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第一章
第3話 二人の亀裂、そして――(5)
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5.
「おや、まだ片付かないのかい?」
「――っ!」
透哉の背後からタイミングを図ったかのように響く飄々とした声。
振り返ると白衣の痩身がうっすらと笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。表情はあるのに、夜ノ島学園学長園田凶平の顔からは何一つ感情が読み取れない。
全身が緊張で硬直する中、ホタルは透哉の肩越しに園田を見て、
「――えっ先生?」
ホタルの呟いた一言に透哉は震え上がった。胸を貫いた傷も忘れてしまうほど。
「源、こっちだ!」
透哉はホタルを強引に引き寄せると自身も体を反転させ園田からわずかに距離を取り、背でホタルを庇った。
「透哉君、それはどういうつもりだ?」
「――えっ?」
透哉には振り向かなくてもホタルの顔が想像できた。突然置き去りにされた子供みたいな何が起きたか分からない顔だ。
そして、この後どんな風に壊れるかも容易に想像できた。
透哉は園田から目をそらさずホタルに告げる。
「いいか、よく聞け! こいつはメサイアの人間ではないし、お前を善意で助けたわけでもない。お前を騙してスパイとしてメサイアに送り込んだ挙句、俺と流耶にお前を殺すように命じた張本人だ!」
「お、おい……? 御波、お前……何を言っているのだ?」
ホタルは狼狽えながら透哉の背に問う。しかし、透哉は答えず、代わりに口を開いたのは園田だった。
「正解だ。透哉君。部下として初めて君に百点満点を上げられそうだ」
小馬鹿にした風にそう言って、乾いた喝采を送る。
「ただし、それをきっちり片付けたらの話だけどね」
園田は『それ』に目配せをすると冷笑する。
「ウソだ……先生は私を助けて――っ」
ホタルの声は途中から小さくなって聴き取れなくなった。
「源! 今すぐ過去に折り合いをつけろなんて言わない。それでも今を見ろ! 現実として受け入れろ!」
ホタルの耳に届いているかは定かではない。それでも透哉は語り掛ける。願いの一片でもホタルに届くようにと。
ホタルの手は震えてこそいたが、力強く透哉の肩を握っている。あくまで現状を冷静に整理しながら、眼前にある残酷な真実に向き合おうとしていた。
それでも背もたれを失った椅子に腰かけているみたいに、全く気持ちを落ち着かせることができない様子だった。
「ホタル君ご苦労だった。君を通じて得たメサイアの情報はとても素晴らしいものだった。おおむね予想通りだったが敵の動向を掴めた。礼を言う。――そして、君は用済みだ」
事態を斟酌しきれていないホタルに園田は一方的に告げる。情報整理中のパソコンを破壊するように。
「――ひっく!?」
何かをのどに詰まらせたみたいにホタルの肩が跳ねた。新たに歩み始めようと決意した矢先の敬愛していた恩師の裏切り。言葉では理解できても、脳が受け入れようとしない。
「俺が言えた義理じゃないがな、利用するだけ利用したら殺すってそれでも教師か!?」
「あの日死ぬはずだった命を今日まで延命させた、それだけだ。私はあくまで命と言う資源を有効活用したまで――」
「黙れ! こんの、薄情白衣眼鏡野郎が――っ!」
透哉は声を張り上げる。
園田の心無い言葉を一言でも多く阻害するために、ホタルを守るために罵声を吐いて戦う。
全ては十年前から仕組まれていたことだったのだ。
都合よくホタルに取り入り、利用して頃合いを見計らって片付ける。
透哉とホタルの出会いは必然で、その時点でセットアップされていた。
園田は植物の成長を観察すように二人が自然と接触し、激突することを待っていた。
そして、敵対者として現れたホタルを透哉が使命に乗じて自動的に始末することを待っていた。
勿体ぶるようにそれとなくホタルの正体を開示したのも透哉を扇動するため。
「全部思惑通りだったってわけか!?」
「ああ、だが透哉君の妙な執着心は予想できなかった」
淡々とした口調に不快さを介在させながら、再度ホタルに目線を向ける。
「正直もう少し働いてほしかったが、それはすでに両方の事情を知りすぎた。例えこの場を逃れてもメサイアが放っておかないだろう。憐れなものだ。君が手を差し伸べてしまったが故に彼女は帰る場所さえも失った」
自身の計略のほつれ、その失態を透哉に転嫁しながら失敗自体を葬ろうとしている。
「帰る場所を失った? それは違うぜ、園田。源は帰ってきたんだ」
透哉は自信に満ちた声で言い、透明な瞳で真の敵を睨みつける。
「今の俺には何とでも戦う覚悟がある」
学園を再興するためなら何とでも戦う覚悟があった。
しかし、新しい物を作ると言う大願は所詮、代替物に縋る行為でしかない。
でも、今は違う。
あの日無くしたと思っていた欠片はここにある。
ホタルがここにいる。
「だから返してもらうぜ? 俺たちは取り戻すんだ。ここがあんたの作り出した策略の上ならあんたを倒してご破算にしてでもな!」
「学長なくして学園が成り立つと思うかい?」
「俺は未来、学園を再興する存在だ。今すぐお前を引きずり下ろして、俺が代わりに学長の席についてやるよ!」
透哉はホタルの手を優しく払うと『雲切』を抜き園田目がけて一閃。
しかし、木刀で岩を叩いたような音がして、透哉は目を瞬かせた。
(――斬れない? 違う、食い千切れない!?)
いかなる魔力でも一太刀で食い千切る透哉の一撃を園田は白衣の一枚だけで易々と耐えて見せた。
ホタルの『雷王』をことごとく切り裂き、数多の物体を両断する透哉必殺の一撃は園田の白衣にわずかに切り傷をつける程度にとどまった。
「威勢がいいのはいいことだ。しかし、私に躊躇なく刃を向ける点を考えると昔の君の方が遥かに賢かったようだ。余程それが大事と見える」
「こいつは俺にとっての希望だ!」
高らかに言い放ち、気持ちが高揚していたからこそ、目に飛び込んできたものに透哉は思わず息を詰まらせた。
僅かに裂けた園田の白衣の奥。奈落を覗き込んだような黒よりも黒い底知れぬ闇が渦巻いていた。
「うぐっ」
思わず口を手で覆い後ずさる。
園田が軽く袖を振るうとその闇が溢れ出た。
半紙に墨汁が沁み込むようにじんわりと内側から滲み、園田の腕を禍々しく肥大化させていく。
黒光りする分厚い爪を有した巨大な腕が、重機のアームを彷彿させる程の大きさで鎌首をもたげる。
直後外見の大仰さとは裏腹に俊敏な動きで透哉と的確にとらえ、見た目相応の圧力で薙ぎ払った。
「げぼぉ!?」
自動車に跳ね飛ばされるような衝撃が透哉の全身を打ち、十メートルほど吹き飛ばされた。土煙を上げながら地面を転がり瓦礫に背中を打ち付けたところで止まった。
覚束ない足で立ち上がると左脇腹が歪にへこみ、左腕の感覚がなくなっていた。
「そんなになってもまだ青臭い理想を語ることはできるかい?」
透哉は残った右腕を鼓舞し、『雲切』を振るう。園田は太刀筋を見切り、黒く巨大な腕を軽く振り枝を掃うように弾いた。
「……俺は、この場所に学園を再興する」
遺言と錯覚してしまうほどに透哉の声は小さかった。園田は透哉の不屈の心を前に不愉快気にため息を吐いた。
「私の『黒核』は魔力の超凝縮体だ。君の『雲切』がいかに食欲旺盛でも食いちぎることはできない。君の渾身は私の慢心にも劣るということだよ」
接触した時に思う。文字通り歯が立たない。
(どれだけの魔力を込めたらそうなるんだよ!?)
