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第2話
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少しも悪いと思っていない口調だった。
『クスルは、いいって言ってくれましたよ? それにルークやジャンだって』
ちなみにルークというのは、シルヴィアス侯爵の長男で、シルヴィアス侯爵は騎士団団長をされている。そしてジャンはクリスト侯爵の長男である。
(聞いてはいたけれど)
呆れた、というか何ともいいがたい気分になる。
貴族間でも身分制度は絶対。
なのに王太子ひとりどころか、あとのふたりも呼び捨て。
唖然としていると、
『大体、せっかくこうして同じ教室で学んでいるのに、敬語使わなけれならない、なんておかしいです』
『……は?』
本気で聞き返してしまった。
(冗談でしょう)
『学園長も最初の挨拶の時に言ってたじゃないですか。この学院の中では皆身分の垣根なく学ぶように、って』
確かに学園長はそう言った。言ったが……。
それでも最低限の礼儀は存在するし、今回は行き過ぎていた。
『貴女、淑女の嗜みも習っていないの?』
『ええと、お淑やかに、殿方の邪魔をしないように、でしたっけ?』
今答えて欲しいのはそこじゃない。
そこではないのだが、基本的なことさえ心もとなげに答える様子にはこちらも不安しか感じない。
『……?』
(本気で分かってないのね)
仕方なく告げた。
女性から男性に話しかけるのは滅多にしないこと。
ましてやそれが決まった相手がいるなら殊更だ。
先ほど名が挙がったおふたりには当然婚約者がいる。
もちろん貴族の婚姻なのだからそれぞれの思惑が絡んだものだ。
『そんなのおかしいですっ!! あたし、みんなと友達になりたいのにっ!!』
(ええと)
子爵令嬢にしてはおかしな返答だった。
(どういうこと? 生まれながらの貴族ではないの?)
皆と友達……この発言からしておかしい。
まるで誰との間にも本当に身分というものを感じていないように聞こえてしまう。
『アリサさん、あなた……』
その後の言葉は駆けつけて来たと思われるクルクスル殿下の叫びにかき消されてしまった。
『アリサッ!! ここにいたのかっ!!』
あとはさんざんだった。
君は僕の大事な友人を苛めるつもりか、ひがむのも大概にしろ、云々かんぬんこちらの意見を全く聞かないで押し付けられたそれは、ロザンナの思惑とは違いすぎて、反論もできなかった。
それからはもう本当に顔を会わせることはなく、本当に自分が婚約者でいいのか、というくらいだったが。
(もう決まったことなのだから)
それが覆ることなんてないと思っていたのに。
壇上のクルクスル殿下の話はそれで終わらないようだった。
「新しい婚約者はアリサ・タンザイト令嬢とするっ!」
どよめきが大広間に広がった。
(え、もうそれは決定事項ですの?)
だったらおかしい。
何といってもロザンナは当事者である。
そのロザンナや公爵家に何の伝達もなく決めていいのだろうか。
(今日だっていきなり付き添いはできない、なんて知らせがきたし)
仕方なくロザンナはひとりでここに来た。
たまたまその場に居合わせたリチャードはかなり憤慨していたようだった。
『公爵家をばかにしているのかっ! ……父上に話してくるっ! カークッ、父上はどこだ?』
そのままお父様のもとへ行って何やら話していたようだけど、やはり寝耳に水だったようで困惑していたようだ。
『最近、王太子にはかなり自尊心が芽生えてこられたようだと、陛下が仰っていらしたが、こんなことになるとは』
リチャードはひとりになったロザンナの付き添いを申し出てくれたが、リチャードには当然婚約者がいて、彼女を疎かにするわけにはいかなった。
『すまない、ロザンナ』
『いいのよ、エリサ様によろしく伝えて下さいね』
予想していたとはいえ、ひとりで来たロザンナに向けられる視線は冷ややかなのものが多かった。
(仕方ないわね。それにしてもクルクスル殿下はどうして……)
胸の内を巡るイヤな予感を払拭して、ロザンナは毅然とした態度で何とか場を乗り切ろうとしていた。
そんな中でのこのクルクスル殿下の発言である。
(――?)
