終末学園の生存者

おゆP

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第二章

第21話 第六学区の魔女(3)

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3.
 部屋から出ようとする殺希の背を尻目に、透哉は抱きかかえたままのアカリに目を落とした。

(誘いに乗るべきか……それにしても、こいつを)

 どう考えても生き返るとは思えない姿だが、床にそのままで去るのは憚られた。
 ソファに寝かせるために姿勢を変えて抱きかかえようとして、殺希の口から出た言葉に体が硬直した。

「それとミナミトウヤ、汚れるから『それ』は床に寝かせておいてね?」
「なんだって?」

 行動を先読みされたからではない。
 死んだとは言え、娘と称した物を『それ』呼ばわりしたこと、ソファの汚れを理由に地べたに置くように指示したことが信じられなかった。

「二度は言わないよぉ?」
「テメェ……っ」

 殺希はアカリを抱きかかえたまま目を剥く透哉に告げる。
 透哉は奥歯を固く噛み締めると、自らの服の汚れなど気にせずアカリの亡骸をソファに寝かせた。

「へぇ」

 殺希は一言だけ言い残すと背を向けて先に廊下に出た。
 溶けたアカリでベタベタになった衣服のまま透哉も後に続く。
 数時間前にアカリと慌ただしく駆け抜けた廊下。容易に思い出せるほど鮮明な記憶が透哉を鬱屈な気持ちにさせる。それほど、短時間でアカリとの出来事が激変している。
 複雑極まりない心境のまま、玄関から通路に出た。

「核は回収したから処分の方法はいつも通り。クロウ、あとはよろしくね」
「承知しました」

 玄関を出て早々、扉の横に控えていた異質な出で立ちにぎょっとした。
 アカリの急変、殺希の突然の来訪に意識を奪われていたせいで他の存在に意識を向ける余裕がなかったのだ。
 漆黒の燕尾服に身を包んだ痩躯。血が通っているとは思えないほど白い肌をした顔に表情と言える色は皆無。
 夜に溶け込むように黒く、毒々しいほど白い男が立っていた。
 ここが日常であれば真っ先に目が行くはずの姿が、この場ではあらゆる異常に押しつぶされて霞んでいた。

「ソファが汚れてしまいますが、よろしいですか?」
「仕方がないね」
「重ねて承知しました」
「床の上ならよかったのに、誰かさんが余計なことをしてくれたからね」
「全くです」

 クロウと呼ばれた痩躯は眼球一つ動かさずに、電子音みたいな平坦な声で返答すると、透哉と殺希と入れ替わるようにゆっくりと動き出した。
 命令に忠実な冷酷無比な執事、そんな印象を受ける。
 もう手遅れだと分かっていてもアカリの肉体を部屋に置き去りにすること、クロウと呼ばれた男に後を任せる行為が、アカリに対する裏切りと侮辱になるような気がして我慢できなかった。
 それでも、今は殺希に従い、付いて行くことしか出来ない。
 最善と認めたくはなかったが、それ以外に行動する選択肢がなかった。

「あの体はどうするんだ?」
「どうするって、廃棄だよ。あの体はもう使えならないからね」
「……っ」

 悪あがきのような質問をぶつけることしか出来なかった。

「あの子はクロウ。私の部下の一つで普段は無愛想だけどそこそこ使える子だよぉ」
「へぇ……っ」

 殺希の微妙な評価を聞きながらすれ違い様、件のクロウを横目で見て、言葉を失う。
 初孫に対面するじいさんばあさんのような緩みきった顔。数秒前に見た無表情が見る影もない。
 無機質な廊下に花畑が見えるほどにこやかに、それはそれはだらしがなく破顔していた。
 嬉しくて嬉しくて仕方がないといった様子で、初対面である透哉の存在など全く気にせず、感情を表出していた。
 冷酷な執事に見えた淡々とした受け答えが嘘のような変貌ぶりだ。

「だーい、好きでございます」
「……ぬ?」
「ですから、私、クロウは殺希様のことが、ドゥワァーイ好きにございます!」

 深夜の高層マンションの通路でクロウの叫びが大反響する。

「キャラがわかんねぇ! 多重人格か!? 洗脳……」
「んー、クロウは私の命令を快く受け入れるように構築された便利な子だからねー私のことが大好きなんだよ」
「そーう、にあります! 遺伝子に組み込まれたラヴが私の動力!」

 状況の温度変化に全くついて行けない透哉。
 目を点にして唖然とする透哉など無視して、クロウは胸の前で両腕をクロスさせて愛を叫んでいる。

「適当に作った割にはよく出来てるでしょ?」
「レストランの賄いかよ!? 便利とか適当とか、愛を感じる要素全くないじゃねーか!?」
「何を言います! 便利は必要とされている証! 適当は適切に当てると書き、必要不可欠であることの裏付け! 即ち、ラーヴ!」
「大丈夫だよ。君の代わりはいくらでもいるからほどほどに働いてくれれば」
「温度差エグいな」

 嬉々として語るクロウと、淡々と喋る殺希。喜劇と悲劇を切り貼りしたみたいな温度差にツッコミが追いつかない。

「アピールはほどほどにして仕事に戻ってくれないかなぁ?」
「承知しました、直ちに」

 ハイテンションなクロウに殺希がやや迷惑そうな顔で言うと、顔面を付け替えたレベルで表情が元に戻る。
 今度こそ透哉と殺希に背を向けるとクロウはアカリが安置された部屋に向かう。
 そのすれ違いざま、透哉は奇妙に感じた。
 何故なら片付けを命じられたクロウは手ぶらだった。回収用の大きな鞄や入れ物を持っていなかった。アカリの死体を回収するにしても周囲への配慮は必要なはずだ。
 話の流れから、抱きかかえてそのまま運ぶとも思えない。
 釈然としないながらもクロウを見送り、透哉の耳が違和感を捉える。

(足跡が……消えた?)

 そして、代わりにザザッと波が爆ぜるような音が鼓膜を叩いた。
 透哉は慌てて振り返り驚愕する。
 燕尾服の人型が風で吹き飛ばされる木の葉のように崩れて舞い、無数のカラスに姿を変えた。翼を擦り合わせるほどの密度で狭い廊下を飛び交い、折り重なるけたたましい羽音が波の音を生み出していた。音源を突き止め、同時にカラスの姿が意図するところに察しがつき、透哉は青ざめた。
 カラスの群れが飛翔した先はアカリを残したままの一室。

「おい! 待てよ!」

 その透哉の叫びもけたたましい羽音が揉み消し、置き去りにして、部屋に残されたアカリに殺到した。
 透哉は歯噛みしながら、踵を返す。

「今、君は何をしようと考えたのかな?」
「――っ!」

 咄嗟に飛び出そうとした透哉を殺希が声で制した。透哉から滲み出た敵意を鋭敏に感じ取っての呼びかけだった。
 背後から串刺しにされたと錯覚を起こすレベルのプレッシャーに、透哉は硬直を余儀なくされた。そんな、透哉の耳にその音は響く。
 嘴をカチカチと鳴らせながら、肉を裂く生々しい断続的な音。
 それこそ、生ゴミを貪る野生のカラスと同じ所業。
 数分前まで笑顔で会話をしていたアカリが受けていい仕打ちではなかった。

「ね、便利で使える子でしょー? あんな汚い仕事を文句一つ言わずにしてくれるんだよ?」
「――テメェ! もう一回言ってみろ」

 茫然自失と言った透哉に向けて、殺希はクロウの仕事ぶりを誇らしげに称賛する。
 透哉はせめてもの抵抗として、震える声を絞り出す。この時ばかりは、恐れよりも怒りが勝った。
 アカリはもう救えない、頭で分かっていても反射的に体が動いてしまったのだ。
 本体は殺希の手中の黒い球体と教えられて、あの体はもう使い物にならないと分かっていて、まるで死者を弔う人間のように亡骸に後ろ髪を引かれたのだ。
 助けたい、そんな風に欠片でも思ってしまった。

「もう一回? いいよ。汚い仕事。私なら死肉を口で片付けるなんて真似、したくないなぁ」

 殺希は悪びれる様子もなく、リクエスト通り復唱する。言葉を選んだ挑発は透哉を的確に抉った。死体だったとしてもアカリを汚いと言われたことが我慢できなかった。
 しかし、透哉の様子を見た殺希は別の部分に着眼した。

「ミナミトウヤ、君はアカリのために怒っているのかな? それなら私はこれ以上何も言わないよ?」
「当たり前だ。誰だって知り合いがあんな目にあったら」
「あ、もういいや」

 拗ねた子供のように視線を逸らせる透哉に、殺希はひらひらと手を振り退屈そうな顔で話を切った。動作だけでつまらないと告げた。

「君の怒りは平等で中身のない感情じゃないかな?」
「――!」
「今晩、急に倒れて動かなくなったのがアカリじゃなくても、君の反応は変わらなかったんじゃないかな?」

 平等。
 やんわりとした口調の糾弾が突き刺さった。
 透哉にとって致命的な指摘だった。
 日々の糧を学園再興の野望へ注ぎ、身勝手な禊と贖罪を力として歩んでいる。
 目的のためなら誰を敵に回してもいいと覚悟しておきながら、出会って日の浅い存在の死に心を乱され、価値も意味もない怒りに踊らされていた。
 露呈した自らの弱さをまじまじと見せ付けられ、透哉は言葉を失う。
 突き付けられた事実に呻吟しんぎんする透哉に、殺希は容赦しない。
 
「ちょっといい雰囲気になっただけで情が湧いちゃったのかな? 捨て猫がすり寄ってきただけで里親を探して上げようとか、そんな幼児番組の模範を演じたかったのかな?」

 そんなことはない。と、透哉は言い返せなかった。
 この感情を育てたのは紛れもなく自分の甘さ。
 ターニングポイントはいくつもあった。その全てをアカリへの恩情や懺悔の気持ちと言って誤魔化し、ふいにして、最終的に溺れた。

「誰のためにでも怒れる君は人間的で優しすぎる。その感性は今のうちに捨てておいた方がいいと思うよぉ?」
「……っ」
「どのみち捨てさせてあげるけどね。その無意味な人間味」

 言われるがまま、透哉は殺希の言葉に打ちのめされる。
 何一つ言い返せない。叱られるがままの無知な子供だった。

「そして、今後の君にアカリがどれほどの価値を生む存在になるか、興味が尽きないねぇ」

 一転して奇妙な言い回しをする殺希に、透哉は首を傾げる。まるでアカリが生き返る、そんな風に聞こえたのだ。
 しかし、同時に未知の投薬の使用を予告されたような気味の悪さがあった。
 殺希は何事もなかったように歩き出し、背中越しに軽い口調で尋ねた。

「それより、『原石』を使いっぱなしだと疲れない?」

 殺希が言うような疲労感はないが、部屋でアカリが倒れてから今の今まで透哉の左目は透明の瞳を維持している。
 自分の秘密の核を的確に言い当てられ、透哉の視線がより険しくなる。心を散々かき乱され、気持ちの整理もままならない状況だ。
 敵襲に対しただ守りを固めるように、俄然警戒色を濃くする透哉。
 殺希の目には苦労を察したと言うより、無駄な行動への哀れみが混ざっていた。

「ミナミトウヤ、警戒するのは分かるが、変な気を起さないでよ? 一応、私は君の味方だよ?」
「味方?」

 予想外の返答に透哉は目を瞬かせた。
 アカリを回収するために現われただけで確かに危害を加えられていないし、敵意も向けられていない。
 現に赤く毒々しい目からは、その見た目に反して悪意は感じられない。〈悪夢〉と名乗られ、一方的に神経過敏になって疑い、訝っているだけなのだ。
 アカリの突然の崩壊に混乱し、多少特異な死体の片付け方法を受け入れられなかった。
 どれもこれも、透哉がアカリを普通の人間だと勘違いしたから起こった、言わばすれ違いなのだ。

