終末学園の生存者

おゆP

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第二章

第21話 第六学区の魔女(2)『絵』

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2.
 透哉が浮かせた腰をソファに再び沈めると、アカリの表情は和らいだ。
 その些細な変化を横目で見て、事態の悪化に頭を抱える。

「寂しがり屋さんかよ、めんどくせぇなぁ」
「と言っても、ちょっと話し相手が欲しかっただけだからね!? 寂しいとかそんなんじゃ……」

 アカリは俯いて僅かに考えて、小声で一言。

「ごめん、やっぱり寂しいんだ私」

 声量は絞られていたが、十分透哉の耳に届く大きさだった。
 ぽつりと漏らしたアカリの顔を覗き込むと真っ赤だった。
 するとアカリは酷く慌てた様子で、テーブルの上に放置されていた未開封の缶ジュースを取る。

「まぁ、そうと決まれば君も一杯やりたまえ!」
「ええぇ!? 結局そっちに戻るのか!? まだ飲みかけがあるだろ!? 言ってるそばから開けてるし」

 アカリは見え透いた照れ隠しで飲み会のおっさんモードに突入すると、強引に新たな缶を勧める。透哉の右手には中身がたっぷりと入ったコーラの缶があったが、それでもアカリを拒むことはなかった。
 口答えで応戦しつつも、開いた方の手でジュースを受け取ろうと手を伸ばした。
 しかし、透哉の手が新たに缶を受け取ることはなかった。

 ドサ。

 砂の入った袋を倒したような音がしてアカリの姿が視界から消えた。
 とぷとぷと言う水音に気付き視線を落とすと、床に転がった缶から中身があふれ出し広がっていた。
 そして、その上に目を見開いたまま動かなくなったアカリが横たわっていた。

(何が起きた?――!?)

 透哉はアカリに向けて伸ばしかけた手を反射的に引っ込めた。本能的に危険を察知したのだ。
 ソファを飛び降りて、素早く物陰に身を隠す。倒れたアカリが気がかりだったが、現状把握を優先した。
 透哉は迷わず『原石』の力を使い、見渡せる限りの範囲に目を凝らした。
 魔力を使った死角からの狙撃、不可視の攻撃を疑ったからだ。
 
(魔力反応が三つ、でも、これは……監視カメラ?)

 透哉が視線を向けた先、部屋の上部に小さな穴の開いた火災報知器のような物が見えた。
 恐らく動力に魔力を採用した十二学区特有の代物だろう。
 一部始終を何者かに見られていたことは不快だが、アカリを昏倒させた原因ではなさそうだ。カメラ以外に怪しい物は見つかられず、痕跡も見られない。

「どういうことだ?……まさかっ」

 物陰から身を乗り出すと無意識に呟いていた。外的要因を真っ先に疑った透哉だったが、その見解がそもそも間違いだった。
 残された原因はアカリ本人の身体に異常が発生した可能性。急病や発作で意識を失ったのだとすれば一刻を争う。

「おい、大丈夫――っ!? 」

 透哉はアカリに駆け寄ると肩を揺らして反応を確かめるが、その手に返ってきた異常な感触に目を見開いた。
 同時に急病や発作という一縷の望みが粉々に砕け散った。
 ぐちゃ、とアカリの肩に手が沈むようにめり込んだのだ。零れたジュースを吸った衣服かと思ったが、全く違う。
 奇しくもそれは、さっきアカリの胸に触れた時に感じた奇妙な柔らかさに酷似していた。
 透哉は覚悟を決めアカリの体を背後から抱き起こし、その場に座らせる。改めてアカリに声をかけようと顔を覗き込んだ透哉の喉が干上がった。
 抱いた感想は溶けかけたアイス。
 アカリの頬を汗とは違う水滴が大量に伝い、流れ出していた。
 アカリ自身の体が融解して流れ出していた。

「なん、だこれは……」

 戸惑う透哉を尻目にアカリの顔から何かが落下し、床の上で跳ねた。無意識に音の方を目で追い、『目』が合った。
 それはさっきまで自分をキラキラした目で見ていたアカリの眼球。それが梅干しみたいにしぼんで床の上で醜く潰れている。
 訳が分からない。
 話の途中でいきなり倒れたと思ったら体が溶け出し、眼球がこぼれ落ちた。
 アカリが事切れているのは言うまでもないが、状態が異常すぎる。
 混乱状態にある透哉の意識を蘇らせたのは入り口から聞こえた解錠音。
 鍵を使って普通に開けたようで、こじ開けて突入して来るような物々しさはない。
 いずれにせよタイミングが良すぎる。
 誰が、と疑問を抱く前に室内に設けられた三つの監視カメラの存在を思い出した。アカリのことに関わる連中に間違いない。
 そして、アカリの現状を鑑みるに、友好的な関係が築ける相手が登場するとは考えられなかった。
 最悪アカリをこの場に捨て置き強行突破する。
 今にも崩れ落ちそうなアカリを抱き留めたまま透哉は入り口が開かれるのを待った。
 リビングに廊下からの光が細く差し込み、人影が侵入してきた。響くのは複数の足音と錫杖のような金属音。
 歩いて来たのは麦わら帽子を頭に乗せ、カーキ色のコートを羽織った複数の三つ編みを揺らす女。

