終末学園の生存者

おゆP

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第一章

第3話 二人の亀裂、そして――(6)

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 6.
 瞼越しに浴びる朝日で透哉は目を覚ました。
 目だけを動かし周囲を見ると見慣れた校舎の残骸と、煤けた臭いがした。代わり映えのしない旧夜ノ島学園がそこにあった。
 暖かな陽光を反射しているせいか闇の中に沈んでいた校内が和らいで見える。
 そこで透哉は気づく。
 手足にはっきりとした感覚があり、痛みも全くないことに。体に崩壊の兆しはなく、砕けた左目は愚か、四肢全てに異常はない。
 死後の世界、あるいは悪い夢を見ているのだろうか。

「……俺は生きているのか?」

 目を丸くしながら手を開いて握ってみる。
 自ら『原石』を砕き一時の暴走に身をゆだねた。結果、望み通り『白檻』を破り、園田を倒すことに成功した。
 代償として自分は蓄えた魔力の膨張を抑えきれずに弾けて消滅すると思っていた。
 もう一度両手に力を加える。千切れ落ちそうなほど損壊していた左腕の末端にまで神経が通っている。

「君に死なれると困るのだよ」
「園田――っ!?」

 真横からの声に条件反射で『雲切』を構えようとしたがうまく形成できない。それ依然に腕以外に力が入らなかった。全身に麻酔を打たれたようだった。
 けれど、それを些末思える光景が目の前にあった。
 一言で片づけると、瓦礫の上に園田が転がっていた。
 不躾な表現がしっくりくるほど園田は無残な姿をさらしていた。手足と呼べる部位はなく、胴から上だけの姿は胸像と言って遜色ない。確かに園田を殺すために『雲切』を振るったがこれほどまで痛めつけた覚えはない。

「目を覚ましたか?」

 頭上から降ってきたホタルの声で自分がホタルに膝枕をされていることに気付く。

「御波、先生がお前の体を修繕してくれた。残った自らの魔力を使って」
「……なんのつもりだ」

 よろよろと力なく身を起こした透哉が、未だ残る敵意を込めて園田に問う。謀判の張本人がこの場の何よりも自分の存在を優先させたことが驚きを超えて不審だったからだ。

「もう君に先生と呼ばれる資格はないさ」

 園田は透哉からホタルに視線を移すと投げやりに吐き捨てた。ホタルは無言で首を横に振ると続けた。

「今日までの礎をくれたのは先生、あなただ。これは紛れもない事実だ」
「ふ、教師が反面でも良い生徒が育つのだな」

 園田は自嘲するように言うと透哉に視線を戻した。全ての話を終えたと言わんばかりに。

「君は学長になる、そう言った。つまりそれは私が背負う物も引き継ぐということだ」
「そうだ」
「だが、今の君には無理だ。何故なら君は身も心も〈悪夢〉ではないからだ」
「――っ!」

 子供だから無理だと言って馬鹿にされた気分に似ていた。しかし、きっぱりと断言されたことへの不愉快さはほんの一瞬だった。
 園田の淀みのない返事に透哉は心の中で首を傾げた。
 自分が知る〈悪夢〉と園田の言う〈悪夢〉の間にニュアンスのずれを感じたからだ。
 罪を犯したエンチャンターと言うのが透哉を含む世間の認識だ。

「君たちの言う〈悪夢〉は本来の意味の上に浮かぶ灰汁に過ぎない。先日、私が君に別の名を名乗ったことを覚えているか?」
「レジスタンス……か」

 炙り出しのように極自然に口から出た。

「私はこの学園を苗床にレジスタンスとして活動してきた戦争の生き残りだ」
「……戦争?」
「事実上、第零次世界大戦と言うべきか。人間とエンチャンターがこの世の覇権を争い殺し合った誰も知らない戦いがあったのさ」
「人とエンチャンターが!? そんな話、聞いたこともないぞ!?」

 透哉が目線を向けるとホタルも首を横に振った。

「無論、この話を知られていては困るのだよ。この戦争を期にエンチャンターは激減し、表世界からは姿を消したのだから。滅びたと言ってもいい。今となっては戦争そのものを知るものも少ない。知っていたとしても文献や伝承で補ったもので実体験として語れるものはほんの一握りだ」

