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第二章
第17話 十二学区珍道中(5)『絵』
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5.
暗い話を心機一転、塚井が透哉に尋ねた。
皮肉などの介在はなく、友人への気兼ねない問いかけだった。
「しかし、そもそもな話、よくチケットが入手できたね? 予約段階でほぼ完売の激レアチケットだというのに」
「ん? チケットってこれだろ? 貰ったんだよ」
透哉は確認のためチケットを塚井に見せた。アカリを疑うわけではないが、透哉にとって受け取ったチケットは眉唾物であり、価値の分からない知らない国のお金のような物なのだ。
「ぶっ!? これは!? 関係者からしか貰えないチケットじゃないか!」
「あん? そーなのか?」
「そうだよ! レアどころが激レア、いや、ゴッサレアだよ!?」
塚井は透哉の余りの気楽さに軽い頭痛を覚えつつ、価値を理解する者として振る舞いを正さなければならなかった。
透哉からするとチケットを取り出しただけの行為だが、塚井からすればポケットから名画を出して見せびらかすような行動なのだ。
しかもコンビニのレシートでも持つように裸のままポケットから取り出したのだ。
塚井は透哉の手を覆い、自分の体を盾にして隠し、素早く周囲を一望する。
「(すぐにしまうんだ! こんな物を持っていると知られたら質問攻めに遭うぞ!?)」
「(なんだ、これってゴッサやばいのか!?)」
「(ゴッサ!)」
透哉は塚井のファインプレーに気付かぬまま、合わせて小声で聞き返す。
塚井の機転が功を奏し、周囲には気付かれていないようだ。
「(ここはコンサート会場の目と鼻の先だ! そんな場所で関係者からしか配られない入場券を持っているなんて――僕なら額に入れて大事に保管する!)」
説教染みた言い草だったが、透哉は不思議とその言葉を素直に受け止められた。途中から我慢できずに私情が交ざっていたが、知人として気遣い庇ってくれる辺りやはり根は世話焼きなのだろう。
翻って問題は火中の栗、もとい手中の札。
当然チケットなど自分で買ったことはない透哉だ。自分がどれほど貴重な物を持っていたとしても所詮は入場券でしかないのだ。
「(まぁ、宇宮君に貰ったのなら悔しいが納得だ)」
ブツブツ言いながら塚井は握り拳を作ってちょっと震えている。怒りと言うか、ゴッサ羨ましいのだろう。
勝手に勘違いしてくれているのでアカリから貰ったことは伏せておこう。わざわざ新たな火種を投下する必要もないだろう。
「しかし、羨ましい。僕も一度でいいから専用ゲートから入場してみたいものだ」
「ん? なんだ、入る場所が違うのか?」
専用ゲートへの入場はアカリに教えられた透哉だったが、既に記憶の彼方である。
新たに聞いた、事前情報に目を丸くする。
「そうだとも! 当然知らされていると思うが、君の持つチケットは専用ゲートを潜った先に設けられた特別席への招待券なのだよ」
「初耳だ。知らされてないぞ、そんなこと」
「なんだってぇ!?」
この場にアカリが居たら瞬時にツッコミが入ることをツラツラと口にする透哉。
小声で行われているやりとりだが、塚井が驚く度に周囲の目を少なからず集めている。
めっちゃいいリアクションをする塚井はさておき、群衆について行けば会場へと辿り着けると踏んでいた透哉はここで再度迷子に返り咲く。
「全く、君という男にはつくづく呆れるな。まぁ、会場に着いたら教えてあげるよ」
「知ってるのか?」
「あくまで知識としてはね。後は現地で係の人を頼ってくれたまえ。ふぅ、クールな僕でも流石に取り乱してしまったよ」
「マジかよ。お前クールキャラだったのか」
汗を拭いながらやれやれと首を左右に振る塚井に条件反射でツッコんでしまう。自分がレアチケットを持っていることよりも、塚井の自称クールキャラの方が驚きである。
塚井との会話が一段落すると正面に視線を移し、思わず身構えた。
透哉の目に飛び込んできたのはコンサートホールと呼ぶには無骨な建物。
想像していたのは丸いドーム型の天井を有した今っぽい建物だった。
それが何を思ったか、西洋の古城や砦のような頑強な石造りで行く手を阻むように聳え立っている。
会場正面に設置された三つのガラス戸はぞろぞろとやってくる観客を絶え間なく飲み込んでいく。
(なんだあの突き出した軒先は……ワニの口を模しているのか?)
突き出した軒先を見ながら一人たくましい想像力で震える透哉とは異なり、回りの観客連中の足取りは軽い。
それもそのはず、透哉以外の人々は目の前の建築物の正体を知っている。
透哉がいる角度からでは判別できないが、実は巨大な船舶を思わせる勇壮な外観をしている。
更には横になった三日月にも見えるとあって造形美的にも人気がある建築物なのだ。
海外の建築デザイナーが腕を振るったそこそこ名の知れた建物であることなど透哉は知らない。
その巨大な船舶を海上から見上げるような重厚さを前に、
(すげー、ワニの口だー)
と、口を半開きにして見上げている透哉。
会場前までたどり着くと先程とは比べものにならない量の人が溢れていた。
「ところで君、まさかこの先を手ぶらでいくつもりか? さ、これを持って行きたまえ!」
会場の破壊力に圧倒される透哉を前に、塚井が武器商人みたいにボストンバッグを漁り始める。
塚井はその場でくるりと一回転して、何やら棒状の物体を差し出してきた。大仰なポーズの後に手渡された物をまじまじと見つめる。
名前が分からないが交通整理とかに使われる光るあれだ。
そうサイリウムである。
「なんだこれ?」
「これを持って推しを全力で応援する!」
今更推しって何だとは聞けない。言われるがまま手元のスイッチを押すと蛍光色の光を放つ、発光する剣に早変わりである。試しに軽く振ったり、点灯消灯を数度繰り返したりしてみたが、特に感想はない。
興味のないおもちゃを見る子供の顔をする透哉。
そんな透哉に、塚井が声高らかに言い、指を差す。
「あれを見たまえ!」
「ん? ぶっ」
塚井に誘導されるまま視線を向け、透哉は仰天する。
視線の先にいたのは大剣を背負った勇敢な戦士……ではなく、一メートルを有に超える巨大サイリウムを背負った猛者だ。
と言うか、あんな物振り回して応援されたら恐ろしくて歌うどころではない気がする。
「魔力を用いて発光させる専用のデバイスだ。まさか、完成させていたとは!」
「デバイスの開発ってお前の専売特許じゃねーのか?」
驚嘆する塚井はさておき、この場にいるエレメントのファンは腐っても十二学区で生活するエンチャンターだ。開発やデバイスの扱いに長けた者がいても何ら不思議ではない。
が、技術の方向性の誤りには口を挟みたくなる。
「あのクラスの代物は作ることはできても扱いが難しいんだ。魔力の使いすぎで倒れる者が続出した過去もある」
「サラッとイカれた黒歴史が語られた気がしたんだが!?」
発光する意味不明なデバイスの使いすぎで倒れる。
何を言っているか全然理解できない。
「そろそろ開場時間だ! 僕らは一般ゲートからだが君は別のルートだ」
「別ルートって中に入ってから別れるんじゃねーのか?」
「君はバカか? さっきも言ったが、君が貰ったチケットは特別なんだ。そんな物を持って一般来場者と同じゲートに並んだらすぐに周囲に気付かれてしまうだろ。それとも質問攻めに遭いたいのかい?」
会場前の群衆に目線を向ける。考えただけでもゾッとする。
「関係者用の出入り口は裏側だ。警備員にそれを見せれば取り次いでくれるだろう」
「お前って実はいい奴だな」
「ふふん、今更気付いたのかい? まぁ、どうしても礼がしたいというなら宇宮君と会う機会をセットアップしてくれたら嬉しいかな!」
「そこは全力で要求してくんのかよ。つーか、懲りないなお前」
初めて出会ったオープンテラスでのことを思い返しながら呆れた声を吐く透哉。
「悪いか!? 仕方がないだろ、偶然とは言え湊ちゃんを見つけてしまったら! 舞い上がってしまうだろ!?」
「湊……ちゃん?」
聞き間違えではないだろうか、そう思い復唱した透哉は強い寒気に襲われる。
塚井にではなく、「ちゃん」付けで呼ばれた湊にである。
「悪いか!」
「悪くはないが、俺は恐怖を覚えた」
「なんでナレーション風!? いいだろ別に!」
「ただ、なんというかちょっぴり哀れに思っただけだ」
オープンテラスで湊から強烈に威嚇をされ、尻尾を巻いて逃げ出したことを忘れたのだろうか。自分が同じ立場なら二度と関わりたいとは思わないし、ファンとしてコンサートに出向く気力も失せる。
「哀れでも何でも構わない! あとは好みの食べ物とかも知りたい!」
「おい、要求増えてねーか? しかし、あいつの好みねぇ?」
一応協力してやろうかと思案した透哉だが、湊に出会ったのはつい最近で紅茶を飲んでいる姿しか見たことがない。流耶に至ってはまともに食事をする姿がほとんど思い浮かばなかった。
「特にないんじゃねーか? カッターナイフでもボールペンでも何でも食べるヤツだし」
無意識に流耶と湊を一緒くたに扱って発言した透哉はただちに失言に気付いた。
学園にいる流耶はともかく、十二学区にいる湊はアイドルという衆目を集める真逆の立場にある存在だ。
風評には敏感なはずだ。
「は? また君は失礼な冗談を。イリュージョンじゃあるまいし」
発言が常識を逸脱していたせいか、冷静に冗談と受け止められたようだ。
ファンはアイドルを美化する傾向にあるが、手品と誤解されるほど奇抜な食生活はネタとしても受け入れられないらしい。
とりあえず思いつきでもいいから適当なことを言って誤魔化そう、透哉の脳は安易な嘘でこの場を収める判断をした。
「そうだな、イチゴとか好きなんじゃないか?」
「おお! それは有益! プロフィールにも載ってない情報だ! ありがとう!」
ラーメン屋で醤油を頼むみたいな無難さでイチゴと提案したが、塚井は大喜びである。
そして、金髪に負けないほどにキラキラした目で礼を言われた。
当然、湊がイチゴを好きかどうかなど知らない。もはや勘ですらない。
余りの感謝に流石に悪いことをした気がする。
嘘を告白するか迷っている透哉をよそに、スマホを高速でタップする塚井。
手元をのぞき見るとそこには木箱に入ったイチゴの写真。それが躊躇なくカートに運ばれ、あっという間に支払い画面に移動して支払いを完了する。
(いやいやいや、行動力!? しかもそれって一個数百円するめちゃくちゃ高いヤツじゃ!?)
ネタばらしのタイミングはもう失われた。
ここに至るまでに受けた親切を考えると罪悪感が半端ではなかった。
(まずい……かくなる上は)
おみくじで大吉を引いたみたいに幸せそうな塚井にかける言葉が思いつかなかった。
透哉はスマホを取り出すと湊に『汝、イチゴ好きになれ』とメッセージを飛ばした。
「僕が案内できるのはここまでだ! 何はともあれ、コンサートを楽しんできたまえ!」
前髪をかき上げようとした手が鉢巻きの前で空を切る。
「ああ、そうする。サンキューな」
「武運を祈る!」
(武運って何だ)
透哉は貰ったサイリウムを軽く揺らすと塚井に背を向け、教えられたゲートへと足早に向かうのだった。
突然列を抜けた透哉を不思議そうに眺める者もいたが、追求は逃れた。
暗い話を心機一転、塚井が透哉に尋ねた。
皮肉などの介在はなく、友人への気兼ねない問いかけだった。
「しかし、そもそもな話、よくチケットが入手できたね? 予約段階でほぼ完売の激レアチケットだというのに」
「ん? チケットってこれだろ? 貰ったんだよ」
透哉は確認のためチケットを塚井に見せた。アカリを疑うわけではないが、透哉にとって受け取ったチケットは眉唾物であり、価値の分からない知らない国のお金のような物なのだ。
「ぶっ!? これは!? 関係者からしか貰えないチケットじゃないか!」
「あん? そーなのか?」
「そうだよ! レアどころが激レア、いや、ゴッサレアだよ!?」
塚井は透哉の余りの気楽さに軽い頭痛を覚えつつ、価値を理解する者として振る舞いを正さなければならなかった。
透哉からするとチケットを取り出しただけの行為だが、塚井からすればポケットから名画を出して見せびらかすような行動なのだ。
しかもコンビニのレシートでも持つように裸のままポケットから取り出したのだ。
塚井は透哉の手を覆い、自分の体を盾にして隠し、素早く周囲を一望する。
「(すぐにしまうんだ! こんな物を持っていると知られたら質問攻めに遭うぞ!?)」
「(なんだ、これってゴッサやばいのか!?)」
「(ゴッサ!)」
透哉は塚井のファインプレーに気付かぬまま、合わせて小声で聞き返す。
塚井の機転が功を奏し、周囲には気付かれていないようだ。
「(ここはコンサート会場の目と鼻の先だ! そんな場所で関係者からしか配られない入場券を持っているなんて――僕なら額に入れて大事に保管する!)」
説教染みた言い草だったが、透哉は不思議とその言葉を素直に受け止められた。途中から我慢できずに私情が交ざっていたが、知人として気遣い庇ってくれる辺りやはり根は世話焼きなのだろう。
翻って問題は火中の栗、もとい手中の札。
当然チケットなど自分で買ったことはない透哉だ。自分がどれほど貴重な物を持っていたとしても所詮は入場券でしかないのだ。
「(まぁ、宇宮君に貰ったのなら悔しいが納得だ)」
ブツブツ言いながら塚井は握り拳を作ってちょっと震えている。怒りと言うか、ゴッサ羨ましいのだろう。
勝手に勘違いしてくれているのでアカリから貰ったことは伏せておこう。わざわざ新たな火種を投下する必要もないだろう。
「しかし、羨ましい。僕も一度でいいから専用ゲートから入場してみたいものだ」
「ん? なんだ、入る場所が違うのか?」
専用ゲートへの入場はアカリに教えられた透哉だったが、既に記憶の彼方である。
新たに聞いた、事前情報に目を丸くする。
「そうだとも! 当然知らされていると思うが、君の持つチケットは専用ゲートを潜った先に設けられた特別席への招待券なのだよ」
「初耳だ。知らされてないぞ、そんなこと」
「なんだってぇ!?」
この場にアカリが居たら瞬時にツッコミが入ることをツラツラと口にする透哉。
小声で行われているやりとりだが、塚井が驚く度に周囲の目を少なからず集めている。
めっちゃいいリアクションをする塚井はさておき、群衆について行けば会場へと辿り着けると踏んでいた透哉はここで再度迷子に返り咲く。
「全く、君という男にはつくづく呆れるな。まぁ、会場に着いたら教えてあげるよ」
「知ってるのか?」
「あくまで知識としてはね。後は現地で係の人を頼ってくれたまえ。ふぅ、クールな僕でも流石に取り乱してしまったよ」
「マジかよ。お前クールキャラだったのか」
汗を拭いながらやれやれと首を左右に振る塚井に条件反射でツッコんでしまう。自分がレアチケットを持っていることよりも、塚井の自称クールキャラの方が驚きである。
塚井との会話が一段落すると正面に視線を移し、思わず身構えた。
透哉の目に飛び込んできたのはコンサートホールと呼ぶには無骨な建物。
想像していたのは丸いドーム型の天井を有した今っぽい建物だった。
それが何を思ったか、西洋の古城や砦のような頑強な石造りで行く手を阻むように聳え立っている。
会場正面に設置された三つのガラス戸はぞろぞろとやってくる観客を絶え間なく飲み込んでいく。
(なんだあの突き出した軒先は……ワニの口を模しているのか?)
突き出した軒先を見ながら一人たくましい想像力で震える透哉とは異なり、回りの観客連中の足取りは軽い。
それもそのはず、透哉以外の人々は目の前の建築物の正体を知っている。
透哉がいる角度からでは判別できないが、実は巨大な船舶を思わせる勇壮な外観をしている。
更には横になった三日月にも見えるとあって造形美的にも人気がある建築物なのだ。
海外の建築デザイナーが腕を振るったそこそこ名の知れた建物であることなど透哉は知らない。
その巨大な船舶を海上から見上げるような重厚さを前に、
(すげー、ワニの口だー)
と、口を半開きにして見上げている透哉。
会場前までたどり着くと先程とは比べものにならない量の人が溢れていた。
「ところで君、まさかこの先を手ぶらでいくつもりか? さ、これを持って行きたまえ!」
会場の破壊力に圧倒される透哉を前に、塚井が武器商人みたいにボストンバッグを漁り始める。
塚井はその場でくるりと一回転して、何やら棒状の物体を差し出してきた。大仰なポーズの後に手渡された物をまじまじと見つめる。
名前が分からないが交通整理とかに使われる光るあれだ。
そうサイリウムである。
「なんだこれ?」
「これを持って推しを全力で応援する!」
今更推しって何だとは聞けない。言われるがまま手元のスイッチを押すと蛍光色の光を放つ、発光する剣に早変わりである。試しに軽く振ったり、点灯消灯を数度繰り返したりしてみたが、特に感想はない。
興味のないおもちゃを見る子供の顔をする透哉。
そんな透哉に、塚井が声高らかに言い、指を差す。
「あれを見たまえ!」
「ん? ぶっ」
塚井に誘導されるまま視線を向け、透哉は仰天する。
視線の先にいたのは大剣を背負った勇敢な戦士……ではなく、一メートルを有に超える巨大サイリウムを背負った猛者だ。
と言うか、あんな物振り回して応援されたら恐ろしくて歌うどころではない気がする。
「魔力を用いて発光させる専用のデバイスだ。まさか、完成させていたとは!」
「デバイスの開発ってお前の専売特許じゃねーのか?」
驚嘆する塚井はさておき、この場にいるエレメントのファンは腐っても十二学区で生活するエンチャンターだ。開発やデバイスの扱いに長けた者がいても何ら不思議ではない。
が、技術の方向性の誤りには口を挟みたくなる。
「あのクラスの代物は作ることはできても扱いが難しいんだ。魔力の使いすぎで倒れる者が続出した過去もある」
「サラッとイカれた黒歴史が語られた気がしたんだが!?」
発光する意味不明なデバイスの使いすぎで倒れる。
何を言っているか全然理解できない。
「そろそろ開場時間だ! 僕らは一般ゲートからだが君は別のルートだ」
「別ルートって中に入ってから別れるんじゃねーのか?」
「君はバカか? さっきも言ったが、君が貰ったチケットは特別なんだ。そんな物を持って一般来場者と同じゲートに並んだらすぐに周囲に気付かれてしまうだろ。それとも質問攻めに遭いたいのかい?」
会場前の群衆に目線を向ける。考えただけでもゾッとする。
「関係者用の出入り口は裏側だ。警備員にそれを見せれば取り次いでくれるだろう」
「お前って実はいい奴だな」
「ふふん、今更気付いたのかい? まぁ、どうしても礼がしたいというなら宇宮君と会う機会をセットアップしてくれたら嬉しいかな!」
「そこは全力で要求してくんのかよ。つーか、懲りないなお前」
初めて出会ったオープンテラスでのことを思い返しながら呆れた声を吐く透哉。
「悪いか!? 仕方がないだろ、偶然とは言え湊ちゃんを見つけてしまったら! 舞い上がってしまうだろ!?」
「湊……ちゃん?」
聞き間違えではないだろうか、そう思い復唱した透哉は強い寒気に襲われる。
塚井にではなく、「ちゃん」付けで呼ばれた湊にである。
「悪いか!」
「悪くはないが、俺は恐怖を覚えた」
「なんでナレーション風!? いいだろ別に!」
「ただ、なんというかちょっぴり哀れに思っただけだ」
オープンテラスで湊から強烈に威嚇をされ、尻尾を巻いて逃げ出したことを忘れたのだろうか。自分が同じ立場なら二度と関わりたいとは思わないし、ファンとしてコンサートに出向く気力も失せる。
「哀れでも何でも構わない! あとは好みの食べ物とかも知りたい!」
「おい、要求増えてねーか? しかし、あいつの好みねぇ?」
一応協力してやろうかと思案した透哉だが、湊に出会ったのはつい最近で紅茶を飲んでいる姿しか見たことがない。流耶に至ってはまともに食事をする姿がほとんど思い浮かばなかった。
「特にないんじゃねーか? カッターナイフでもボールペンでも何でも食べるヤツだし」
無意識に流耶と湊を一緒くたに扱って発言した透哉はただちに失言に気付いた。
学園にいる流耶はともかく、十二学区にいる湊はアイドルという衆目を集める真逆の立場にある存在だ。
風評には敏感なはずだ。
「は? また君は失礼な冗談を。イリュージョンじゃあるまいし」
発言が常識を逸脱していたせいか、冷静に冗談と受け止められたようだ。
ファンはアイドルを美化する傾向にあるが、手品と誤解されるほど奇抜な食生活はネタとしても受け入れられないらしい。
とりあえず思いつきでもいいから適当なことを言って誤魔化そう、透哉の脳は安易な嘘でこの場を収める判断をした。
「そうだな、イチゴとか好きなんじゃないか?」
「おお! それは有益! プロフィールにも載ってない情報だ! ありがとう!」
ラーメン屋で醤油を頼むみたいな無難さでイチゴと提案したが、塚井は大喜びである。
そして、金髪に負けないほどにキラキラした目で礼を言われた。
当然、湊がイチゴを好きかどうかなど知らない。もはや勘ですらない。
余りの感謝に流石に悪いことをした気がする。
嘘を告白するか迷っている透哉をよそに、スマホを高速でタップする塚井。
手元をのぞき見るとそこには木箱に入ったイチゴの写真。それが躊躇なくカートに運ばれ、あっという間に支払い画面に移動して支払いを完了する。
(いやいやいや、行動力!? しかもそれって一個数百円するめちゃくちゃ高いヤツじゃ!?)
ネタばらしのタイミングはもう失われた。
ここに至るまでに受けた親切を考えると罪悪感が半端ではなかった。
(まずい……かくなる上は)
おみくじで大吉を引いたみたいに幸せそうな塚井にかける言葉が思いつかなかった。
透哉はスマホを取り出すと湊に『汝、イチゴ好きになれ』とメッセージを飛ばした。
「僕が案内できるのはここまでだ! 何はともあれ、コンサートを楽しんできたまえ!」
前髪をかき上げようとした手が鉢巻きの前で空を切る。
「ああ、そうする。サンキューな」
「武運を祈る!」
(武運って何だ)
透哉は貰ったサイリウムを軽く揺らすと塚井に背を向け、教えられたゲートへと足早に向かうのだった。
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