「色々と驚かせてしまったようだねぇ~」

 聞き覚えがある声に目を眇める。入ってきた女とは初対面ではなかった。
 なんとも気の抜けた声と共に姿を現したのはエレメントのライブ会場で出会ったアカリの母を名乗る女、春日サツキだった。
 昼間のヒールの高いパンプスとは違い、底の薄いスリッパを履いている。
 しかし、そのスリッパは床には着いていない。
 異常に長い三つ編みを床に足のように立たせて、多足歩行ロボットのように移動している。
 先程から耳について回る金属音は、髪の先のリングが床を叩く音だった。
 当たり前だが、髪の毛を足代わりに歩行することなど普通の人間にはできない。
 昼間に出会ったサツキと同一人物でありながら、明らかに違っていた。
 同時に、目の前のサツキを人間だと勘違いできた最後の瞬間だった。

「よっこいしょ」

 サツキは廊下を抜け、透哉たちがいるリビングに入ると髪での歩行を止め、床に足を着ける。自由になった三つ編みが独立して暴れ、床や壁を叩き出すが、気にする様子はない。
 そして、会場では一度たりとも開くことがなかった瞼がゆっくりと開き、サツキの眼球が露出する。
 その目に宿す光に致命的な違いがあった。血を想起させるほどに苛烈な赤い瞳。その奥に未知の毒を濃縮したみたいな、禍々しさが蠢いている。

(――ウソ、だろっ!?)

 透哉は途端に息苦しさを覚えた。
 広いと思っていた十二畳の洋間が、棺桶ほどの狭さに感じるほどの圧迫感。
 サツキが言葉を吐き、視線を巡らせるだけで戦慄が迸る。
 周囲の空間を歪ませ、視認する側に全く別の姿、印象を植え付ける。最早、変身とも言える変貌を、眼力一つで起こした。
 サツキが本物・・なら、喉が鳴る間に命を刈り取られる。
 数メートルの距離などないに等しかった。



「あんた、は……っ」
「全く仕方がないなぁ……規則正しい生活を厳命していたのに。これだから思春期の娘は困るねぇ。制御というか、予期せぬ行動に出る」

 窒息したように細い息を漏らし言葉を吐く透哉に、サツキは取り合わない。
 サツキは半壊したアカリに目を向けると動じるどころか溜め息交じりに呆れた風に言う。

「まぁ、なんだかんだで原因が男なら生みの親としては成長を喜ぶべきなのかな? とりあえず、回収させて貰うね」

 サツキはアカリを抱いたままの透哉に歩み寄る。
 軽い足取りで近寄られただけで、不可視の壁を押しつけられたような圧力が透哉を襲う。
 サツキは透哉の目前まで来ると、屈んで右手をアカリの左胸に伸ばした。
 直後、ズブリと泥沼に足を踏み入れたような音がして腕がアカリの体に深々と突き刺さる。

「ん~? どこかなぁ?」

 サツキはポケットのお菓子を探す気軽さでアカリの体内を漁り始める。
 そして、透哉が口を挟む間もなく、アカリの胸から黒い球体を引きずり出した。

「さてさて、こんな時間に男を部屋に連れ込んで何をするつもりだったのかなぁ?」

 サツキは人差し指を唇に添えながら、物言わぬ黒い球体に問いかける。間延びした声に歪んだ笑みの組み合わせは、これまでいろいろな物を見てきた透哉の目にも不気味に映った。
 呆気にとられて置いてきぼりだった透哉がハッと我に返る。

「おい、いきなり現われて何だよ。説明しろよ! こいつの体に何が起きた!?」
「君こそちゃんとアカリの方を向いて喋らなきゃ。こっちがアカリの本体だよぉ?」

 サツキは透哉の怒声に怯むことなく、手にした黒い球体を見せた。まるで収穫したリンゴを見せつけるように、問題など何もないとでも言うように。
 透哉は今にも崩れ落ちそうなアカリを支えながら、体からスッと血の気が引くような悪寒を覚えた。
 人体から謎の球体を抜き取ると言う異常が常態化している。

「娘と懇意にしてくれることには素直に礼を言うけど、度胸も興味もないくせに女の誘いに乗ったらだめだよぉ? この子が可哀想でしょ~?」

 娘と称した黒い球体を手鞠のように弄びながら、透哉を咎める。
 アカリの誘いが強引だったことは事実だが、断ろうと思えば出来た。それでもそうしなかったのは自分の意思だ。

「しかし、安否確認よりも周囲を散見する方を優先される当たり、うちの娘は脈なしかなぁ? でも、あの一瞬で監視カメラを三台とも見つけたことには驚いたよ」

 サツキは独り言を一通り言うと、ここにきて始めて透哉の方に目を向けた。
 それだけで、猛獣から威嚇を受けたように体が震えた。声は変わらず間延びしているが、探られるような、研究者然とした言い方に透哉の警戒心が強くなる。
 続けて放たれた言葉が透哉の体に衝撃を走らせた。

「やっぱりすごいねぇ、その左目は」
「――っ!?」
「改めて自己紹介しようかなぁ? 私は春日殺希かすが さつき。この第六学区の管理者にして〈悪夢ナイトメア〉だよ?」

 呆気ない正体の暴露に透哉は戦慄せずにはいられない。
 その最中、抱きかかえられたアカリの左腕が飴のように伸びて、地面にこぼれ落ちた。

「おっと、本格的に融解が始まってしまったねぇ。核を取り出して魔力の導通を止めてしまったから組織が形を保てなくなってきているね」

 透哉の驚愕を余所に、殺希の言動は酷く事務的だ。

「気になることだらけといった様子だねぇ? おいで、色々話しをしてあげるよ」

 殺希は背を向けて指をちょいちょいと動かして透哉を呼んだ。
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