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第二章
第15話 ある夜の学生寮(1)『絵』
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1.
「ブラザー! お、俺様は決めたぜぇ!」
「……決めたって、何をだよ?」
寮での夕食を終え、部屋の前まで戻った透哉の背に声がかかる。
透哉が怪訝な顔で振り返ると、そこに居たのは豪々吾。食堂から(恐らく全力疾走で)追いかけてきたようで、肩で息をしている。
いつも通りの五月蠅さ、暑苦しさである。
豪々吾とはルームメイトなので部屋に入ってゆっくり話せばいいのだが、緊急の要件があるのかも知れない。
と、数秒前までは思い、思っていた。
それが一転、豪々吾の入室を拒みたくなった。
どうやら皿洗いの最中に抜け出してきたようで、右手に泡だらけのスポンジ、左手に洗いかけの食器を握っている。
更に通ってきた廊下のあちこちに洗剤の泡を撒き散らす始末だ。
落ち着いて話をするには縁遠い人物なことは百も承知だが、ここまでなりふりを無視した姿は珍しい。
急いでいる様子は伝わってきたが、何故か深刻さも緊急性もまるで窺えない。
それもそのはず、豪々吾が悪戯を思いついた子供のように、何かを言いたくてうずうずした顔をしていたからだ。
「俺様は、犬を七夕祭に連れ込む!」
「…………えっ?」
豪々吾の宣言と同時、力強く握りつぶされたスポンジがモリモリと泡を吐き出した。
透哉は一瞬、言われたことが理解できなかった。
実は豪々吾にも協力を仰ごうとしていた透哉からすれば思ってもない僥倖なのだが、スポンジから吹き出した泡がシャボン玉となって舞い上がり、理解を鈍らせる。
予想外の申し出に透哉が言葉を詰まらせること数秒。
眼前で弾けたシャボン玉にハッと我にかえる。
「って、お前、それを言い放つためにわざわざ俺を追ってきたのか!?」
「おうよ! 昼休みに話すつもりだったのに、俺様としたことが忘れちまってよぉ! たった今思い出していても立ってもいられなくなっちまったってわけだ!」
揃って廊下で大声を上げる二人に、何事かと他の寮生が部屋から顔を出した。
しかし、シャボン玉がぷかぷかと浮かぶファンシーな光景の向こうで御波透哉と七奈豪々吾が向き合っている光景を見ると皆一様に変な顔をして部屋に引っ込んだ。
周囲の反応はともかくとして、話すならゆっくり腰を据えてからが望ましいのでひとまず豪々吾には台所に帰って欲しい。
「とりあえずテメェの用事済ませてからにしろ」
「バカヤロウ! 皿洗いなんざどこでもできるだろ!?」
「台所でやれ!」
「ちくしょう! 分かったぜ!」
威勢のいい返事をすると豪々吾はシャボン玉の群れをかき分け台所へ戻った。
それと入れ違いに、
『七奈の野郎、スポンジ握ったままどこに行きやがった!? うぎゃあー!? 廊下がベタベタじゃねーか!?』
と、寮母らしからぬケムリの絶叫が廊下の奥から聞こえてきた。
追加で食器が割れる音と豪々吾の悲鳴が聞こえたが、透哉はそっと扉を閉じた。
(昼間の雪だるまと言い、なんでここの三年はこうもやかましいんだ? そう言えば、あいつも寮生なのか?)
