49 / 132
第二章
第7話 ある朝の学生寮(2)
しおりを挟む
2.
夜ノ島学園学生寮は緩やかな丘陵を背にした麓に建っている。
朝松市からほど近く、麓までのアクセスが容易なことから登山スポットとしても人気が高い。加えて登頂までのルートは多岐に渡り、難易度別に登山道も整備されている。
その一部が学生寮の近くを通っていることから運動部がトレーニングのためにロードワークに取り入れたりもする。
そんな道を全て無視して、草木が生い茂る未舗装の山肌を真っ直ぐ駆け上がるのは松風犬太郎。
全力をかけた命がけの逃走劇である。
寮の敷地を飛び出してから少しの間は整備された道を走っていた。
時折距離を測るため背後から迫る熱源を振り返りながら、四足で疾駆を続ける。
その遙か後方。
砂を巻き上げ、土を焦がし、木々を薙ぎ倒しながら、ルートにない登山コースを一人で作り上げ追走してくる七奈豪々吾。
常識的に考えて全力で走る犬の速度に人間が追いつけるはずはない。
しかし、松風は豪々吾を振り切れずにいる。今も爆音と豪々吾の声が後方から断続的に響いている。
『どこに行きやがった! クソ犬がぁ!?』
豪々吾は平凡な登山道を粉砕し、未開拓な山肌を焦土と化し、即席の最難関コースを生み出す。
そして、人間コースメーカーと化した豪々吾に徐々にではあるが距離を詰められている。
(無理無理無理! こんなん普通の道じゃ追いつかれてまうやん!)
海外のアクション映画みたいに爆発と爆炎が背後で絶え間なく響く状況では、まともな道を選んでいる場合ではなかった。
逃げ切るためには更なる悪路を選ぶ必要がある、松風はそう考えた。いっそのこと地面に穴を掘って身を潜めるかと考えたが、万が一発見されたらそこでゲームオーバーだ。
文字通り墓穴を掘ることになる。
決断の末、崖に向かって跳躍。
普段なら怖くて出来ないことも命がけともなれば容易い。柔軟な身のこなしでジグザグに跳ねて、岩肌を連続で蹴り、崖の頂上に降り立つ。
これが魔犬と呼ばれる所以なのか、体幹にブレはなく並みの動物では為し得ないダイナミックな躍動を見せる。
崖と思っていた場所は展望台らしく、遠くを見ると山道へと続く細い道が見えた。
ルートはともかく、通常四十分ほどでの登頂を目安とされる山を十数分で踏破した。
専門家が聞けば嘘か冗談を疑う記録だが、今の松風にそんな余裕はない。何せ、命の危機が迫っているのだ。
そう、すぐ後ろに迫っているのだ。
「はぁ、はぁ、撒いた?」
「――だ、れ、を、撒いたってぇ?」
見事な跳躍を見せた松風の遙か上空、爆破の反動で飛翔した豪々吾が翼を広げたコウモリの如く怪しく姿を現す。
松風の登頂を助けた崖や岩肌は既に粉砕され、下の方で瓦礫や小石となって崩れ落ちている。
「ひぎゃー!?」
見事な跳躍を見せた直後とは思えない情けない悲鳴を上げ、本日二回目のお漏らし。優美な自然を背景にした展望台のど真ん中に黒いシミが生まれる。
逃げられないと観念した松風は奥歯を噛み締め、覚悟を決める。姿勢を低くして、後ろ足に力を込め、反攻の構えを取る。
豪々吾はその様に足を止め、警戒の色を見せる。
窮鼠猫を噛む。
「ごめんなさいごめんなさい! 僕が悪かった! 寝ぼけてつい、うっかり、ぽっかり口が滑ってしもうたんや!」
