛みはなく、四肢にはっきりと感覚もある。あれだけ強引に振り回しておきながら体に損壊はゼロ。殺希の力加減には思わず舌を巻いてしまう。
「エンチャント!『雲切』!」
勢いよく『雲切』を抜刀。強引ではあるが回転と風圧で周囲に漂うガラス片を振り払う。
空中でガラス片を退けた透哉は、着地自体は難なくこなすと、落下して砕けるガラスの残響を聞きながら顔を上げ、口の周りを軽く拭う。
透哉が降り立ったのは奇妙な場所だった。
上空から見た様子だとだだっ広い空間だったが、四方は壁に囲まれていて、天井もある。
広さはおよそ一万平方メートル。
そこは第六学区の管理者である殺希が専有する『プール』と呼ばれる地下の大規模訓練施設であり、主に市街地戦を想定したレイアウトになっている。
その一室と言うにはあまりに広大な空間の中、透哉は怪訝な顔をした。
明らかに人の気配がする。
一瞬ここの住人かと考えたが、こんな閉鎖的で閑散とした場所に好き好んで住む者がいるとは思えない。
予め配置されていたのか、周囲には似た気配が複数あった。
『聞こえるかな? ミナミトウヤ? もう察していると思うけど、君がいる場所は戦場だよ』
場内に設置されたスピーカーから殺希の声がする。
しかし、そんなことはどうでもいい。
「いきなりなんのつもりだ!?」
ぽっかりと開いたガラス壁の穴の奥、そこからこちらを見下ろす殺希に透哉は目つき鋭く、言い放つ。
恐らく何かとの戦いを強制されるのだろうが、無茶苦茶な入場方法には文句の一つでも言わないと気が収まらない。
「あれぇ?」
透哉の言葉を無視して、殺希は間の抜けた感嘆を漏らすと目線を背後に向けた。それに合わせて代わりに姿を見せたのは、
「……流耶!?」
「違うわ。それともわざとなのかしら?」
呆れた声で言ったのは流耶ではなく、湊だった。アカリの家のベランダに現われたとき同様にどこか不機嫌そうに眉根を寄せている。
しかし、パーカーを着たラフな姿ではなく、血で布を縫い合わせたような黒と赤を織り交ぜた異彩を放つ和風のドレスだ。
その姿は流耶の正装に酷似していた。
湊の機嫌はともかく、透哉にとって重要なのはこの場に湊が現われたこと。更に言うと、湊と殺希の間に存在する繋がりに息を飲んだ。
以前、学園で流耶が自信満々に十二学区の殲滅を語ったことを思い出した。
(こいつが、十二学区の中の協力者ってことか?)
しかし、透哉の表情は硬い。今の殺希の存在は友達の友達みたいな関係に近く、とてもじゃないが信用できる相手ではない。
「おや、さっきより顔が険しくなったね?」
変化をめざとく見つけた殺希が意味深に笑みを零す。
知人の母親から始まり、研究者然とした『悪夢』から、殲滅作戦の仲間に変貌したのだ。
より近く、より物騒になった。警戒を解くことなど出来るはずがない。
「あとは終わってからゆっくり聞こうかなぁ」
「おいっ! 待てよ」
殺希は最後にそれだけ言うと奥に引っ込んでいった。飛び上がって追いかけるか迷ったが諦めた。
何故なら今まで息を潜めていた気配に動きがあったからだ。
潜んでいた獣が身じろぎをしたような、微弱ながら確かな気配の動きを感じ取った。
けれど、それだけだった。
存在感を放ちつつ、建物の中や影に潜み、姿を現す素振りを見せない。
まるで合図でも待っているように。
透哉が不審そうに、黙したままの場内を観察していると、その背後から機械音が響き、光が差し込む。
振り返ると縦開きのシャッターが軋みを上げて口を開けていた。
その奥から妙に反響する足音が近づいてくる。
(この音はっ!)
危険を察知した透哉はシャッターの正面から離脱する。
足音は一つなのに、銃で武装した集団が溢れだした。
同種の音が重なり合うことで生まれる共鳴が、異常な反響音を生み出していたのだ。
標的である透哉を発見するや否や、一斉に銃を構え、走り出す。
銃を構える動作、踏み出す足の向き、歩幅、全てが怖いほど同調している。
そして、連動するように潜んでいた気配も動き出した。
場内の空気が戦場へと一変した。
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