 余りに突拍子もない話だったが語り手がいなければ歴史は紡がれない。それにもしも、戦争が時間経過に葬られた世界の真実ならば園田の言葉を信じるしかなかった。

「いや、ちょっと待て、エンチャンターが生身の人間相手に負けるものなのか?」
「透哉君、君は聡い子だね」

 園田は目を伏せた。

「エンチャンターと人間、力の差は歴然だった。当時はまだ兵器と言える代物が存在しない前近代。エンチャンターが人間に負ける可能性はなかった。しかし、人間側には協力者がいた」
「協力者?――っ!」

 呟き、察した透哉は目を見開いた。

「戦争と言いつつ、本当はエンチャンターと人間、、、、、、、、、、によるエンチャンターの掃討作戦、、、、、、、、、、、、だった。エンチャンターでありながら同胞を裏切り、人間に荷担した者たちがいた――それが僕ら〈悪夢〉そして、〈悪夢〉とはエンチャンター同士の殺し合いの果てに偶然生まれた魔力の澱、その混沌。ありとあらゆる色の魔力を食らい黒と言う魔力の極致に達したエンチャンターの亜種」

 園田の淡々とした言葉に透哉は奥歯を噛みしめた。園田の悪びれる様子のなさに。〈悪夢〉の本質が罪と言う言葉で例えられる域を超えていたからだ。

「そんな仲間殺しの遺物が、何を思って学園を管理しているんだ!」

 揶揄する言葉として放ったはずが、何故か胸の奥がジクリと痛みを訴えた。

「逆に聞くが、どうしてだと思う?」
「――え?」

 思わぬ返答に透哉は言葉をつまらせた。
 理由がわからないからではなく、疑問に思ったことがなかったから。
 社会的に忌避されているエンチャンターを同じエンチャンターが面倒を見る極めて自然な構図。疑問も不審も介在しない、当たり前のこと。
 例えるなら親が子供の世話をする至って普通の行いに疑いを持て、そう言っている。

「メサイア傘下の学園が世界中にあるのは知っているね?」
「ああ」
「何故世界規模でエンチャンターを管理する必要があると思う?」
「何でって、エンチャンターは世界中にいて人間から不遇な扱いを受けているからで……」

 自信なく紡がれた透哉の言葉を塗りつぶすように園田は言葉を重ねる。

「学園は迫害されるエンチャンターを匿い教育する施設でも、危険な存在であるエンチャンターを閉じ込めておく施設でもない。メサイアが抱える戦力の一拠点にすぎない」
「――戦力?」

 物騒な響きに透哉は怪訝な目をする。

「未来とは常に過去の延長にしかなく、過ちは繰り返される」
「おい! まさか――」

 透哉は脳裏をよぎった悪夢のシナリオを恐ろしさのあまり口に出せなかった。
 決して大きいとは言えない園田の声には重みがあった。
 そして、僅かずつだが声量が小さくなっている。

「いるんだよ。もう一度戦争を望む者たちが。戦争を起こそうと暗躍する組織が」
「メサイアか……?」
「その通りだ。僕ら〈悪夢〉は同胞を裏切り人間と手を組み勝利を収めたが、それは同時に拮抗していた勢力図を人間側に大きく傾ける結果となった」

 沈痛な面持ちで悔恨を語る。

「昨今のエンチャンターの扱いは知っての通り、芳しいものではない。化け物扱いされ世間的に肩身も狭い。その一方で社会貢献しているエンチャンターも数多くいる。けれど、それを快く思わない少数がかつて世界を席巻した時代を取り戻そうと画策している」
「だとしても、どうやって!?」
「メサイアの最終目的は世界中の拠点、つまり学園に号令をかけ、武力によって制圧する。最後には世の覇権を人間から奪還すること。詳細は定かではないが水面下で進行しつつある事実だ」
「園田はそれを止めるために今日まで水面下で戦って来たのか? でも、なんでだ、メサイア同士だろ? 訳が分からねぇ!」
「私が〈悪夢〉だからだ」