――ことはなく、滝のような涙とマシンガン謝罪。
松風は鼻先をキツツキのように何度も地面に打ち付け許しを請う。
「あぁん? ぽっかりってなんだ?」
「お願い許して! 数日前はボコボコに蹴られるし、車に撥ねられそうになるし、七夕祭には出られんし! あー、この件は御波が解決してくれるかもしれんけど、とにかくこれ以上痛い思いはしたないんや! やからな、せやから、ここは穏便に……」
「言い残すことはそれだけか?」
キャンプファイヤーの櫓がまるごと倒れかかってくる勢いで、豪々吾が燃えさかりながら接近する。
「ぴえーん!」
観念した松風は逃走を諦め、顔を伏せて前足で頭を守る。その姿は避難訓練を彷彿させる。
「勘弁してぇ~! あ、アニキッ!」
「――っ!」
松風の嘆きの声に豪々吾はビタリと歩みを止める。
所詮は犬。
けれど、鼓膜を叩いた心地のいい響きに豪々吾は心を揺さぶられた。もはや快感と言っていいそれは、妹に避けられ続ける兄としての側面が欲していたものだった。
その些細な変化から好感触を得た松風は、豪々吾の回りを先日習得したローリング丸太ごっこで周回する。
助かるためならプライドも捨てて何でもする、全身全霊の服従。
ギア比を間違って暴走するルンバみたいに足下を高速で周回する。
その姿に豪々吾はため息を一つ漏らすと、進行方向に足を伸ばしサッカーボールを捕球するみたいに松風を止めてズリズリと引き寄せる。
「ああ、もうめんどくせぇなぁ!? 分かったよ、今回はお前の涙と健脚に免じて特別に許してやらぁ」
「わぁい! ありがとうやでぇ、アニキッ!」
心なしか豪々吾の頬が赤いのはきっと早朝の過激な運動が原因だろう。
ひとまず仲直りをした一人と一匹は来た道(ボコボコに破壊された山道と山肌)を下りながら、壊した檻の後始末をどうするか話していた。
「一応壊したのは俺様だから学園に聞いてみるがよぉ、すぐに手配出来るかどうかは分かんねーぞ?」
「えー、そこはアニキの手腕で何とかならんの?」
不満そうな半眼で訴える。発端は松風の失言とは言え、明確な被害者である。
多少グレーな手法を使ってでも家を確保してもらわないと今晩の寝床が危うい。
「鉄筋の廃材でもありゃ素手で溶接して拵えてやれるんだがよぉ、そう都合よくねぇよなー」
「むしろ、そっちの方がすごいやん!?」
その辺りを考慮してなのか、豪々吾は少し黙ると、とんでもない力技を口にする。
豪々吾はそうか? と、腕を頭の後ろで組んで何でもない風に言う。
「最悪地面に穴掘っておめぇの巣ぐらいは作ってやるからよぉ」
「巣!?」
「おい、ったく二度寝かよ。しゃーねぇな」
衝撃の提案に、松風は気を失った。
豪々吾は呆れた様子で気絶した松風の尻尾を掴むと、下山を再開する。
「しかし、この俺様からここまで逃げるとはなぁ」
「――(ズリズリ)」
豪々吾は山頂の方を振り返りながら感心した風に続けて僅かに黙る。
今は旅行鞄みたいに松風を引き摺りながら歩いているが、七奈豪々吾は松風犬太郎のことを殆ど知らない。
分かることは喋る犬であることと、握っている尻尾の感触だけ。
(意外とやわらけぇな。引っこ抜けたりりしねぇだろうな?)
