終末学園の生存者

おゆP

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第一章

第2話 ひび割れる日々。(4)

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4.
 夜ノ島学園の食堂は一般の学校と比べると圧倒的に規模が大きい。
 それは生徒の大半が寮生であるため、弁当などの持ち込みがほぼないからである。
 体育館ほどの敷地の食堂内には百を超える席が用意されていて、中央には噴水も設けてあり、大型商店のフードコートのような造りになっている。
 食堂のメニューは基本的に有料なのだが、寮生に限り生徒手帳を券売機にかざすと昼食は学校負担になる規則になっている。選べるメニューに制限はあるものの、学園内では最も主流の昼食方法である。
 逆を言えば生徒手帳がなければ昼食を注文することはできない。

「あー、つまり財布と生徒手帳を忘れて困っていたってことでいいのか?」

 食堂の券売機の列に並んでいる透哉は少し痛む首を回しながら隣のホタルに聞いた。

「……そうだ」

 俯いたホタルは申し訳なさそうに頷いた。空腹が原因で気が立っていたとは言え、もう少し言葉を選ぶべきだったと反省しているようだ。事情を説明してクラスメイト達の誤解は解いてきたものの、他人からは恐喝の現場にしか見えない。

「しっかし、財布はまだしも生徒手帳まで忘れるか普通?」

 なんやかんやでホタルに昼食を奢る羽目になった透哉は、財布の中を漁りながら言う。

「仕方がないだろ。忘れたんだから」
「そんなもんかね」

 ホタルは先ほどとは打って変わって口を尖らせ拗ねたように言う。

(もう少し角が取れたら周囲の目も変わるだろうに……)

 そんな思いはつゆ知らず、ホタルの目線は壁にかかったメニューに釘づけである。校内で指折りの容姿を持ちながら色気より食い気では他の女子たちの立つ瀬がない。
 そんな折、ふと何かを思い出したようにホタルが声を上げる。

「御波、メニューを選ぶよりも先にあれを何とかするべきではないか?」
「ん?」

 ホタルの指す方に目をやると、食堂の外でガラス越しにこちらを見ながら涙ぐんでいる松風の姿が目に入った。食堂は原則動物の入室を禁じられているため法の壁に阻まれ入ることができずにいるのだ。
 にもかかわらず松風がここにいる理由は透哉が持っている缶詰に他ならない。
 半ば引きずられる感じで食堂に来た透哉は松風におかわりを与えずに教室を出てしまったのである。そのせいで松風は引きずられていく透哉を追う形で教室を後にして足止めを食らっているのである。

「ただの小便犬だ。放っておけ」
『みーなーみー! おーかーわーりー!』

 こちらの言っていることが聞こえるはずがないのだが、動物的感覚で察したのか壁をガリガリひっかいている。

「いや、確かに犬だが……」
「それで何食べるんだ?」

 一足先に『ざるうどん(大)』と書かれた食券を手にした透哉が尋ねる。

「ああ、じゃあカレーライスを頼む」
「大、小?」
「いや、だからそうではなくだな、犬を……」
「サイズ(犬)なんてないだろ……」
「……じゃあ(大)で頼む」

 後ろに並ぶ他の生徒のことを考え答えたが、結果これで松風は蚊帳の外へと追いやられてしまう。
 そして、透哉から『カレーライス(大)』の食券を受け取ったホタルの足がそのまま受取カウンターへと向かうのは極自然なことであり、逆らえない流れである。
 鼻先が潰れるほど窓に顔を押し付けながらも律儀に入室禁止を厳守する哀れな犬を尻目に、二人はカウンターへと辿り着く。
 と、今になってホタルは周囲から発せられている異様な空気に気が付いた。

「気のせいか、やたらと見られている気がするのだが……」

 それもそのはず、校内に名を轟かす問題児と皆に一目置かれている生徒会の副会長が揃って食堂に訪れているのだから。
 食堂内の雑踏からざわめきが浮かび上がり、波紋のように広がっていく。