 話が振出しに戻った気がした。

「戦争を経験した我々だからこそやらなければならない。凄惨極まりない戦いを繰り返さないために。文字通りの反面教師として世界中のエンチャンターを管理することにした、それがメサイアの原点。正しい、正しかったころのメサイアの姿だ。しかし、言った通り信念に陰りが生じ、思想はゆがみ始め、メサイアの中でも共存派と強硬派に意見が分かれ始めた」

 園田は遠い過去に思いを馳せて語る。

「人は死ぬべき時に死ぬようにできている。死期とは必然によってもたらされ、原因とは一つの偶然でしかない。だから私は私を死に追いやる原因を恨んだりはしない。そのとき死ぬことが必然なのだから。しかし、私は戦争を生き残ってしまった。同胞を裏切り数多の死体を積み上げ、十年前の君たちと同じように。天罰かと思った。一個体でしかない私が償える大きさの罪ではなかったからだ」
「え?」

 透哉は小さく声を漏らした。飄々とした面構えの裏に厳格さを持つ園田が吐いた初めての弱音だった。

「その時私は心に決めた。二度と戦争を起こさせないと。もう二度と世界を哭かせたりしないと。今度はレジスタンスとして、メサイアの陰謀に抗い、食い止めると」

 園田は敵討ちを決意したみたいな目で透哉を真っ直ぐ見た。
 退路を自ら断つように。

「そのためなら些細な犠牲はいとわない。学園の一つ程度、、、、、、、世界の糧にしたとしても」

 今になって知った。
 今更になって気付いた。
 十年前の出会いどころか、事件そのものが作りものだったのだ。

「透哉君……私がファントムだ。十年前夜ノ島学園に悲劇の種をまいたのは私だ」
「――貴様っ!」
「止めろ、御波!」

 食って掛かろうとする透哉をホタルが大声で抑止する。

「透哉君、君が掲げた信念は私の野心の縮図だ」
「ふざけるな! 俺はこの学園を守りたかっただけだ! お前とは違う!」
「違わないさ。君は学園を守るためにホタル君の犠牲を決意したのだろ?」

 ホタルはバタバタと暴れる透哉を懸命に押さえつける。

「私はこの世界を守りたかっただけだ。戦争を阻止するためなら学園と言う小規模な被害には目を瞑る覚悟はできていた」
「小規模だと!? いったい何人死んだと思っているんだ!? 離せ!――源?」

 掴まれた手の違和感が透哉の動きを止めた。
 ホタルが震えている。
 怒りを押し殺すように、悲しみを噛み殺すように。
 下唇を噛み、必死に耐えていた。

「――私は御波が起きる前に全て聞いた。私たちは先生の言う通り、被害者であり加害者だったのだ」

 十年前の二人に宛てて送られた言葉の本当の意味を理解する。励ましや慰めの裏に込められた謝罪の意味を。
 自らが起こした騒乱の被害者であり、生き残るために加害者になることを余儀なくされた憐れな子供たちへの懺悔の言葉。

「私が夜ノ島学園を標的に選んだ理由は当時国内最大の拠点で、メサイアの戦力を削ぐ意味で最も能率的だったからだ」

 理屈に則った理不尽を前に透哉は奥歯を噛みしめる。

「だったら、何故俺たちだけを生かした! その時俺たちも殺せばよかっただろ!」

 行き場のない憤りが泣き声のように響く。
 透哉自身、言うべきことではないと理解していた。しかし、我慢できるほど大人でもなかった。

「全くだ。君の言う通りさ。戦争を抑止するために学園一つ程度屠ると誓ったのに……自分の行動に懐疑を抱いた途端、戦火の中に残った君たちを憐れに思ってしまった。下らない罪悪感で君たちを拾い、自分勝手にも生きて欲しいと願ってしまった。すまない」

 四肢のない体をよじるように動かすと園田は自嘲して続けた。

「私はその報いを受けたまでだ」

 十年越しの真相は余り空虚だった。
 胸に穴が開いたと錯覚に陥るほどに。
 野望も決意も覚悟も他人が耕した土壌に生えた雑草に過ぎなかった。
 今日まで頼りにしたものが全て無に帰した。
 自分たちが見据えるべきは何か。
 ここで争うことの無意味さを言い聞かせながら、それでも納得できないことが山ほどあった。

「だったら、何で今になって俺たちに殺し合いを強制させた! 助けたり殺そうとしたり……本当のあんたはどっちなんだ!」

 解決の糸口として真意を求めた。
 叫び散らす透哉の嘆きに園田は一拍置き、




「別にどちらでもないわ、ふふっ」




 何故か――少女の声が答えた。

「――!?」

 空耳ではないか、慌てて辺りを見回す透哉の目の前で園田の体がぐらりと傾き、突然生まれた地面の裂け目に飲み込まれて消えた。
 正しくは巨大な口角に丸呑みされて食われた。
 その傍ら、赤と黒を基調にした異彩のドレスを纏った少女が笑っていた。

「おい、園田をどこにやった!?」
「あらあら、急に教師想いの良い生徒に更生したのかしら?」

 動揺を隠せない透哉の問いには答えず流耶は嘲りを浮かべる。

「――答えろ!」

 ホタルは即座に『雷王』を抜くと切っ先を流耶の喉笛に突き付ける。
 流耶に食われた者の末路など問うまでもない。例え園田でもあそこまで消耗していたら助からない。脳では理解していても可能性を否定したくなかった。
 なのに、流耶の一言が一縷の望みさえも砕く。

「簡単な話よ。初めから園田学長なんて存在しなかった、、、、、、、、、、、、、、。と言うことよ」
「ウソをつけ! 現に今まで――」
「園田凶平。あれは私が生み出した偶像よ?」

 サンタクロースを信じる子供に真実を告げるように、流耶は実にあっさりと言ってのけた。

「私はあくまで園田という人物の立場を利用しただけよ。〈悪夢〉の園田は実在したけれど『園田学長』は実在しない。一応、本物の園田の名誉のために言っておくけどあなたたち二人を助けたのは園田本人よ?」
「――っ!」

 流耶の底知れぬ力が、馬鹿げた言葉に信憑性を宿す。
 絶句する透哉とホタルは事の重大さをうまく理解できぬまま混乱の渦中に飲み込まれた。
 大海原に投げ出されるように、砂漠に置き去りにされるように。
 いったい何が起こっているというのか、何が起こっていたというのか。

「十年前、あなたたち二人を助けたときまでは、、、、、本物の園田だった。でも、以後の園田は本物を模して生み出し、装った偽物よ。園田の行動が十年前の事件の前後で噛み合わないのは当然。だって途中から別人が演じていたんですもの。あなたたちは今日まで模造品を先生と呼んでいたのよ? うふふっ」

 記憶を辿り、困惑の樹海を脱した二人が目の当たりにしたのは絶望。
 今日までの活動動機や希望を根っこから粉砕された。

「私にとって園田と言う存在はあなたたち二人を都合のいい方向に導く標識だったのよ」
「何が、そんなに面白いのだっ!?」

 ホタルは『雷王』を流耶の首に突き立て振り抜くと、涙が伝う顔に精一杯の怒りを現す。

「今のは戯れってことで許してあげるわ」

『雷王』が通り抜けた無傷の首を撫でながら、流耶は顎をしゃくって高慢に言う。

「源、こいつに何を言っても無駄だ」
「やっぱりその娘、殺しておこうかしら?」
「させると思うか?」
「満足に体が動かせない今のあなたに私を止められるのかしら?」

 流耶の指摘は当たっていて戦うどころか起き上がることすらままならない。ハッタリが通じる相手ではないし、脅しでもない。

「源に手を出したらもう一度『原石』を壊す」
「……何を言っているの?」

 透哉は見逃さなかった。
 流耶が平静を装い僅かに怯んだ。理由はうまく理解できないが『原石』が流耶にとって相当価値がある物なのは間違いない。
 加えて修復に手間を要するのではないかと推測した。模造品とは言え、圧倒的な力を見せた園田が身をすり減らすほど消耗していたのが証拠だった。

「一度砕いたんだ。同じことをするなんてわけないだろ?」

 勿論透哉に原石を砕く気はない。二度もあんな痛みを味わうのは御免だし、全てを放棄して消滅する気など毛頭ない。交渉のために強がっているだけで、流耶が折れなければその効力を失いかねない。

「わかったわ。健闘賞ってことで許してあげるわ」

 意外にあっさり折れた流耶に透哉は肩を撫で下ろした。

「でも一つ釘を刺しておくわ。次に『原石』を盾に私を脅迫したら学園の生徒の命は保証しないわ」
「流耶!?」

 激昂する透哉の顔を見る流耶の口元が歪に裂ける。瞳には獰猛な悪意が宿り、手段を選ばず服従させるそう書いていた。

「それに私言ったわよ? 夜ノ島学園は私が生み出したって」

 流耶の言葉にホタルが弾かれたように顔を上げた。意味を理解し、けれどどうしていいのか分からないそう言った顔で透哉の方を見た。

「生徒全員を人質に取るつもりか!?」
「有体に言うとそうね。いっそわかりやすく何人か殺してみようかしら? お友達の死体が目の前に並べば少しは気が変わるんじゃない?」
「くっ」

 透哉はこれ以上の刺激を避けるために口を噤んだ。

「獣を閉じ込めておきたいのならもっと頑丈な檻を用意しな、だったかしら? あなたに破れるかしら? 肉と絆で編み上げられた脆くて柔らかい檻を」

 二度と仲間を失いたくない透哉を抉るこれ以上にない強迫。時間をかけて築き上げられた優秀な檻に透哉は大人しく収まるしかなかった。
 流耶は舐めるように透哉の表情を観察すると満足気に含み笑いをして背後のホタルを一瞥して言う。

「勿論、その子も含めて」
「……どういう風の吹き回しだ?」
「いざと言うときのための保険よ。あなたを従わせるための弱みは一つでも多い方がいいでしょ?」
「何が保険だ! こいつは希望だ。学園再興のための最後の灯火だ!」

 透哉はホタルの手を握る。

「あら、二人とも少し見ない間に仲良くなったみたいね? いいと思うわ。だってこれから私たちは共闘する仲間なんですもの」

 繋がれた手を目ざとく見つけ愉悦に満ちた顔でとんでもないことを口にする。

「仲間、共闘!?」
「残念ながらすでにメサイアがこの学園を目標として動き出しているわ」

 内容とは裏腹に流耶はどこか楽しそうに言う。

「何を根拠に……」
「事実よ。他でもないホタルからの情報なのだから」
「……そいつの言っていることは事実だ」

 透哉が目を転じるとホタルは苦虫を噛み潰したような顔で語る。

「私は詳しい理由は聞かされていない。私が今回独断での行動に踏み切ったのもチャンスがもうないと考えたからだ」

 ホタルがここ数日で急に切り込んできた背景に控えた巨大なうねりに透哉は焦りを抑えられなかった。

「マジか……でも、何だってこの学園が目標なんだ!?」
「理由は簡単よ。夜ノ島学園に私たちがいるから。そして、このままでは再び戦争が起こるわ」

 透哉たちと流耶が共闘すること、メサイアが動き出したことの答えを一言で告げる。脈絡もなく突き付けられた対価に透哉は怪訝な目で問いただす。

「どういう意味だ?」
「火種なくして戦火は生まれも広がりもしない。第零時世界大戦の根元は一つの魔導石の奪い合いから始まったのよ」

 茶化すことなく淡々と語られた言葉には妙な迫力があった。

「その火種となった魔導石をメサイアから持ち出したのが他でもない園田。そして、魔導石は――」

 流耶は一点を見つめながら性の悪い笑みと共に告げる。
 透哉は無意識に左手を顔に添えていた。

「そう。半分は透哉の左目。分かったでしょ? 園田は十年前透哉を助けたと同時、『原石』を託したのよ」

 メサイアが魔導石を奪い返しに来る理由は合点した。しかし、自分に委ねた理由が皆目見当もつかなかった。

「え……半分は?」
「その片割れは私」

 人差し指で自分を指しニヤリと笑い、透哉の左目を物欲しそうに見つめる。

「お前もこれを狙っているのか?」
「ええ、勿論よ」

 あっさり断言した。しかし、腑に落ちなかった。奪い取るチャンスはいくらでもあったはずだ。今し方も姿を偽っていたとはいえ『原石』を修復したのは他でもない流耶なのだから。

「何でさっき奪わなかった? いや、そもそも何で俺を助けた?」

 必要なものが『原石』だけなら透哉の体を直す必要はないからだ。

「どっちも気まぐれって言ったら誤魔化されてくれる? それとも助けたお礼に頂戴って言ったらくれるのかしら?」
「それは飲めない。俺に左目を託したことが園田の意志ならお前の手に渡すわけにはいかない」
「急に園田の味方なのね」
「味方のつもりはない。もし再び出会うことがあればその時問い質すつもりだ。身の振り方はその時決める」

 流耶はひたひたと歩み寄ると、腰を屈めて透哉の胸に刺すように人差し指を突き立てる。

「でも、これで分かったでしょ? あなたはもうこの場所から逃げることさえできない。逃げれば私とメサイアの両方が敵。でもね、メサイアと戦うときだけはあなたの味方でいてあげるわ。どうかしら? ふふっ」
「質の悪い二択だな……」

 思ったままを口にしながら苦笑する。逃げるなどと言う選択肢、あるはずがなかった。

「いい子ね、透哉」

 流耶は胸に突き立てた指を這わせ透哉の頬に触れながら絶望を吐く。

「でも、あなたの未来は決まっている。守るべき仲間に閉じ込められたままいずれ私の手中に落ちる運命なの。イヒッ! ウヒィヒヒャャャャ!」

 透哉の眼を一点に見つめながら喜悦に狂った笑いが朝日を腐食させるように響く。

「全てお前の手の上だったってことかよ」

 透哉は力なく呟くと流耶は「そうよ」と端的な返事。

「言ったでしょ? あなたは私の物! それとも、この期に及んでまだあの青臭い夢を語れるのかしら?」

 挑戦的で挑発的で嘲笑的な言葉に透哉は思わず笑いを零した。
 なんだ、今更そんな下らないことを聞き返すのと言わんばかりに。

「例えここがお前の手の上だったとしても関係ない」

 きっぱりと言い放つ。

「――俺はこの場所に学園を再興する!!」

 根拠なんて何一つない。取り囲む抗いようのない不安は健在。
 だからと言って透哉は膝を突くわけにも心折れるわけにはいかなかった。
 稚拙な根性論で言い負かせる相手ではないことは重々承知。
 それでも空っぽの体の中に宿ったこの思いだけは譲ることはできなかった。

「まぁ、いいわ。私以外の誰かに奪われたりだけはしないようにね?」

 その一言を最後に流耶は煙のように消失した。
 初夏の朝日の中、透哉とホタルの二人はあの日と同じように取り残された。
 呆れるほどの静寂の中、ホタルがポツリと呟いた。

「……御波、私はどうしたらいいのだ?」

 握ったままの手からホタルの不安が直に伝わってきた。
 縋る恩師は偽物で、志は幻だった。
 十年前の真相へ辿り着いた二人を待ち構えていたのは、世界の真実と絶望に閉ざされた未来だけ。
 きっと何一つ報われることはない旅路への招集。

「俺たちはこの場所に学園を再興する」
「できるわけないだろ……」
「――くっ」

 透哉は歯噛みした。
 ホタルの心が折れてしまいそうだったから。
 完全に折れてしまう前に何かせねばと思う。添え木程度のものでいい。
 ホタルが膝を突く前にどんな無茶でもいい、膝を突きそうな少女を立ち上がらせるための屁理屈や夢を、あるいは悪夢を見せる必要があった。
 透哉はろくに動かない体を起こし、ホタルの手を引きよろよろと立ち上がる。
 震える彼女に未来を示すためここから歩み出すために。

「まずはこれからメサイアの企てを、戦争を食い止める。俺たちが殺めた者たちに報いるために」
「――っ」

 ホタルは目を瞬かせる。呆れたみたいに。

「学園の再興はその後だ。少し、先延ばしになる程度だ」

 何でもない風に言ってホタルの手を軽く引いた。
 するとホタルは浮かぶように立ち上がり、呆けた顔で透哉と肩を並べる。
 実際ハッタリでもなんでもいいのだ。
 希望と呼ぶには横暴な大風呂敷を広げて見せることが、この場所からやり直すための動力となりえるならば。
 もう一度この場所から前へ、絶望した今から未来に歩みだすために。
 透哉にとってホタルが希望であるように、
 ホタルにとって透哉が希望になるために。
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