学園の都合上、素性を詮索しない風潮があることは理解している。
それでも経験上分かるのだ。ふわりと鼻孔をくすぐる香りとは違う、鼻の奥に刺さる刺激的な匂い。
本当ならここまで深く考えたりはしないし、魔犬と称される未知も大した理由ではない。
「なんだ変わった犬か」程度で頭にとどめ、それ以上の深掘りも考えていない。
しかし、飼い主として学園に選ばれたのは御波透哉だ。
つい先日の話だが豪々吾は透哉の正体を知ってしまった。
十年前の事件の生き残りにして、学園を再興したいと無茶な野心を掲げる少年。罪を許すことは出来ないが、友人として彼の野心を応援したい気持ちは強い。
だからこそ、気になる。透哉と松風の間に存在する因果関係が。
生徒会長と言う教師の次に生徒たちを慮る立場としての建前ではなく、好奇心で。
豪々吾の苦悩などつゆ知らず松風は気絶したまますやすやと眠っている。
徐ろに尻尾の握りを強くすると、にゃあ!? と尻尾を踏まれた猫みたいな悲鳴を上げてタイミング良く目覚めた。
尻尾を抱いてふうふうと息を吹きかける松風を見下ろし、
(他人の荒を探すなんざ、俺様のキャラじゃねぇ)
疑念を向けた自分に軽い自己嫌悪を覚えながら、汗の混じる金髪を乱暴にかきむしる。
それでもやはり透哉との関わり、「マル」か「バツ」くらいの結果は知りたい。
どうやって引き出すか。
話術で巧みに揺さぶり、自白を促したりボロを出させたりする真似は得意ではない。
(これじゃ、騙すみてーじゃねーか)
迷った末の設問がこうだ。
「おい、お前は何者だ? 御波透哉とはどんな関係なんだ?」
「いーーぬぅ?」
ド直球の質問はオブラートを突き破った。
聞かれた松風は、突然夕食はパンの耳だと宣告されてしまったみたいな放心状態だ。
何を聞かれたのか全く分かっていない顔だった。
邪推して探りを入れた自分がバカみたいだった。
「おい、犬。そういや、さっき七夕祭に出られないとか言いやがったか?」
直ちに捜索を放棄した豪々吾は、今更になって松風のマシンガン謝罪の一部、不意にこぼれ落ちた一言を拾い上げた。
すると訪ねられた松風は小さくコクンと頷く。
その姿は、泣きながら逃げ回って転がって謝っていたときの方が元気に見えるほど落ち込んでいた。
豪々吾はいらぬ世話を焼き、安易な問いを口にしたことを悔いた。
(余計なことを蒸し返しちまったか?)
「僕、犬やから七夕祭に出たらあかんって。ここの生徒やのに」
「あー、確かにそんな校則あったっけか」
同時に松風の落ち込む姿を見る限り、かなり根が深い事情だと察しがついた。関わりの薄さ故に、「まぁ、犬だしな」と事務的に処理していた気がする。
しかし、間近で当事者の嘆きを聞くことで改められた。
豪々吾は昨年も生徒会には在籍していたが、当時は(透哉とホタルにボコボコにされて)更生して間もなかったので学校行事への関心が薄かった。
役職上、豪々吾は学園のルールである校則は概ね把握している。
その中で生徒であっても動物は学園の催しへの参加を禁止する、と言う妙な文言を見た気がする。
読んだときはなんだこりゃ? と流し見る程度だったが、改めて読み解くと意味が分からない。冷静に考えれば考えるほど異常が日常に溶け込み、分からなくなっていた。
犬を生徒として迎えることも、その上で意図的に区別する意味も。
それでも、松風犬太郎と言う同じ学園の仲間が困って助けを求めている事実だけは揺るぎない。
「七夕祭、出てぇのか?」
「うんっ!」
「そんな、た――」
豪々吾はそんな大したもんじゃねーだろ、と言いかけて言葉を飲み込んだ。
