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第二章
第9話 殺したくない。(2)『絵』
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2.
『殺したくない』と言いながら殲滅戦に身を投じる決意を固めた少年。
客観的には支離滅裂に見える。
ホタル自身も人間であることを捨て、『悪夢』を自称する身として、その狂った矛盾を受け入れなければならない。
しかし、少年の中でこれが矛盾しないことをホタルは知った。
一つの信念、野望を終着点とした場合、戦争さえも通過点に過ぎないからだ。
血の川を渡り、肉の壁を砕き、屍を踏み、それでも前へ進む。
その強固な決断を目の当たりにして、ホタルは置き去りにされることを恐れた。
同時にホタルはまだ人間であることを捨てきれなかった。
捨てたくなかった。
少年の野心を知りつつも、同じ願いを抱きつつも、そちら側には行きたくなかった。
当然、少年にも行って欲しくなかった。
『でも、俺はもう殺したくない』
そう言った少年の顔はどこか辛そうにも写り、激しく葛藤している風にも見えた。
それが、つけ込むことが出来る僅かな綻びである気がした。
(やはり、引き留めよう。野心どうこう以前にまた惨劇を生んでいいはずがない)
そう決断した。
自分を絶望から引き上げてもう一度歩み出す力をくれた彼に罪を重ねさせないために。
――この決断が後に痛みに変わることをこの時のホタルは知らない。
そんな陰鬱な考えに頭が埋め尽くされていたホタルの前に、一匹の雀が偶然舞い降りた。
チュンチュンと鳴きながら、土の上を跳ねてこちらの様子を伺っている。危険はないと判断したのか、少しずつ近寄ってきたのち、ホタルの膝にぴょこんと乗る。
首を傾げては囀るその小さな命が愛おしくて仕方がなかった。
「どうしたのだ? 餌が欲しいのか?」
ホタルは微笑みかけながら指を伸ばすと、雀は警戒することなくツンツンと嘴で突いてくる。
くすぐったさに目を細めつつ、しばらく雀の姿を眺めていた。
「殺したくない――立派な決意ね」
「聞いていたのか?」
突然の声に驚いた雀がホタルの膝から飛び去った。
ホタルは座ったまま声の主である流耶を仰ぎ見る。
その目には敵意も警戒心もなく、どこか優しげだ。
ここ数日のやり取りから関係が多少軟化した二人。
ホタルの元を離れた雀は、地面の上をちょこちょこと跳ねるように移動しながら食べ物を探している。
今までではあり得ない、穏やかな時間の流れ。
「――?」
紫色の丸い影が雀の真下に差した。
ホタルが何だろう? と疑問に思う時間は与えられなかった。
直後。丸い影が膨らみ、巨大な口角となって飛び出し、雀を噛み潰し、丸呑みにした。
雀の断末魔を鼓膜に受け、ホタルは反射的に立ち上がると振り向き様の一撃。
『雷王』によって生み出された雷剣が閃光を放ち、紫電をまき散らせ、流耶の胴体を容易く両断する。
「何故殺した!?」
まるで裏切られたとでも言いたそうな顔で、口からつばが散ることも厭わず、怒声を張り上げる。
流耶の上半身と下半身が打ち抜かれた直後のだるま落としのように空中で別れる。
しかし、流耶はいつものように瞬く間に再生し、挑発的に笑うのではなく、冷めた目で憐れむように一言。
「逆に聞くわね。今、何故私を切ったの?」
「何故って……」
陰鬱とした話の合間に生まれた安堵の時を穢された腹いせ、これが正しい。
しかし、ホタルは咄嗟に剣を抜いた理由を見つけられなかった。
「今の一撃でまた人を一人殺したのよ。あなた」
