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第56話 鏡越しの夫婦ゲンカ?

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「……は?」

 とても低い声がシュガルト国王から発せられた。

 カントローサ国の地下室内には不穏な空気が流れている。

 リヨンは壁際まで下がり、パニッシュを始めとする護衛達も気圧されているように見えた。

 ――ですから離縁してください、と申し上げました。

 鏡面の向こうでローズが静かに告げる。

「……アーロン王、すまないが急用ができた。失礼す――「待って下さい!! 一国の王が何考えてるんですか!? そんなほいほい国交を投げ出さないでください!!」

 下がっていたリヨンが命がけの形相で遮ったが、ぶわ、とベリルの髪が逆立つ。

「お前は自分の魂の半分が削られてもいいのか!!」

 かつてない覇気に地下室内にいた者達の間から、ひっ、と悲鳴が漏れた。

 ――説明させてください。
 
 鏡の向こうから男性の声がした。

 それが自国の筆頭魔術師のものだと分かった者は、ああやはりなにかあるのか、と幾分ほっとしたように肩の力を抜いた。



「なるほどな」

 事情を聞き終わったベリルだが、相変わらずその声には剣呑なものが含まれていた。

 死に近い番の運命を変えるには互いの記憶が交じり合う必要がある。
 
 だがその記憶にはあまり人に見せたくないものもあり、それを最愛にみられるなんてとんでもない、それなら先に離縁の道筋を作っておいてからにしたい、ということのようだった。

 ベリルが短命だということは現在シュガルト側の側近のほとんどが知っていたため、話してしまったがカントローサ国側は初耳である。

 アーロン王の側近達が目線で誰が勇気を持って詳しい事情を聞くか相談が交わされていたようだが、その結果が出るより先にアーロン王が疑問を呈した。

「今の話はどういうことでしょうか? その流れですとこの世界は幾多もある別世界のひとつ、という解釈になってしまいますが」

 しかも話の取りようではシュガルト国が世界の中心、とも取りかねない内容である。

 カントローサ国王は仮面舞踏会の一件とシュガルト前国王夫妻の一件があるため、丁寧な口調で問い掛けているようだが、内容によっては気分を害される恐れがある。

 そのことに気付いたリヨンが慌てたようにアーロン王へ向き直った。

「それはですね、国王陛下」

 なんとか穏便にすむ説明を、とリヨンが必死に頭の中を働かせながら説明を始める。

 あくまでもこの一件は一個人の事情によるものであり、世界の理を変えるような大それたものではないこと。

 番の事情も交えながら内心リヨンが汗だくなりながら説明している傍らでは、ベリルが鏡の向こうに苦言を呈していた。

「延命だと? 俺はそんなことは望んでいないが」 

 は、とシュガルト側の空気が固まる。

「確かに妻の傍に居られなくなるのはイヤだがな。それを妻の心を犠牲にしてまで生きながらえようとは思わん」

 きっぱりと言い切ったベリルに鏡の向こうで絶望したような声が上がった。
 
 ――そんな。

「そんなもなにもないだろう。お前が傷ついたりするなど耐えられんし、ましてやいない世界などなんの意味もない」

 ――私だってあなたのいない世界なんて考えられません!!

「だいたい他の世界の俺が不甲斐ないからといって俺まで短命だということもないだろう」
 
 ――楽観的すぎます!! 少しでもあなたを失う可能性がある、ということが嫌なんです!!

「まあ俺だってそんなことがあるかも知れないというなら、気分はよくないがそこまで気に病まなくてもいいだろう」

 ――それは本意ですか?

「……もちろんだ」

 ――嘘ですね。あまり考えたくありませんが、私に何かよくないことが起きると思ったらその可能性を消そうとしませんか? 私に黙って。しかもご自分を犠牲にすることも厭わず。

「首飾りは外してないよな?」

 ――そう聞かれるということはそういうことなんですね。

「仕方ないだろう!! 俺にとってお前は命そのものなのだから!!」

 ――私だってそうです!!

 怒鳴り合いになっているが内容は誰がどう聞いても告白しているとかしか思えないものばかりである。

 思いもかけず主たちの告白合戦を聞くはめになったリヨンが文字通り頭を抱えた。

「何をやってるんだか。あのおふたりは」

 今ならどんな苦い薬でも飲み干せそうである。

 そんなリヨンにアーロン王がどこか気まずそうに問い掛けた。

「ああいうのは貴国ではふつうなのかな?」

 いえ、そんなことはない、と答えかけたリヨンの言葉が止まった。

 そう言えば自分達はどうだった?

 あまり考えたくないが、番になった頃は自分も余裕がなく、少々みっともないところを見せてしまったような気がする。

「……ソウデスネ」

「目が死んでいるが大丈夫か?」

 その後、不毛とも言うべき告白合戦に終止符を打ったのは少し意外な人物だった。

 シュガルト国側の鏡の方が騒がしくなったと思った瞬間、女性の声がしたのだ。

 ――ここにいたのか。探したぞ。

 はきはきとした口調は貴婦人というよりは歴戦の戦士を思わせる。

 ――な、どうしてここが。
 
 うろたえたように答えたのは先ほど説明役を買ってくれた筆頭魔術師だった。

 ――どうしてとはこれはまた意外なことを言うな。番のことはすぐに分かる。ましてや私たちは記憶まで共有しているのだから。

 ――うわあああ!! やめてください!!
 
 女性の腕の中でしたばたともがいている姿は先ほどまで理路整然と説明していた人物と同じとは思えなかった。

 ――別にいいと思うが。成長したら髪の色が変わると思っていたくらいなんともないぞ。

 ――ぎゃあああ!!

 ――ああそれとも子供の頃に女の子の服を着せられていたことか? 私は気にしないが。あの頃のギルは――

 ――止めてください!!
 
 これはいったいどういうことだ? と疑問符が浮かんでいるカントローサ国側の人達にパニッシュがざっくりと説明した。

「恐らく現在国王夫妻が揉めている方法を試した後なんでしょう」

 どこか諦観を含んだようすから、このふたりのじゃれ合いもいつものことなのだろう。

 そのふたりを興味深げに見ていたベリルが、ふむ、とうなずく。

「ローズ。おまえが言いたいのは記憶が混ざると人には見られたくないものまで俺に見えてしまうから、先に離縁しておきたい、とこういうことだろう?」

 ――はい。

「それなら離縁は却下だ。俺はどんなお前でも受け入れると決めている」

 ――記憶を見ていないのでしたらいくらでも言えるでしょう。

「そんなことはないんだがな。ここはひとまず帰国した方がよさそうだ。アーロン王申し訳ないが貴国とのこの先の交渉はこのリヨンに一任する」

「は?」

 呆気に取られるリヨンをよそにベリルは地下室の出口へ向かった。

「ちょ、ちょっと待ってください!! 外交問題になりますよ!!」

 リヨンが慌てたように叫び、自国の王を追いかけるがそこへアーロン王が声をかけた。

「そういうわけでしたらシュガルト王、もうひとつの魔道具を見たくありませんか?」

「どういう意味だ?」

 振り返ったベリルにたいしたことでもないようにアーロン王が告げた。

「手紙ではなく、人を転移できる魔法陣があると報告を受けています。しかもその先は貴国の王城です」


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