松風は豪々吾の軽い問いに、強い意思表示で答え、散歩に連れ出して貰えることを待ち侘びた犬のように、尻尾を全力で振り回している。
期待に満ちた瞳で、新しい世界への憧れを空想している子供のように。
余りに無垢な顔に安易な言葉選びで曇らせることは憚られた。決断に時間はかからなかった。
昨年、手を貸せなかったことへの懺悔の気持ちが今になって浮かび上がってきて、気付くと口が動いていた。
「あー、よく分からねぇけどよぉ、俺様がなんとかしてやらぁ!!」
「ホンマに!?」
「仲間は見捨てねぇし、裏切らねぇ!」
種族を超えた師弟関係が生まれた朝だった。
後日、妙に仲良くなった豪々吾と松風を目の当たりにした透哉が怪訝な顔をしたのはまた別の話。
夜ノ島学園学生寮は緩やかな丘陵を背にした麓に建っている。
朝松市からほど近く、麓までのアクセスが容易なことから登山スポットとしても人気が高い。加えて登頂までのルートは多岐に渡り、難易度別に登山道も整備されている。
その一部が学生寮の近くを通っていることから運動部がトレーニングのためにロードワークに取り入れたりもする。
そんな道を全て無視して、草木が生い茂る未舗装の山肌を真っ直ぐ駆け上がるのは松風犬太郎。
全力をかけた命がけの逃走劇である。
寮の敷地を飛び出してから少しの間は整備された道を走っていた。
時折距離を測るため背後から迫る熱源を振り返りながら、四足で疾駆を続ける。
その遙か後方。
砂を巻き上げ、土を焦がし、木々を薙ぎ倒しながら、ルートにない登山コースを一人で作り上げ追走してくる七奈豪々吾。
常識的に考えて全力で走る犬の速度に人間が追いつけるはずはない。
しかし、松風は豪々吾を振り切れずにいる。今も爆音と豪々吾の声が後方から断続的に響いている。
『どこに行きやがった! クソ犬がぁ!?』
豪々吾は平凡な登山道を粉砕し、未開拓な山肌を焦土と化し、即席の最難関コースを生み出す。
そして、人間コースメーカーと化した豪々吾に徐々にではあるが距離を詰められている。
(無理無理無理! こんなん普通の道じゃ追いつかれてまうやん!)
海外のアクション映画みたいに爆発と爆炎が背後で絶え間なく響く状況では、まともな道を選んでいる場合ではなかった。
逃げ切るためには更なる悪路を選ぶ必要がある、松風はそう考えた。いっそのこと地面に穴を掘って身を潜めるかと考えたが、万が一発見されたらそこでゲームオーバーだ。
文字通り墓穴を掘ることになる。
決断の末、崖に向かって跳躍。
普段なら怖くて出来ないことも命がけともなれば容易い。柔軟な身のこなしでジグザグに跳ねて、岩肌を連続で蹴り、崖の頂上に降り立つ。
これが魔犬と呼ばれる所以なのか、体幹にブレはなく並みの動物では為し得ないダイナミックな躍動を見せる。
崖と思っていた場所は展望台らしく、遠くを見ると山道へと続く細い道が見えた。
ルートはともかく、通常四十分ほどでの登頂を目安とされる山を十数分で踏破した。
専門家が聞けば嘘か冗談を疑う記録だが、今の松風にそんな余裕はない。何せ、命の危機が迫っているのだ。
そう、すぐ後ろに迫っているのだ。
「はぁ、はぁ、撒いた?」
「――だ、れ、を、撒いたってぇ?」
見事な跳躍を見せた松風の遙か上空、爆破の反動で飛翔した豪々吾が翼を広げたコウモリの如く怪しく姿を現す。
松風の登頂を助けた崖や岩肌は既に粉砕され、下の方で瓦礫や小石となって崩れ落ちている。
「ひぎゃー!?」
見事な跳躍を見せた直後とは思えない情けない悲鳴を上げ、本日二回目のお漏らし。優美な自然を背景にした展望台のど真ん中に黒いシミが生まれる。
