終末学園の生存者

おゆP

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第一章

第1話 歪み始めた日常。(4)

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4.
 花壇の水やりは十分ほどで終わった。
 透哉が水で満たされたバケツを手に教室の前に戻ると授業はすでに始まっていた。
 透哉は教室に背を向けると背筋を伸ばし、素直にバケツの重みを噛みしめる。
 具体的に時間を設けられていないが、五分そこらで終わるとは思えなかった。最短でも十分。最悪一時限目終了までずっとこのままの可能性もある。
 透哉は悪い方の想定をしてバケツの柄を握る力を強めた。銀色のバケツの中でちゃぷんと水音を立てる。
 本体はブリキに針金を通したもので取っ手の部分だけが木製だった。安価なポリバケツとは違い、金物屋で扱っているような造りがしっかりしたものだ。
 授業中の廊下には当然人通りはなく、左右どちらを見ても透哉しかいなかった。

『この世に魔術や魔法と言った非科学的なものは存在しない。あるのは魔力と言うエネルギーだ。魔力とは魔力因子と呼ばれる体細胞から生み出されるエネルギーのことを指し、肉体を活性化させ、性質変化により様々な現象を起こすことができる』

 教卓に立つ矢場は教室内を見渡しながらよく通る声で授業を進める。だらしなく着こなされたジャージ(本人自覚なし)とは裏腹に姿勢は非常によい。もっと女性らしい格好をすれば綺麗になるのにと生徒の間では専らの評判だが、矢場はジャージというラフスタイルを崩さない。

『魔力を物質あるいは生物に付与させ、一定の現象を付加能力として与えることを『エンチャント』と言う。そして、自身の魔力を物質や自分自身に付加させることができ、唯一無二の武器の創造、および特殊体質を持つ人間を世にエンチャンターと呼ぶ』

 ホームルームや休み時間とは異なり理路整然としている矢場の授業に皆黙って耳を傾ける。
 透哉も廊下に立ったままでぼんやりと耳を傾ける。

――ウッハハハハァァ!

 と、矢場の声とは別の方向、下の階からバカっぽい声が聞こえた。

(なんだこの頭の悪そうな笑い声は……)

 脳裏をよぎる好戦的な先輩の顔。
 しかし、よくよく考えてみると今は授業中である。バケツを持って廊下にでも立っていない限り生徒たちは各々教室で勉学に励んでいるはずである。

(あー、スゲー嫌な予感が……いや、バカな予感がする)

 少しげんなりしながら徐々に近づいている声にため息を吐く。
 そんな折、階段の方から誰かが昇ってくる足音が聞こえ、間もなく廊下の角から姿を現した。

「ふはははっ! お前と再会する日をどれほど待ち侘びたか!? 分かるか、この気持ちがよぉ!? 一日千秋たぁ、このことだろぉ!?」

 顔を歌舞伎俳優のようにしゃくり上げながら七奈豪々吾が叫びをあげる。

「一時間も経ってねーだろ。ホモかテメーは」
「へへっ、初めて女に生まれたらよかったって思ったぜ」
「って、コラ!? ホモの部分を否定しろよ!? そう言うのはあんたの妹一人で十分だ!」
「ヒャハハハァッ! そうかてーこと言うなっての」

 話が一切噛み合わない中、豪々吾があることに気づいたようだ。

「おうおう、ブラザー! それにしてもいいざまだな!?」

 豪々吾は鬼の首を取ったと言わんばかりに威勢のいい声でバケツをぶら下げた透哉の無様な姿を笑う。

「人を笑える立場かよ。お前も立たされてんだろ?」

 透哉は同じ境遇にある豪々吾に向けて言い返した。
 ちゃぷんとバケツの水が豪々吾に代わって返事をする。どうやら三年の自分の教室からバケツを下げてここまで歩いてきたらしい。
 本人的には格好よく登場して、醜態を晒しているライバルを笑っているつもりなのだろうが全く様になっておらず、団栗の背比べでしかない。

「ところで、なんでそんなにずぶ濡れなんだよ?」

 透哉は従順にバケツ刑に服しながら聞いた。改めて見ると豪々吾は前髪から水滴を落とし、シャツが肌に張り付くほどびしょ濡れだった。

「こいつか? こいつはちょっとばかし水が跳ねちまっただけだ」

 見ると豪々吾のバケツの中身は半分も残っていない。珍しく冷静に受け答えする豪々吾を透哉は訝しげに見る。何か良くないことの、あるいは馬鹿っぽい前兆ではないかと身構える。
 豪々吾は透哉の横を通り抜け男子トイレに入ると律儀にバケツに水を入れ直し、透哉に誇らしげに続ける。

「これで体力満タンだぜ」
「……バカ満タンの間違いだろ」

 重くなった分むしろ体力を消耗するのではないかと思ったが無意味なので言わないことにした。と言うかこれ以上関わりたくなかった。
 そんなことはお構いなしに豪々吾は両手にバケツも持ったまま不敵に笑う。