「正直、君が怒る理由が分からないなぁ。もし、アカリが死んだと思っているなら早とちりだよ? 本体はあくまでこっちで、肉体は定期的に新調する予定になっているから。ほら、途中で発声がおかしくなっただろ? あれはガタがきた証拠だよ」

『ふぉら、もっと、ろみなさいよぉ~』

 酔っ払ったみたいに呂律が回らなかったアカリ。あれが気持ちの高ぶりや心地の良さから漏れた物ではないと、動作不良だと言った。
 娘と呼びながら、変わらず機械的な見立てをする殺希に怒りが再燃しそうになる。
 けれど、先の殺希の指摘が祟り、その感情を向ける方向も成否も分からずにいた。
 アカリを包む特殊な事情に自分が外から首を突っ込んだだけ。
 透哉が持つ常識や感性はきっとこの場所では役に立たない。
 話が噛み合わないと言うより、感性の次元が違っていた。
 透哉は努めて冷静に、憤りをかみ殺した。
 仮に今この場で殺希に戦いを挑み、勝利の末、アカリの本体たる黒い球体を奪取したところで何一つ解決しない。
 透哉ではアカリを救えないのだ。
 納得は全く行かないが、これ以上固執するべきではないのだ。
 それらを踏まえた上で、透哉には一点、聞かずにはいられないことがあった。

「お前も『原石』を狙っているのか?」
「まさかぁ。まぁ、興味がないは嘘になるけど、欲しいとは思わないね。私が手にしても意味がないし、扱える物でもないからね」

 奪い取れること前提で話しをされている点は気に食わなかったが、殺希にとって『原石』は価値の薄い物だと推し量ることが出来た。
 それでも解かれる気配がない透哉の警戒に殺希は小さく笑う。

「あー、先にこっちと出会ったせいで話がこじれたのかなぁ? 何事も順番って大事だね」

 アカリから取り出した黒い球体を見ながら、余った方の手で頭の後ろをかいた。
 やれやれ困ったなぁ、と緊張感の欠片もない独り言を漏らしつつ、三つ編みの足を止めた。
 エレベーターのポーンと言う緊張感皆無の到着音に毒気を抜かれたように、透哉の顔から険が取れた。
 疑わしくはあったが、殺希の言葉を信じ、敵ではないと判断した透哉は瞬きを挟み、左目を戻した。

――それは刹那の出来事だった。

 透哉は息を吐き、警戒心を解き、殺希の背に意識を戻した。
 殺希の目が獲物を発見した爬虫類のようにギョロリと動き、三つ編みのリングを手榴弾のピンのように引き抜く。
 瞬間、暴風と錯誤するほどの強大な魔力が、黒色の烈風となって閑散とした通路を突き抜け、エレベーターの扉を軋ませた。
 殺希の三つ編みがうねりながら解けて爆発的に広がり、ゴミ袋を縦につなぎ合わせたみたいに黒く肥大化し、瞬く間に漆黒の大蛇に姿を変える。
 通路の壁を砕き割り、天井を摩擦で削り、照明を粉微塵に破壊する。
 それは透哉の目が効力を失った刹那の襲撃。
 危機に後退りをする間も与えず透哉を頭から丸呑みにした。
『原石』の力を行使していない肉眼の透哉には、余りにも速すぎる攻撃だった。

「別に取って食おうと言うわけじゃないんだよ? ただ、君を招待したかったんだよ。私の研究所に」

 殺希は無人になった廊下で虚空に向けて言いながら、引き抜いた銀色のリングを軽く放り投げる。
 すると、巨体をうねらせる漆黒の大蛇が呑み込み、その身を急速に縮めながら元のリングを有した三つ編みに姿を戻した。
 瞬く間に現われた漆黒の大蛇は煙のように消え、破壊の跡だけが残った。
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