「源が小便臭いからだろ?」
「なっ、違うだろ! 漏らしたのは犬で、臭くなったのはお前の机周辺だろ! っは!」

 咄嗟に出たこの場に相応しくない言葉にホタルは我に返る。慌てて周囲を見渡すと目があった面々は露骨に目を逸らす。

「だから、いちいち気にするな。相手するだけ馬鹿らしい」

 注がれる奇異の視線にも並んだ列の前後にあからさまに開いた距離にも何一つも動じず、透哉は言い放つ。

「知っていたのか?」
「まぁな」
「よく平気だな……」
「慣れた」
「慣れたって……」

 普段から視線を感じることはあった。中には心地の悪いものも時折混ざり込んでいた。
 しかし、今あるのは明らかに質が違う。

「順番来たぞ。食券出せよ?」
「ああ、結局犬はどうする?」

 最初から犬のことが眼中にない透哉は悠々と、諦めがよぎり始めたホタルはおずおずと、食券をカウンターに差し出す。
 すると間髪入れず奥から丸太の様な腕がそれを掴んだ。同時に奥から顔を覗かせるのはおよそ食堂の厨房には似つかわしくないピンク色のアフロ。おまけに首からかけられたエプロンにはハートのアップリケがされている。

「あ~ら、透哉ちゃんじゃない。いらっしゃ~い」

 この食堂の料理長、剛田楓丸ごうだ かえでまるは野太い声で歓迎する。

「こんちは。ってか、楓丸がカウンターってのも珍しいな」
「……あら? 何か不満そうね?」
「そう言うわけじゃねぇけど……衛生的に」

 透哉は毒キノコみたいなピンク色のアフロを横目で見ながら言いにくそうに、けれど正直に答えた。

「まぁ、失礼しちゃうわ! それってオカマ差別よ!?」

 明太子みたいな唇をブリブリ動かしながら楓丸は抗議する。

「失礼な奴だな、これから昼食を用意してくれる人に何て言い草だ。こんにちは、楓丸さん」
「ホタルちゃんもいらっしゃい。あら? 今日は二人で来たの? あなたたちが一人じゃないのって珍しいわね? それはそうとして、私のことは親しみを込めてメイプルとお呼びなさい!」

 ピンクのアフロは咆哮する。うっかり胞子とか飛んできそうですごく嫌だ。

「ところで楓丸さん、一つ相談があるのだが……」

 楓丸からの要望を速攻で華麗に無視しつつ、ホタルは外に目配せすると未だ諦めずにこちらをガン見する松風のことを切り出した。

「ダメよ! 犬なんか入れちゃ。犬を入れていい飲食店なんてないでしょ?」

 ピンクアフロの珍獣が厨房に立っているのはありなのか。

「しかし、犬はこの学園の生徒だ。大目に見てやることはできないだろうか?」
「生徒だと思っているなら名前で呼んでやれよ。生徒会副会長、兼委員長?」

 仲間思いなのか動物思いなのか分からない物言いに透哉は苦笑いを浮かべる。

『委員長、僕のためにそこまで! うう、感動やで!』

 必死に食い下がるホタルを窓越しに応援する松風。

「ホタルちゃんの言い分も一理あるわ。例えうちの生徒でも犬である以上立ち入りは許可できないわ!」

 断固として受け入れないメイプルこと剛田楓丸はそれを最後に厨房へと引き、手早く料理を皿に盛り付ける。その異様な様に食堂に通い始めて一年が経つ今になっても透哉とホタルは慣れることができない。
 アフロな仁王像がコックの恰好をして、あまつさえハートのアップリケの付いたエプロンをつけて料理をしていると思えばいい。最早加工画像と疑われてもおかしくないレベルの奇妙な光景である。
 こうして待っている間にも片手で中華なべを三つ振るっていた。厨房と言うよりも戦場の空気だった。
 そんなこんなしている内に『ざるうどん(大)』と『カレーライス(大)』が目の前に差し出された。

「はい、お待ち遠さま。それにしても、透哉ちゃんはざるうどんだけなの? それじゃあエネルギーつかないわよ?」
「暑くなってきたからさっぱりしたもので済ませたいんだよ」
「ダメよ、もっとスタミナつくもの食べないと!」楓丸はそう言うとフライヤーに手を伸ばし「はいこれ、から揚げ。おまけしちゃうわ~」

 ざるうどんの上に乗ったから揚げ……改めフライドチキンは油でキラキラと輝きシャチホコのように屹立していた。
 ホタルはホタルでドンブリ飯ほどもあるデカ盛りカレーライスを受け取る。

(御波、やはり無理だったみたいだ……)
(源、お前はよくやったよ)

 透哉はホタルを小声で称えながら席に着くとうどんを啜り始める。松風のためアフロ相手に奮戦したホタルだったが、もう無駄と悟った。
 それはホタルと言う最後の砦が食欲を前に瓦解した瞬間だった。

