20 / 137
第一章
第2話 ひび割れる日々。(8)
しおりを挟む
8.
とりあえず矢場にこっぴどく叱られた。
豪々吾を蹴り飛ばした直後、面倒なことになる前に退散しようと踵を返した透哉の前に、矢場が立ちふさがっていた。
どうやら実習棟の三階から飛び降りてきたようで、手にはボロ雑巾と化した豪々吾が無造作にぶら下がっていた。
矢場は何を語るでもない。
豆鉄砲を食らった鳩のような顔をする透哉を前に、今しがた起こった悲劇を惜しげもなく体現している。
(……汗)
実習棟の三階には給湯室が完備されている。
そして、そこは矢場が宿直室と称して住み着いている場所であり、決して豪々吾を蹴り込んでいいところではない。
矢場は鬼の形相で迫るでもなく、髪から雫をこぼしながら無言のまま透哉を見下ろしているだけだ。
崩落間際の崖下に磔にされた気分だった。
昨日に続き二度目であることを考えれば当然であるが、矢場は相当ご立腹らしい。
まず時間帯が最悪だった。
豪々吾の突入による被害は昼食にまで及んだらしく、矢場は湯切りした直後のカップ焼きそばと具材のキャベツを髪に絡ませ、頭から濛々と湯気を上げていた。
惨状を目の当たりにしながら、ラーメンじゃなくてよかったなと悠長に、他人事として思う。
トンコツやみそテイストな教師の授業は受けたくないからだ。
矢場と相対すること数秒。
間もなく伸びていた豪々吾が目を覚まし、あられもない姿の矢場に二人正座させられ叱られること数分。
『……食べ物の恨みってこえぇな』
『ああ、そうだな』
と言い合って豪々吾と別れたのは今し方。
流石の豪々吾も矢場の惨状に戦意を失ってしまったらしい。それと、駄目にしたカップ麺の弁償を矢場に申し出たが断られた。
透哉は一人、浮かない顔で教室へと戻るため階段を昇っていた。
(叱られたことに関してはもうどうでもいいと思っている)
今考えていることは、戦いの最中に豪々吾の口から放たれた何気ない一言。
『相変わらずわけわかんねぇ能力だな』
愚痴と称賛が混在した豪々吾の評を思い返しながら、透哉はなんとなく左手を眺めていた。
(訳が分からない……か)
今日に限らず、透哉は自分の能力を他人に語ったことはない。聞かれても「特別だ」とか、「秘密だ」とか言ってはぐらかしている。
透哉自身、自分の能力に対する明確な答えを持っていない上、根本的な部分が通常のエンチャンターとかけ離れすぎているからだ。
通常のエンチャンターは、魔力を物質あるいは生物に付与させ、一定の現象を付加能力として与える。
しかし、透哉の能力は他者の魔力を食らい、付加能力諸共消失させるという物。
当初は他人の魔力を打ち消す奇怪な能力と思っていたが、唐突に覚えた膨満感によって勘違いだと知った。
それを自覚したのは十年前の惨劇の最中で、全てが手遅れになった後と言う皮肉なものだった。
透哉と対峙した者は身を裂かれ、魔力を食い尽くされ殺された。まるで果肉を食いちぎり果汁を啜られるように。
以来透哉は自身の能力を『特別だ』と言ってごまかし、自衛手段以外の使用を封じた。
『――クスクス』
「あ?」
耳にかすめた不快な笑い声に、透哉は足を止めて辺りを見回した。
『探しても無駄よ。今の私は透哉でも認識できないわ』
「……何の用だ」
階段の中腹で往生しながら声の主である流耶に棘のある声で先を促した。
『あなたの能力なら今からでも誰にも気づかれずに彼女を殺せるはずよ』
脈絡こそなかったが意味は理解できた。
「……」
『彼女ならさっきからずっと三階のトイレにいるわ』
透哉は眉を顰めた。
ホタルの具体的過ぎる所在にでも、透哉の葛藤を度外視して殺しを推奨することにでもなく。
流耶なら学園内の人間すべての位置を把握できるし、流耶が自分以外の命に頓着するはずがない。
「ずっと? トイレに?」
『クスクス、何か気分が悪くなることでもあったのかしらね?』
「お前、源に何をした?」
『どうしてそんなことを聞くの?』
流耶の声のトーンが僅かに落ちた。
顔は見えないが、醜悪な笑みを浮かべていることが容易に想像できる。
『あまり焦らしちゃいやよ? フフフ』
耳障りな残響を聞きながら透哉は教室へ戻った。
とりあえず矢場にこっぴどく叱られた。
豪々吾を蹴り飛ばした直後、面倒なことになる前に退散しようと踵を返した透哉の前に、矢場が立ちふさがっていた。
どうやら実習棟の三階から飛び降りてきたようで、手にはボロ雑巾と化した豪々吾が無造作にぶら下がっていた。
矢場は何を語るでもない。
豆鉄砲を食らった鳩のような顔をする透哉を前に、今しがた起こった悲劇を惜しげもなく体現している。
(……汗)
実習棟の三階には給湯室が完備されている。
そして、そこは矢場が宿直室と称して住み着いている場所であり、決して豪々吾を蹴り込んでいいところではない。
矢場は鬼の形相で迫るでもなく、髪から雫をこぼしながら無言のまま透哉を見下ろしているだけだ。
崩落間際の崖下に磔にされた気分だった。
昨日に続き二度目であることを考えれば当然であるが、矢場は相当ご立腹らしい。
まず時間帯が最悪だった。
豪々吾の突入による被害は昼食にまで及んだらしく、矢場は湯切りした直後のカップ焼きそばと具材のキャベツを髪に絡ませ、頭から濛々と湯気を上げていた。
惨状を目の当たりにしながら、ラーメンじゃなくてよかったなと悠長に、他人事として思う。
トンコツやみそテイストな教師の授業は受けたくないからだ。
矢場と相対すること数秒。
間もなく伸びていた豪々吾が目を覚まし、あられもない姿の矢場に二人正座させられ叱られること数分。
『……食べ物の恨みってこえぇな』
『ああ、そうだな』
と言い合って豪々吾と別れたのは今し方。
流石の豪々吾も矢場の惨状に戦意を失ってしまったらしい。それと、駄目にしたカップ麺の弁償を矢場に申し出たが断られた。
透哉は一人、浮かない顔で教室へと戻るため階段を昇っていた。
(叱られたことに関してはもうどうでもいいと思っている)
今考えていることは、戦いの最中に豪々吾の口から放たれた何気ない一言。
『相変わらずわけわかんねぇ能力だな』
愚痴と称賛が混在した豪々吾の評を思い返しながら、透哉はなんとなく左手を眺めていた。
(訳が分からない……か)
今日に限らず、透哉は自分の能力を他人に語ったことはない。聞かれても「特別だ」とか、「秘密だ」とか言ってはぐらかしている。
透哉自身、自分の能力に対する明確な答えを持っていない上、根本的な部分が通常のエンチャンターとかけ離れすぎているからだ。
通常のエンチャンターは、魔力を物質あるいは生物に付与させ、一定の現象を付加能力として与える。
しかし、透哉の能力は他者の魔力を食らい、付加能力諸共消失させるという物。
当初は他人の魔力を打ち消す奇怪な能力と思っていたが、唐突に覚えた膨満感によって勘違いだと知った。
それを自覚したのは十年前の惨劇の最中で、全てが手遅れになった後と言う皮肉なものだった。
透哉と対峙した者は身を裂かれ、魔力を食い尽くされ殺された。まるで果肉を食いちぎり果汁を啜られるように。
以来透哉は自身の能力を『特別だ』と言ってごまかし、自衛手段以外の使用を封じた。
『――クスクス』
「あ?」
耳にかすめた不快な笑い声に、透哉は足を止めて辺りを見回した。
『探しても無駄よ。今の私は透哉でも認識できないわ』
「……何の用だ」
階段の中腹で往生しながら声の主である流耶に棘のある声で先を促した。
『あなたの能力なら今からでも誰にも気づかれずに彼女を殺せるはずよ』
脈絡こそなかったが意味は理解できた。
「……」
『彼女ならさっきからずっと三階のトイレにいるわ』
透哉は眉を顰めた。
ホタルの具体的過ぎる所在にでも、透哉の葛藤を度外視して殺しを推奨することにでもなく。
流耶なら学園内の人間すべての位置を把握できるし、流耶が自分以外の命に頓着するはずがない。
「ずっと? トイレに?」
『クスクス、何か気分が悪くなることでもあったのかしらね?』
「お前、源に何をした?」
『どうしてそんなことを聞くの?』
流耶の声のトーンが僅かに落ちた。
顔は見えないが、醜悪な笑みを浮かべていることが容易に想像できる。
『あまり焦らしちゃいやよ? フフフ』
耳障りな残響を聞きながら透哉は教室へ戻った。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【書籍化進行中、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ!
タヌキ汁
ファンタジー
国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。
これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。
〖完結〗王女殿下の最愛の人は、私の婚約者のようです。
藍川みいな
恋愛
エリック様とは、五年間婚約をしていた。
学園に入学してから、彼は他の女性に付きっきりで、一緒に過ごす時間が全くなかった。その女性の名は、オリビア様。この国の、王女殿下だ。
入学式の日、目眩を起こして倒れそうになったオリビア様を、エリック様が支えたことが始まりだった。
その日からずっと、エリック様は病弱なオリビア様の側を離れない。まるで恋人同士のような二人を見ながら、学園生活を送っていた。
ある日、オリビア様が私にいじめられていると言い出した。エリック様はそんな話を信じないと、思っていたのだけれど、彼が信じたのはオリビア様だった。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる