終末学園の生存者

おゆP

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第一章

第3話 二人の亀裂、そして――(1)『絵』

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1.
 透哉がプレハブ小屋を後にした時から遡ること二十分――

 ホタルはまだ学園の中にいた。
 プールを去ったホタルは、放課後の校舎内を足早に歩きながら漂う空気の異常さに気が付いた。

(なんだ、この廊下は)

 外気と比べると二、三度気温が低いかもしれない。
 そう体感してしまうほどに廊下は静寂に包まれていた。死に絶えたように沈黙する廊下で、自らの足音だけが怖いほど反響する。
 いくら放課後と言ってもまだ日は高い。人気が失せるには早すぎる時間だ。にもかかわらず、誂えたみたいに人の気配を感じられない。

(これも奴の能力なのか……)

 内から沸き上がる不安を分析によって埋めながら、一定のリズムで歩調を刻む。
 目的地は昼休みに草川流耶から指定された一年二組の教室。
 彼女の在席、、しているクラスだ。
 自分がこの学園に派遣された理由、適性を走馬灯のように思い返しながら、迷いなく踏み出される足に何の疑問も抱かない。
 透哉を暗殺し損なった焦燥感が、ホタルから冷静さを奪っていた。
 流耶と言う未知に対する警戒心も恐怖心も、すべてがうやむやになってしまうほどに。危険も力量も考慮せず盲目的に飛び出そうとしている。
 それはテロリスト相手におもちゃの剣で立ち向かうほどの無謀さと危うさ。
 今からすぐにでも歩みを止める賢明さを、退く勇気を、それらを選択できなかった己の無能さをホタルは未来悔いることとなる。
 この時のホタルは先の流耶と言う驚異を早々に片付け、透哉との戦いに備えなければと本気で思っていた。

(そうだ。始めから易々と片付く任務とは思っていなかった)

 当初の任務とは十年前の生き残り、〈悪夢〉の捜索。
 ここにきて想定外の伏兵が現れた。否、今まで潜んでいた。
 近づいてくる一年二組の教室を前に些細な思い違いに今更気付いた。

「ん? 草川流耶、奴は確か一年一組ではなかったか?……いや、そんなはずはない。奴はクラスメイト、だったはずだ――!」

 何故か複数存在する流耶の記憶が、すべて事実だったみたいに頭の中で重なる。

(私はどうしてしまったんだ?)

 半ば混乱状態に陥りながら吸い込まれるように廊下の奥へ奥へと行く。

「これではまるで草川流耶が複数存在するみたいではないか……」

 ありえない仮説を口にしつつ気付いた。
 ホタルは生徒会副会長と言う役職柄、この学園に通う生徒一人一人の顔と名前を記憶している。記憶をたどり、思い起こすと同時驚愕した。

(草川流耶は……全てのクラスに在席している)

 そう、事実『草川流耶』は夜ノ島学園の一年から三年全てのクラスに籍を持っている。にもかかわらず、誰にもその存在を認識されていない。
 それは昨日までのホタルも同様で、昼休みの強烈なインパクトのおかげで記憶に留めておくことができている。

『がはっ! うえぇ!』

 今日の昼休み、透哉を問い詰めるために食堂に連れ出したまでは良かった。
 けれど、全く想定していなかった流耶の参戦に動揺を隠しきれず、その圧力に呑み込まれた。
 流耶が食堂を去った後、吐き気を我慢できなくなりトイレに駆け込んだ。
 便器の中に吸い込まれていくカレー色の渦を見ながら、胃の内容物をほとんど吐いてしまったことを知る。
 今日まで〈悪夢〉と呼ばれる存在に幾度か会ったが『あれ』は質が違う。
 純粋な強大さや恐れとは異なる、気味の悪さ。

(御波には見えていなかったのか……)

 突然現れた草川流耶と言うクラスメイトを、ある時を境に透哉は相手しなくなった。
 いや、認識できなくなった、と言うのが正しいのか。

『あなたが余計なことをしなければ出てくるつもりはなかったのよ?』
『透哉にちょっかい出すのは止めてくれる? 透哉は私の物よ』
『あら、顔色が優れないみたいね? ふふ、放課後もう一度会わない? ただし、私を忘れずに見つけることができればの話だけれど』

 それを最後に流耶は、食堂から幻のように消えてしまった。
 動揺のあまり言葉を挟めなかった不甲斐なさを悔いながら、

「――忘れろだろ?」

 忌々しげにつぶやく。
 あれほど強烈なインパクトを忘れろと言われても忘れるはずがない。言葉だけのやり取りだったはずなのに、不気味な気配が見えない杭となって体のどこかに突き刺さっている。
 規格外のイレギュラーが、ようやくホタルに危機感を生む。
 増援を呼ぶため一時帰投を考えたが、止めた。今を逃すと二度と認識することも、会うこともできなくなってしまいそうな気がしたからだ。
 例え一人でも、この学園内で暗躍する者の顛末を見定める必要がある。
 何より、絶えず響いていた足音がいつの間にか消えていた。
 それは音を吸収する何か、もしくは誰かが現れた証拠だった。

(どのみち逃げられない、と言うわけか)

 一年二組の教室の前に辿り着いたホタルは、窓越しに室内を見た。
 最前列、窓際の席。
 そこに草川流耶はいた。
 椅子には座らず灼熱の夕日を背に、机に腰かけていた。

「見つけたぞ、草川流耶」

 入口の扉を開くと同時、敵意を込めて言い放つ。



「あら? 一度会ったとはいえ、自分から私を見つけられるなんてなかなかすごいのね。それともよほど強い執念でもあるのかしら?」

 流耶は机に座ったまま首を傾げ称賛し、子供を褒める親のように柔和な微笑みでホタルを迎える。

「草川流耶……いや、〈悪夢〉!」
「そう呼ばれて否定するつもりはないけれど、自ら名乗る気はないわね。そんな大層な決意私にはないから」

 優美な動作に狂気を纏わせ、小さな口で不可解な返答をする。

「何を、意味の分からないことを!」

 声を荒げるホタルに流耶は失笑を漏らす。圧倒的な優位からこちらを見下している態度もそうだが、無知を嘲笑われている感覚が不快で仕方がなかった。

「わざわざここまで来なくても私はもっとあなたの近くにいたのに、ねぇ?」

 流耶は言って相槌を求める。全く噛み合わない会話に苛立ちながらもホタルは機会をうかがっていた。
 流耶は軽く目を閉じると悠然と足を組み直す。自分と同じ学園指定のスカートがついて揺れる。ホタルは流耶の一挙手一投足に目を光らせる。
 流耶の足先から顔の方に視線を這わせ、強烈な寒気に襲われた。
 薄く開いた瞼の奥、殺意を灯した瞳が真っ直ぐ自分を貫いていたからだ。

「まぁ、そんなこと今となってはどうでも構わないわ――」

 流耶の声に呼応するように、背後の扉が独りでに閉まった。

「エンチャント、『雷王』!」

 直後、閃光が迸り、夕日に染まっていた窓が真紅に塗りつぶされた。
 透哉の時と同じ轍を踏むつもりはなかった。
 閉じ込められると同時。
 ホタルは電撃のような牽制攻撃ではない、本気の一撃を繰り出し、躊躇なく流耶の体を真横に両断した。
 ホタルの手には、紫電を迸らせる雷剣があった。青白い輝きが、夕日で照らされた教室内で不規則に明滅する。
 無残に転がる流耶の上半身、力を失って机からずり落ちた下半身が血だまりの上に沈んでもホタルは眉一つ動かさない。
 死体を見下ろしながらホタルは違和感を覚えた。
 胴体を真っ二つ。
 誰の目にもわかる死の体現。
 にもかかわらず妙な存在感があった。滞留している流耶の魔力がそんな錯覚をさせているのか、まるで油の切れたランプの灯がいつまでも燃えているような不気味さがあった。
 実は事後処理を考慮していなかったホタルは、周囲を軽く見まわし人気の有無を確かめた。ここへの道中、他の気配を感じなかった理由が流耶の影響なら流耶の死んだ今、いつ人が来ないとも限らない。

「――っ!?」

 しかし、異変は突然。
 片付け方を思案するホタルの足元が不意に波打ち、ドーム状に盛り上がり始めた。
 ホタルは慌てて背後に跳び、雷剣を構え直し成り行きを見守った。
 床が盛り上がっているのではない、流耶の体から染み出た魔力が何かを形作ろうとしていた。異様な存在感の正体はこれだったことを知る。

(まさか、再生するのか!?)

 残骸と言ってもいいほど破壊された流耶の体を前に、ありえない想像が不安で膨らむ。
 しかし、現実はホタルの想像を凌駕した。
 盛り上がった何かは流耶の真下で縦に裂け、死体を机ごと丸呑みしたのだ。

「なっ――あ!?」

 ホタルは見てしまった。
 裂け目の正体に戦慄した。
 脳が現実を拒絶しようとしたが見紛うはずはない、それは巨大な人の口だった。ただし、大きさが幅三メートルはある。
 均等に並んだ白い歯が、大蛇のようにのたうつ舌が、暗に口だと主張して止まない。
 流耶の死体を丸ごとの飲み込んだ口角は閉口すると何事もなかったように教室の床に溶けるように消えた。
 その場にあった流耶の死体も当然のように消え失せていて、流れた体液や血潮の香りさえも巨大な顎が食い尽くしていた。



「……結構大胆なのね。あなたの殺意、疑ってごめんなさいね?」

 横合いから響く声にホタルの背筋が凍った。
 たった今、自分が殺した人物の声に酷似していたからだ。
 恐る恐る首を回すと教卓の上に腰かけた流耶が、何かを食べたあとみたいに舌なめずりをしながらこちらを見ていた。
 殺意に漲る穏やかな剣幕にホタルは後ずさりをする。

「同一人物……なのか――?」

 ホタルの声は動揺で震えていた。

「そうよ。恰好は違うけれどさっきと同一個体よ」

 流耶は優美な動作で足を組み直し、様相の違いを誇示する。
 一見すると意匠を凝らした喪服が、太股部分まで大胆に引き裂かれた裾に本来ある厳かさを損なわれている。
 極めつけは腰に巻かれた帯。血の迸りを彷彿させる苛烈な朱が喪服としての役割を破壊していた。
 綺麗に仕立てたと言うより、血で布を縫い合わせたような黒と赤を織り交ぜた異彩のドレスだった。
 反面、足には何も履かず、素足をさらしている。
 ホタルは流耶の異彩のドレスを眺めながら、鼻先をかすめた鉄の臭いに思わず手で顔を覆った。
 そう、流耶の着衣はただのドレスなどではなかったからだ。
 何人もの血を吸い、層をなし織り込まれた殺しの装束だった。

「そんな顔しないで欲しいわね。私の一張羅なのよ?」
「貴様のような奴を見ていると吐き気がする」
「それを同族嫌悪と言うのよ」

 直後、流耶の手首に閃光が走りホタルの雷剣が咆哮する。
 赤い飛沫が舞い、千切れた右腕が缶蹴りの缶ように飛び、黒板を叩き鈍い音を鳴らす。
 流耶は切り飛ばされた右腕に見向きもせずに右手、、で髪をかき上げ、唖然とするホタルに言い放つ。

「図星のようね」
「んな!?」

 しかし、声を上げたのは沸き立つ嫌悪感を払うために雷剣を振るったホタルの方だった。

「あなたって意外と頑固なのね。私の能力は再生力。いくら殺しても無駄よ」

 流耶は呆れた風に言って、自らの能力の核を打ち明けた。

「けれど私は少し特別でね、壊れた部位を再生させるにはとどまらない。度の過ぎた再生力、それは生成にまで昇華したの。つまり、私は私を無限に生み出せる」

 圧倒的再生力への驚きが勝るホタルに冥土の土産とばかりに言って、流耶は懐から血に濡れた一本の黒い釘を取り出した。
 手首のスナップを利かせ手裏剣のようにホタルの足元に投げる。床に突き立った釘から濃い紫色の波紋が生まれ、波の奥から汚濁した澱のような魔力が溢れると共に、腕が四本せり出しホタルの足首を掴んだ。

「何っ!?」

 振り払おうともがいたが腕の拘束は堅く、足はびくともしない。それはホタルの動きを足元から封じた。

「気に入ってくれたかしら?」
「貴様!」

 流耶は不敵に笑い、誰かに目配せするみたいにチラチラとある方向を見た。何かの気配を感じ、ホタルもその方向を見た。
 そして、目を見開き、息を詰まらせた。
 教室内に残された三十五席全ての机に草川流耶が座り、七十個の瞳で真っ直ぐこちらを見ていたからだ。
 四面楚歌など生易しい圧倒的物量による包囲網。

「そろそろ理解できた? 自分が置かれた状況に」

 流耶はホタルに絶望を誇示したつもりだった。

「ふふっ」
「何がおかしいのかしら?」

 しかし、ホタルはどこか吹っ切れたような笑みを浮かべ言った。

「数は問題ではない。何故なら私が全て殺しつくすのだから!」



 ホタルが言い終えると、教室内が閃光に埋め尽くされた。
 ホタルの手に集束した魔力が膨大な電化を帯びた機雷となって全方位に炸裂したのだ。
 事後処理のことなど度外視した閃光の暴威が、狭い教室内で暴れ狂った。
 整列した机は粉みじんに飛散し、窓ガラスは風船のように膨らみ壁諸共吹き飛んだ。床から生えた腕はもちろん、室内にいた全ての流耶が電撃の直撃を受けた。
 引き裂かれた肢体は無残に散乱し、血は床と天井を赤々と染め上げ、焼け焦げた臭いが充満する。
――はずだった。

「!?」

 ホタルの周囲には傷一つない流耶たちが、さも当然のような顔でそこにいた。正しくは血肉の残滓となり、一度に死に絶えた後再生し、自らの血潮と粉砕した肉塊の絨毯の上に立っている。

「確かに数に問題はないみたいね。ヒヒッ」

 教卓に座る流耶が怪しげに笑う。

「だって、誰か一人いればあなたを殺せるんですもの。ねぇ?」

 その言葉が合図だったのか一人の流耶を除き、他の全員が跡形もなく消えた。流耶は教卓から降りると教壇を踵で叩いてホタルと自分の残骸を睥睨する。

「それにしても少し派手に暴れ過ぎよ? 周囲が不審に思い始めているわ。場所を変えない?」

 ホタルが答えるより先に床に波紋が広がり、濃い紫色の渦となって流耶とホタルの二人を飲み込んだ。
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