「なっ」
「雀を食い殺した私と、あくまで人の形をした私を剣で斬り殺したホタル。傍目にはどちらが異常に見えるのかしら?」
ホタルは「どうせお前は再生するだろ」と言う言葉は飲み込んだ。
蚊を潰すように手を上げたのとは訳が違う。流耶が不死の化け物でも、人の形をして人の感触がする以上持たなければならない、人を斬ることへの抵抗が全くなかった。
もし、誰かが流耶に擬態して近づいてきたとしても気付かず迷わず斬ってしまう。
明滅する雷剣を手にしたままホタルは動くことも答えることも出来なかった。
「結局あなたの本質はただの人殺しのまま。癇癪で剣を抜き、あっさりと物を壊し、物を殺す。私が言える立場ではないことは理解しているわ。でもね」
自分の奥底に巣食う黒く醜い物を見せられ、
「透哉はあなたとは違うわ。同じシチュエーションになっても透哉は激怒こそしても私に切りかかったりしないわ。せいぜい胸ぐらをつかむ程度。たとえ私が切っても死なない存在だと知っていても、人の形をした物へ理由もなく凶刃を振るうことはないわ」
少年と自分の違いを示唆された。
数分前に味わった少年と自分の間に出来た考えの差。
ホタルの中に離されたくない、そんな思いが湧き上がる。
だから、咄嗟に少年を、自分の方に引き寄せようとした。
「そんなことは――」
「わからない、とでも言うの? あなたが透哉の何を知っているの? 何に苦しみどれだけの涙を流して今日まで歩いてきたと思っているの?」
冷ややかな言葉なのに、流耶の声は芯に熱を帯びていた。
草川流耶という学園そのものを体現する化け物が、一人の少女として怒りの声を吐いている。
「あなたは今、自分と同類にすることで透哉を辱めたのよ? 透哉も自分と同じ癇癪で凶刃を振るう改心しない人殺しだと。いくら透哉が庇っても私はあなたを認めない」
流耶が軋みを上げるほど奥歯を噛み締め、鋭い目でホタルを突き刺す。
「綺麗事を垂れておいて、あなたは命を差別するのね」
「――っ」
「結局あなたは利己的な感情で命に優劣をつけているに過ぎない。そんなあなたが透哉と同じ信念を掲げる真似をしてっ!」
不意に上半身が揺らぎ、頬を衝撃が打った。
ホタルが平手打ちをされたと気付いたのは、怒りに顔を顰めた流耶と対面したときだった。
ホタルと流耶が一対一で衝突したのはこれで二度目だ。
しかし、旧学園で命を脅かすほどに追い詰められたあのときよりも、痛かった。
初めて草川流耶と言う少女が感情を剥き出しにした姿を見た気がしたからだ。
じくじくと熱を帯びて痛み出した頬に手を添え、
「衝動で剣を振るうあなたは肝心な場面で必ず躊躇するわ。人間染みた下らない慈悲や倫理観は捨てることね。……根本的な部分を是正してあげる。透哉は殺したくない、と言ったのよ?」
流耶は最後にそれだけ告げると、ふわりと溶けるように消え失せた。
殺したくない。
その言葉は、裏を返せば必要に応じて殺すと言うこと。
冷静な自己判断の元、私情を交えず、独断も偏見もなく、殺す。
少年は無感情でありながら、あくまで理性的なのだ。
そこまで覚悟を決めた少年を引き留めたいと願う自分はなんてわがままな存在なのだろうか。
自分に凶刃を向けたときの少年もそうだ。
衝動的ではなく、はっきりとした意思を持ち、強い決断の果てに刀を抜いたのだ。
「それに比べて私は、あのときのままなのか……施設にいたときから変わっていないのか」
校舎の裏に一人取り残されたホタルは、
「――違うっ!」
強い否定と共に握った『雷王』を地面に突き刺す。衝撃と同時に『雷王』は爆ぜ、電撃の余波を残して消える。
「私は変わったのだ! 御波に変えて貰ったのだ!」
流耶が去った後もしばらく蹲って動くことが出来なかった。
休日の校舎の裏、ホタルの涙は誰の目にも触れず地面を濡らした。
『殺したくない』と言いながら殲滅戦に身を投じる決意を固めた少年。
客観的には支離滅裂に見える。
ホタル自身も人間であることを捨て、『悪夢』を自称する身として、その狂った矛盾を受け入れなければならない。
しかし、少年の中でこれが矛盾しないことをホタルは知った。
一つの信念、野望を終着点とした場合、戦争さえも通過点に過ぎないからだ。
血の川を渡り、肉の壁を砕き、屍を踏み、それでも前へ進む。
その強固な決断を目の当たりにして、ホタルは置き去りにされることを恐れた。
同時にホタルはまだ人間であることを捨てきれなかった。
捨てたくなかった。
少年の野心を知りつつも、同じ願いを抱きつつも、そちら側には行きたくなかった。
当然、少年にも行って欲しくなかった。
『でも、俺はもう殺したくない』
そう言った少年の顔はどこか辛そうにも写り、激しく葛藤している風にも見えた。
それが、つけ込むことが出来る僅かな綻びである気がした。
(やはり、引き留めよう。野心どうこう以前にまた惨劇を生んでいいはずがない)
そう決断した。
自分を絶望から引き上げてもう一度歩み出す力をくれた彼に罪を重ねさせないために。
――この決断が後に痛みに変わることをこの時のホタルは知らない。
そんな陰鬱な考えに頭が埋め尽くされていたホタルの前に、一匹の雀が偶然舞い降りた。
チュンチュンと鳴きながら、土の上を跳ねてこちらの様子を伺っている。危険はないと判断したのか、少しずつ近寄ってきたのち、ホタルの膝にぴょこんと乗る。
首を傾げては囀るその小さな命が愛おしくて仕方がなかった。
「どうしたのだ? 餌が欲しいのか?」
ホタルは微笑みかけながら指を伸ばすと、雀は警戒することなくツンツンと嘴で突いてくる。
くすぐったさに目を細めつつ、しばらく雀の姿を眺めていた。
「殺したくない――立派な決意ね」
「聞いていたのか?」
突然の声に驚いた雀がホタルの膝から飛び去った。
ホタルは座ったまま声の主である流耶を仰ぎ見る。
その目には敵意も警戒心もなく、どこか優しげだ。
ここ数日のやり取りから関係が多少軟化した二人。
ホタルの元を離れた雀は、地面の上をちょこちょこと跳ねるように移動しながら食べ物を探している。
今までではあり得ない、穏やかな時間の流れ。
「――?」
紫色の丸い影が雀の真下に差した。
ホタルが何だろう? と疑問に思う時間は与えられなかった。
直後。丸い影が膨らみ、巨大な口角となって飛び出し、雀を噛み潰し、丸呑みにした。
雀の断末魔を鼓膜に受け、ホタルは反射的に立ち上がると振り向き様の一撃。
『雷王』によって生み出された雷剣が閃光を放ち、紫電をまき散らせ、流耶の胴体を容易く両断する。
「何故殺した!?」
まるで裏切られたとでも言いたそうな顔で、口からつばが散ることも厭わず、怒声を張り上げる。
流耶の上半身と下半身が打ち抜かれた直後のだるま落としのように空中で別れる。
しかし、流耶はいつものように瞬く間に再生し、挑発的に笑うのではなく、冷めた目で憐れむように一言。
「逆に聞くわね。今、何故私を切ったの?」
「何故って……」
陰鬱とした話の合間に生まれた安堵の時を穢された腹いせ、これが正しい。
しかし、ホタルは咄嗟に剣を抜いた理由を見つけられなかった。
「今の一撃でまた人を一人殺したのよ。あなた」
「なっ」
「雀を食い殺した私と、あくまで人の形をした私を剣で斬り殺したホタル。傍目にはどちらが異常に見えるのかしら?」
ホタルは「どうせお前は再生するだろ」と言う言葉は飲み込んだ。
蚊を潰すように手を上げたのとは訳が違う。流耶が不死の化け物でも、人の形をして人の感触がする以上持たなければならない、人を斬ることへの抵抗が全くなかった。
もし、誰かが流耶に擬態して近づいてきたとしても気付かず迷わず斬ってしまう。
明滅する雷剣を手にしたままホタルは動くことも答えることも出来なかった。
「結局あなたの本質はただの人殺しのまま。癇癪で剣を抜き、あっさりと物を壊し、物を殺す。私が言える立場ではないことは理解しているわ。でもね」
自分の奥底に巣食う黒く醜い物を見せられ、
「透哉はあなたとは違うわ。同じシチュエーションになっても透哉は激怒こそしても私に切りかかったりしないわ。せいぜい胸ぐらをつかむ程度。たとえ私が切っても死なない存在だと知っていても、人の形をした物へ理由もなく凶刃を振るうことはないわ」
少年と自分の違いを示唆された。
数分前に味わった少年と自分の間に出来た考えの差。
ホタルの中に離されたくない、そんな思いが湧き上がる。
だから、咄嗟に少年を、自分の方に引き寄せようとした。
「そんなことは――」
「わからない、とでも言うの? あなたが透哉の何を知っているの? 何に苦しみどれだけの涙を流して今日まで歩いてきたと思っているの?」
冷ややかな言葉なのに、流耶の声は芯に熱を帯びていた。
草川流耶という学園そのものを体現する化け物が、一人の少女として怒りの声を吐いている。
「あなたは今、自分と同類にすることで透哉を辱めたのよ? 透哉も自分と同じ癇癪で凶刃を振るう改心しない人殺しだと。いくら透哉が庇っても私はあなたを認めない」
流耶が軋みを上げるほど奥歯を噛み締め、鋭い目でホタルを突き刺す。
「綺麗事を垂れておいて、あなたは命を差別するのね」
「――っ」
「結局あなたは利己的な感情で命に優劣をつけているに過ぎない。そんなあなたが透哉と同じ信念を掲げる真似をしてっ!」
不意に上半身が揺らぎ、頬を衝撃が打った。
ホタルが平手打ちをされたと気付いたのは、怒りに顔を顰めた流耶と対面したときだった。
ホタルと流耶が一対一で衝突したのはこれで二度目だ。
しかし、旧学園で命を脅かすほどに追い詰められたあのときよりも、痛かった。
初めて草川流耶と言う少女が感情を剥き出しにした姿を見た気がしたからだ。
じくじくと熱を帯びて痛み出した頬に手を添え、
「衝動で剣を振るうあなたは肝心な場面で必ず躊躇するわ。人間染みた下らない慈悲や倫理観は捨てることね。……根本的な部分を是正してあげる。透哉は殺したくない、と言ったのよ?」
流耶は最後にそれだけ告げると、ふわりと溶けるように消え失せた。
殺したくない。
その言葉は、裏を返せば必要に応じて殺すと言うこと。
冷静な自己判断の元、私情を交えず、独断も偏見もなく、殺す。
少年は無感情でありながら、あくまで理性的なのだ。
そこまで覚悟を決めた少年を引き留めたいと願う自分はなんてわがままな存在なのだろうか。
自分に凶刃を向けたときの少年もそうだ。
衝動的ではなく、はっきりとした意思を持ち、強い決断の果てに刀を抜いたのだ。
「それに比べて私は、あのときのままなのか……施設にいたときから変わっていないのか」
校舎の裏に一人取り残されたホタルは、
「――違うっ!」
強い否定と共に握った『雷王』を地面に突き刺す。衝撃と同時に『雷王』は爆ぜ、電撃の余波を残して消える。
「私は変わったのだ! 御波に変えて貰ったのだ!」
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