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1巻

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 だいぶ砕けた口調の父上の姿は久しぶりな気がした。
 やはりアレンの愚行は王宮も把握済みのようだ。それならなぜ動かないのか、と疑問が浮かぶが、そこから先は話してもらえなかった。

『わかりました。きっと父上の気に入る答えを見つけてみせます』

 せっかく気づいたこの想いを無下にしたくない。
 だが、不仲とはいえ、彼女はまだアレンの婚約者である。
 どう話しかけたらよいものか、と悩んでいるうちに謹慎が明けたのだった。


 学園のクラスは身分と成績を考慮して分けられており、俺が所属するSクラスは特別クラスで、アレンとマルドーク公爵令嬢と同じだ。
 本来なら第二王子のバレルエージ様もSクラスだろうが、三ヶ月違いの異母兄弟という微妙な関係ということで、別のクラスだった。
 三日ぶりに登校し、教室でマルドーク公爵令嬢の姿を見た瞬間、俺は違和感を覚える。

「書類の整理を手伝え? お断りいたしますわ」

 マルドーク公爵令嬢が、アレンの公務の手伝いをきっぱりと断ったのだ。
 ざわ、とクラス内に衝撃が走る。注目を集めるマルドーク公爵令嬢だが、平然としている様子だ。

「今なんと言ったんだ? コッペリア」

 アレンが信じられないものを見るように問いかける。

「お断りいたします、と申し上げました。もうよろしいでしょうか? 授業の支度がありますので」

 マルドーク公爵令嬢はアレンから視線を逸らすと、教科書を取り出し、授業の準備を始める。

「いや、だがこれは王族ではないとできないたぐいで――」
「でしたら余計、私のような者に見せるのはだめなのでは?」

 彼女はアレンに顔を向けることなく言葉を返した。
 言われればもっともなのだが、アレンは諦めない。

「これまでは手伝っていたじゃないか」
「ええ。将来、私はその一員になると思っておりましたから」

 返す声はあいかわらずそっけない。
 俺は混乱していた。
 ……あれは誰だ? 一体何が起こっている?
 容姿は彼女と同じだが、雰囲気と所作が明らかに違っている。近くにいたクラスメイトに聞いたところ、彼女は体調を崩して休んでいたらしく、俺と同じく三日ぶりの登校だという。
 そっと教室内を見渡すと、生徒たちは驚愕し困惑した表情を浮かべている。

「なら――」
「ですが、もう私には関係のないことのようですから」

 マルドーク公爵令嬢は意味深に告げると、それ以降アレンに一切見向きもしない。王太子の言葉を遮るなど、不敬を問われても仕方のないところだが、彼女の態度は有無を言わせない迫力があった。
 マルドーク公爵令嬢がまるで別人のように変わってしまったという噂は瞬く間に広まった。
 どうやらアレンの不誠実な行動に眉をひそめる者が多かったらしく、ついに我慢の限界を超えた彼女が行動に移したのだ、と皆解釈したようだ。
 まあ、結婚前に愛人を作るなんて受け入れられないだろう。よほど自信を持っていないとできないことだが、王太子という地位がそうさせたのかもしれない。
 俺はマルドーク公爵令嬢に先日のことを謝罪したかったのだが、今の彼女に謝罪するのは違う気がした。彼女が以前とまったく異なってしまった原因がわからない以上、無理に刺激するのはマズいと思ったのだ。
 彼女の変貌はおおむね好意的に受け入れられているようだし、ひとまず静観しようと思っていたが、再び事態は動いた。


 昼休み、頭の中を整理しようと、食堂で昼食をとっていた。
 そのとき、突然アレンの声が食堂に響き渡った。

「コッペリア・マルドーク公爵令嬢!! 俺はお前のような女とは結婚などしない!!」

 今朝の度重なる彼女の拒絶は、アレンにとって耐えがたいものだったのだろう。だが、今この場で言うことか? ありえないな。
 一般の貴族でさえ婚約解消には当主の承認がいるため、まずは相手の家に先触れを出したあと、訪問して話し合うのが通例である。
 そんな基本的なことさえもすっ飛ばした発言に、周囲の者たちが眉をひそめていた。
 そもそも、この時間帯は学園内のほとんどの生徒が食堂にいるのだ。そんなところで婚約破棄を宣言するなんて、あまりにも非常識な行動に頭を抱えてしまう。
 また、この婚約は王家側から打診したものだと聞いている。これを知ったら王家側はきっと大騒ぎになるに違いない。
 チラッとマルドーク公爵令嬢の様子をうかがうと、彼女は至極冷静に見えた。

「かしこまりました」

 彼女は答えると、カーテシーをする。
 優雅で、まるで女王のように堂々としたその姿に何人かが息を呑んだ。
 なんだ? この迫力は?
 これまでの彼女は同じカーテシーでもどこかはかなく、見る者によっては庇護欲をかき立てられるものだったが、今はまったく雰囲気が違っている。
 アレンは彼女の反応が予想外だったのか、すぐしまったというような顔をして、取り繕うように口を開く。

「考え直すのなら今のうちだぞ」

 その言葉を聞いて、彼女は小首をかしげる。

「何をでしょう? 私はこれまできちんと王太子妃教育も学業も、果てはあなた様の公務まで手伝ってきましたわ。それこそ寝る間も惜しんで。それに対してあなた様は何をしてくださいましたか?」

 まさに正論であり、そこまでしていたのにもかかわらず、結婚前に愛人を作られたのでは、たまったものではない。

「なんのことだ?」

 しかし、アレンのほうはまだ状況を理解していないようで、彼女はため息をついた。

「ここまで言ってもおわかりにならないのですか? それとも、とぼけていらっしゃる? あなた様はこれほど努力している私よりも、ほかに心を移した方がいらっしゃるのでしょう?」

 彼女の言葉に、食堂にいた誰もが頭の中で同じ名を連想したことは間違いなかった。

「もし王太子妃になれたとしても、隣に誰もいなければなんの意味もありません」

 マルドーク公爵令嬢が言い切ると、ぎこちない沈黙が流れる。ここまで言われてしまえば、もうアレンは反論できないのではと思ったとき、口を開く者がいた。

「アレンを困らせるのは止めてください。コッペリア」

 その声の主を確認して俺は嘘だろう、と思った。
 そこにいたのは、アレンに公務をサボらせ、マルドーク公爵令嬢に多大な犠牲を払わせたマリア・ダグラス男爵令嬢。
 張本人が割って入ってきて、口にする内容がそれなのか?
 それ以前に彼女は、上級貴族であるマルドーク公爵令嬢に自分から話しかけることなどできない立場のはずだ。また、その言葉遣いも令嬢としては心許こころもとない。
 ここまで馬鹿とは思わなかったな。
 ……アレンは一体あれのどこがよかったんだ?
 言葉にすれば不敬罪になるだろうと静観していると、マルドーク公爵令嬢はダグラス男爵令嬢の発言をなかったことにするようで、立ち上がると同時に口を開く。

「もう私にはかまわないでくださいませ」

 そう言って、そのまま食器を下げに向かった。
 そうだろうな。ダグラス男爵令嬢の自業自得とはいえ、マルドーク公爵令嬢がこのまま相手にすれば、ダグラス男爵家は消えるかもしれない。さすがに、ひとつの男爵家が消える原因にはなりたくないだろう。

「待って!! 無視しないで!!」

 ダグラス男爵令嬢の声が食堂に響く。
 ……は?
 俺は呆気に取られるが、それは食堂内にいた者たちも同様だった。
 そんな中、ダグラス男爵令嬢の言葉が聞こえないかのように出口へ向かう彼女はさすがというか……その貫禄は一体どこから出てくるんだ?

「話を聞きなさいよ!!」

 ダグラス男爵令嬢はマルドーク公爵令嬢の肩を掴んで振り向かせる。
 令息令嬢が集まる場で、ただ感情に任せた言葉を放つダグラス男爵令嬢に対して、マルドーク公爵令嬢は呆れたと言わんばかりにため息をついた。

「いくら学園内とはいえ、上流階級の貴族に対して先に話しかける行為は、その家に対して喧嘩を売っているのと等しく見られてしまいますよ。ダグラス男爵令嬢」

 当たり前のことをあえて説明するからか、マルドーク公爵令嬢はやや言いづらそうに伝える。
 すると、ダグラス男爵令嬢の頬が朱に染まった。

「なっ、何よ、公爵令嬢だからってお高くとまって!!」
「発言を取り消しなさい。公爵家は王家を支えるひとつの柱。その公爵家に対し、わずかでも不遜な振る舞いをするのであれば、国家反逆罪を問われても文句が言えませんよ」


 いくら学園内では平等にと言ってもそれは建前だ。今まで上級貴族と面と向かって話したことのない下級貴族がうっかり粗相をしても見逃してあげましょう、ということである。
 卒業後はそれぞれの『家』を背負うため、本当の意味の『平等』などありえない。
 そのことは最初に教師から説明されるが、時折どう勘違いしたのか、こうしてとんでもない行動に出る生徒が現れる。

「はあ? 何言ってるの?」

 マルドーク公爵令嬢の発言の意図は伝わらなかったようで、ダグラス男爵令嬢はまるで平民が使うような言葉と態度で答えた。

「発言を取り消しなさい」

 マルドーク公爵令嬢は冷たい声音こわねで告げる。
 この場での対応如何によって、この先の学園内での貴族間のやりとりが決まってしまうのだから、その口調が厳しいものになるのは当り前だろう。
 だが、そこへ思わぬ追撃が加わった。

「待ってくれ。マリアも悪いと思ってるんだ」

 なぜかアレンが口を挟んできたのだ。
 王太子、王族としてありえない行動に、食堂にはより一層微妙な空気が流れる。百歩譲って貴族意識の低い下級貴族ならまだしも、王太子たる者がこの状況を庇うなどありえない。

「たしかに失言だったが、ここは学園内だ。ここはひとつ俺の顔に免じて、マリアを許してやってくれないだろうか」

 その顔に免じてしまったら、マルドーク公爵家の名誉も地に落ちることを知っていて、アレンは言っているのだろうか。

「……それは王族としてのご命令でしょうか」
「そんなつもりは!!」

 アレンは慌てたように言う。
 マルドーク公爵令嬢は失望した表情を浮かべたまま、ポケットから何かを取り出す。手のひらに収まるほどのそれは、見る者が見ればわかる録音用の魔道具である。

「これまでの会話はこの魔道具に録音してあります。学園長に提出して、今後の進退をお伺いすることになります。よろしいですね?」

 思いがけない言葉に、食堂内が騒めく。

「……冗談だろう?」

 信じられない、という目でアレンがマルドーク公爵令嬢を見るが、彼女は冷たい眼差しを向けただけだ。

「私、コッペリア・マルドークはマリア・ダグラスに非常に不遜な態度と言葉を浴びせられました。これは貴族社会に対する暴挙です。ダグラス男爵令嬢の今後の対応によっては裁判も辞しませんこと、申し上げておきます」
「「はぁ!?」」

 そう叫んだのはアレンたちだけで、それ以外の者たちは彼女の対応に納得しているようだった。
 それはそうだろう、貴族社会で身分に沿った態度を取るのは当たり前なのだから。

「それでは失礼いたします」
「待て! それをよこせ!!」

 立ち去ろうとしたマルドーク公爵令嬢に、アレンが掴みかかろうとする。いやな予感がした俺は咄嗟に動くが、少し遅かった。

「うわ!!」

 アレンの驚いた声が食堂に響く。
 マルドーク公爵令嬢が足払いをかけ、アレンは呆気なく床へ転がったのだ。彼女はうんざりしたように告げる。

「王太子殿下ともあろう方がこのような無様をさらすなんて情けないですね」

 あまりにも気風のいい口調と迫力に俺はその場から動けなくなった。
 なんだこれは?
 以前のマルドーク公爵令嬢ならば絶対にありえない。

「言わせておけば!!」

 怒りで震えるアレンがマルドーク公爵令嬢をにらみつける。
 再び剣呑けんのんな空気が流れたとき、俺は思わず声をかけていた。

「待ってください」
「どうした? ゼフィルス?」

 本気でこちらの意図がわからなかったのだろうか、怪訝な表情を浮かべるアレンに俺は諫言かんげんする。

「発言失礼いたします。貴族社会において身分制度は絶対です。加えて丸腰の、それも女性に対してその態度はいただけないと思うのですが」

 床に尻もちをついたままのアレンに手を伸ばすが、跳ね除けられる。

「もういい!! お前の手など必要ない!!」

 アレンはそう怒鳴ると、わき目も振らず食堂の扉のほうへ向かう。周囲からは残念なものを見るような視線がいくつも向けられていた。

「待ってよ、アレン!!」

 ダグラス男爵令嬢が追いかけるが、アレンは立ち止まらずそのまま食堂から退出してしまった。
 彼らが立ち去ったのを確認してから、俺はマルドーク公爵令嬢へ向き直った。

「これから学園長のところへ行くのだろう? 付き添いは必要か?」
「ありがとうございます。ですが、私ひとりで十分です」

 マルドーク公爵令嬢は俺の申し出をやんわりと断ると、カーテシーをして食堂から出ていった。
 最初から最後まで女王の貫禄だったな。


 放課後。
 俺は生徒会のことで聞きたいことがある、とマルドーク公爵令嬢を生徒会室へ呼び出した。幸い彼女は訝しむ様子もなく来てくれたので、扉が閉まるとすぐに疑問をぶつける。

「君は……いや、お前は何者だ?」
「なんのお話ですか?」

 少しも動じない彼女に、俺は厳しく問いただす。

「うまく化けたつもりだろうが、言葉遣いがおかしい。彼女なら『なんのお話でしょうか?』と言うところだし、今日一日観察していたが、発音もときどき変だった。俺が気づくくらいだ。マルドーク公爵令嬢の乳母や侍女に確認すればすぐにわかるだろう」
「残念ね。それに関してはとっくに対策済みよ」

 マルドーク公爵令嬢――彼女の皮を被った何者か――は、がらりと表情を変えた。令嬢の雰囲気がかき消え、まるで下町の娘、いや成熟した女性のような強かさのある表情に。

「……認めるんだな。お前はマルドーク公爵令嬢ではない、と」
「やれやれだね。まさか、お前さんが一番に気がつくとはね」

 あまりにも砕けた口調と、食堂で見た女王然とした態度の差に混乱しそうになる。

「お前は一体誰だ?」
「私はしがない薬売りさ」
「……薬売り、だと?」
「そう。魔道具も売ってるけれどね。なんでも願いを叶えてくれる、と若い娘たちの間じゃあ評判なんだよ」

 公爵令嬢である彼女の口から、まるで下町に住んでいる平民のような言葉が出る。そこにはある種の迫力があり、彼女の中身が別人であることを示していた。

「聞きたいことはたくさんあるが、そのなんでも叶えてくれる、というのは?」
「だからなんでも。たとえば長年の婚約者に裏切られ、もう永遠に眠ってしまいたい――」
「待て」

 まさか彼女はもう……?
 いやな想像が脳裏をよぎり、俺は思わず薬売りの制服の襟を掴む。

「ちょ、苦しいって。その馬鹿力は止めておくれ。この娘に傷でもついたらどうするんだい?」

 薬売りがじたばたしながら懇願するのを聞き、俺はハッとして手を放した。

「そのときは責任を取る」
「おや。ずいぶんと返事が早いじゃないか。もしかして……」

 薬売りがからかうように言ってくるが、俺はひと睨みして黙らせた。これ以上からかわれてたまるか。

「まあ、いいさね。今、この娘の心は眠りについているんだよ。この娘の身体に私が入って動かしている状態さね。こうして動かしておかないと、万が一眠りから覚めたとき、身体が動かせなくなるからね」

 眠りについているというのは、比喩ひゆではなくそのままの意味で、彼女の命に別状がないということだろうか。
 しかし、万が一という言い方だと、まるで目覚めないこともあるように聞こえる。
 なんとしても彼女を取り戻さなければ。

「彼女が目覚めるにはどうしたらいい? すぐに教えろ。その言葉遣いもその表情も非常に不愉快にさせられる」
「おやま。これはまたお熱いこったね。だけど、いいのかい?」

 薬売りはこちらを試すような、どこかおもしろがっているような口調で尋ねてくる。

「何がだ?」
「聞いて後悔しないさね?」

 その飄々ひょうひょうとした態度は、どうせ条件を満たせないだろうとからかっているようだ。それほど難しいことなのかと一瞬不安になるが、俺は拳をグッと握った。
 どんなに困難なことでもやり抜いてみせる!!

「ああ。後悔などしない。教えろ」

 そう言って、さらに睨みを利かせる。

「そこまで言うなら教えてもいいけどね。……本当に本当に後悔しないかい?」

 彼女は非常におもしろがっている表情を浮かべた。
 それは今までマルドーク公爵令嬢が見せたことがないもので、俺は強烈な違和感を覚える。くっ、早く元に戻ってほしい。

「誰がするものか」

 俺がきっぱり言い切ると、彼女は少しもったいぶったように言葉を紡いだ。

「そうさね。あの娘が戻るには、あの娘に口づけしないといけないんだよ」
「……は?」

 言われた言葉が頭を駆け巡る。
 そして、意味を理解するなり俺は覚悟を決めた。
 一歩踏み出して、薬売りに近づき――

「お待ちって!! こっちじゃないよ!! 寝ているあの娘にしないと意味がないんだからね!!」
「……は?」

 彼女の怒鳴り声が頭の中をぐるぐると五周ほどしてから、ようやくその意味が理解できた。
 マルドーク公爵令嬢の中にこの薬売りがいて、寝ている彼女は……まさか!?

「あの娘は今、私の中で眠っているさね。おや、どうしたんだい? 床と仲良しこよししてる場合じゃないだろう?」

 嘘だろう。床に撃沈した俺は、その言葉にとっさに反論できない。実行不可能な任務にしか思えない。

「……本当にそうすれば彼女は目覚めるんだな? そもそも彼女は一体どこで眠りについているんだ?」
「せっかちさね。私は嘘は言わないよ。あの娘は平民街にある私の店で眠っているさね」

 自信満々に返されるが、これまでのマルドーク公爵令嬢を知っている俺としては違和感再びである。

「……わかった。ただ、こうして向かい合っていると、とんでもない違和感を覚えて落ち着かない。周りに人がいる場合はともかく、こうしてふたりだけのときはなんと呼べばいい? 薬売り、いや、魔女殿か?」

 当てずっぽうで言ってみると、薬売りは渋い顔をした。

「勘のいい子は嫌いだよ。わかったよ。魔女……ああ、いや。私はキャンディだよ。魔女でも、薬売りでも好きなほうでお呼び」
「それでは……キャンディ殿」

 キャンディというどこか可愛らしい響きがいやなのか、目の前の薬売りは盛大に顔をしかめた。

「わかっててやってないかい?」
「さあ、なんのことでしょう?」

 ほぼ実現不可能な任務を負わされた身としては、せめてこれくらいの意趣返しは大目に見てもらいたい。
 とはいえ、彼女を助けてもらったのは事実だ。かなり変わった形だが。
 とにかく絶対に彼女を取り戻す!!
 そう固く決意した俺は、薬売りにマルドーク公爵への縁談を申し込むことを勧められた。
 本当に彼女のことが好きならば外堀から埋めるように、とのことだが、こんなに早く進めていいものだろうか。
 貴族であれば当人の意思など存在しないことはわかっているが、本人がいないのに進めてしまうことに少しばかり申し訳ない気持ちになっていた。

「何言ってるさね。お前さんはこの娘のことが好きなんだろう。今の状況で目覚めると、次の王太子候補の婚約者にさせられちまう可能性が高いと思うんだけどね。それでも?」
「よくありません!!」

 俺は反射的に叫んでいた。

「それなら、あんたはさっさとマルドーク公爵家へ行って、婚約の許しをもらってくるんだね。あの坊ちゃん王太子のことがあるから、そう簡単にはいかないだろうけれど」

 さらりと言われて一瞬、返答に困るがなんとか言い返す。

「どうにかしてみせます」

 アレンの一件で、きっとマルドーク公爵は娘の婚約に関して慎重になるだろう。
 世間での俺の評判はそれほど悪くはないと思うが(謹慎は痛かったかもしれないが)、公爵令嬢である彼女より身分は下になる。この辺りのことをマルドーク公爵はどう捉えるだろうか。


 二日後、俺はマルドーク公爵邸を訪れていた。

「ユアン・マルドークだ。ゼフィルスくんだったか。君の噂は聞いているよ。大層優秀だとか」

 対面したマルドーク公爵は壮年で金髪に青い瞳を持ち、いかにも貴族然とした容貌だ。その眼差しはとても厳しい。
 前のことがあるから警戒されているな。
 アレンのことが頭をよぎるが、さっくり消去して、俺は礼を述べる。

「本日は大変お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。ゼフィルス・オナシスにございます。公爵様もお忙しいと重々承知ですので、早々に用件に入らせていただきます。マルドーク公爵令嬢の婚約の件について、許可をいただきたく存じます」

 本来であれば、マルドーク公爵家とオナシス侯爵家の話し合いで決めるべきだが、どうしても自分で会って話をしておきたかった。
 貴族の縁談に個人の感情は不要と言われているが、今回の件はひどすぎた。


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