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第一章
第1話 歪み始めた日常。(3)『絵』
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3.
(たまに早く来るとこうだもんなー)
椅子を傾け白い天井を仰ぎながらに思う。
すると隣の席でうつぶせになって寝ていた女生徒がすっと顔を上げた。
背中を覆い隠すほど長い銀色の髪に、青い瞳をした整った顔つきの少女である。健康的に隆起した鎖骨の上にはいつも藍色のチョーカーが巻かれている。
「朝から何の騒ぎだ? み、御波か……?」
半開きの目をこすりながら、寝起きの少女、源ホタルは聞いてきた。
「お、おう、おはよう」
そのホタルの無防備な仕草に一瞬ドキリとしつつ、透哉は答えた。
源ホタルを一言で言うならば、忙しいやつである。生徒会副会長とクラス委員を並行して務め、生徒とは思えないほど仕事を抱えている。労働の疲れからか、朝はこうして顔を伏せて寝ていることが多い。
「うむ、」
ホタルはそう呟くと眠そうな表情を取り払い、伸びた松風と透哉を交互に見ると僅かに思案して女性にしては少し低めの声で言った。
「御波、いくら飼い主だからと言ってむやみに動物を痛めつけるのは感心しない」
「俺は飼い主じゃないし、足でつつきながら言っても説得力ないだろ」
「いや、もしかして死んでいるのかと思った」
ホタルは言い終えると最後に一撃強めに蹴る。松風は細いうめき声を上げる。
「毒液を吐いたぞ」
「違うゲロだ」
「まぁ、いずれにしても飼い主としてちゃんと処分……後始末はしておけよ?」
そう言い残しホタルは再び机に顔を伏せた。
「だから俺飼い主じゃないし。処分と始末って意味あんまり変わらないし……」
いっそ保健所に連れて行ってみるか? などと少し物騒なことを考えながら透哉は松風の尻尾をつかみ机の上に乗せ、廊下の方が騒がしいことに気が付いた。
窓が迫りくる気配に怯えるようにカタカタと揺れていた。
キーンコーンカ――ガッシャァーン!!!
始業のチャイムと重なるタイミングで教室の前の扉がプロペラみたいに回転して吹き飛び、ガラスが砕け散った。
「ふぅ、とうちゃーく!」
扉がなくなった入口から快活な女性の声。
「あー、だるい。職員室でコーヒー飲んでいたら馬鹿が窓突き破って飛び込んでくるし、今日は朝からろくなことがないわねー」
二年五組の面々は破壊音に驚きつつも、原因を知ると「ああ、いつものことだ」と思い、各々自分の席に着き姿勢を正した。少し前まで好き好きに教室内に散らばっていたとは思えない、妙に統制のとれた行動の原因は飛び込んできた女性への畏怖に他ならない。
声の主は「く」の字に変形した扉を足蹴にし、ガラス片を踏み砕きながらずかずかと教室に入ってきた。
「とりあえず教師が学園の備品ぶっ壊すのはどうなんだ?」
「いいのよ。ほっときゃ直るし、それに私はセンセーだし」
「この反面教師」
「ん? 何か言った?」
突如教室に乱入してきたこの女性は二年五組の担任、矢場嵐子。文字通り嵐のような豪快な教師である。
ベージュのシュシュで束ねられた長い新緑の髪に、「色気? 何それ食えんの?」とでも言うかのようなジャージにTシャツ姿は魅せるには無縁の装束。ラフな様相の向こう、惜しげもなくTシャツを押し上げる丘陵は男達の悩みでしかない。
しかし、矢場自身に自覚はなく、色気の一歩前を歩く快活さに引かれ、妖艶な気配は微塵もない。
無自覚の元気美人である矢場は件の扉を足蹴にしながら教卓に着く。その僅かなすきに扉は自然に立ち上がり元のレールの上に戻り、傷一つなく復元された。
この現象は扉に仕掛けがあるわけではなく、学園そのものの構造体制にある。
夜ノ島学園の校舎には常時魔力が通っていて備品の大半は破損してもその場で自動修繕される仕組みなっている。
「我がクラスは精鋭揃いで実に気分がいいわね。委員長、号令」
「はい。起立、礼、着席!」
壊れた扉を横目で見つつ、クラス委員のホタルが号令をかけた。
自身の蛮行を意に介さず、矢場はクラス内をぐるりと見渡し出席簿を広げた。
「全員出席っと。あーそれと御波、あんた廊下に立ってなさい」
流れるように言い渡された罰に透哉は頬杖をついていた手を滑らせ、机に顔を打ち付けた。
「何で俺がそんなことしなきゃいけねーんだよ!?」
「思い当たる節あるでしょ?」
矢場は呆れた風に言って出席簿を閉じると、
「朝っぱらからあのバカを職員室に投げ込める奴なんて、学園内探してもあんたぐらいのもんでしょ?」
この学園で『バカ』と言えば七奈豪々吾で相場は決まっている。ひたすら喧嘩に明け暮れ暴れ回っていた日が嘘に思えるぐらいやられ役が板についてしまっている。
けれど当の本人が楽しそうなので(透哉以外)誰も過去を蒸し返そうとは思わない。
「あー、そんなことがあったな……」
矢場の言い方だと豪々吾は透哉に投げ飛ばされたことは伝えていないようだった。
「本人に聞いても『転んだ』の一点張りで埒が明かないのよ」
誤魔化すにしてもかなり無理があったが案外口は堅いらしく、意地でも仲間は(あまり思われたくないが)売らないタイプのようだ。
(ったく、無駄な所で律儀なんだよな)
透哉が内心で豪々吾の健闘を称えつつ廊下に出るため席を立つと、
「御波、バケツなら後ろの掃除用具箱の中よ。水はトイレで汲んで終わったら花壇にでもまいといて。あー、そのままじゃなくて柄杓を使ってまんべんなくね?」
廊下に立たせるのはおまけで、本当は雑事の方がメインではないだろうかと思わず疑ってしまう。けれど余計な口を挟んで更に仕事を増やされたらたまらないので透哉は素直に従う。
(ちくしょう、絶対楽しんでやがる……)
教卓からニコニコと笑みを送る矢場を尻目に教室を後にした。
指示通りトイレに来た透哉は蛇口を全開にしてバケツに水をザバザバと注ぐ。
鏡に映るそんな間抜けな自分の姿にため息が漏れた。どうせばれないので水を少なめに入れて誤魔化そうと思ったが、バケツの内側には印がきっちりとされていた。
それを見た途端特大のカップ麺を作っている気持ちになったのは言うまでもない。
キーンコーンカーンコーン
水音に紛れて始業のチャイムが鳴り、一時間目、矢場担当の魔力学の授業が始まる。
(たまに早く来るとこうだもんなー)
椅子を傾け白い天井を仰ぎながらに思う。
すると隣の席でうつぶせになって寝ていた女生徒がすっと顔を上げた。
背中を覆い隠すほど長い銀色の髪に、青い瞳をした整った顔つきの少女である。健康的に隆起した鎖骨の上にはいつも藍色のチョーカーが巻かれている。
「朝から何の騒ぎだ? み、御波か……?」
半開きの目をこすりながら、寝起きの少女、源ホタルは聞いてきた。
「お、おう、おはよう」
そのホタルの無防備な仕草に一瞬ドキリとしつつ、透哉は答えた。
源ホタルを一言で言うならば、忙しいやつである。生徒会副会長とクラス委員を並行して務め、生徒とは思えないほど仕事を抱えている。労働の疲れからか、朝はこうして顔を伏せて寝ていることが多い。
「うむ、」
ホタルはそう呟くと眠そうな表情を取り払い、伸びた松風と透哉を交互に見ると僅かに思案して女性にしては少し低めの声で言った。
「御波、いくら飼い主だからと言ってむやみに動物を痛めつけるのは感心しない」
「俺は飼い主じゃないし、足でつつきながら言っても説得力ないだろ」
「いや、もしかして死んでいるのかと思った」
ホタルは言い終えると最後に一撃強めに蹴る。松風は細いうめき声を上げる。
「毒液を吐いたぞ」
「違うゲロだ」
「まぁ、いずれにしても飼い主としてちゃんと処分……後始末はしておけよ?」
そう言い残しホタルは再び机に顔を伏せた。
「だから俺飼い主じゃないし。処分と始末って意味あんまり変わらないし……」
いっそ保健所に連れて行ってみるか? などと少し物騒なことを考えながら透哉は松風の尻尾をつかみ机の上に乗せ、廊下の方が騒がしいことに気が付いた。
窓が迫りくる気配に怯えるようにカタカタと揺れていた。
キーンコーンカ――ガッシャァーン!!!
始業のチャイムと重なるタイミングで教室の前の扉がプロペラみたいに回転して吹き飛び、ガラスが砕け散った。
「ふぅ、とうちゃーく!」
扉がなくなった入口から快活な女性の声。
「あー、だるい。職員室でコーヒー飲んでいたら馬鹿が窓突き破って飛び込んでくるし、今日は朝からろくなことがないわねー」
二年五組の面々は破壊音に驚きつつも、原因を知ると「ああ、いつものことだ」と思い、各々自分の席に着き姿勢を正した。少し前まで好き好きに教室内に散らばっていたとは思えない、妙に統制のとれた行動の原因は飛び込んできた女性への畏怖に他ならない。
声の主は「く」の字に変形した扉を足蹴にし、ガラス片を踏み砕きながらずかずかと教室に入ってきた。
「とりあえず教師が学園の備品ぶっ壊すのはどうなんだ?」
「いいのよ。ほっときゃ直るし、それに私はセンセーだし」
「この反面教師」
「ん? 何か言った?」
突如教室に乱入してきたこの女性は二年五組の担任、矢場嵐子。文字通り嵐のような豪快な教師である。
ベージュのシュシュで束ねられた長い新緑の髪に、「色気? 何それ食えんの?」とでも言うかのようなジャージにTシャツ姿は魅せるには無縁の装束。ラフな様相の向こう、惜しげもなくTシャツを押し上げる丘陵は男達の悩みでしかない。
しかし、矢場自身に自覚はなく、色気の一歩前を歩く快活さに引かれ、妖艶な気配は微塵もない。
無自覚の元気美人である矢場は件の扉を足蹴にしながら教卓に着く。その僅かなすきに扉は自然に立ち上がり元のレールの上に戻り、傷一つなく復元された。
この現象は扉に仕掛けがあるわけではなく、学園そのものの構造体制にある。
夜ノ島学園の校舎には常時魔力が通っていて備品の大半は破損してもその場で自動修繕される仕組みなっている。
「我がクラスは精鋭揃いで実に気分がいいわね。委員長、号令」
「はい。起立、礼、着席!」
壊れた扉を横目で見つつ、クラス委員のホタルが号令をかけた。
自身の蛮行を意に介さず、矢場はクラス内をぐるりと見渡し出席簿を広げた。
「全員出席っと。あーそれと御波、あんた廊下に立ってなさい」
流れるように言い渡された罰に透哉は頬杖をついていた手を滑らせ、机に顔を打ち付けた。
「何で俺がそんなことしなきゃいけねーんだよ!?」
「思い当たる節あるでしょ?」
矢場は呆れた風に言って出席簿を閉じると、
「朝っぱらからあのバカを職員室に投げ込める奴なんて、学園内探してもあんたぐらいのもんでしょ?」
この学園で『バカ』と言えば七奈豪々吾で相場は決まっている。ひたすら喧嘩に明け暮れ暴れ回っていた日が嘘に思えるぐらいやられ役が板についてしまっている。
けれど当の本人が楽しそうなので(透哉以外)誰も過去を蒸し返そうとは思わない。
「あー、そんなことがあったな……」
矢場の言い方だと豪々吾は透哉に投げ飛ばされたことは伝えていないようだった。
「本人に聞いても『転んだ』の一点張りで埒が明かないのよ」
誤魔化すにしてもかなり無理があったが案外口は堅いらしく、意地でも仲間は(あまり思われたくないが)売らないタイプのようだ。
(ったく、無駄な所で律儀なんだよな)
透哉が内心で豪々吾の健闘を称えつつ廊下に出るため席を立つと、
「御波、バケツなら後ろの掃除用具箱の中よ。水はトイレで汲んで終わったら花壇にでもまいといて。あー、そのままじゃなくて柄杓を使ってまんべんなくね?」
廊下に立たせるのはおまけで、本当は雑事の方がメインではないだろうかと思わず疑ってしまう。けれど余計な口を挟んで更に仕事を増やされたらたまらないので透哉は素直に従う。
(ちくしょう、絶対楽しんでやがる……)
教卓からニコニコと笑みを送る矢場を尻目に教室を後にした。
指示通りトイレに来た透哉は蛇口を全開にしてバケツに水をザバザバと注ぐ。
鏡に映るそんな間抜けな自分の姿にため息が漏れた。どうせばれないので水を少なめに入れて誤魔化そうと思ったが、バケツの内側には印がきっちりとされていた。
それを見た途端特大のカップ麺を作っている気持ちになったのは言うまでもない。
キーンコーンカーンコーン
水音に紛れて始業のチャイムが鳴り、一時間目、矢場担当の魔力学の授業が始まる。
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