「しかし、いいのか? ブラザー? パワー全開の俺様を前にそんな無防備な格好をさらして!?」

 なんか突っ込むのも面倒なので適当に話を合わせて流すことにした。

「これが俺なりの臨戦態勢だ。今朝の俺と同じと思わない方がいいぜ?」
「なら話は早いぜ。ルールは簡単、このバケツを落とすか水をこぼした方が負けだいいな?」

 割とノリノリな透哉だが、挑発的な言動も決め顔も手に提げたバケツを前には無力である。
 そして、勢いで決めたにしてはまともな豪々吾の決着方法を透哉は受け入れる。

「ああ、いいぜ」

 完全に豪々吾のペースに巻き込まれているが暇なので(と言うより無視しても突っ込んでくるので)相手をすることにした。

「行くぜ!?」

 豪々吾が大きく跳躍し透哉に迫る……バケツを投げ捨てて。

「テメェー! 一秒前のルール説明思い出せ!?」

 飛びかかってきた豪々吾の顔面にカウンターで蹴りを入れながら透哉は声を上げる。

「ツッコミにしちゃあパンチがあるじゃねぇか……それはそうと過去に囚われるのは俺様の性に合わねぇ」

 豪々吾は廊下にうつぶせに倒れたまま言い放つとむくりと起き上がる。

「ルールとバケツどこ行った!? コラァ!?」
「甘いぜ、ブラザー! 勝った奴が勝者だ!」

 話が全く噛み合わないまま、いつも通り話はどんどん勝手に先に進む。

「さぁ、今日も見せてやるぜ! 進化し続ける俺様の力を!」
「話聞けよ!」
「ブラザー、いくぜ!? 全てを焼き尽くし葬る俺様の技パワー『熱傑ねっけつ』〝百八炎〟その五十番目の炎、〈紅蓮〉を食らいやがれ!」
「……メモ帳見ながら技名言っている時点でダメだろ」

 透哉は豪々吾のやたら長い謳い上げを軽く流し、手にしたメモ帳を指さした。

「メモ帳? 違うな、これは俺様の必殺技集だ――ってしまった誘導尋問か!? さすがブラザー、お前さては相当な策士だな?」

 ちらりと見えた表紙にはでかでかとマル秘と書かれている。
 小学生かお前は。
 内心突っ込みつつも豪々吾のエンチャンターとしての能力自体は一切笑いを挟めないほど卓越しているので質が悪い。
 豪々吾の体から発せられた魔力は瞬く間にうねる炎へと変じ、廊下を赤々と染め上げ熱気で埋め尽くしていく。
 零れたバケツの水がじゅうじゅうと蒸発する音に混ざって、けたたましい騒音が入り交ざる。

「って! 火災報知器鳴ってんじゃねーか!」

 激しい警戒音を発する火災報知器を尻目に透哉はこの後の出来事に備えることにした。
 傘立てから誰かの傘を引き抜くと廊下の真ん中で迷わず開いた。

「何のつもりだ? ブラザー!? まさかそんなもので俺様を止めようってのか!?」
「バカはお前だ。ここが校舎の中だってこと忘れたのか?」

 透哉の声に答えるように一斉に廊下のスプリンクラーが散水を始める。
 水を浴びた豪々吾の炎は目に見えて勢いを失い、立ち込めていた熱気さえも洗い流した。

「ブラザー、まさか! お前!? 俺様の能力を熟知して、わざと無防備な姿をさらしてたってのかぁ!?」
「いや、俺は廊下に立たされているだけだ」
「そうか、そうだったのか!? 勝ち続けても研鑽を怠らないとは流石だぜ!」
「って聞けよ!」
「それはあんたも同じよ。御波?」

 声に振り向くと授業を中断して廊下に躍り出てきたニコニコ笑顔の矢場嵐子教諭がいた。
 バシャバシャとスプリンクラーの水が降る中、透哉と豪々吾が石のように固まる。

「きついお仕置きが必要ね?」

 矢場は人差し指でくるくると円を描きながら笑顔。

「エンチャント! 唸れ! 『豪凰』ごうおう!」

 矢場はどこからともなく巨大な扇子を取り出すと透哉と豪々吾の二人に向けて豪快に振り下ろす。
 巨大扇子の魔道具『豪凰』は矢場の固有武器であり、エンチャンターとしての力の象徴である。
 直後緑色の魔力が舞い、巻き起こるのは風速数十メートルの台風級の暴風。
 狭い廊下内を所狭しと暴れ狂い、窓ガラスを突き破ると透哉と豪々吾を校舎から吐き出し彼方に吹き飛ばした。
 旋風に仲良く呑み込まれた二人に燦々と陽光が降り注ぐ。

「「うぎゃー!」」

 初夏の空はどこまでも青く、果てしなく高い。
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