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第一章
第1話 歪み始めた日常。(9)『絵』
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9.
「貴様、そこで何をしている」
突然の声に透哉は身を震わせた。
コンビニへの近道として校内に堂々と忍び込み、一応人目を憚るため屋上を伝う経路を使って移動していた矢先の出来事である。
その声の主は先回りしたのか透哉が屋上に降り立った時にはすでに待機していた。
『うっかり鉢合わせるなんて馬鹿な真似はしないようにね?』
流耶の注意の言葉が蘇る。
(気取られるどころか、バッチリ鉢合わせてるじゃねーか)
割と開き直りながら頭を抱える。
(そういや、今日がパトロールだとか言ってたっけ……)
内心で自身に降りかかった不運を毒づきながら、その不運の陰にあった必然と落ち度に気づき、全面的に自分が迂闊だったことを知る。
声の主であるホタルは今宵のパトロールの最中偶然透哉を見つけたらしい。それを裏付けるようにホタルは巡回用の正装に身を包んでいるし手には昼間に見せてもらった魔道具、『箱庭』が握られている。
「質問に答えろ。お前はここで何をしている」
ホタルの口調が刺々しさを増していく。
深夜の学園。それも屋上にクラスメイトがいたら不審に思うのも無理はない。
(ん? お前?)
流耶への言い訳、この場を打開する方法を模索しながら透哉はある違和感を覚えた。
「妙な反応があるから来てみればまさか侵入者とはな」
ホタルは握った探索用の魔道具『箱庭』をしまいながら吐き捨てる。
透哉の眼前、目を眇めこちらを睨むのは制服姿に〈黒蝉〉と呼ばれる生徒会の夜間巡回時の黒いマントを羽織った源ホタルだった。
表情は険しく眉は完全に吊り上がり、月光を反射する銀髪が鋭い刃物を想起させ、美麗にも鋭利になびいている。ホタルの魔力が時折バチバチと音を鳴らせながら火花を散らせ紫電となって迸る。
自分が侵入者として生徒会に捕捉されていることさえ忘れ、思わず見入ってしまうほどに美しかった。
同時、教室で見る時とは全く違う表情にたじろいでしまう。相当苛立っているのか、それとももっと別の感情かは窺い知ることはできなかった。
学園内でも名を知られるエンチャンターであるホタルは魔力を電荷に変質させる能力の持ち主で帯電放電、果ては磁気操作とその幅は広い。その裏付けとして蛍色の輝きが紫電となってホタルの周りに蟠っている。
そんなホタルにこの場に居合わせたことを何と言い訳をしようか、そう考えていたときだった。
屋上に現れてからの第一声が脳裏をよぎる。
ホタルは透哉を見て、「お前」と言ったのだ。見知らぬ人物に声をかけるみたいに。
(もしかして、俺に気付いてない?)
実際透哉の読みは当たっていた。
透哉の視点からは月明かりに照らされたホタルの顔がはっきり確認できた。しかし、透哉の立っている場所はホタルの立ち位置からは逆光であることに加え、非常口の影に当たる。双方が相まってホタルには透哉を輪郭としてしか認識できていないのだ。
透哉としては好都合だった。昼間に妙な勘繰りを受けただけにこんな怪しい場所で再会し追及されるのは避けたい。
「質問に答えないのか? そこで何をしている?」
先刻よりも低音で発せられた言葉と共にホタルは一歩間合いを詰める。屋上を踏みしめるたびに紫電が輪をなし足元から頭上へと抜けていく。
極度の緊張の中透哉が導き出した答えは一つだった。
(――逃げるしかないな)
透哉はすっと手を虚空に伸ばし、腕を一振りした。カーテンを閉めるような動作の後について白い幕が翻る。初夏の夜風に乗って踊る『白檻』を素早く纏うと即座に魔力を巡らせ、備えられた能力の一つを起動させた。
それを何かの攻撃と勘違いしたホタルは咄嗟に身構えたが、杞憂に終わる。
しかし、代わりに攻撃とは違う衝撃がホタルを打ち抜いた。
透哉が起動させたホタルでは知りえない能力の名を『迷彩』と言う。
これは正体を隠ぺいするもので作用する透哉自身には何の影響もないがホタルの目から見た透哉の姿は白いマントを着た揺らぐ人影にしか映らない。
『迷彩』で正体を隠した透哉はホタルの方に悠然と向き直る。
一方、ホタルは侵入者と言う現実的な不審から突然変異した未知なる異形に驚きを隠せなかった。
ホタルの目に映る透哉は水槽の底に沈めた人形のように輪郭が曖昧で人と呼ぶには気配が希薄な存在だった。
逸脱した出来事がホタルに無意識の内に一つの可能性へと辿り着かせた。
「お前がこの学園に巣食う〈悪夢〉か?」
『――っ!』
予想外に直球な質問に透哉は絶句して黙秘を決め込む。と言うより、声を出すことによって正体が発覚することを恐れた。
しかし、時として黙秘とは喋るよりも多く語ってしまう。
「……否定しないのか?」
疑問の中に怯えが混ざったような声だった。何気ない言葉で思いがけず他人を傷つけてしまって戸惑うみたいに。思いがけない遭遇がホタルから正常な判断力を奪っていた。
対して透哉は変わらず沈黙を続ける。
互いが互いに妙な距離を維持する中、期は訪れる。
それは一陣の風。
湿気を多く含んだ梅雨独特の生暖かい風。
三日月が笑う空の下、『白檻』は曖昧な輪郭を揺らし、夜の闇を一閃するように泳ぎながら非常口の陰に消えていった。
「――何っ!?」
ホタルは予想外の遁走に声を上げ慌てる。
刹那の出来事だった。
ホタルが顔にかかった髪を払う僅かな隙に透哉は屋上から消失していた。
ホタルは慌てて非常口に回り込んだが校内へと続く鉄扉に開かれた形跡はない。さっきまでの戸惑いは吹き飛んだ。逃げるものを追う本能が不安を薙ぎ払ったと言ってもいい。
「まさか――!」
ホタルは飛びつく勢いで欄干に駆け寄ると息を呑んだ。屋上から消えた姿が中庭を悠々と走っているのだから。
ホタルが生んだ空白と呼ぶには短い隙をついて透哉は身を潜めるふりをして屋上から一気に地上まで下りていた。
ホタルも飛び降りようとしてしたが、欄干に手をかけたところで思わず硬直した。
屋上と地上の単純な高低差に足がすくんだのだ。
ホタルは僅かに躊躇したが意を決すると二階の軒先に一度着地してから二度に分けて地上へと飛び降りた。滅多にしない試みに安堵する間もなく、追走する背中が再び目の前から消えていることに気づく。
直感で空を見上げたホタルは思わず息を呑んだ。
上空で翻る白いマント。
それがたった一度の踏み切りで屋上へと舞い上がった姿を目撃したからだ。
ホタルは校舎の向こうへと消えていくその背を呆然と眺め、
「――おもしろい」
そう呟いていた。
そして、この学園に入ってから無意識に抑えていた魔力を開放する。
足枷を外すように。
ホタルの体から魔力が溢れ、紫電となって荒れ狂う。
「エンチャント、『雷王』!」
ホタルの呼び声に紫電が応え、轟音伴う光の集束の後、形を持った雷として顕現する。
ホタルは手の中に姿を現した雷剣を一振り。
夜の闇を切り空気を鼓動させる感触を確かめ、迷いも恐れも振り払ってホタルは踏み出す。
今ホタルの足を動かすのは生徒会としての責務からではない。
長年探し求めてきた存在との邂逅。
悲願達成から湧く好奇と高揚。
あるいは……。
雷剣を握り、紫電漲る足で地面を蹴り、銀色の矢となって中庭を疾駆する。
自然と生まれた笑みを携え、好敵へと挑む。
「貴様、そこで何をしている」
突然の声に透哉は身を震わせた。
コンビニへの近道として校内に堂々と忍び込み、一応人目を憚るため屋上を伝う経路を使って移動していた矢先の出来事である。
その声の主は先回りしたのか透哉が屋上に降り立った時にはすでに待機していた。
『うっかり鉢合わせるなんて馬鹿な真似はしないようにね?』
流耶の注意の言葉が蘇る。
(気取られるどころか、バッチリ鉢合わせてるじゃねーか)
割と開き直りながら頭を抱える。
(そういや、今日がパトロールだとか言ってたっけ……)
内心で自身に降りかかった不運を毒づきながら、その不運の陰にあった必然と落ち度に気づき、全面的に自分が迂闊だったことを知る。
声の主であるホタルは今宵のパトロールの最中偶然透哉を見つけたらしい。それを裏付けるようにホタルは巡回用の正装に身を包んでいるし手には昼間に見せてもらった魔道具、『箱庭』が握られている。
「質問に答えろ。お前はここで何をしている」
ホタルの口調が刺々しさを増していく。
深夜の学園。それも屋上にクラスメイトがいたら不審に思うのも無理はない。
(ん? お前?)
流耶への言い訳、この場を打開する方法を模索しながら透哉はある違和感を覚えた。
「妙な反応があるから来てみればまさか侵入者とはな」
ホタルは握った探索用の魔道具『箱庭』をしまいながら吐き捨てる。
透哉の眼前、目を眇めこちらを睨むのは制服姿に〈黒蝉〉と呼ばれる生徒会の夜間巡回時の黒いマントを羽織った源ホタルだった。
表情は険しく眉は完全に吊り上がり、月光を反射する銀髪が鋭い刃物を想起させ、美麗にも鋭利になびいている。ホタルの魔力が時折バチバチと音を鳴らせながら火花を散らせ紫電となって迸る。
自分が侵入者として生徒会に捕捉されていることさえ忘れ、思わず見入ってしまうほどに美しかった。
同時、教室で見る時とは全く違う表情にたじろいでしまう。相当苛立っているのか、それとももっと別の感情かは窺い知ることはできなかった。
学園内でも名を知られるエンチャンターであるホタルは魔力を電荷に変質させる能力の持ち主で帯電放電、果ては磁気操作とその幅は広い。その裏付けとして蛍色の輝きが紫電となってホタルの周りに蟠っている。
そんなホタルにこの場に居合わせたことを何と言い訳をしようか、そう考えていたときだった。
屋上に現れてからの第一声が脳裏をよぎる。
ホタルは透哉を見て、「お前」と言ったのだ。見知らぬ人物に声をかけるみたいに。
(もしかして、俺に気付いてない?)
実際透哉の読みは当たっていた。
透哉の視点からは月明かりに照らされたホタルの顔がはっきり確認できた。しかし、透哉の立っている場所はホタルの立ち位置からは逆光であることに加え、非常口の影に当たる。双方が相まってホタルには透哉を輪郭としてしか認識できていないのだ。
透哉としては好都合だった。昼間に妙な勘繰りを受けただけにこんな怪しい場所で再会し追及されるのは避けたい。
「質問に答えないのか? そこで何をしている?」
先刻よりも低音で発せられた言葉と共にホタルは一歩間合いを詰める。屋上を踏みしめるたびに紫電が輪をなし足元から頭上へと抜けていく。
極度の緊張の中透哉が導き出した答えは一つだった。
(――逃げるしかないな)
透哉はすっと手を虚空に伸ばし、腕を一振りした。カーテンを閉めるような動作の後について白い幕が翻る。初夏の夜風に乗って踊る『白檻』を素早く纏うと即座に魔力を巡らせ、備えられた能力の一つを起動させた。
それを何かの攻撃と勘違いしたホタルは咄嗟に身構えたが、杞憂に終わる。
しかし、代わりに攻撃とは違う衝撃がホタルを打ち抜いた。
透哉が起動させたホタルでは知りえない能力の名を『迷彩』と言う。
これは正体を隠ぺいするもので作用する透哉自身には何の影響もないがホタルの目から見た透哉の姿は白いマントを着た揺らぐ人影にしか映らない。
『迷彩』で正体を隠した透哉はホタルの方に悠然と向き直る。
一方、ホタルは侵入者と言う現実的な不審から突然変異した未知なる異形に驚きを隠せなかった。
ホタルの目に映る透哉は水槽の底に沈めた人形のように輪郭が曖昧で人と呼ぶには気配が希薄な存在だった。
逸脱した出来事がホタルに無意識の内に一つの可能性へと辿り着かせた。
「お前がこの学園に巣食う〈悪夢〉か?」
『――っ!』
予想外に直球な質問に透哉は絶句して黙秘を決め込む。と言うより、声を出すことによって正体が発覚することを恐れた。
しかし、時として黙秘とは喋るよりも多く語ってしまう。
「……否定しないのか?」
疑問の中に怯えが混ざったような声だった。何気ない言葉で思いがけず他人を傷つけてしまって戸惑うみたいに。思いがけない遭遇がホタルから正常な判断力を奪っていた。
対して透哉は変わらず沈黙を続ける。
互いが互いに妙な距離を維持する中、期は訪れる。
それは一陣の風。
湿気を多く含んだ梅雨独特の生暖かい風。
三日月が笑う空の下、『白檻』は曖昧な輪郭を揺らし、夜の闇を一閃するように泳ぎながら非常口の陰に消えていった。
「――何っ!?」
ホタルは予想外の遁走に声を上げ慌てる。
刹那の出来事だった。
ホタルが顔にかかった髪を払う僅かな隙に透哉は屋上から消失していた。
ホタルは慌てて非常口に回り込んだが校内へと続く鉄扉に開かれた形跡はない。さっきまでの戸惑いは吹き飛んだ。逃げるものを追う本能が不安を薙ぎ払ったと言ってもいい。
「まさか――!」
ホタルは飛びつく勢いで欄干に駆け寄ると息を呑んだ。屋上から消えた姿が中庭を悠々と走っているのだから。
ホタルが生んだ空白と呼ぶには短い隙をついて透哉は身を潜めるふりをして屋上から一気に地上まで下りていた。
ホタルも飛び降りようとしてしたが、欄干に手をかけたところで思わず硬直した。
屋上と地上の単純な高低差に足がすくんだのだ。
ホタルは僅かに躊躇したが意を決すると二階の軒先に一度着地してから二度に分けて地上へと飛び降りた。滅多にしない試みに安堵する間もなく、追走する背中が再び目の前から消えていることに気づく。
直感で空を見上げたホタルは思わず息を呑んだ。
上空で翻る白いマント。
それがたった一度の踏み切りで屋上へと舞い上がった姿を目撃したからだ。
ホタルは校舎の向こうへと消えていくその背を呆然と眺め、
「――おもしろい」
そう呟いていた。
そして、この学園に入ってから無意識に抑えていた魔力を開放する。
足枷を外すように。
ホタルの体から魔力が溢れ、紫電となって荒れ狂う。
「エンチャント、『雷王』!」
ホタルの呼び声に紫電が応え、轟音伴う光の集束の後、形を持った雷として顕現する。
ホタルは手の中に姿を現した雷剣を一振り。
夜の闇を切り空気を鼓動させる感触を確かめ、迷いも恐れも振り払ってホタルは踏み出す。
今ホタルの足を動かすのは生徒会としての責務からではない。
長年探し求めてきた存在との邂逅。
悲願達成から湧く好奇と高揚。
あるいは……。
雷剣を握り、紫電漲る足で地面を蹴り、銀色の矢となって中庭を疾駆する。
自然と生まれた笑みを携え、好敵へと挑む。
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