何かを感じてふっと、斜め後ろを見ると真っ赤になったお父様をリチャードが必死に抑えている姿が見えた。
(お父様があんなふうになるなんて)
普段の慇懃な態度からは想像がつかない姿に、かすかにロザンナの口角が上がる。
(厳しいだけかと思っていた)
ざわめきが広がる中、ロザンナは気を引き締めて前を向いた。
「お待ちください殿下、それではブリオッシュ公爵家のご令嬢、ロザンナ様はどうされるのですか?」
流石に黙っていられなくなったのだろう、公爵家の派閥のフルスト侯爵が疑問を投げかけた。
するとクルクスル殿下はああ、と声を上げた。
「あれか。あんな意味のない風習に流されるつもりはない。それに」
(今、睨まれたような?)
「忘れたとは言わせないぞっ! ロザンナッ! 貴様がアリサにした心無い仕打ちの数々は全て知っているんだっ!」
(……は?)
その後は更にロザンナには全く訳が分からなかった。
「アリサの教科書をごみ箱に捨て、私物を持ち去ったり、挙句の果てには――」
ロザンナを睨んだ後、クルクスル殿下は憎々し気に告げたのだ。
「アリサを階段から突き落としたではないかっ! 残念だったな、放課後で目撃者がいないと思ってでもいたか?」
得意げに背を反らす殿下の姿が、ロザンナには違う世界の人間のように見えた。
(どういうこと?)
もちろんロザンナはそんなことはしていない。
考えてもみてほしい。
ロザンナは公爵家の令嬢である。
黙っていても殿下の婚約者という地位は揺るがないのに、どうしてそんなわざわざ自分を貶めることをするというのか。
反論しようと口を開きかけたとき、侍従が殿下に耳打ちした。
「なに?」
何やら少し焦っているように見えた。
「議論は仕舞いだ。ロザンナ・ブリオッシュ公爵令嬢っ! 貴様はそれだけの罪を犯したのだ! 衛兵っ!」
(嘘でしょうっ!)
あれよあれよという間にロザンナは衛兵に捕らえられ、その場から連れ出されてしまった。
ロザンナは国外追放とされた。
大広間から連れ出された後、ロザンナはほとんど誰とも会うことなく地下牢へ入れられてしまったので、それを知ったのも、3日ぶりに会えた兄リチャードからだった。
「国外追放、ですか」
ようやくそれだけ返したロザンナに、
「ああ。それも5日後だ」
あのすぐ後に国王夫妻が大広間にお出ましになり、ようやく事態を把握してくれたのだが何故か流れは変わらなかった。
ロザンナの処分を決める会議は紛糾したという。
当事者の身内ということでブリオッシュ公爵は出席することができず、また派閥内の足並みが揃わず反対勢力に足を取られ、ブリオッシュ公爵家には降格処分の声さえ上がったのだという。
国王陛下はかなり反対したらしいが勅命を出す間もなく、採決が下されたらしい。
「どうも、我が家はかなり疎まれていたようだね」
やはりあの『習わし』は貴族間の反発を食らっていたらしい。
長い間燻ぶり続けてきたものが、とうとう爆発したようだ。
とリチャードが続けた。
「何というか、ここまでの流れが速すぎる。まるで何か違う思惑でもあるかのようだ」
困惑気にリチャードがこぼしたとき、牢番が近寄って来た。
「申し訳ありませんが」
「ああ、分かった。それと後で差し入れを持たせるよ」
「それは――」
「構わないだろう」
リチャードが牢の手に何かを握らせた。
「……かしこまりました」
「それじゃあ、ロザンナまた」
できればこんなところに居させたくないのだけれど。
リチャードによると、処分を知った父ブリオッシュ公爵が相当憤慨しているのと、反対派の派閥が目を光らせていることもあり、うかつなところにロザンナを置けないのだという。
(これはかなりマズい状況なのでは?)
代々の王妃教育はブリオッシュ公爵令嬢しか受けていない。
その内容を貴族令嬢で唯一知るロザンナの存在は、自分の娘を妃に、と考えている貴族に魅力的であり、かつ今のロザンナの身分は処分を受ける身。
危ない橋を渡ろうとする者、または先回りをして亡き者としようとする者、様々入り乱れているに違いない。
「分かりました。お兄様も息災で」
落ち着いた態度を崩さず答えを返したロザンナに、リチャードは嘆息した。
「ああ。本当にどうしてロザンナが妃じゃないんだ」
リチャードが去った後、ロザンナも小さく息を吐き出した。
(本当にどうしてこんなことに)
大陸の西にあるトレント王国。
隣国に行くには南のノーチラス国へ行く街道が一番である。
ちなみに東には大森林が広がり、北にも細々とした道はあるが、高原地帯を抜けなければならないため、ほとんどの者は南に向かう。
「それでは自分達ははここで帰ります」
ロザンナをここまで送って来たのは、3等兵と呼ばれる、平民のみで作られた兵士達だった。
ロザンナのことを考えると少しでも貴族を絡めないほうがいいと思われたのである。
それが吉と出るか凶となるか。
ロザンナの危惧をよそに馬車の旅は粛々と進み、ついにトレント王国の国境を越える、ということころまで来ていた。
「ええ。ありがとう」
少ない荷物(替えの服と生活に必要とされる諸々の物とほんの少しの旅費)が入った布袋を抱えたロザンナがそう答えると、赤ら顔の隊長が微妙な顔をしたようだった。
「その、嬢ちゃん、本当にいいのかい?」
何度目かの問いにロザンナは答えた。
「いいも何もご命令ですから」
ロザンナに選択肢はない。
だからそう答えるしかなかった。
詰め所の門番に声を掛け、旅券を見せる。
(習ってはいたけれど、実際するのは初めてだわ)
門番は旅券を見ると複雑そうな顔をしたようだった。
(まあ、元貴族の罪人だなんて面倒だわよね)
案の定、丁寧なのかぞんざいなのか分からない態度で応対され、ロザンナは詰め所を出て国境へ向かう。
国境には一応赤い染料で印がつけられている。
ロザンナはそこを越えた。
(もう戻れないのね)
最後に振り返ろうとしたとき、それが起きた。
(え、)
頭の芯から何かが湧き出してくるような感覚。
ロザンナの動きが止まった。
――あーあ、越えちゃった。
聞いたことのない声が、した。
『クスルは、いいって言ってくれましたよ? それにルークやジャンだって』
ちなみにルークというのは、シルヴィアス侯爵の長男で、シルヴィアス侯爵は騎士団団長をされている。そしてジャンはクリスト侯爵の長男である。
(聞いてはいたけれど)
呆れた、というか何ともいいがたい気分になる。
貴族間でも身分制度は絶対。
なのに王太子ひとりどころか、あとのふたりも呼び捨て。
唖然としていると、
『大体、せっかくこうして同じ教室で学んでいるのに、敬語使わなけれならない、なんておかしいです』
『……は?』
本気で聞き返してしまった。
(冗談でしょう)
『学園長も最初の挨拶の時に言ってたじゃないですか。この学院の中では皆身分の垣根なく学ぶように、って』
確かに学園長はそう言った。言ったが……。
それでも最低限の礼儀は存在するし、今回は行き過ぎていた。
『貴女、淑女の嗜みも習っていないの?』
『ええと、お淑やかに、殿方の邪魔をしないように、でしたっけ?』
今答えて欲しいのはそこじゃない。
そこではないのだが、基本的なことさえ心もとなげに答える様子にはこちらも不安しか感じない。
『……?』
(本気で分かってないのね)
仕方なく告げた。
女性から男性に話しかけるのは滅多にしないこと。
ましてやそれが決まった相手がいるなら殊更だ。
先ほど名が挙がったおふたりには当然婚約者がいる。
もちろん貴族の婚姻なのだからそれぞれの思惑が絡んだものだ。
『そんなのおかしいですっ!! あたし、みんなと友達になりたいのにっ!!』
(ええと)
子爵令嬢にしてはおかしな返答だった。
(どういうこと? 生まれながらの貴族ではないの?)
皆と友達……この発言からしておかしい。
まるで誰との間にも本当に身分というものを感じていないように聞こえてしまう。
『アリサさん、あなた……』
その後の言葉は駆けつけて来たと思われるクルクスル殿下の叫びにかき消されてしまった。
『アリサッ!! ここにいたのかっ!!』
あとはさんざんだった。
君は僕の大事な友人を苛めるつもりか、ひがむのも大概にしろ、云々かんぬんこちらの意見を全く聞かないで押し付けられたそれは、ロザンナの思惑とは違いすぎて、反論もできなかった。
それからはもう本当に顔を会わせることはなく、本当に自分が婚約者でいいのか、というくらいだったが。
(もう決まったことなのだから)
それが覆ることなんてないと思っていたのに。
壇上のクルクスル殿下の話はそれで終わらないようだった。
「新しい婚約者はアリサ・タンザイト令嬢とするっ!」
どよめきが大広間に広がった。
(え、もうそれは決定事項ですの?)
だったらおかしい。
何といってもロザンナは当事者である。
そのロザンナや公爵家に何の伝達もなく決めていいのだろうか。
(今日だっていきなり付き添いはできない、なんて知らせがきたし)
仕方なくロザンナはひとりでここに来た。
たまたまその場に居合わせたリチャードはかなり憤慨していたようだった。
『公爵家をばかにしているのかっ! ……父上に話してくるっ! カークッ、父上はどこだ?』
そのままお父様のもとへ行って何やら話していたようだけど、やはり寝耳に水だったようで困惑していたようだ。
『最近、王太子にはかなり自尊心が芽生えてこられたようだと、陛下が仰っていらしたが、こんなことになるとは』
リチャードはひとりになったロザンナの付き添いを申し出てくれたが、リチャードには当然婚約者がいて、彼女を疎かにするわけにはいかなった。
『すまない、ロザンナ』
『いいのよ、エリサ様によろしく伝えて下さいね』
予想していたとはいえ、ひとりで来たロザンナに向けられる視線は冷ややかなのものが多かった。
(仕方ないわね。それにしてもクルクスル殿下はどうして……)
胸の内を巡るイヤな予感を払拭して、ロザンナは毅然とした態度で何とか場を乗り切ろうとしていた。
そんな中でのこのクルクスル殿下の発言である。
(――?)
何かを感じてふっと、斜め後ろを見ると真っ赤になったお父様をリチャードが必死に抑えている姿が見えた。
(お父様があんなふうになるなんて)
普段の慇懃な態度からは想像がつかない姿に、かすかにロザンナの口角が上がる。
(厳しいだけかと思っていた)
ざわめきが広がる中、ロザンナは気を引き締めて前を向いた。
「お待ちください殿下、それではブリオッシュ公爵家のご令嬢、ロザンナ様はどうされるのですか?」
流石に黙っていられなくなったのだろう、公爵家の派閥のフルスト侯爵が疑問を投げかけた。
するとクルクスル殿下はああ、と声を上げた。
「あれか。あんな意味のない風習に流されるつもりはない。それに」
(今、睨まれたような?)
「忘れたとは言わせないぞっ! ロザンナッ! 貴様がアリサにした心無い仕打ちの数々は全て知っているんだっ!」
(……は?)
その後は更にロザンナには全く訳が分からなかった。
「アリサの教科書をごみ箱に捨て、私物を持ち去ったり、挙句の果てには――」
ロザンナを睨んだ後、クルクスル殿下は憎々し気に告げたのだ。
「アリサを階段から突き落としたではないかっ! 残念だったな、放課後で目撃者がいないと思ってでもいたか?」
得意げに背を反らす殿下の姿が、ロザンナには違う世界の人間のように見えた。
(どういうこと?)
もちろんロザンナはそんなことはしていない。
考えてもみてほしい。
ロザンナは公爵家の令嬢である。
黙っていても殿下の婚約者という地位は揺るがないのに、どうしてそんなわざわざ自分を貶めることをするというのか。
反論しようと口を開きかけたとき、侍従が殿下に耳打ちした。
「なに?」
何やら少し焦っているように見えた。
「議論は仕舞いだ。ロザンナ・ブリオッシュ公爵令嬢っ! 貴様はそれだけの罪を犯したのだ! 衛兵っ!」
(嘘でしょうっ!)
あれよあれよという間にロザンナは衛兵に捕らえられ、その場から連れ出されてしまった。
ロザンナは国外追放とされた。
大広間から連れ出された後、ロザンナはほとんど誰とも会うことなく地下牢へ入れられてしまったので、それを知ったのも、3日ぶりに会えた兄リチャードからだった。
「国外追放、ですか」
ようやくそれだけ返したロザンナに、
「ああ。それも5日後だ」
あのすぐ後に国王夫妻が大広間にお出ましになり、ようやく事態を把握してくれたのだが何故か流れは変わらなかった。
ロザンナの処分を決める会議は紛糾したという。
当事者の身内ということでブリオッシュ公爵は出席することができず、また派閥内の足並みが揃わず反対勢力に足を取られ、ブリオッシュ公爵家には降格処分の声さえ上がったのだという。
国王陛下はかなり反対したらしいが勅命を出す間もなく、採決が下されたらしい。
「どうも、我が家はかなり疎まれていたようだね」
やはりあの『習わし』は貴族間の反発を食らっていたらしい。
長い間燻ぶり続けてきたものが、とうとう爆発したようだ。
とリチャードが続けた。
「何というか、ここまでの流れが速すぎる。まるで何か違う思惑でもあるかのようだ」
困惑気にリチャードがこぼしたとき、牢番が近寄って来た。
「申し訳ありませんが」
「ああ、分かった。それと後で差し入れを持たせるよ」
「それは――」
「構わないだろう」
リチャードが牢の手に何かを握らせた。
「……かしこまりました」
「それじゃあ、ロザンナまた」
できればこんなところに居させたくないのだけれど。
リチャードによると、処分を知った父ブリオッシュ公爵が相当憤慨しているのと、反対派の派閥が目を光らせていることもあり、うかつなところにロザンナを置けないのだという。
(これはかなりマズい状況なのでは?)
代々の王妃教育はブリオッシュ公爵令嬢しか受けていない。
その内容を貴族令嬢で唯一知るロザンナの存在は、自分の娘を妃に、と考えている貴族に魅力的であり、かつ今のロザンナの身分は処分を受ける身。
危ない橋を渡ろうとする者、または先回りをして亡き者としようとする者、様々入り乱れているに違いない。
「分かりました。お兄様も息災で」
落ち着いた態度を崩さず答えを返したロザンナに、リチャードは嘆息した。
「ああ。本当にどうしてロザンナが妃じゃないんだ」
リチャードが去った後、ロザンナも小さく息を吐き出した。
(本当にどうしてこんなことに)
大陸の西にあるトレント王国。
隣国に行くには南のノーチラス国へ行く街道が一番である。
ちなみに東には大森林が広がり、北にも細々とした道はあるが、高原地帯を抜けなければならないため、ほとんどの者は南に向かう。
「それでは自分達ははここで帰ります」
ロザンナをここまで送って来たのは、3等兵と呼ばれる、平民のみで作られた兵士達だった。
ロザンナのことを考えると少しでも貴族を絡めないほうがいいと思われたのである。
それが吉と出るか凶となるか。
ロザンナの危惧をよそに馬車の旅は粛々と進み、ついにトレント王国の国境を越える、ということころまで来ていた。
「ええ。ありがとう」
少ない荷物(替えの服と生活に必要とされる諸々の物とほんの少しの旅費)が入った布袋を抱えたロザンナがそう答えると、赤ら顔の隊長が微妙な顔をしたようだった。
「その、嬢ちゃん、本当にいいのかい?」
何度目かの問いにロザンナは答えた。
「いいも何もご命令ですから」
ロザンナに選択肢はない。
だからそう答えるしかなかった。
詰め所の門番に声を掛け、旅券を見せる。
(習ってはいたけれど、実際するのは初めてだわ)
門番は旅券を見ると複雑そうな顔をしたようだった。
(まあ、元貴族の罪人だなんて面倒だわよね)
案の定、丁寧なのかぞんざいなのか分からない態度で応対され、ロザンナは詰め所を出て国境へ向かう。
国境には一応赤い染料で印がつけられている。
ロザンナはそこを越えた。
(もう戻れないのね)
最後に振り返ろうとしたとき、それが起きた。
(え、)
頭の芯から何かが湧き出してくるような感覚。
ロザンナの動きが止まった。
――あーあ、越えちゃった。
聞いたことのない声が、した。
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