荒い息を吐きながら心中で苛立ちを吐露する。同時に次の一撃を受けて立ち上がれる気がしなかった。
追撃が来ると構えていた透哉だが、園田はあっさり『黒核』を引くと白衣の奥に収めた。
「君はなんだかんだ言っても律儀でまじめな子だ」
「は、どこがだよ」
園田の窘める言葉を鼻で笑いながら痛む体に鞭を打ち駆け出す。
理由は分からないが『黒核』を仕舞った今をもって攻め入るチャンスはない。
しかし、園田が指を鳴らすと透哉を囲むように白衣が翻った。囚人である透哉を常時捕縛することができる移動式の檻、『白檻』が発動し、白衣の繭となって透哉を地面に縛り付ける。
「ほら、真面目じゃないか。こんな時にまできっちりと私の檻に収まってくれる」
「離せ! 俺をどうす――っ!」
緩む気配のない拘束の中、透哉は身を捩じらせ抵抗を試みた。しかし、園田の思惑を察した瞬間息が止まり、体の力が抜けた。
園田はその隙を見逃さず、『白檻』の拘束をより堅固にする。
「ぐあぁ!?」
全身を鋼線で編み上げたような痛みに透哉は指一つ動かすことができなくなった。園田は『黒核』を完全に戻すと白衣の袖を軽く揺らせ、地面の上でもがく透哉の横を悠々と通りホタルのもとへ行く。
「君はそこで見ているといい。希望とやらが死にゆくさまを」
「止めろ!――止めてくれ!」
閑散とした校庭で透哉の切望が空しく響く。
園田は取り合わずホタルへと肉迫し、ホタルは石のように固まったまま小刻みに震えて逃げることさえできずにいた。
「あ、あぁ、御波――っ」
代わり今にも泣き出しそうな声を漏らしながら、透哉に助けを求めていた。
――手段を選んでいる時間は与えられなかった。
(身勝手な願いだってことは理解している、でも、今俺に力を――! 皆の代わりに生きる希望を守るために――!!)
故人を悼むように縋るように透哉はその力を解き放つ。
透哉は拘束されたまま渾身の力で『雲切』を生み出した。
ある物を破壊するために。
「ッツ、ご、あぁああああああーー!?」
直後透哉を襲うのは体内からの爆発的な痛み。
ホタルの『雷王』に貫かれたときにさえ声を上げなかった透哉が絶叫する。
透哉が生み出した『雲切』は体を内部から切り裂き体外のあらゆる方向に突き出す。透哉の核となるただ一点を貫くために。予測はしていたが痛みは透哉の予想を遥かに上回った。
ガキン、ガラスを砕くような音が透哉に嗜虐的な笑みを齎した。
同時、内部からの圧力が透哉と言う小さな憑代を破壊した。
「グガ、ギョボボボボォゲベベ!?」
かつて聞いたことのない透哉の声に園田は無意識に足を止め、ほぼ同時に右脇腹付近に激痛が走る。
「がはぁ!?」
何かに狙撃されたのかと思ったが即座にその誤りに気付かされる。
「――やっぱりな、『白檻』とお前は繋がっている。だから自由に移動や拘束と言った干渉ができる」
悠然と評を述べる透哉の声に振り替えると、園田は言葉を失った。
果たしてあれを御波透哉と呼称してよいのだろうか、そう思ってしまう姿の異形が立っていた。
「体の一部を他人に預けるなんざ、お前の方が律儀で真面目なんじゃねぇのか?」
『白檻』で拘束されて地に伏せていたはずの透哉はボロ切れと化した『白檻』の残骸を捨て亡霊の如く立ち上がっていたからだ。
「意趣返しのつもりかい? なかなか意地が悪いことだ」
園田は手で患部を押さえながら皮肉を述べるが、先ほどまでと打って変わって余裕も迫力もなくなっている。一体透哉に何が起こったのか、探ろうとして可能性に直面した。
『白檻』を破壊する際に負傷したのか、透哉の体には夥しい傷が刻まれていた。
しかし、そのいずれにも出血はなく、本人にも痛みを訴える仕草は見られない。
