終末学園の生存者

おゆP

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第一章

第3話 二人の亀裂、そして――(4)『絵』

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4.
 唖然とする透哉の手から『雲切』が滑り落ち、地面に触れる前に霞の如く消える。

「十年前に居た……? そんなことが――」

 透哉が震える声を漏らすとホタルが無言で首を縦に振った。
 言葉とは裏腹に脳は現実を受け入れようとしていた。
 初めてホタルを旧学園内で見たときからの違和感、それは余りにも場慣れし過ぎていることだった。
 多数の死者が出た場所を闊歩したことに始まり、隙のない攻防、卓越した剣さばき、容赦なく凶刃を振る様。
 戦いの最中に見たホタルの強さは、脅威であると同時、透哉の最大の疑問だった。
 いったいどこでこれほどの物を身につけたのか。
 どれほどの修羅場を潜ってきたのか。
 しかし、ホタルの短い告白で全て説明がついた。
 十年前の事件の渦中にいた、それだけで。

「――っ! そ、そんなことあるはずがない!」

 けれど透哉は断じて認めることができなかった。だって十年前に透哉はホタルと出会っていないのだから。
 もしホタルの言うことが事実だとすれば野望の根幹が揺らぎかねないからだ。

「御波が知らないのも無理はない。私は瓦礫の影で泣いていたのだからな。血だまりに佇むお前が恐ろしくてな」
「見ていた……のか?」

 透哉は愕然とした。
 自らの蛮行、殺戮を目撃した生き証人が目の前にいることに。自分の最大のタブーを友人と呼んでいたものに知られていた事実は耐えがたいことだった。

「私はお前が去った後慌てて逃げ出した。瓦礫と化し、炎に包まれた校舎の中を。血と熱に包まれ、出会った数だけ『雷王』を振り、同じ数の死体を積み上げながら」

 言葉を失う透哉にホタルは生々しく語る。

「でも、今思うと大人しく隠れていた方が賢かったのかもしれない。そうしていれば、こんなものは身に付かなかったのだからな」

 ホタルは煌々と輝く『雷王』を眺めながら自虐的に呟いた。

「だから、今の学園の中で初めてお前の姿を見たときは驚いた」

 ホタルはどこか憑き物が落ちたように小さく笑う。
 一年の時、ホタルが透哉を見て驚愕した理由、それは〈悪夢〉を見つけたからではなかった。
 十年前、崩壊した学園の中にいた罪人を平穏の中で発見したからだ。

「もっとも、私のこの学園での任務はその時点で完了してしまったのだがな」
「どういう意味だ?」
「夜ノ島学園に潜む〈悪夢〉の特定。それが私の本当の任務だ」

 ホタルが透哉を見つけたのは一年以上前だ。つまり、ホタルはメサイアに黙っていたということになる。

「言っただろ、私は私の意志で十年前の事件を追っている、と」

 ホタルは『雷王』を構え直す。
 昔話は終わりと言わんばかりに。

「私がメサイアに入ったのはあの日の因果と悪夢を断ち切り終わらせるためだ」

 ホタルは『雷王』から電撃を放つ。
 敵に塩を送るように。

「何が終わらせるだ! 罪から背を向けて逃げ出そうとしているだけだろ!」

 透哉は『雲切』で電撃を切り払う。
 助けなどいらないとばかりに。

「償えるはずがないだろ! 何人殺したと思っている! こんな罪に塗れた汚い手を誰が握ってくれるというのだ!?」
「償えるなんて思っていない! この世界に俺の贖罪を認める者なんかいない! だから、出来もしない夢を掲げて、もしもそれが実現出来たら自分を少し赦してやってもいいって思ったんだ。そうでもしないと地に足をつけていることさえ怖いんだ……」

 震える足に喝を入れながら透哉は今を生きるためのこじつけを語る。
 本当は立っていることさえ恐ろしい。
 自ら掲げた信念にすがり、暴論と傲慢を支えに立っているだけなのだ。

「所詮お前は下らない理想を掲げて赦されたがっているだけだ!」
「――っ! その通りだよ! それでも、俺はこの学園を再興したい。今の学園を守りたい。日陰者でも悪鬼でも化け物だとしても! だって、俺たちの居場所なんて学園のどこにもないんだから――っ!」
「――っ!?」
「お前言ったよな、俺と似ているって」

 結局ホタルも透哉と同じなのだ。
 罪に苛まれ他人を思う余り孤独を選び、不完全にできた仲間との絆をどう扱っていいか分からなかった。
 関わり合うことで孤独感を紛らわせている一方で騙している背徳感。
 同じ境遇にありながら二人はあの日を境に真逆の方向に歩き始めた。
――透哉は長く険しい贖罪の道。
――ホタルは短く険しい断罪の道。
 それぞれがそれぞれの考えで事件と向き合い終息させるために。

「お前がこの場所に執着するというなら、望み通り瓦礫の中に沈めてやろう!」
「瓦礫じゃない! この場所は学校だ! ここから始める場所だ! ここからやり直すんだ!」

 今ある全てを言葉に変えた。

「ここが俺たちの本当の学校だろうが!」

 十年間誰にも告げられなかった秘密を暴露するように。
 学園再興の為なら何を犠牲にしてもかまわないと思った。
 何とでも戦う覚悟があった。
 守りたい場所。揺るがぬ決意。
 思いが強いが故にホタルの存在はジレンマを生む。
 この場を脅かす最大の敵は透哉が長年探し続けていたものでもあった。
 透哉は自らに問う。
 自分が本当にしたいことは何か、と。
 新しい学園を作ると言う大願は所詮、代替物に縋る行為でしかない。
 答えなんて初めから決まっていた。
 むしろ、即座に判断できなかった自分を恥じた。
 覚悟は決まった。

「確かにお前の言う通り、ここは私たちの学園だった。でも今は違う。血と罪に塗れた忌まわしい場所だ」

 しかし、ホタルは聞く耳を持たなかった。
 透哉は改めて戦慄する。
 空間を圧迫するほどの魔力に、視界を覆い尽くす閃光の暴威に。
 そして、それ以上に一人の少女の体を温床に十年にわたって熟成されていた狂気に。
 その蟠りは少女の中にびっしりと根を張り生き続けていた。
 ホタルの目に宿る感情を透哉は嫌と言うほど見てきた。
 恐怖に震え、暴力を盾にしながら怯えていた。
 それでいて裏で助けを求めて泣いていた。
 いつしか両手に雷剣を現したホタルが静かに告げる。



「御波、これで終わりにしよう」

 双方を振り上げ、頭上で重なったとき雷剣は巨大なうねりとなって天を突くほど刀身を伸ばした。

「十年前の因果と悪夢をこの場で全て断ち切る――っ!」

 叫びと共に『雷王』が真上から地面に叩きつけるように振り下ろされた。
 荒々しく苛烈極まりない雷の暴威が地面をえぐり飛ばし轟音を上げる。爆発的な衝撃を伴う雷撃が透哉に降り注ぐ。
『雷王』の名に相応しい存在感は透哉の『雲切』の鮮麗された切れ味とは真逆だった。
 透哉は避けることは考えなかった。
 校舎を背にしているからではない。
 この場所に巣食う亡霊として、生者の嘆きと痛みと無念を全て受け止める必要があったから。

「うおおぉぉ!! 瓦礫諸共消え去れ! ――御波透哉っ!」

 ホタルは咆哮する。
 十年分の澱を吐き出すみたいに。
 ホタルの声が透哉には悲鳴のように聞こえた。
 ホタルもまた苦しんでいた。
 永遠に塞がることのない罪の傷。
 それを乗り超えるため彼女は全てを終わらせることを選んだ。
 それだけだ。
 透哉は静かに構えると数多の思いを乗せて、瞬間に渾身の力を込め、

「――『雲切』大切開!」

 迫り来る『雷王』とホタルが抱えていた永年の思いを一太刀で切り裂いた。
 校舎さえも飲み込もうとしていた雷撃の修羅が纏まりを失い、瓦解を始める。

「な、に――っ!?」

 切り開かれた『雷王』の奥。
 雷撃が霧散して漂う光の中。
 その向こうで揺れる淡い光。
 蛍火の輝きが鼓動していた。
 躍進する蛍火は淡くて、朧。
 しかし、消える気配を見せず、力の核として突き進んでくる。
 一歩間違えば『雷王』諸共真っ二つになりかねない危地を。
 一点のみを射抜く美麗な瞳には迷いはない。
 透哉は理解した。

――もうホタルは止まらない。

 ホタルの揺るがない殺意に透哉が敬服した瞬間だった。
 透哉の心が負けを認めた。
 ホタルの動きを目で追い、捉えていた。
 先の一撃で魔力を放出し過ぎた影響か、生み出した『雷王』は雷剣と呼ぶにはみすぼらしい小太刀だった。
 透哉は動かない。
 ホタルは止まらない。
 磁力の介入のない疾駆で荒れ地を踏破し、透哉に襲い掛かる。
 ホタルの魂が憑依した魂の一刀。
 それはこの戦いで一番重く、鋭い。

「これでっ、最後だぁ――っ!!」

 逆手に握った小太刀を筆頭に透哉の胸に飛び込んだ。
 十年前のことで泣いている奴が目の前にいる。
 十年前のことを償いたい自分がここにいる。
 だったら、避けるなんて選択肢初めから生まれるはずがない。

「――な、何故だ……」
「お前の痛みも嘆きも辛さも、全部俺が受け止めてやる」

 到達したホタルに透哉は言う。労い悼むように。

「何故避けなかった……」

 ホタルは小太刀を握ったまま尋ねた。

「避ける理由が見当たらなかった。源の攻撃を避けることはあの日の出来事から目を背け逃げることだから。それに、ここで止めないと俺たちは二度と戻れなくなる」

 ホタルは予想外の結果に当惑していた。玉砕覚悟で突撃した。今日までの集大成として、十年間抱え続けていた自身の闇を爆発させた。
 学園の皆を欺く裏で、研ぎ続けてきた憎しみの刃は透哉の左胸を貫通していた。
 突き出した『雷王』の光を背後に浴びながら透哉は思う。
 自分はやはりとっくに死んでいた。
 園田の言うように化け物が人間の振りをして混ざっているだけ。
 輪の中に決して入らず、入れず、それでも透哉がこの場所を離れない理由は二つ。
 一つは奪った命への償い。
 一つは不確かな生存者との邂逅。
 可能性は無に等しい。確証なんてありはしない。あったのは宝くじが当たるよりも低い僅かな可能性。
 それでも透哉は願っていた。
 生き残った誰かに出会うことを。
 透哉にとってホタルは待ち焦がれていた希望の形だった。
 気付くと目尻に熱いものが込み上げていた。

「――何故泣くのだ? 今更、命が惜しくなったのか?」

 言ってホタルは異変に気が付いた。
 透哉が一滴も出血していない。小さいとはいえ『雷王』に貫かれ、その上全身が感電しているにもかかわらず。透哉からは痛みを訴える仕草も様子も微塵も感じられない。
 それどころか逆に『雷王』の光が徐々に弱くなり始めている。
 ホタルは不意に手元の異変に気が付いた。突き刺した『雷王』を通じて透哉の震えが伝わってきた。

「御波?」

 透哉は首を横に振ってホタルを抱きしめ嗚咽を漏らしながら告げる。

「う、くっ待っていた、ずっと――」
「おい、御波!?」

 ホタルは狼狽しつつも抵抗はしなかった。

「俺は嬉しいんだ。やっと、本当の生存者に出会えたことが。そして、ごめんなさい」

 透哉の切実な言葉にホタルの手から自然に力が抜け落ち『雷王』から離れた。すると『雷王』は排水溝に吸い込まれるように透哉の胸の中に跡形もなく消失した。

「な、何なんだお前は……」
「俺はすでに死人だった。他人の魔力を糧に活動するだけの抜け殻なんだ」

 穴の開いた服の向こうに覗く不気味な空洞は人間では決してありえない。
 しかし、ホタルは透哉が人ざる者だったことにそれほど衝撃は受けなかった。それより自分の狂気を受け入れられたことの驚きの方が強い。
 そして、何より透哉の謝罪が驚きを超えて意味が分からなかった。

「何を謝っている? 第一、私に謝られる資格などない」
「もう、源にしか謝れない……」

――誰も、生き残っていないっ!

 誰にも許しを請うことができず十年間横暴を通してきた。
 透哉はずっと抱え込んできた言葉を身勝手に告げた。

「あの日を知った源にしか謝れない。あの日の生存者である源にしか謝れない。ごめん俺を許してくれ」
「そんなこと言われたら私は……」

 ホタルは呪いが解けたみたいに正気を取り戻す。

「たとえそうだったとしてもだ! 私は御波を殺そうと、全てを終わらせようとしていたのだぞ?」

 透哉は涙を拭うとホタルに向き合う。

「それも一つの折り合いの付け方だ。俺も初めはそうやってすべて投げてしまおうかと思った。でも、それじゃダメだった。納得できなかった」

 終わらせることと片付けることは違う。
 納得のいく未来を描けば描くほど現実からかけ離れていった。
 自分自身が実現を疑ってしまうほどに。

「俺は源の言う通り赦されたがっているだけかもしれない。人の真似事をする抜け殻にすぎないかもしれない。それでもこの思いまでも空っぽだなんて言わせない」

 透哉は自身の左胸に開いた空洞を示して言う。

「それに終わらせるんじゃない。ここからまた始めるんだ。やり直すんだ!」
「ぐ、」

 ホタルは曰く言い難い感情を噛みしめながら、身の内で何かがほどけていく感触がした。
 透哉の説得に屈することは今日までの自分に反旗を翻すこと。呪いと言い変えられるほどに阿漕な決意と共に、ひたすらに終息への道を歩んできた。過去の自分を否定することなど断じて容認できることではない。
 そこで自分が過去に囚われ鎖でつながれていることに気付いた。
 そして、自らを縛る鎖が透哉の言葉の一つ一つで解け、遂には砕け散った。
 ホタルは恐る恐る手を伸ばすと透哉の背後に腕を回した。

「御波、私もお前と同じ夢を見てもいいだろうか……赦されたいと、願ってもいいのだろうかっ!?」

 堰を切ったようにホタルの目から涙があふれた。
 例え千人に説明してもあの日の阿鼻叫喚を誰も理解できない。それは丁度、映画を見たことがない人にいくら内容の説明をしても臨場感が伝わらないのと同じだ。
 今まで吐き出せなかった物が溢れた。
 透哉はホタルを力いっぱい抱きしめた。

「ああ、許す。俺たちが戦う必要なんてなかった。世界中の誰を敵に回したとしても、俺はお前の敵にはならない」

 心と心を通わせるためにあの日の痛みと苦しみを分かち合うために。

「だから、俺を赦してくれ。源」

 誰にも言えなかった弱さ、わがままを口にした。
 他の誰が何を言おうとも二人だけはお互いの罪を赦し合えた。

「勿論だ。私だけは御波を赦す。どれだけ後ろ指を指されることがあったとしても私は味方だ」

 しばらくの間二人は石にでもなったように抱きしめあったまま動かなかった。

「……源。もう離してくれ。少し恥ずかしくなってきた」
「奇遇だな。私もそう思っていた」

 透哉が抱擁を緩め、やや赤みがかった顔で言うとホタルも応じた。
 一人分の距離を開けて向き合うとホタルが不安そうな顔で再度尋ねてきた。

「改めて聞くが、本当にお前と同じ夢を見てもいいのだろうか? やり直したい、そう願っていいのだろうか?」

 十年間抱えていた決意を新たにしようとしているのだから無理もないことだった。

「いいに決まっている。それに俺たちは加害者であると同時被害者なんだから」
「え?……ふふっ!」

 ホタルは一瞬きょとんとした顔をした後笑いを漏らした。

「何か変なことを言ったか?」

 透哉としては至極真面目な話をしたつもりだったので、ホタルの反応は予想外だった。
 自分の言葉を頭の中で反芻してみても、自分に非があるとは思えなかった。
 強いて言うなら、過去に自分が言われたことの一部を咄嗟に引用したことくらいだ。

「いや、おかしな偶然もある物だなと思って」
「偶然?」

 透哉は首を傾げながら奇妙な悪寒に肩を震わせた。

「十年前に私を助け出した恩人の先生も御波と同じようなこと言っていたな。もしかして、御波がタイムスリップして助けてくれたのか?」」

 険の取れた笑みでホタルはからからと笑う。
 争いの波が引き、静寂が戻りつつある旧学園の敷地内に、刹那、無邪気な笑い声が戻った。
 和解した今の透哉なら同調して笑い合うことができる――はずなのに微笑みさえ零れなかった。

『随分よそのことに詳しいんだな。スパイでもいるのか?』
『君にしては鋭いね。その通りさ。私直属の部下を一人潜入させてある』
『そいつはご苦労なことだ』

 その会話は透哉の脳裏に呪詛のように蘇ったのだ。
 同時、今まで気に留めていなかったことが疑問となっていくつも浮上してきた。

――そもそも、ホタルはどうやってメサイアに入ったのか?
――どこで夜ノ島学園に〈悪夢〉がいると言う情報を手に入れたのか?

「恩人?」
「そうだ。私を助け、メサイアとの間を取り持ってくれた人が居たんだ。直接的な世話をしてくれた先生は別にいるがな。その日限りの出会いだったが紛れもない私の恩人だ」
「おい、その先生の名ってのはっ――」
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