『いいんじょぉおぉぉおぉぉーーー!!』

 完全に見放された松風は噴水みたいな涙を流しながら吠えていた。その様は無実を訴える容疑者みたいにさえ見えてくるが、もう二人の耳には届かなかった。
 直後、裏口から出てきた楓丸に投げ飛ばされ遥か彼方に消える松風の姿が見えた気もしたが、ホタルは目の前のカレーライスを食べることに専念した。

 
 ――並んで黙々と食事をすること数分。
 障子紙を裂くより容易く均衡が破れ、平穏に影が差す。

「なぁ、御波?」
「なんだよ?」

 ホタルがピッチャーでグラスに水を注ぎながら口を開いた。透哉は半分ほどに減ったカレーを横目で見て、ホタルの旺盛な食欲に感心しつつずるずるとうどんを啜る。
 成り行き上、昼食を共にしている二人だが双方の間には共通の話題がない。何か話を振るべきかそう思いつつ、モリモリとカレーを食べるホタルに辟易する余り口数が極端に少なくなっていた。
 けれどホタルにそう言ったことを気にした様子はない。今も沈黙に耐えきれずに話題を捻出したと言うより、食事の小休止としてなんとなく話しかけたに過ぎない。

「話を蒸し返すみたいで悪いのだが……」

 無意識に透哉の目線はホタルの顔より下、胸の辺りに注がれていた。ホタルは頬を赤く染めながら慌てて胸を庇う。

「違う! そっちじゃない!」
「え、あー! ちが、そういうつもりじゃ!?」

 否定してホタルの言わんとすることに気づく。
 しかし、それは透哉にとって安易に受け答えできる内容ではない。

「その件に関してはこれで水に流したからこれ以上は蒸し返さないで欲しい」

 ホタルは頬を赤らめたままスプーンで軽く器を叩く。

「分かった。それで、話って……〈悪夢〉がどうとか言っていたやつか?」

 透哉は周囲に聞こえぬように小声で発した。露骨に話を逸らすと怪しまれると考え、ひとまず話を合わせることにした。
 するとホタルも雰囲気を察したのか控えめに首を縦に振る。

「御波はどう思う?」

 意見を求めるホタルは神妙な顔つきでずいっと肩を寄せてきた。よほど気になるのか、好奇心旺盛と一言で片づけるには違和感があるほどだった。
 無意識の内に触れあっている肩を気にも留めず、ホタルは透哉の返答を待っている。小声で話すには都合のいい距離だが傍目にはものすごくいちゃついて見える。
 透哉は少しドキドキしつつ、ホタルの方を見て息を呑んだ。
 その目が全く笑っていなかったからだ。

「――どう思う?」

 ホタルは周囲から見えない位置で透哉の左袖を掴み同じ質問を繰り返しながら肉迫する。
 昼食の最中、学食のど真ん中で何の前置きもなく始まる質問形式の詰問。透哉は豹変したホタルに状況を測り兼ねていた。こんな偶発的に設けられた状況で接触してくるとは予測していなかったからだ。
 しかし、ホタルのある部分に目が留まったことでその偶発性に陰りが生まれた。
 胸ポケットの四角いふくらみ、それは紛れもなく生徒手帳である。
 今になって思い返せば二人で食堂に行くことになったのはホタルの発案だった。財布と生徒手帳を忘れたことは嘘で透哉を連れ出すただの口実だったのだ。

(ちっ! 振り払って逃げるか? いや、ダメだ)

 そんな過剰なアクションをしたらホタルがどう動くか予想できない。それに下手に騒ぎ立てれば誰かに気付かれる恐れがある。ホタルの思惑はどうあれ、透哉は周囲を巻き込むつもりはない。結果透哉は周囲を何の罪もない生徒で囲まれることで、雑踏と言う大きな牢の中にまんまと放り込まれたのだ。

――不意に妙な気配に包まれた。
 
 まるで隔離されてしまったみたいに周囲の音が聞こえなくなった。隣のホタルに気取られないように目だけを動かし見回したが異常はない。

(源の仕業か――っ?)

 背後は未確認だが半ば確信し隣を見て、透哉同様に予期せぬ事態に狼狽えているホタルに遭遇した。

「――隣、いいかしら?」
「流耶――!?」

 背後から二人にそう尋ねたのはサンドイッチを乗せたトレーを持った流耶だった。恐ろしいほど整った笑みを浮かべる化け物が忽然と現れた。
 予想外の声の割り込みに透哉は目を見開き、しかし、合点した。

(こいつがそばにいたのなら納得、だが……)

 そして、流耶がこの場にいることに驚いた。
 能力云々の話ではなくこの場に存在することそのものに。負の目しか持たないサイコロのように何を起こすか分からない流耶の意図が全く読めなかった。

「俺は構わないが……それにしても珍しいな」

 未だかつてない珍事に湧き立つ不安を押さえて尋ねた。

「まぁ、たまにはね?」流耶は首尾をぼやかして伝えると薄く笑みを浮かべ「それに珍しい組み合わせだったから。それともお邪魔だったかしら?」軽く首を傾げそれとなくホタルに尋ねる。

「ああ、私も構わない、ぞ――っ」

 ホタルは振り向きざまに仰ぎ見て、僅かに語尾を濁らせる。
 透哉はホタルが急に声をかけられて戸惑っている、そう思った。
 了解を得た流耶は透哉とは反対側、ホタルを挟むように腰かけた。

「ありがとう、ホタル」

 流耶は軽く会釈をして穏やかさを装いつつ、透哉の方に目を転じた。

「透哉、ずいぶん変わった取り合わせね?」

 流耶が言いながらサンドイッチの封を切る。
 透哉はフライドチキンの載ったうどんに味の変化をつけるために七味を振りかけ終えると、露骨に迷惑そうな顔で答えた。

「どうやら食欲がないふりをしてうどんだけ頼むとおまけしてもらえるらしい」

 透哉は極普通に受け答えしながら流耶のタイミング良すぎる出現を「余計なことするな」と言わんばかりの目で見る。

「あらそうなの? 私も今度試してみようかしら?」

 それを見た流耶は白々しく社交辞令を返し、ホタルが瞬きをした隙をついて不敵に笑みを浮かべて「いいじゃない、別に?」と言いたそうに同じく目で答える。
 そんな目と目の応酬に板挟みにされているとは知らず、ホタルは一息つくとカレーを含む。
 ホタルはそれとなく横目で流耶を見る。モリモリがつがつカレーライスを頬張る自分とは違って小さな口で上品にサンドイッチを咀嚼している。
 一足先にカレーを完食したホタルは気恥ずかしさからティッシュで口元を拭い綺麗にする。
 今朝も野々乃に女子としての気品を問われたが、これはあくまで自発的なもので、後輩生徒の指示で是正したわけではない。

「ところでホタル、さっきは何を話していたの?」
「え、あ……」

 ホタルは突然流耶に尋ねられ言葉に詰まり、さりげなく肩に触れた手に全身が硬直した。うっかり口を拭ったティッシュを落とし、慌てて拾う。
 流耶はホタルの狼狽を眺めながら静かに待っていた。
 そして、ホタルは勘違いして理解する。
 不確かな脅威に正体を。
 目の前の彼女が、草川流耶が〈悪夢〉だと。
 昨晩自分の前に現れて忽然と消えた異形だと。余計なことを口走ろうとした自分に釘を刺しに来たのだと。

「……いや、大したことではない」

 ホタルのウソに流耶は意味深にほほ笑み……

「――――――」

 その後流耶はサンドイッチを完食すると腕時計に視線を落とし、「あら、もうこんな時間」わざとらしく言って席を立つと何事もなかったように去った。
 けれどそこには残っていた。立つ鳥跡を濁さずとは真逆の出来事が。
 食堂内の他の誰もが与り知らぬ、意識を向けられたものだけが感じた重圧。
 その余波が依然として残されていた。
 呆然とするホタルとは裏腹に、

「おい、流耶? って、いねぇし。全く何しに来たんだよ」

 透哉は知らぬ間に立ち去った流耶を不思議に思いつつ、忌々しげに吐き捨てると折った割り箸を空の皿に投げ込む。

「――源?」

 見るとホタルは空のどんぶりを前にぼんやりとスプーンを握ったまま固まっていた。
 何か様子が変だ。
 さっきとは異なる表情。まるで途中経過を丸ごと引き抜かれたみたいに、ホタルの顔から急激に血の気が引いていた。

「おい?」
「え、あ……御波か?」

 ホタルははっと我に返ったように弾かれたように返事をする。

「どうした? なんか顔色悪いぞ?」
「済まない。少しその……気分がすぐれない」

 ホタルは青い顔のまま答える。どうも歯切れも悪い。

「流耶のことなら気にするな。あいつは変な奴だから」
「ああ、そうだな。悪いが先に行くぞ」
「おい、食器!」

 ホタルは生返事をすると後始末もせぬまま足早に食堂を出て行った。
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