変人たちを呼び寄せている自分自身は棚に上げつつ、ふと思い至った。
改めて考えると食堂や廊下、その他の共同スペースにおいても砕地の姿を見た覚えがなかった。
(後でついでに聞いてみるか)
透哉はベッドの横になった。
砕地のことは引っかかるが、今は松風の七夕祭への参加を仄めかした豪々吾の発言が気がかりだった。
何故このタイミングなのか。そもそも、豪々吾と松風の接点が思い浮かばなかった。
先日偶発的に行われた早朝の過激な散歩劇を知らない透哉には分からないことだらけだった。
「ブラザー! お、俺様は決めたぜぇ!」
「……決めたって、何をだよ?」
寮での夕食を終え、部屋の前まで戻った透哉の背に声がかかる。
透哉が怪訝な顔で振り返ると、そこに居たのは豪々吾。食堂から(恐らく全力疾走で)追いかけてきたようで、肩で息をしている。
いつも通りの五月蠅さ、暑苦しさである。
豪々吾とはルームメイトなので部屋に入ってゆっくり話せばいいのだが、緊急の要件があるのかも知れない。
と、数秒前までは思い、思っていた。
それが一転、豪々吾の入室を拒みたくなった。
どうやら皿洗いの最中に抜け出してきたようで、右手に泡だらけのスポンジ、左手に洗いかけの食器を握っている。
更に通ってきた廊下のあちこちに洗剤の泡を撒き散らす始末だ。
落ち着いて話をするには縁遠い人物なことは百も承知だが、ここまでなりふりを無視した姿は珍しい。
急いでいる様子は伝わってきたが、何故か深刻さも緊急性もまるで窺えない。
それもそのはず、豪々吾が悪戯を思いついた子供のように、何かを言いたくてうずうずした顔をしていたからだ。
「俺様は、犬を七夕祭に連れ込む!」
「…………えっ?」
豪々吾の宣言と同時、力強く握りつぶされたスポンジがモリモリと泡を吐き出した。
透哉は一瞬、言われたことが理解できなかった。
実は豪々吾にも協力を仰ごうとしていた透哉からすれば思ってもない僥倖なのだが、スポンジから吹き出した泡がシャボン玉となって舞い上がり、理解を鈍らせる。
予想外の申し出に透哉が言葉を詰まらせること数秒。
眼前で弾けたシャボン玉にハッと我にかえる。
「って、お前、それを言い放つためにわざわざ俺を追ってきたのか!?」
「おうよ! 昼休みに話すつもりだったのに、俺様としたことが忘れちまってよぉ! たった今思い出していても立ってもいられなくなっちまったってわけだ!」
揃って廊下で大声を上げる二人に、何事かと他の寮生が部屋から顔を出した。
しかし、シャボン玉がぷかぷかと浮かぶファンシーな光景の向こうで御波透哉と七奈豪々吾が向き合っている光景を見ると皆一様に変な顔をして部屋に引っ込んだ。
周囲の反応はともかくとして、話すならゆっくり腰を据えてからが望ましいのでひとまず豪々吾には台所に帰って欲しい。
「とりあえずテメェの用事済ませてからにしろ」
「バカヤロウ! 皿洗いなんざどこでもできるだろ!?」
「台所でやれ!」
「ちくしょう! 分かったぜ!」
威勢のいい返事をすると豪々吾はシャボン玉の群れをかき分け台所へ戻った。
それと入れ違いに、
『七奈の野郎、スポンジ握ったままどこに行きやがった!? うぎゃあー!? 廊下がベタベタじゃねーか!?』
と、寮母らしからぬケムリの絶叫が廊下の奥から聞こえてきた。
追加で食器が割れる音と豪々吾の悲鳴が聞こえたが、透哉はそっと扉を閉じた。
(昼間の雪だるまと言い、なんでここの三年はこうもやかましいんだ? そう言えば、あいつも寮生なのか?)
変人たちを呼び寄せている自分自身は棚に上げつつ、ふと思い至った。
改めて考えると食堂や廊下、その他の共同スペースにおいても砕地の姿を見た覚えがなかった。
(後でついでに聞いてみるか)
透哉はベッドの横になった。
砕地のことは引っかかるが、今は松風の七夕祭への参加を仄めかした豪々吾の発言が気がかりだった。
何故このタイミングなのか。そもそも、豪々吾と松風の接点が思い浮かばなかった。
先日偶発的に行われた早朝の過激な散歩劇を知らない透哉には分からないことだらけだった。
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