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第59話 黒歴史 (ローズside)

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『明日には返すわ!!』

 それは小さい頃の思い出。

 そう叫ぶローズに困ったような目を向けるのは当時五歳のローズと同じ年の女の子だが、裕福ではあったが平民の子供だった。

 ファラント公爵は執務と長男の教育に忙しく、母親である公爵夫人は体調を崩して領地で静養していた。

 嫡子である長男も大切だが、そのスペアとなる次男も同様である。

 ちょうど社交界ではそのような思考がまかり通っていたため、公爵夫人は二番目の子が女子であるローズだったため、気を病んで領地へ籠っていた。

 そのため年に数回ローズが領地へ赴くことになるのだが、その滞在の間ローズの遊び相手にと選んだのがその子だった。

 両親との対話が少ないなか、ローズの子供特有のちょっとした我儘を咎める存在はほとんどいなかった。

 乳母も注意はするがローズの環境を思うとあまり厳しくはできず、冒頭の台詞に戻る。

『え、でも……』

 口ごもる女の子は茶色の瞳を惑うようにローズへ向けた。

『ちゃんと返すのだからいいでしょう!!』

 悪いなんて少しも思わなかった。

 だってちゃんと明日には返すのだから。

 その夜、寝室で青色のリボンをご機嫌で眺めていたローズだったが、ぽつりと呟く。

『……あんまりきれいじゃない』

『お嬢様?』

 あの子の髪にあった時はとてもきれいに見えたリボンは今こうして手にしてみるとそれほどきれいに見えなかった。

 どうして?

 疑問に思うも明日には会えるのだから、とローズは寝台に潜りこんだ。



 翌日、ローズは彼女の家を訪ねたが体調が悪いとのことで会えなかったので、仕方なく使用人に預け、また後日来るとだけ告げて帰宅したが、その後彼女と会うことはなかった。

『引っ越したってどうして?』

 数日後そう聞かされたローズの質問に乳母はどこか呆れたようすだった。

『それはそうでしょうね。お嬢様、本日こそは言わせて頂きますよ。あれは母親の形見だったようですから』

 よほど腹に据えかねていたのだろう。乳母が強い眼差しをローズに向けた。
 
『形見?』

 亡くなった母親が遺した大切なものだと聞いたローズは真っ青になる。

『……そんなの聞いてないわ』

『ですが大事なものだと言ってませんでしたか?』

 そう言われてその時のことを思い返して見ると彼女は貸すのを渋っていたような気がする。

『でも明日には返すって言ったし……』

『次は返ってこないと思ったんでしょう』

『……え?』

 思いがけない言葉に絶句するローズに乳母がため息をついた。

『お忘れですか? お嬢様は先月も同じようなことをされました。花をかたどった髪飾りです。そしてその髪飾りはまだお嬢様の机の引き出しにありますよ』

 乳母の言葉に慌てて引き出しを開けるとそこには桃色の花をかたどった髪飾りがあった。

 同時にローズは思い出した。すぐに返す、と言って髪飾りを借りたことを。

『今回はどうにか返して貰ましたが次もそうとは限らない。裕福とはいえたかが平民の子です。ローズ様の言葉に惑わされたくなかったのでしょう』

『だってあの子とは仲がよかったのに』

 納得できなかったローズは翌日の家庭教師の授業の際にそれを話してみた。

『それはお嬢様の過失ですね』

 それまで家庭教師はローズに分かりやすく授業をしてくれていた。

 分からないことはローズが納得するまで懇切丁寧に説明してくれていた――そう思っていたのだが家庭教師は思いがけないことを告げた。

『それでローズ様はなにを学びましたか?』

『は?』

『ご自分の過去の行いが今の自分に影響する、ということもそうですがそろそろ令嬢としての心構えをお持ち頂けると助かります』

 この家庭教師はなにを言った?

 友人を失って辛い思いをしている自分に『令嬢としての心構え』を持てと?

 嘘でしょう。

 ローズは怒りを抑えられなかった。

『どうして? 私はなにも悪くないのに。ちゃんとリボンは返したわ。髪飾りだって言ってくれればちゃんと返したのに!!』

 憤るローズに告げられたのは無情な現実だった。

『平民が貴族令嬢にそんな発言はできません』

 だから引っ越しという穏便な手段を取ったのだろう、と告げられたローズは感情を抑えられなかった。

『……きらい』

『ローズ様?』

『皆きらい!! 乳母も先生も大きらい!! いなくなればいいのに!!』

 叫んでローズは周りの声も聞かずに自室へ戻ると続けて入ろうとした乳母へ命じた。

『ひとりにして!! 誰もここに入れないで!!』

『……かしこまりました』

 後になって思う。

 どうしてあんなことを言ってしまったのかと。



 その後家庭教師と乳母は解雇され、ローズと会うことはなかった。

『どうしてでですか?』

 ローズの問い掛けにファラント公爵は鷹揚に告げた。

『お前が望んだことだろう』
 
『違います。私は――』

 執務室で書類を捌くファラント公爵はそっけなくローズの言葉を遮った。

『なにが違う? お前は家庭教師も乳母もいなくなればいい、と叫んだと報告が来ているが』

『それは……』
 
 確かにそう叫んだがその時の感情に任せて言ってしまったもので本当にそう思ったわけではない。

 そう言ったローズにファラント公爵は重々しく告げた。

『たとえ一時の感情であってもそれが貴族の口から出れば命令となる。肝に銘じておくことだな』

 用はない、とばかりに退出を促され、反論もなにもできなかった。



 それからローズは部屋にこもった。

 始めのうちは周りの理不尽な仕打ちに涙しかでなかったが、後になって考えて見るとすべてはローズの自業自得だった。

 その出来事をきっかけにローズの癇が強いところは鳴りを潜め、口から出る言葉は以前と比べるとかなり減ることとなる。



 まさに黒歴史だわ。

 この出来事はあまりにも情けなく、恥ずかしさでどこかに身を潜めたくなるほどのものなので、ローズが自分から話すことはない。

 奉公期間が長い者には知れているだろうが、乳母と入れ替わるように来たアンヌ達はきっと知らないはずだ。

 こんなこと、絶対に知られたくない。



 

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