左腕はほとんど原形を留めておらず肩から朽ち木が生えているような惨状だ。
「まさか、自ら『原石』を砕いたというのか?」
破壊の大半は顔の左側に集中していて左目は完全に崩壊し、空洞な眼窩が大気にさらされている。破壊は左目を中心広がり、頬に走る蜘蛛の巣状の亀裂からは絶え間なく魔力が流出していた。ガラス瓶の中で色とりどりの炎が揺れるように、混在する数多の魔力が蠢く混沌と化していた。
対照的に右目は見開かれ、狂喜に満ちた眼光で園田を射抜く。
魔力の権化が人の形で顕れたような禍々しい姿。輪郭は朧に揺れ、流れだした油のような毒々しい魔力を纏っている。
「君は死ぬ気か?」
とても正気とは思えない透哉の様相に園田が目を剥いた。透哉の野心を知るからこそ出た教師としての一面だった。
「何言ってんだ? 死ぬはずないだろ?」
その光景を目の当たりしたホタルには冷静に話す透哉より、取り乱した園田の方がこの場の真実を語っている気がした。
「だって、初めから死んでいるんだからな」
少年の姿をした亡霊は嗤う。
この程度で狼狽する〈悪夢〉を。
白衣の〈悪夢〉は慄く。
全てを投げ出した少年に。
一人の少女を希望と称し、自分の前に立ちはだかるためだけに自らの全てを崩壊させた少年に恐れを抱いた。
これでは捨て猫を養うために資財を擲ち自分が餓死することと同じだ。
「せっかく抜けだしたところ悪いが、もう一度大人しくしてもらおうか!」
園田は白衣の表面を掬い取るように撫で、白い釘を幾本か握るとそのまま透哉に向けて放った。
白い軌跡を残して飛ぶ釘を透哉は避けることなく受け止めた。四肢を貫いた釘は瞬く間に形状を変え透哉を地面に繋ぐ強固な鎖に変化した。
しかし、透哉は身に着けたアクセサリーを確かめるように鎖を数度見ると身じろぎ一つで全て引き千切った。
「――まさか『白檻』を食ったのか?……まるで獣だな」
「獣を拘束したいなら布きれや鎖じゃなくてもっと上等な檻を用意しな」
「まぁ、『白檻』は私にとって皮膚のようなもの。皮膚を食いちぎることはできても骨格たる『黒核』を断つことはできない!」
園田は努めて冷静に言って、再び『黒核』で巨大な腕を現す。
「確かに俺一人の力ならな」
透哉の口元が嘲笑的に歪む。
「源、お前の力を借りるぞ」
園田の驚愕には取り合わず、代わりにホタルにかつてない感情を向ける。
屈託のない無邪気な子供みたいな笑み。
戦いの渦中にあるまじき行為にホタルは不安を覚えた。
一方的に別れを告げられている気がしたからだ。
「――っ! 御波! 死ぬな!」
叫びに透哉は答えない。
「園田、オメーよぉ。テメェ様よぉ!? 雷に切られたことはあんのかぁ!?」
何かの箍が外れてしまったみたいに透哉は歯をむき出しにして笑う。
そして、園田は見た、見てしまった。
透哉の左目。
砕けた魔眼の欠片が浮かぶ空洞の奥。何もない虚無という名の透明な闇を。
透哉は『雲切』を天空に向けて突き上げ、残された右目を軽く閉じ、瞬時に思考を終え開眼。脳の奥にしびれる感覚を掴み取り、何倍にも増幅させてこの手に宿す。
透哉の手から紫電が爆ぜ、『雲切』を伝い天空へと昇った。
「――ぐは!?」
直後、雷を纏った『雲切』が光速で振り下ろされた。
「――ぐぁお!? 私が切られた! 斬られたダと!?」
園田が雷鳴を聞いたのは痛みを知り、敗北した瞬間だった。
『黒核』を纏った強靭な腕が、根元から切り取られた事実に気付いのは更に一拍置いてからのことだった。
「雷ごときにっ! 光を纏った程度の『雲切』に私が――!?」
「この光は俺にとっての希望の光だ。それがこんなところで消えるはずないだろ? それだけだ――」
透哉の口からそれ以上の言葉が出てくることはなかった。