逃げられないと観念した松風は奥歯を噛み締め、覚悟を決める。姿勢を低くして、後ろ足に力を込め、反攻の構えを取る。
豪々吾はその様に足を止め、警戒の色を見せる。
窮鼠猫を噛む。
「ごめんなさいごめんなさい! 僕が悪かった! 寝ぼけてつい、うっかり、ぽっかり口が滑ってしもうたんや!」
――ことはなく、滝のような涙とマシンガン謝罪。
松風は鼻先をキツツキのように何度も地面に打ち付け許しを請う。
「あぁん? ぽっかりってなんだ?」
「お願い許して! 数日前はボコボコに蹴られるし、車に撥ねられそうになるし、七夕祭には出られんし! あー、この件は御波が解決してくれるかもしれんけど、とにかくこれ以上痛い思いはしたないんや! やからな、せやから、ここは穏便に……」
「言い残すことはそれだけか?」
キャンプファイヤーの櫓がまるごと倒れかかってくる勢いで、豪々吾が燃えさかりながら接近する。
「ぴえーん!」
観念した松風は逃走を諦め、顔を伏せて前足で頭を守る。その姿は避難訓練を彷彿させる。
「勘弁してぇ~! あ、アニキッ!」
「――っ!」
松風の嘆きの声に豪々吾はビタリと歩みを止める。
所詮は犬。
けれど、鼓膜を叩いた心地のいい響きに豪々吾は心を揺さぶられた。もはや快感と言っていいそれは、妹に避けられ続ける兄としての側面が欲していたものだった。
その些細な変化から好感触を得た松風は、豪々吾の回りを先日習得したローリング丸太ごっこで周回する。
助かるためならプライドも捨てて何でもする、全身全霊の服従。
ギア比を間違って暴走するルンバみたいに足下を高速で周回する。
その姿に豪々吾はため息を一つ漏らすと、進行方向に足を伸ばしサッカーボールを捕球するみたいに松風を止めてズリズリと引き寄せる。
「ああ、もうめんどくせぇなぁ!? 分かったよ、今回はお前の涙と健脚に免じて特別に許してやらぁ」
「わぁい! ありがとうやでぇ、アニキッ!」
心なしか豪々吾の頬が赤いのはきっと早朝の過激な運動が原因だろう。
ひとまず仲直りをした一人と一匹は来た道(ボコボコに破壊された山道と山肌)を下りながら、壊した檻の後始末をどうするか話していた。
「一応壊したのは俺様だから学園に聞いてみるがよぉ、すぐに手配出来るかどうかは分かんねーぞ?」
「えー、そこはアニキの手腕で何とかならんの?」
不満そうな半眼で訴える。発端は松風の失言とは言え、明確な被害者である。
多少グレーな手法を使ってでも家を確保してもらわないと今晩の寝床が危うい。
「鉄筋の廃材でもありゃ素手で溶接して拵えてやれるんだがよぉ、そう都合よくねぇよなー」
「むしろ、そっちの方がすごいやん!?」
その辺りを考慮してなのか、豪々吾は少し黙ると、とんでもない力技を口にする。
豪々吾はそうか? と、腕を頭の後ろで組んで何でもない風に言う。
「最悪地面に穴掘っておめぇの巣ぐらいは作ってやるからよぉ」
「巣!?」
「おい、ったく二度寝かよ。しゃーねぇな」
衝撃の提案に、松風は気を失った。
豪々吾は呆れた様子で気絶した松風の尻尾を掴むと、下山を再開する。
「しかし、この俺様からここまで逃げるとはなぁ」
「――(ズリズリ)」
豪々吾は山頂の方を振り返りながら感心した風に続けて僅かに黙る。
今は旅行鞄みたいに松風を引き摺りながら歩いているが、七奈豪々吾は松風犬太郎のことを殆ど知らない。
分かることは喋る犬であることと、握っている尻尾の感触だけ。
(意外とやわらけぇな。引っこ抜けたりりしねぇだろうな?)
学園の都合上、素性を詮索しない風潮があることは理解している。
それでも経験上分かるのだ。ふわりと鼻孔をくすぐる香りとは違う、鼻の奥に刺さる刺激的な匂い。
本当ならここまで深く考えたりはしないし、魔犬と称される未知も大した理由ではない。
「なんだ変わった犬か」程度で頭にとどめ、それ以上の深掘りも考えていない。
しかし、飼い主として学園に選ばれたのは御波透哉だ。
つい先日の話だが豪々吾は透哉の正体を知ってしまった。
十年前の事件の生き残りにして、学園を再興したいと無茶な野心を掲げる少年。罪を許すことは出来ないが、友人として彼の野心を応援したい気持ちは強い。
だからこそ、気になる。透哉と松風の間に存在する因果関係が。
生徒会長と言う教師の次に生徒たちを慮る立場としての建前ではなく、好奇心で。
豪々吾の苦悩などつゆ知らず松風は気絶したまますやすやと眠っている。
徐ろに尻尾の握りを強くすると、にゃあ!? と尻尾を踏まれた猫みたいな悲鳴を上げてタイミング良く目覚めた。
尻尾を抱いてふうふうと息を吹きかける松風を見下ろし、
(他人の荒を探すなんざ、俺様のキャラじゃねぇ)
疑念を向けた自分に軽い自己嫌悪を覚えながら、汗の混じる金髪を乱暴にかきむしる。
それでもやはり透哉との関わり、「マル」か「バツ」くらいの結果は知りたい。
どうやって引き出すか。
話術で巧みに揺さぶり、自白を促したりボロを出させたりする真似は得意ではない。
(これじゃ、騙すみてーじゃねーか)
迷った末の設問がこうだ。
「おい、お前は何者だ? 御波透哉とはどんな関係なんだ?」
「いーーぬぅ?」
ド直球の質問はオブラートを突き破った。
聞かれた松風は、突然夕食はパンの耳だと宣告されてしまったみたいな放心状態だ。
何を聞かれたのか全く分かっていない顔だった。
邪推して探りを入れた自分がバカみたいだった。
「おい、犬。そういや、さっき七夕祭に出られないとか言いやがったか?」
直ちに捜索を放棄した豪々吾は、今更になって松風のマシンガン謝罪の一部、不意にこぼれ落ちた一言を拾い上げた。
すると訪ねられた松風は小さくコクンと頷く。
その姿は、泣きながら逃げ回って転がって謝っていたときの方が元気に見えるほど落ち込んでいた。
豪々吾はいらぬ世話を焼き、安易な問いを口にしたことを悔いた。
(余計なことを蒸し返しちまったか?)
「僕、犬やから七夕祭に出たらあかんって。ここの生徒やのに」
「あー、確かにそんな校則あったっけか」
同時に松風の落ち込む姿を見る限り、かなり根が深い事情だと察しがついた。関わりの薄さ故に、「まぁ、犬だしな」と事務的に処理していた気がする。
しかし、間近で当事者の嘆きを聞くことで改められた。
豪々吾は昨年も生徒会には在籍していたが、当時は(透哉とホタルにボコボコにされて)更生して間もなかったので学校行事への関心が薄かった。
役職上、豪々吾は学園のルールである校則は概ね把握している。
その中で生徒であっても動物は学園の催しへの参加を禁止する、と言う妙な文言を見た気がする。
読んだときはなんだこりゃ? と流し見る程度だったが、改めて読み解くと意味が分からない。冷静に考えれば考えるほど異常が日常に溶け込み、分からなくなっていた。
犬を生徒として迎えることも、その上で意図的に区別する意味も。
それでも、松風犬太郎と言う同じ学園の仲間が困って助けを求めている事実だけは揺るぎない。
「七夕祭、出てぇのか?」
「うんっ!」
「そんな、た――」
豪々吾はそんな大したもんじゃねーだろ、と言いかけて言葉を飲み込んだ。
松風は豪々吾の軽い問いに、強い意思表示で答え、散歩に連れ出して貰えることを待ち侘びた犬のように、尻尾を全力で振り回している。
期待に満ちた瞳で、新しい世界への憧れを空想している子供のように。
余りに無垢な顔に安易な言葉選びで曇らせることは憚られた。決断に時間はかからなかった。
昨年、手を貸せなかったことへの懺悔の気持ちが今になって浮かび上がってきて、気付くと口が動いていた。
「あー、よく分からねぇけどよぉ、俺様がなんとかしてやらぁ!!」
「ホンマに!?」
「仲間は見捨てねぇし、裏切らねぇ!」
種族を超えた師弟関係が生まれた朝だった。
後日、妙に仲良くなった豪々吾と松風を目の当たりにした透哉が怪訝な顔をしたのはまた別の話。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる