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第二章
第4話 彼らのアフタースクール(4)
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4.
「全く、ホタルさんは(ブツブツ)・・・・・・本当に困ったものですわ!」
「そう怒るな。私も悪いが、お前の言い分があまりに常軌を逸していたのだ」
ヤノストを出てから野々乃はお冠である。
周囲への配慮も不要となった今では、人目を気にせずポニーテイルを左右にぶんぶん揺らしながら少し前を歩いている。
罪滅ぼしも含めてホタルが荷物持ちをすべて引き受けているが、まだ気が収まらないらしい。
野々乃はホタルが余計な一言を残し気絶した後、店員に謝罪に次ぐ謝罪を繰り返し、缶詰の片付けを手伝った上、控え室を借りてホタルの意識が戻るまで待っていたのである。
ホタルが野々乃にも店側にも多大な迷惑をかけたのは言うまでもない。
店側に出禁を言い渡されるような事態にはならなかったが、自主的に出入りを禁じたくなるほどの失態である。
客観的に見れば実際暴れたホタルに非があるように見える。
突飛な発言で驚かせた野々乃か、
過剰な反応を見せたホタルか、
なすり合いに近い言い合いの中で話は拮抗していたものの、結果的にホタル側が失態を認める流れになった。
「あたしとしては、何一つ常軌を逸したことを口にした覚えはありませんわ。いずれにせよ、あたしのみならず店員さんや他のお客さんに迷惑をかけたのは事実ですわ」
もう幾度目かわからない文句を浴びせられながらも、ホタルは自らに非があるため耐え続けている。
「私はどうすればいい?」
「誠意ある謝罪を求めますわ!」
勢いよく振り向いた野々乃が眉を釣り上げて即答した。
「・・・・・・、」
「ん? どうしましたのホタルさん?」
「野々乃、済まなかった。私が悪かった、ごめんなさい。だから許してほしい」
突如無言で足を止めたホタルに野々乃は不思議そうに尋ねる。
するとホタルははっきりと発声して、腰を折って深々と頭を下げた。
「――――、えっと」
「なんだ? まだ足りないのか」
顔を上げたホタルは、ぽかんとした表情を浮かべる野々乃に苦言を呈する。
「いえ、ずいぶん素直なので驚いているだけですわ」
「な、私だって自らの非を認めることくらいできるぞ! 謝辞と謝罪は喧嘩ばかりしているお前が相手だとしてもちゃんとする!」
ホタルは好きも嫌いも明確にしつつも、それを理由に騙したりはしない。
先程の謝罪も模範と言えるほどだった。謝り慣れていると言うより、憧憬を集める者としての作法だった。
「はっきりしたところはホタルさんの美徳ですわね」
「なんだ、馬鹿にしているのか?」
「いえ、本心ですわ」
呆気にとられていた野々乃が苦笑しながら続けた。
しかし、野々乃からの称賛が信じられないのかホタルは頬を膨らませて詰め寄る。
「むむむむ~」
「どれだけ疑り深いんですの? あたしの中ではホタルさんは結構評価高いのですわ」
「その割にあたりが強い気がするのだが?」
「それはお互い様ですわ。(といってもあたしの場合は嫉妬の裏返しみたいなものなので)」
「ん、今小声でなにか言わなかったか?」
「いいえ、何でも」
野々乃はペロリと舌を出し、笑ってごまかした。
「何にせよ、お店でのことは許して差し上げますわ。だからその代わりと言ってはなんですけど……どうかホタルさんの力でお兄様を実行委員に!」
話が振り出しに戻った。
そもそも「御波透哉を七夕祭の実行委員にする」と言う無理難題がホタルの動揺の機転であり、野々乃の純情路線の露呈が乱心の原因である。
「冷静になって考えてみろ、あいつがそんな面倒ごとを引き受けると思うか?」
「全く思いませんわ! 頼んでも断るでしょうし、やれと命令されても反発するでしょう。よしんば嫌々承諾させたとしても真面目に取り組むとは思えませんわ」
ストーカーとしての本領発揮なのか、透哉への理解が桁違いである。
しかし、これでは既に八方塞がりではないだろうか。
「なら――」
「そこをどうにか生徒会副会長の権力やパワーを駆使して」
「私に不正を働けと言うのか!?」
仮にも生徒の上に立ち、公平な立場にある物として許容し難い頼みだった。
野々乃の熱論に舌を巻き、圧倒されていたホタルだったが譲れない一線は存在する。
「一応お前も生徒会の人間だろ!」
「学園とは社会の縮図! 国の上層が陰謀汚職にまみれていればこそですわ!」
「ええい! 不正を働く気はないが一応願い入れてみる! 続報は期待するな!」
生徒会としての面目は守りつつ、次回予告っぽく締める。
しかし、内心ではむちゃくちゃなことを安請け合いしてしまったのではないだろうか、「どうしようどうしよう! やっぱり今から断ろうか!?」と混乱状態に陥っている。
不正を働くつもりは毛頭ないが、透哉を軽く締め上げて首を縦に振らせる努力ぐらいはしてみようかと、生徒会副会長は頭を悩ませる。
そんな物騒なことを真面目に考えるホタルが視線を向けた先、野々乃が突然立ち止まる。
そのまま横断歩道を通るみたいに左右を確認している。
その様子に、む?と首を傾げるホタル。気付くと踏切にさしかかっていた。ヤノストへ買い物に出かけるたびに跨ぐ、いつもの踏切だ。
都会では開かずの踏切なるずっと閉まったままの踏切が存在するらしいが、これはその逆。
ホタルはこの踏切が降りているところも、線路上を電車が走っているところも見た記憶がない。
踏切を渡りながら行き先をたどると線路は南北にまっすぐ延びている。
夜ノ島学園に潜入で入学しているホタルには、この先に何があるのかわからない。
学園の校舎と寮、夜ノ島ストアとそこへの往来に使う道がホタルにとっての夜ノ島での行動圏なのである。
「この先には何があるんだろうな」
線路の行く先を眺めながらポロリとホタルがこぼした。
ホタルのつぶやきに野々乃はぴたりと歩みを止め、少し白けた様な酷くつまらなさそうな表情と声で答えた。
「ホタルさん、何を言ってますの? この先は別の学区ではありませんか」
「――別の学区? なんだそれは?」
ホタルは予想外の返事に困惑した。
海の生物の化石が山頂から出土する、それくらい突拍子もない話だったからだ。
「言葉通り夜ノ島学園の別の学区のことですわ。あたしたちの学園とは違うカリキュラムを行うエンチャンター専科の学園と専門施設がありますの」
「おお、それは知らなかった! この先にも学園があるのか!」
ホタルは興奮した様子で、まるで良いことを教えてもらったみたいに嬉々として言う。
純粋な夢見る少女の目を線路の先に向け、思いを馳せる。
説明をした野々乃の顔が徐々に曇っていくことにホタルは気づかない。
「ホタルさん!」
「ん、どうした? 野々乃?」
声を荒げた野々乃にホタルは首を傾げる。
そのホタルの顔に、嘘のない瞳に、野々乃は焦りと苛立ちを覚えた。
一瞬、ホタルが自分を茶化しているのではと思ったが、そんな器用に誤魔化せるタイプではないし、知っていて白を切る人物でもない。
ホタルは事実をぶつければ必ず感情に反映される嘘のない性格をしている。仲の善し悪しとは別に野々乃はホタルを正しく理解していた。
「――本当にご存じなかったのですか?」
「ああ、初耳だ」
ホタルの素の返答に野々乃は悲痛な面持ちで顔を伏せた。
そして、野々乃はわずかに黙り込むと、意を決したように口を開く。
言葉を慎重に選び、決してホタルの腹の内を探ろう、などとは考えずに。
「ホタルさんも――ワケアリなんですの?」
「ワケアリ?」
「……一般の生徒とは違い、他言できない事情を抱えて今の学園へ入学させられた生徒のことですわ」
野々乃は苦々しい顔で吐き出した。
『入学した』ではなく、『入学させられた』と言った。
ホタルは一瞬家庭の事情が原因かとも考えたが、違った。
もっと抗えない強制力、例えば大きな組織の後ろ盾とか。
ここに至ってようやくホタルも重大さに気づいた。
自分の素性に疑義を抱いて詮索されている。
それは方向性が異なるだけで以前ホタルが透哉に行った尋問と意味合いは同じなのだ。
ただ一点、違う点を上げるならば積極的に行っているかどうか。余程強い理由がなければ友人を疑うなどしたくはない。
野々乃はホタルを信じたいからこそ、踏み込んできたのだ。
そうでないなら野々乃の表情に説明が付かない。
一通り考え終えると同時、野々乃が罪人である自分を同族と扱ったことに驚きよりも恐怖した。
「例えば、出生や入学前のことを尋ねられて淀みなく答えられますか?」
「――っ」
ホタルは言葉を詰まらせた。それは野々乃にとっては予想通りの反応だった。
野々乃の言う入学前とは夜ノ島学園に入学するまでの生い立ちのことを指す。
幼いときに住んでいた場所は覚えている。
両親と姉妹の名前も顔も覚えている。
でも、あの日を境に変わってしまった。
十年前の事件以降、メサイアに引き取られた自分。
メサイアに入ったばかりの時に散々教えられた。
『――家族を守りたければ全てを手放せ』
『源ホタル』と呼ばれている少女は世間的には『幻影戦争』の被害者として扱われ、死亡したことになっている。
そもそも『源ホタル』と言う名前もそのときに本名を少しもじって作った新しい名前なのだ。
当然、家族には死亡が伝えられ、生存は伝えられていない。
しかし、それでいい。
被害者の家族としてなら世間は同情してくれる。
癒えぬ傷として放置する方が新たな痛みを生まずに済む。
でももし、再び家族と出会ってしまったら、自身の生存が明るみに出てしまったら話は百八十度変わる。
可哀想な被害者家族から一変、加害者家族として世間の非難を浴びることとなる。
その非難から守るために姿をくらますことの正しさを教えられた。
そして、『源ホタル』として今の学園に入学した。
「――私もワケアリ側の人間だ。野々乃も、なのか?」
詳細を明かすか躊躇われた。
しかし、伏せたまま肯定だけした。
聞き返された野々乃は無言で頷いた。
「あたしとしたことが変なことを聞いてしまいましたわね」
「……気にするな」
言ったものの、二人の間に流れる空気は穏やかながらも淀んでいた。
ゾゾッと。
ホタルは己の中に眠る醜悪な何かの呻きを聞いた気がした。しかし、それは気のせいではなく確かな気配となって、胸の奥から迫り上がり、胸中を支配していく。
それは例えるなら『鬼』
後ろめたさから生まれる背徳の鬼。
野々乃の胸中にも潜んでいると推察できる『鬼』を起こすべきではないと確信した。
ホタルが盗み見るように視線を向けると同じ目をした野々乃と激突した。
瞬間、お互いの胸中に潜んでいる『鬼』が身じろぎをして脈を打つ。
双方にとって良くない緊迫状態を解消する必要があった。
このままでは表裏のない激しい言い合いとは違う、醜い腹の探り合いに発展しかねない。
「細かきことはさておき、目先の問題と向き合うべきですわ」
「……そうだな。今の私たちに必要なことはうまいクッキーを作ること以外にない!」
話題を提起した側の責任として野々乃は軽いことのように一蹴して、ホタルの手にした買い物袋に目を向けた。
野々乃の気持ちを酌んだホタルも語彙に力を込め、買い物袋を掲げて賛成する。
鬱陶しい澱を吹き飛ばした二人は晴れやかに笑みを浮かべると意気投合し、目的を確認し合う。
しかし、危うい話から身を引き、日常へと回帰したホタルの耳にその声は届いた。
『あらあら、随分仲良しなのね』
ホタルは反射的に振り向き、絶句した。
沈みかけた夕日からあふれ出たみたいに草川流耶が立っていた。
「――っ!」
「私も混ぜてくれないかしら? それとも、内緒話だったかしら?」
流耶が第三者との交流の場に姿を現すなんて思ってもみなかった。
それも赤と黒を基調にした毒々しい色のドレスに素足という、本人の言うところの正装姿で。
時間帯を間違った幽霊のように、存在してはいけない者としてそこに居た。
額に巻かれた一丈の包帯が嘲笑うように風に吹かれて踊っている。
何もかもが想定外。負の目しか出さないサイコロである流耶がこの場に置いてどんな風に作用するのか想像できない。
ホタルが無意識に目を向けた先、自分と同じ顔でこちらを見る野々乃と目が合った。
そして、双方が、理解した。
流耶が如何なる目を出したところで現状に変化はない。
今起きたことは『草川流耶が姿を現して、会話に割り込んできた』それだけになった。
些細な詮索はいらなかった。
どれぐらい、何を知っているか、さえも。
「ホタル、この後学長室にきてくれない? 少し話があるのだけれど」
「悪いがそれは断る」
「――どういうことかしら?」
「私たちはこれから家庭科室でクッキーを作らなければならないからだ!」
予想外の拒絶に不快感を示す流耶に、ホタルは手にした買い物袋を印籠のように突きつける。
ホタルの威勢の良い声に勢い付き、野々乃も腕を組んで一歩踏み出す。
「あら、そうなの」
「そうなのだ! だから失礼する!」
「そうなのですわ! だから流耶さんには申し訳ありませんが失礼しますわ!」
二人は言い放つと流耶の隣を堂々と横切り、校舎の方へと駆けて行った。
その場には二人の異常なテンションに気圧された流耶だけがぽつりと残った。
「ふぅん。クッキーねぇ」
置いてけぼりを食らった流耶は、つぶやきながらふわりと消えた。
奇しくも割って入った流耶が原因で二人の間の空気は弛緩した。
結局、お互いの素性や「どれぐらい」「何を」知っているのか分からず仕舞いだが『正装姿の草川流耶を知っている』この一点だけで数多のことがどうでも良くなり、日常へと戻ることができた。
二人は校舎へと駆ける。
クッキーを作るという宿業を果たすために。
しかし、それがなされることはなかった。
ホタルと野々乃は作業の過程で存分に己の力を振るい、クッキー作りに全力で挑んだ。
――結果。
その日の放課後、夜ノ島学園の家庭科室が爆発した。
「全く、ホタルさんは(ブツブツ)・・・・・・本当に困ったものですわ!」
「そう怒るな。私も悪いが、お前の言い分があまりに常軌を逸していたのだ」
ヤノストを出てから野々乃はお冠である。
周囲への配慮も不要となった今では、人目を気にせずポニーテイルを左右にぶんぶん揺らしながら少し前を歩いている。
罪滅ぼしも含めてホタルが荷物持ちをすべて引き受けているが、まだ気が収まらないらしい。
野々乃はホタルが余計な一言を残し気絶した後、店員に謝罪に次ぐ謝罪を繰り返し、缶詰の片付けを手伝った上、控え室を借りてホタルの意識が戻るまで待っていたのである。
ホタルが野々乃にも店側にも多大な迷惑をかけたのは言うまでもない。
店側に出禁を言い渡されるような事態にはならなかったが、自主的に出入りを禁じたくなるほどの失態である。
客観的に見れば実際暴れたホタルに非があるように見える。
突飛な発言で驚かせた野々乃か、
過剰な反応を見せたホタルか、
なすり合いに近い言い合いの中で話は拮抗していたものの、結果的にホタル側が失態を認める流れになった。
「あたしとしては、何一つ常軌を逸したことを口にした覚えはありませんわ。いずれにせよ、あたしのみならず店員さんや他のお客さんに迷惑をかけたのは事実ですわ」
もう幾度目かわからない文句を浴びせられながらも、ホタルは自らに非があるため耐え続けている。
「私はどうすればいい?」
「誠意ある謝罪を求めますわ!」
勢いよく振り向いた野々乃が眉を釣り上げて即答した。
「・・・・・・、」
「ん? どうしましたのホタルさん?」
「野々乃、済まなかった。私が悪かった、ごめんなさい。だから許してほしい」
突如無言で足を止めたホタルに野々乃は不思議そうに尋ねる。
するとホタルははっきりと発声して、腰を折って深々と頭を下げた。
「――――、えっと」
「なんだ? まだ足りないのか」
顔を上げたホタルは、ぽかんとした表情を浮かべる野々乃に苦言を呈する。
「いえ、ずいぶん素直なので驚いているだけですわ」
「な、私だって自らの非を認めることくらいできるぞ! 謝辞と謝罪は喧嘩ばかりしているお前が相手だとしてもちゃんとする!」
ホタルは好きも嫌いも明確にしつつも、それを理由に騙したりはしない。
先程の謝罪も模範と言えるほどだった。謝り慣れていると言うより、憧憬を集める者としての作法だった。
「はっきりしたところはホタルさんの美徳ですわね」
「なんだ、馬鹿にしているのか?」
「いえ、本心ですわ」
呆気にとられていた野々乃が苦笑しながら続けた。
しかし、野々乃からの称賛が信じられないのかホタルは頬を膨らませて詰め寄る。
「むむむむ~」
「どれだけ疑り深いんですの? あたしの中ではホタルさんは結構評価高いのですわ」
「その割にあたりが強い気がするのだが?」
「それはお互い様ですわ。(といってもあたしの場合は嫉妬の裏返しみたいなものなので)」
「ん、今小声でなにか言わなかったか?」
「いいえ、何でも」
野々乃はペロリと舌を出し、笑ってごまかした。
「何にせよ、お店でのことは許して差し上げますわ。だからその代わりと言ってはなんですけど……どうかホタルさんの力でお兄様を実行委員に!」
話が振り出しに戻った。
そもそも「御波透哉を七夕祭の実行委員にする」と言う無理難題がホタルの動揺の機転であり、野々乃の純情路線の露呈が乱心の原因である。
「冷静になって考えてみろ、あいつがそんな面倒ごとを引き受けると思うか?」
「全く思いませんわ! 頼んでも断るでしょうし、やれと命令されても反発するでしょう。よしんば嫌々承諾させたとしても真面目に取り組むとは思えませんわ」
ストーカーとしての本領発揮なのか、透哉への理解が桁違いである。
しかし、これでは既に八方塞がりではないだろうか。
「なら――」
「そこをどうにか生徒会副会長の権力やパワーを駆使して」
「私に不正を働けと言うのか!?」
仮にも生徒の上に立ち、公平な立場にある物として許容し難い頼みだった。
野々乃の熱論に舌を巻き、圧倒されていたホタルだったが譲れない一線は存在する。
「一応お前も生徒会の人間だろ!」
「学園とは社会の縮図! 国の上層が陰謀汚職にまみれていればこそですわ!」
「ええい! 不正を働く気はないが一応願い入れてみる! 続報は期待するな!」
生徒会としての面目は守りつつ、次回予告っぽく締める。
しかし、内心ではむちゃくちゃなことを安請け合いしてしまったのではないだろうか、「どうしようどうしよう! やっぱり今から断ろうか!?」と混乱状態に陥っている。
不正を働くつもりは毛頭ないが、透哉を軽く締め上げて首を縦に振らせる努力ぐらいはしてみようかと、生徒会副会長は頭を悩ませる。
そんな物騒なことを真面目に考えるホタルが視線を向けた先、野々乃が突然立ち止まる。
そのまま横断歩道を通るみたいに左右を確認している。
その様子に、む?と首を傾げるホタル。気付くと踏切にさしかかっていた。ヤノストへ買い物に出かけるたびに跨ぐ、いつもの踏切だ。
都会では開かずの踏切なるずっと閉まったままの踏切が存在するらしいが、これはその逆。
ホタルはこの踏切が降りているところも、線路上を電車が走っているところも見た記憶がない。
踏切を渡りながら行き先をたどると線路は南北にまっすぐ延びている。
夜ノ島学園に潜入で入学しているホタルには、この先に何があるのかわからない。
学園の校舎と寮、夜ノ島ストアとそこへの往来に使う道がホタルにとっての夜ノ島での行動圏なのである。
「この先には何があるんだろうな」
線路の行く先を眺めながらポロリとホタルがこぼした。
ホタルのつぶやきに野々乃はぴたりと歩みを止め、少し白けた様な酷くつまらなさそうな表情と声で答えた。
「ホタルさん、何を言ってますの? この先は別の学区ではありませんか」
「――別の学区? なんだそれは?」
ホタルは予想外の返事に困惑した。
海の生物の化石が山頂から出土する、それくらい突拍子もない話だったからだ。
「言葉通り夜ノ島学園の別の学区のことですわ。あたしたちの学園とは違うカリキュラムを行うエンチャンター専科の学園と専門施設がありますの」
「おお、それは知らなかった! この先にも学園があるのか!」
ホタルは興奮した様子で、まるで良いことを教えてもらったみたいに嬉々として言う。
純粋な夢見る少女の目を線路の先に向け、思いを馳せる。
説明をした野々乃の顔が徐々に曇っていくことにホタルは気づかない。
「ホタルさん!」
「ん、どうした? 野々乃?」
声を荒げた野々乃にホタルは首を傾げる。
そのホタルの顔に、嘘のない瞳に、野々乃は焦りと苛立ちを覚えた。
一瞬、ホタルが自分を茶化しているのではと思ったが、そんな器用に誤魔化せるタイプではないし、知っていて白を切る人物でもない。
ホタルは事実をぶつければ必ず感情に反映される嘘のない性格をしている。仲の善し悪しとは別に野々乃はホタルを正しく理解していた。
「――本当にご存じなかったのですか?」
「ああ、初耳だ」
ホタルの素の返答に野々乃は悲痛な面持ちで顔を伏せた。
そして、野々乃はわずかに黙り込むと、意を決したように口を開く。
言葉を慎重に選び、決してホタルの腹の内を探ろう、などとは考えずに。
「ホタルさんも――ワケアリなんですの?」
「ワケアリ?」
「……一般の生徒とは違い、他言できない事情を抱えて今の学園へ入学させられた生徒のことですわ」
野々乃は苦々しい顔で吐き出した。
『入学した』ではなく、『入学させられた』と言った。
ホタルは一瞬家庭の事情が原因かとも考えたが、違った。
もっと抗えない強制力、例えば大きな組織の後ろ盾とか。
ここに至ってようやくホタルも重大さに気づいた。
自分の素性に疑義を抱いて詮索されている。
それは方向性が異なるだけで以前ホタルが透哉に行った尋問と意味合いは同じなのだ。
ただ一点、違う点を上げるならば積極的に行っているかどうか。余程強い理由がなければ友人を疑うなどしたくはない。
野々乃はホタルを信じたいからこそ、踏み込んできたのだ。
そうでないなら野々乃の表情に説明が付かない。
一通り考え終えると同時、野々乃が罪人である自分を同族と扱ったことに驚きよりも恐怖した。
「例えば、出生や入学前のことを尋ねられて淀みなく答えられますか?」
「――っ」
ホタルは言葉を詰まらせた。それは野々乃にとっては予想通りの反応だった。
野々乃の言う入学前とは夜ノ島学園に入学するまでの生い立ちのことを指す。
幼いときに住んでいた場所は覚えている。
両親と姉妹の名前も顔も覚えている。
でも、あの日を境に変わってしまった。
十年前の事件以降、メサイアに引き取られた自分。
メサイアに入ったばかりの時に散々教えられた。
『――家族を守りたければ全てを手放せ』
『源ホタル』と呼ばれている少女は世間的には『幻影戦争』の被害者として扱われ、死亡したことになっている。
そもそも『源ホタル』と言う名前もそのときに本名を少しもじって作った新しい名前なのだ。
当然、家族には死亡が伝えられ、生存は伝えられていない。
しかし、それでいい。
被害者の家族としてなら世間は同情してくれる。
癒えぬ傷として放置する方が新たな痛みを生まずに済む。
でももし、再び家族と出会ってしまったら、自身の生存が明るみに出てしまったら話は百八十度変わる。
可哀想な被害者家族から一変、加害者家族として世間の非難を浴びることとなる。
その非難から守るために姿をくらますことの正しさを教えられた。
そして、『源ホタル』として今の学園に入学した。
「――私もワケアリ側の人間だ。野々乃も、なのか?」
詳細を明かすか躊躇われた。
しかし、伏せたまま肯定だけした。
聞き返された野々乃は無言で頷いた。
「あたしとしたことが変なことを聞いてしまいましたわね」
「……気にするな」
言ったものの、二人の間に流れる空気は穏やかながらも淀んでいた。
ゾゾッと。
ホタルは己の中に眠る醜悪な何かの呻きを聞いた気がした。しかし、それは気のせいではなく確かな気配となって、胸の奥から迫り上がり、胸中を支配していく。
それは例えるなら『鬼』
後ろめたさから生まれる背徳の鬼。
野々乃の胸中にも潜んでいると推察できる『鬼』を起こすべきではないと確信した。
ホタルが盗み見るように視線を向けると同じ目をした野々乃と激突した。
瞬間、お互いの胸中に潜んでいる『鬼』が身じろぎをして脈を打つ。
双方にとって良くない緊迫状態を解消する必要があった。
このままでは表裏のない激しい言い合いとは違う、醜い腹の探り合いに発展しかねない。
「細かきことはさておき、目先の問題と向き合うべきですわ」
「……そうだな。今の私たちに必要なことはうまいクッキーを作ること以外にない!」
話題を提起した側の責任として野々乃は軽いことのように一蹴して、ホタルの手にした買い物袋に目を向けた。
野々乃の気持ちを酌んだホタルも語彙に力を込め、買い物袋を掲げて賛成する。
鬱陶しい澱を吹き飛ばした二人は晴れやかに笑みを浮かべると意気投合し、目的を確認し合う。
しかし、危うい話から身を引き、日常へと回帰したホタルの耳にその声は届いた。
『あらあら、随分仲良しなのね』
ホタルは反射的に振り向き、絶句した。
沈みかけた夕日からあふれ出たみたいに草川流耶が立っていた。
「――っ!」
「私も混ぜてくれないかしら? それとも、内緒話だったかしら?」
流耶が第三者との交流の場に姿を現すなんて思ってもみなかった。
それも赤と黒を基調にした毒々しい色のドレスに素足という、本人の言うところの正装姿で。
時間帯を間違った幽霊のように、存在してはいけない者としてそこに居た。
額に巻かれた一丈の包帯が嘲笑うように風に吹かれて踊っている。
何もかもが想定外。負の目しか出さないサイコロである流耶がこの場に置いてどんな風に作用するのか想像できない。
ホタルが無意識に目を向けた先、自分と同じ顔でこちらを見る野々乃と目が合った。
そして、双方が、理解した。
流耶が如何なる目を出したところで現状に変化はない。
今起きたことは『草川流耶が姿を現して、会話に割り込んできた』それだけになった。
些細な詮索はいらなかった。
どれぐらい、何を知っているか、さえも。
「ホタル、この後学長室にきてくれない? 少し話があるのだけれど」
「悪いがそれは断る」
「――どういうことかしら?」
「私たちはこれから家庭科室でクッキーを作らなければならないからだ!」
予想外の拒絶に不快感を示す流耶に、ホタルは手にした買い物袋を印籠のように突きつける。
ホタルの威勢の良い声に勢い付き、野々乃も腕を組んで一歩踏み出す。
「あら、そうなの」
「そうなのだ! だから失礼する!」
「そうなのですわ! だから流耶さんには申し訳ありませんが失礼しますわ!」
二人は言い放つと流耶の隣を堂々と横切り、校舎の方へと駆けて行った。
その場には二人の異常なテンションに気圧された流耶だけがぽつりと残った。
「ふぅん。クッキーねぇ」
置いてけぼりを食らった流耶は、つぶやきながらふわりと消えた。
奇しくも割って入った流耶が原因で二人の間の空気は弛緩した。
結局、お互いの素性や「どれぐらい」「何を」知っているのか分からず仕舞いだが『正装姿の草川流耶を知っている』この一点だけで数多のことがどうでも良くなり、日常へと戻ることができた。
二人は校舎へと駆ける。
クッキーを作るという宿業を果たすために。
しかし、それがなされることはなかった。
ホタルと野々乃は作業の過程で存分に己の力を振るい、クッキー作りに全力で挑んだ。
――結果。
その日の放課後、夜ノ島学園の家庭科室が爆発した。
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