虚ろに揺れる視界の中、園田が崩れ落ちる姿を見た。
瞬く間に地面が接近し、衝撃を感じる前に意識が途絶えた。
「おや、まだ片付かないのかい?」
「――っ!」
透哉の背後からタイミングを図ったかのように響く飄々とした声。
振り返ると白衣の痩身がうっすらと笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。表情はあるのに、夜ノ島学園学長園田凶平の顔からは何一つ感情が読み取れない。
全身が緊張で硬直する中、ホタルは透哉の肩越しに園田を見て、
「――えっ先生?」
ホタルの呟いた一言に透哉は震え上がった。胸を貫いた傷も忘れてしまうほど。
「源、こっちだ!」
透哉はホタルを強引に引き寄せると自身も体を反転させ園田からわずかに距離を取り、背でホタルを庇った。
「透哉君、それはどういうつもりだ?」
「――えっ?」
透哉には振り向かなくてもホタルの顔が想像できた。突然置き去りにされた子供みたいな何が起きたか分からない顔だ。
そして、この後どんな風に壊れるかも容易に想像できた。
透哉は園田から目をそらさずホタルに告げる。
「いいか、よく聞け! こいつはメサイアの人間ではないし、お前を善意で助けたわけでもない。お前を騙してスパイとしてメサイアに送り込んだ挙句、俺と流耶にお前を殺すように命じた張本人だ!」
「お、おい……? 御波、お前……何を言っているのだ?」
ホタルは狼狽えながら透哉の背に問う。しかし、透哉は答えず、代わりに口を開いたのは園田だった。
「正解だ。透哉君。部下として初めて君に百点満点を上げられそうだ」
小馬鹿にした風にそう言って、乾いた喝采を送る。
「ただし、それをきっちり片付けたらの話だけどね」
園田は『それ』に目配せをすると冷笑する。
「ウソだ……先生は私を助けて――っ」
ホタルの声は途中から小さくなって聴き取れなくなった。
「源! 今すぐ過去に折り合いをつけろなんて言わない。それでも今を見ろ! 現実として受け入れろ!」
ホタルの耳に届いているかは定かではない。それでも透哉は語り掛ける。願いの一片でもホタルに届くようにと。
ホタルの手は震えてこそいたが、力強く透哉の肩を握っている。あくまで現状を冷静に整理しながら、眼前にある残酷な真実に向き合おうとしていた。
それでも背もたれを失った椅子に腰かけているみたいに、全く気持ちを落ち着かせることができない様子だった。
「ホタル君ご苦労だった。君を通じて得たメサイアの情報はとても素晴らしいものだった。おおむね予想通りだったが敵の動向を掴めた。礼を言う。――そして、君は用済みだ」
事態を斟酌しきれていないホタルに園田は一方的に告げる。情報整理中のパソコンを破壊するように。
「――ひっく!?」
何かをのどに詰まらせたみたいにホタルの肩が跳ねた。新たに歩み始めようと決意した矢先の敬愛していた恩師の裏切り。言葉では理解できても、脳が受け入れようとしない。
「俺が言えた義理じゃないがな、利用するだけ利用したら殺すってそれでも教師か!?」
「あの日死ぬはずだった命を今日まで延命させた、それだけだ。私はあくまで命と言う資源を有効活用したまで――」
「黙れ! こんの、薄情白衣眼鏡野郎が――っ!」
透哉は声を張り上げる。
園田の心無い言葉を一言でも多く阻害するために、ホタルを守るために罵声を吐いて戦う。
全ては十年前から仕組まれていたことだったのだ。
都合よくホタルに取り入り、利用して頃合いを見計らって片付ける。
透哉とホタルの出会いは必然で、その時点でセットアップされていた。
園田は植物の成長を観察すように二人が自然と接触し、激突することを待っていた。
そして、敵対者として現れたホタルを透哉が使命に乗じて自動的に始末することを待っていた。
勿体ぶるようにそれとなくホタルの正体を開示したのも透哉を扇動するため。
「全部思惑通りだったってわけか!?」
「ああ、だが透哉君の妙な執着心は予想できなかった」
淡々とした口調に不快さを介在させながら、再度ホタルに目線を向ける。
「正直もう少し働いてほしかったが、それはすでに両方の事情を知りすぎた。例えこの場を逃れてもメサイアが放っておかないだろう。憐れなものだ。君が手を差し伸べてしまったが故に彼女は帰る場所さえも失った」
自身の計略のほつれ、その失態を透哉に転嫁しながら失敗自体を葬ろうとしている。
「帰る場所を失った? それは違うぜ、園田。源は帰ってきたんだ」
透哉は自信に満ちた声で言い、透明な瞳で真の敵を睨みつける。
「今の俺には何とでも戦う覚悟がある」
学園を再興するためなら何とでも戦う覚悟があった。
しかし、新しい物を作ると言う大願は所詮、代替物に縋る行為でしかない。
でも、今は違う。
あの日無くしたと思っていた欠片はここにある。
ホタルがここにいる。
「だから返してもらうぜ? 俺たちは取り戻すんだ。ここがあんたの作り出した策略の上ならあんたを倒してご破算にしてでもな!」
「学長なくして学園が成り立つと思うかい?」
「俺は未来、学園を再興する存在だ。今すぐお前を引きずり下ろして、俺が代わりに学長の席についてやるよ!」
透哉はホタルの手を優しく払うと『雲切』を抜き園田目がけて一閃。
しかし、木刀で岩を叩いたような音がして、透哉は目を瞬かせた。
(――斬れない? 違う、食い千切れない!?)
いかなる魔力でも一太刀で食い千切る透哉の一撃を園田は白衣の一枚だけで易々と耐えて見せた。
ホタルの『雷王』をことごとく切り裂き、数多の物体を両断する透哉必殺の一撃は園田の白衣にわずかに切り傷をつける程度にとどまった。
「威勢がいいのはいいことだ。しかし、私に躊躇なく刃を向ける点を考えると昔の君の方が遥かに賢かったようだ。余程それが大事と見える」
「こいつは俺にとっての希望だ!」
高らかに言い放ち、気持ちが高揚していたからこそ、目に飛び込んできたものに透哉は思わず息を詰まらせた。
僅かに裂けた園田の白衣の奥。奈落を覗き込んだような黒よりも黒い底知れぬ闇が渦巻いていた。
「うぐっ」
思わず口を手で覆い後ずさる。
園田が軽く袖を振るうとその闇が溢れ出た。
半紙に墨汁が沁み込むようにじんわりと内側から滲み、園田の腕を禍々しく肥大化させていく。
黒光りする分厚い爪を有した巨大な腕が、重機のアームを彷彿させる程の大きさで鎌首をもたげる。
直後外見の大仰さとは裏腹に俊敏な動きで透哉と的確にとらえ、見た目相応の圧力で薙ぎ払った。
「げぼぉ!?」
自動車に跳ね飛ばされるような衝撃が透哉の全身を打ち、十メートルほど吹き飛ばされた。土煙を上げながら地面を転がり瓦礫に背中を打ち付けたところで止まった。
覚束ない足で立ち上がると左脇腹が歪にへこみ、左腕の感覚がなくなっていた。
「そんなになってもまだ青臭い理想を語ることはできるかい?」
透哉は残った右腕を鼓舞し、『雲切』を振るう。園田は太刀筋を見切り、黒く巨大な腕を軽く振り枝を掃うように弾いた。
「……俺は、この場所に学園を再興する」
遺言と錯覚してしまうほどに透哉の声は小さかった。園田は透哉の不屈の心を前に不愉快気にため息を吐いた。
「私の『黒核』は魔力の超凝縮体だ。君の『雲切』がいかに食欲旺盛でも食いちぎることはできない。君の渾身は私の慢心にも劣るということだよ」
接触した時に思う。文字通り歯が立たない。
(どれだけの魔力を込めたらそうなるんだよ!?)
荒い息を吐きながら心中で苛立ちを吐露する。同時に次の一撃を受けて立ち上がれる気がしなかった。
追撃が来ると構えていた透哉だが、園田はあっさり『黒核』を引くと白衣の奥に収めた。
「君はなんだかんだ言っても律儀でまじめな子だ」
「は、どこがだよ」
園田の窘める言葉を鼻で笑いながら痛む体に鞭を打ち駆け出す。
理由は分からないが『黒核』を仕舞った今をもって攻め入るチャンスはない。
しかし、園田が指を鳴らすと透哉を囲むように白衣が翻った。囚人である透哉を常時捕縛することができる移動式の檻、『白檻』が発動し、白衣の繭となって透哉を地面に縛り付ける。
「ほら、真面目じゃないか。こんな時にまできっちりと私の檻に収まってくれる」
「離せ! 俺をどうす――っ!」
緩む気配のない拘束の中、透哉は身を捩じらせ抵抗を試みた。しかし、園田の思惑を察した瞬間息が止まり、体の力が抜けた。
園田はその隙を見逃さず、『白檻』の拘束をより堅固にする。
「ぐあぁ!?」
全身を鋼線で編み上げたような痛みに透哉は指一つ動かすことができなくなった。園田は『黒核』を完全に戻すと白衣の袖を軽く揺らせ、地面の上でもがく透哉の横を悠々と通りホタルのもとへ行く。
「君はそこで見ているといい。希望とやらが死にゆくさまを」
「止めろ!――止めてくれ!」
閑散とした校庭で透哉の切望が空しく響く。
園田は取り合わずホタルへと肉迫し、ホタルは石のように固まったまま小刻みに震えて逃げることさえできずにいた。
「あ、あぁ、御波――っ」
代わり今にも泣き出しそうな声を漏らしながら、透哉に助けを求めていた。
――手段を選んでいる時間は与えられなかった。
(身勝手な願いだってことは理解している、でも、今俺に力を――! 皆の代わりに生きる希望を守るために――!!)
故人を悼むように縋るように透哉はその力を解き放つ。
透哉は拘束されたまま渾身の力で『雲切』を生み出した。
ある物を破壊するために。
「ッツ、ご、あぁああああああーー!?」
直後透哉を襲うのは体内からの爆発的な痛み。
ホタルの『雷王』に貫かれたときにさえ声を上げなかった透哉が絶叫する。
透哉が生み出した『雲切』は体を内部から切り裂き体外のあらゆる方向に突き出す。透哉の核となるただ一点を貫くために。予測はしていたが痛みは透哉の予想を遥かに上回った。
ガキン、ガラスを砕くような音が透哉に嗜虐的な笑みを齎した。
同時、内部からの圧力が透哉と言う小さな憑代を破壊した。
「グガ、ギョボボボボォゲベベ!?」
かつて聞いたことのない透哉の声に園田は無意識に足を止め、ほぼ同時に右脇腹付近に激痛が走る。
「がはぁ!?」
何かに狙撃されたのかと思ったが即座にその誤りに気付かされる。
「――やっぱりな、『白檻』とお前は繋がっている。だから自由に移動や拘束と言った干渉ができる」
悠然と評を述べる透哉の声に振り替えると、園田は言葉を失った。
果たしてあれを御波透哉と呼称してよいのだろうか、そう思ってしまう姿の異形が立っていた。
「体の一部を他人に預けるなんざ、お前の方が律儀で真面目なんじゃねぇのか?」
『白檻』で拘束されて地に伏せていたはずの透哉はボロ切れと化した『白檻』の残骸を捨て亡霊の如く立ち上がっていたからだ。
「意趣返しのつもりかい? なかなか意地が悪いことだ」
園田は手で患部を押さえながら皮肉を述べるが、先ほどまでと打って変わって余裕も迫力もなくなっている。一体透哉に何が起こったのか、探ろうとして可能性に直面した。
『白檻』を破壊する際に負傷したのか、透哉の体には夥しい傷が刻まれていた。
しかし、そのいずれにも出血はなく、本人にも痛みを訴える仕草は見られない。
左腕はほとんど原形を留めておらず肩から朽ち木が生えているような惨状だ。
「まさか、自ら『原石』を砕いたというのか?」
破壊の大半は顔の左側に集中していて左目は完全に崩壊し、空洞な眼窩が大気にさらされている。破壊は左目を中心広がり、頬に走る蜘蛛の巣状の亀裂からは絶え間なく魔力が流出していた。ガラス瓶の中で色とりどりの炎が揺れるように、混在する数多の魔力が蠢く混沌と化していた。
対照的に右目は見開かれ、狂喜に満ちた眼光で園田を射抜く。
魔力の権化が人の形で顕れたような禍々しい姿。輪郭は朧に揺れ、流れだした油のような毒々しい魔力を纏っている。
「君は死ぬ気か?」
とても正気とは思えない透哉の様相に園田が目を剥いた。透哉の野心を知るからこそ出た教師としての一面だった。
「何言ってんだ? 死ぬはずないだろ?」
その光景を目の当たりしたホタルには冷静に話す透哉より、取り乱した園田の方がこの場の真実を語っている気がした。
「だって、初めから死んでいるんだからな」
少年の姿をした亡霊は嗤う。
この程度で狼狽する〈悪夢〉を。
白衣の〈悪夢〉は慄く。
全てを投げ出した少年に。
一人の少女を希望と称し、自分の前に立ちはだかるためだけに自らの全てを崩壊させた少年に恐れを抱いた。
これでは捨て猫を養うために資財を擲ち自分が餓死することと同じだ。
「せっかく抜けだしたところ悪いが、もう一度大人しくしてもらおうか!」
園田は白衣の表面を掬い取るように撫で、白い釘を幾本か握るとそのまま透哉に向けて放った。
白い軌跡を残して飛ぶ釘を透哉は避けることなく受け止めた。四肢を貫いた釘は瞬く間に形状を変え透哉を地面に繋ぐ強固な鎖に変化した。
しかし、透哉は身に着けたアクセサリーを確かめるように鎖を数度見ると身じろぎ一つで全て引き千切った。
「――まさか『白檻』を食ったのか?……まるで獣だな」
「獣を拘束したいなら布きれや鎖じゃなくてもっと上等な檻を用意しな」
「まぁ、『白檻』は私にとって皮膚のようなもの。皮膚を食いちぎることはできても骨格たる『黒核』を断つことはできない!」
園田は努めて冷静に言って、再び『黒核』で巨大な腕を現す。
「確かに俺一人の力ならな」
透哉の口元が嘲笑的に歪む。
「源、お前の力を借りるぞ」
園田の驚愕には取り合わず、代わりにホタルにかつてない感情を向ける。
屈託のない無邪気な子供みたいな笑み。
戦いの渦中にあるまじき行為にホタルは不安を覚えた。
一方的に別れを告げられている気がしたからだ。
「――っ! 御波! 死ぬな!」
叫びに透哉は答えない。
「園田、オメーよぉ。テメェ様よぉ!? 雷に切られたことはあんのかぁ!?」
何かの箍が外れてしまったみたいに透哉は歯をむき出しにして笑う。
そして、園田は見た、見てしまった。
透哉の左目。
砕けた魔眼の欠片が浮かぶ空洞の奥。何もない虚無という名の透明な闇を。
透哉は『雲切』を天空に向けて突き上げ、残された右目を軽く閉じ、瞬時に思考を終え開眼。脳の奥にしびれる感覚を掴み取り、何倍にも増幅させてこの手に宿す。
透哉の手から紫電が爆ぜ、『雲切』を伝い天空へと昇った。
「――ぐは!?」
直後、雷を纏った『雲切』が光速で振り下ろされた。
「――ぐぁお!? 私が切られた! 斬られたダと!?」
園田が雷鳴を聞いたのは痛みを知り、敗北した瞬間だった。
『黒核』を纏った強靭な腕が、根元から切り取られた事実に気付いのは更に一拍置いてからのことだった。
「雷ごときにっ! 光を纏った程度の『雲切』に私が――!?」
「この光は俺にとっての希望の光だ。それがこんなところで消えるはずないだろ? それだけだ――」
透哉の口からそれ以上の言葉が出てくることはなかった。
虚ろに揺れる視界の中、園田が崩れ落ちる姿を見た。
瞬く間に地面が接近し、衝撃を感じる前に意識が途絶えた。
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