終末学園の生存者

おゆP

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第二章

第17話 十二学区珍道中(1)

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1.
 御波透哉は激務に忙殺される日々を送っていた。
 松風犬太郎を七夕祭に参加させる計画、通称お友達大作戦。
 クラス全員を巻き込み、矢場嵐子の後ろ盾を得て、貫雪砕地を懐柔し、七奈豪々吾を味方に付けてから数日が経った。
 透哉は七夕祭実行委員で活動する中で、様々な問題や障害に直面し、その度に意見交換と考察を繰り返しながら委員として成長を遂げていた。
 委員に就任した際にあった「自分が周りに受け入れられるだろうか?」と言う懸念も今はもうない。透哉の熱に当てられ、クラスメイトたちも率先して作業に参加し、企画段階では反感を持っていた茂部も一員になっている。
 七夕祭への備えは鈍足ながらも順調に進みつつあった。
 クラスメイトたちと連携して行う作業に透哉は確かな手応えを感じていた。
 学園の再興を日々の原動力として歩んできた透哉は、初めて年相応の学生生活を送っていた。
 そんな多忙ながらも、充実した日常は瞬く間に過ぎた。


 この日、透哉は朝松市の市街地を一人で訪れ、十二学区行きの地下鉄に乗るためホームで電車を待っていた。
 目的は十二学区の学生アイドルグループ、エレメントのコンサート。
 七夕祭でのクラスの催しを野外ステージの建設に決めた透哉たち。実行委員会の中で具体的な用途を得たまでは良かったが、装飾や構成と言ったステージ自体の建設に行き詰まってしまったのだ。
 そんな折り、降って湧いたアカリからの誘いは千載一遇のチャンス。
 透哉は舞台演技のプロと言えるアカリたちからヒントを得ようと考えた。アカリに従うみたいで透哉としては少し癪だが、実行委員としての立場から生きた知見を欲した。
 以前と同じように電車を使い十二学区に行こうとしたが、アカリに地下鉄を使えばコンサートホールの最寄り駅まで行けると教えを受け、これまた癪だったが素直に言う通りにした。
 透哉的にはもう一度展望エントランスからの町並みを眺めたいと思っていたが、時間的余裕もないので今回は見送ることにする。
 搭乗口の列に並びながら考えているとアナウンスと共に電車が流れ込んできた。
 以前乗車した小さな田舎電車とは異なり、地下鉄の車内は沢山の人で溢れていた。
 今は『白檻』を着たまま扉横のバーを掴んで地下鉄に揺られている。
 乗客の様子は派手も地味も一緒くたで、白いマントを羽織った透哉が特別目立った印象はない。
 十二学区の生徒と思しき者たちの華美な制服の合間に、普通の学生服が混ざっている。恐らく朝松市方面から乗ってきた一般校の学生たちだろう。
 透哉が当初抱いていたイメージとは異なり、十二学区はかなり開けた存在に思えた。
 音楽を聴きながらうたた寝する者、知人同士で会話を弾ませる者、誰もが移動時間を有意義に過ごしている。
 車内の空気は平和そのもの。
 平和の渦中にありながら透哉の心に不意に影が差す。
 この景色の延長にある街と営みの全てを自分たちは滅ぼそうと画策している。
 同乗者たちは夢にも思わないだろう。
 夜ノ島学園という閉鎖的な学園に潜む闇が企てる殲滅戦。
 これを客観的な観点を元に考察するとどうなるか。
 アングラな組織の破壊工作に映るのだろうか。

(俺たちが起こそうとしていることは正しいのか?)

 自然と俯く視線は、車窓から見える真っ暗なトンネルの内部を眺め続けていた。
 そんな折、地下鉄が奏でる規則正しい走行音と振動音で満たされた社内でヒソヒソと声が聞こえる。普通なら話し声と認識できても会話内容は耳に届かないものである。
 しかし、不思議と自分に向けられる不快な声というのは何故か聞こえてしまうのだ。

「(おい、アイツってもしかして)」
「(あ、この前パレットのテラスで宇宮湊といた!)」

 詳細は定かではなかったが拾えた単語でなんとなく察しが付いた。
 宇宮湊は十二学区においてはアイドルとして特別視されている存在。
 あの日、どれほどの人の目に触れたかは分らないが、漏れなく透哉も有名人の仲間入りを果たしてしまったらしい。周囲に混ざり込んでいるとは言え、的を白い装束に搾って探せば簡単に見つけられてしまう。
 透哉が僅かに顔を傾けると噂話の主とバッチリと目が合った。
 相手側が予期せぬ視線の応酬に僅かに怯む。何気なく視線を外す程度に留めればいいものの、透哉は軽く鼻を鳴らして窓の外に視線を戻す。
 言うまでもなく特に関わる必要性はないし、仲良くするなどもってのほかである。
 けれど、透哉が波風を立てずにその場を収める術など知るはずがない。争いには真正面から立ち向かう生き方しかしたことがないのだ。
 つまるところ、処世術がまるでなっていない。
 案の定、透哉の態度が気に入らなかったのか、二人組の片方、背の高い男が他の客を押しのけて近づいてくる。

「おい、お前」
「――何だ?」

 初対面の挨拶にしては粗暴。透哉は軽く顎を上げて視線を上に這わせる。
 眉間に皺を寄せて顔も少し紅潮している。非常に分りやすい怒りの表情だ。
 怖いとは全く思わない。
 面倒、これに尽きる。

(何がいつか信頼となって都合が良くなる、だ。思いっきり逆効果じゃねーか)

 心中で以前の湊を毒突きながら、自身の対応の不得手を棚に上げる透哉。

「この前オープンテラスで宇宮湊と一緒にいたよな?」
「ああ、いたけど? それがどうした?」
「どういった関係だ?」

 それはこっちの台詞だ。と思う透哉だったが、厳密には草川流耶を知っているだけで宇宮湊は知らない。
 翻って目前の赤ら顔の男が湊とどういった縁なのか疑問は尽きないが、無意味な論争に付き合う気は毛頭ない。
 湊がアイドルであることを考慮し、暫定的にファンの嫉妬と決めつけることにした。仮に湊と親密な関係であったとしても、知ったことではなかった。
 透哉は相手の言葉を右から左に流しつつ、スマホを取り出して素早くダイヤル。その素っ気ない対応に男の顔が更に赤みを増していくが、これも無視する。
 追加でスピーカーをオンにして印籠のように男に誇示する。
 数回の呼び出し音の後に相手が応答する。

『もしもし、透哉? 今忙しいのだけれど。もしもし?』
「お前のファンと思しきヤツにやっかみを受けている。助けてくれ」

 透哉のスマホから聞こえてきた声に、詰め寄って来た二人が怯む。
 受話器から発信される湊の声は、車中の雑踏さえも音色に変えてしまいそうなほど涼やかな響きをしていた。

『何? トラブル?』
「まぁな、後は任せた。件の相手は目の前だ」
『状況説明くらいあってもバチは当たらないと思うのだけれど?』

 湊は不満をこぼしながらも、大凡の状況を予測したのか話を取り次いだ。
 透哉は視線を窓の外の味気ない景色に戻しながら、耳だけは傾ける。

『えっと、聞こえているのかしら?』
「あ、はい。聞こえています」

 透哉と湊の短い数度の会話と声だけで大柄の男の態度が一変、敬語で答える。その返事だけで男の身長が十センチは縮んで見えた。
 その姿を冷めた表情で一瞥した透哉だが、当の男はスマホから聞こえる声に夢中らしく全く気付いていない。
 変に首を突っ込んで話しをややこしくしたくなかったので湊に一任、押しつけることにした。

『ごめんなさいね。彼、私の知人なの。人見知りで酷いことを言ってしまったかもしれないけど許してあげてくれる?』
「いえ、どちらかと言えば、僕らが悪いので……あの、本当に宇宮湊さん?」
『ええ、私は宇宮湊よ。これからコンサートの打ち合わせがあるから長く話せないけれど、いいかしら?』

 突然の名乗りに絡んできた二人のみならず、周囲の乗客までもが透哉の手元に耳を向ける。
 想像を超える効能にスマホが本当の印籠に化けたのかと錯誤するほどだ。

「ぼ、僕たちも今コンサートに向かっているところです! 応援に行くんで頑張ってください!」
『そうなの? ありがとう、会場で待っているわね!』
『湊~? あれ、電話?』
『大丈夫、今行くわ。それじゃあ、また後でね』

 鈴の残響のような声を最後に、湊の声は受話器の向こうに消え、電車の走行音が車内に戻ってきた。

「もういいだろ。まだ文句があるなら……あん?」

 透哉は通話が切れたスマホを仕舞うと睨みを聞かせ、すぐさま怪訝な目に変わる。
 眼前の巨漢が酒に酔ったみたいにぼんやりとした表情を浮かべている。心なしか体の輪郭もツキノワグマがテディベアになったみたいに丸くなっていて、ぽあぽあした変なオーラを放っている。

(なんだこいつ。さっきと別人か?)

 宇宮湊と直接会話できた余韻に浸っているとは想像も付かない。咄嗟にかける言葉が思いつかず、周囲に視線で男の処置を訴えてみるが、誰も目を合わせようとしない。
 誰も関わりたくないようだ。
 余り他人の意見を重視しない透哉だが、民主主義が出した無言の答えを尊重して男との関わりをさっさと切ることにした。
 変わらずうっとりとした表情をしたまま、ぽあぽあを放つ男に毒気を抜かれる。
 けれど、そんなこと気にする透哉ではない。

「これで気がすんだろ。用が終わったら向こう行け」
「――さん」
「あ? まだ用がっ! あん、のかよ……?」

 湊の仲介を経て友好化した男を、再び敵対関係に戻しかねない乱暴な言い回しで牽制する透哉。
 しかし、敵意剥き出しで振り向いた透哉は大柄の男に片手を捕まれての強制握手の反撃を食らい、目を瞬かせる。

「トウヤさん! ありがとうございました!」

 男の初対面の形相を思い出すと芸術点を与えたくなる手のひら返しだ。
 これが桃太郎ならきびだんごも与えずに動物を使役して、鬼退治を完遂してしまうかもしれない。

「自分、エレメントの中では宇宮湊推し一筋で本人と話せたことが嬉しくて嬉しくて……ううぅっ!」
「って、おい泣いてんのか!?」

 予想の斜め上の反応に透哉は狼狽える。絶対に悪いことはしていないと誓う自信はあるのに、再び戻りつつある周囲の視線がザクザクと透哉に突き刺さる。
 不必要に注目を浴びる行動は慎むべきだが、今となってはもう遅い。
 そして、透哉としては男の手のひら返しの理由が分からなかった。

(オシって何のことだ? ああ、鬱陶しい! いや、待てよ。何か、おかしくないか?)

 アイドルのファンという未知の人種を前に、透哉の考えは全く追いついていない。
 推しを持つファンの自発的な愛に外部からの作用を疑い始めるほどだ。
 ある種、洗脳染みたカリスマ性を持ったアイドルや著名人は存在する。
 しかし、宇宮湊ひいては草川流耶と身近過ぎるが故の過小評価が、第三者へのカリスマ性を否定した。
 つまり、男の異常な心境の変化には何か裏が、作為的な物が潜んでいると邪推したのだ。

(こいつらの異常な執着、まさか操られているのか?)

 十二学区の殲滅という物騒な予定を告げられた際にどこか含みのある顔をし、策を匂わせていた流耶。
 それが今この瞬間に、透哉の中で誤った形で氷解した。

(つまり、十二学区の中には既にコントロール下にある人員を大勢紛れ込ませていると言うことか!?)

 無知と疑心暗鬼が作り出した完全に間違った見解が透哉の中に生まれる。
 こうなってしまうと周囲の全てが怪しく見え、ガタンゴトンと規則正しく音を刻む電車の走行音さえ催眠の一部に思えてきた。
「待て待て待て!」と頭を押さえて自分の暴走する思考の抑止を試みる透哉の前に横槍が入る。
 推理小説の途中に四コマ漫画を差し込まれるような、思考のロジックを崩壊させる攻撃。

「自分、こう言う者です!」

 恭しくて両手で差し出されたのは名刺ほどの大きさの一枚の紙。反射的に受け取り、紙面に目を通し、透哉は「うっ」と顔を顰めた。

『宇宮湊応援団員 岩灘連次郎いわなだれんじろう

 もう訳が分からない。
 文字は読めるのに書いてある言葉の意味が理解できない。初めての経験である。

「これは推しを推す者だけが持つ、由緒正しき名誉ある名刺です。どうぞお見知りおきを」

 岩灘(と言うらしい男)は揺れる電車内にも関わらず深々と頭を下げた。
 しかし、透哉は未知の単語を連呼されて頭の中が完全にショートし、電卓で字引するみたいに、与えられた情報を正しく処理できなくなってきた。

「そして、自分はこういった者だし!」
「お、お前もあんのかよ」

 今の今まで静観していた小柄な男も岩灘同様、一枚の紙片を懐から取り出し透哉に向けて差し出す。透哉はもう片方の手にも握らされた名刺に恐る恐る目を通す。

『うどん子応援団員 虎井卓也とらいたくや

 唐突なうどん屋からの回し者の登場である。
 理数系と文系の問題を同時に叩き込まれたところに今度は哲学を語られた、そんな気分だ。透哉は右脳と左脳が分離してしまうほどの危険な混乱状態に陥る。

(そうか、やっぱりこいつらは流耶たちに操られているんだ。そうだ、そうに違いない)

 そうでなければさっきまでの態度がこんなに都合良く豹変するはずがない。そう結論づけると、透哉は扉に倒れ込むようにもたれ、そのまま床に座り込む。
 腰ぐらい据えて落ち着かなければ今の精神では危うい。
 半ば錯乱状態の透哉は貰った名刺を律儀に懐に片付けると、心配そうにこちらを見下ろす岩灘と虎井に訪ねる。

「十二学区にはお前らみたいな(操られている)奴らが沢山いるのか?」
「宇宮湊推しがですか? それなら、ざっと五千人はいますよ」
「ちなみにエレメントで一番人気はう、」
「いや、もういい。ありがとう」

 素直に礼を言って難を逃れる。
 少しでも情報を得ようと奮起した透哉だが、これ以上の詮索は不必要と判断した。延々こんな話を聞かされていたら心のキャパシティがもたない。
 貪欲に情報を求めるには冷静な精神が必要なのだ。まずは心の整理を優先しよう。

(――なんてこった)

 コンサートに参加して七夕祭の参考にする、そんな軽い気持ちで十二学区を訪れた自分の呑気さを呪った。分野の違う世界の知見を得ようとすることはここまでも心労を伴うものなのか。
 座り込んだまま荒い息を吐く透哉を救ったのは車内アナウンス。
 どうやらアカリに指定された駅にもうすぐ到着するようだ。
 扉の前に陣取っていたから慌てる必要などないのだが、うまく足に力が入らない。思わず自分の足がちゃんと付いているかを確認してしまうほどだ。
 高熱を出した病人のようにふらふらしながら立ち上がると不意に揺れが収まる。
 外の景色に視線を転じると電車が駅に停車していて、扉が開いた。顔には出さないように努めていたが、自動ドアの開閉一つとっても動悸がしてしまうほどだ。
 しかし、岩灘と虎井に動きはない。

「お前らは降りないのか?」
「あ、自分たちは一駅先に待機する本隊と合流してから会場入りするので」
「本体? お前ら分離しているのか……」

 疑問はあったが、深く追求しないことにした。付きまとわれなくなったことへの安堵感が強い。
 他の乗客と団子になって下車すると、背後から岩灘と虎井の激励が追い打ちをかける。

「トウヤさん、お大事に!」
「またいつか、戦地で!」

 窓越しに敬礼する二人に向けて透哉は適当にひらひらと手を振り返すと、ホームの椅子に力なく座り込む。
 それだけで車内でため込んだ疲労がダーッと流れ出た気がした。
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