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三章 虹架かる国の記憶
二十四
しおりを挟む死者を甦らせる薬を作れ。それが虹華帝国随一の医師で科学者、青桐雷に課された命題だった。道理を引っ込めるためには無理を通さねばならなかった。死んだ命を取り返すのに必要な代償は計り知れなかった。研究室の奥に隠した空間では門外不出の実験が度々行われた。そこでは死んだ命を甦らせるどころか、生きた命が終わるばかりだった。
この研究の副産物――小型の穢魂を無害化して利用できるように改造したものが天書鳩だ。真っ白いこけしのようなボディに、白い鳩のような翼があって飛ぶ。伝書鳩をもじって雷が名付けた。天という字は、そこに使われた命へのせめてもの慰みだった。
隠し扉で封じられた部屋の中には、あらゆる数々の命の残骸が眠っていた。生ぬるい薬液の中でそれらが膨らませたのは人間に対する憎悪。
まずはこの部屋の主、青桐雷を殺す。そして、雷にこの仕事を命じた皇帝を殺す。代々続けているから、一族を根絶やしにしよう。狭い瓶の中、うまれた怪物は薬液に抱かれながらそう決めた。
乗っ取った皇太弟は、皇帝を守るために軍人らによって殺された。皇帝はこの手で殺した。それと、皇帝には隠し子がいるとどこかで聞いた。頭の中に急に入ってくる情報は確かなのかどうかもわからない。ただ〝知っている感覚〟が怪物の体を突き動かした。迷いなく離宮に辿り着いて、確信する。ここにいる、と。
怪物は瀬々の左腕を丸ごと頬張る。それを食いちぎったあと、髪一本残さず食べてしまおうと思った。瀬々は怪物の口内で、左手に持った拳銃の引き金を引いた。魔脚に強化された弾は喉の中から、自らの左腕ごと頭を弾き飛ばした。それでも動く怪物から逃げるため、瀬々は残った右腕で鞍寅にしがみつき、脚で蹴って走らせる。手綱を操る余裕はなかった。それでも鞍寅は瀬々に応えて走った。
追ってこようとするなら狙いはわたしだ、と確信した瀬々は椿のことを置いて構わず逃げようとした。それを椿が追い、怪物が追う。
穢魂の本能だろうか。一瞬、怪物の興味が瀬々よりも椿に向いた。投げた瓦礫が椿の乗っていた六白の腹を貫いた時だった。椿の目から溢れた涙の分、心に巨大な隙間が生まれたのに、吸い込まれるように向かっていく。その隙に瀬々を取り逃すことさえその時はどうでも良くなった。穢魂にとって、人間の心の隙間ほど心地よい揺籠はない。その全てを食い潰すまで、弱った心に居座りたい。それに、この皇太弟の体はさすがにもう使い物にならない。
椿が目を覚ましたのはそれからどれだけ時間が経った時かわからない。目を覚ましたということは気を失っていたのか? と本人が不思議がっていた。
死んだはずの六白も、すこし様子が違うが目を覚ましたようだ――その中身は穢魂にかわって。
それを見た椿は、自分ももしや死んだのか? と自身の身体を見たり触ったりして様子を確かめた。特に変わった気はしない。あの状況だったのになぜか大した怪我もしていない。
ただ、頭の中にいつのまにやら知らないことが入りこんでいる感じがした。それについて深く考えようとすればするほど頭が痛くなる。不自然な記憶に脳内をかき乱される。
怪物はどこでうまれ、何をしようとして、いまはどこにいるのか。問えば脳内から返事が来る。椿は強く波打って痛む頭を抱えながら、軍基地へ向かった。見たこと起こったことは報告しなければ。それから……
それから瀬々は鞍寅とふたりきり、これからどうするか考えた。保護されて病院に運ばれて、失った腕の手当ては一通り済んだ。どうやら命は助かったらしいから、この先を生きていくのに必要なものをどう手に入れるか。
その後一度、おそるおそる朱桜離宮に戻った時には、既に離宮は燃えて荒れ果ててしまっていた。自分の身のことばかりに集中していて気が付かなかったが、怪物は暴れて建物にも相当なダメージを与えていたようだ。
帰る家もなにもかもなくなった。やっと手にした自由はこんなにも心許ない。かといって瀬々はそれに傷心するほど繊細な少女ではもうない。とりあえずは、橙城の街に留まって考えよう、と瀬々は右手で鞍寅の手綱を優しく引いて歩いた。歩きながら、瀬々は街ゆく人々の会話の全てに耳を澄ませた。情報を集めているのだ。先日の事件で死んだ研究員は名医でもあるらしかったこと、その医院が橙城の中心部にあること……。
土産物屋の前を通ると人の大きさと同じくらいの絡繰人形が店頭で踊らされていた。瀬々は思わずその腕を見た。全体の動きは奇妙さがあるものの、造形は精巧に見えた。
店内には大小様々の絡繰人形が並ぶ。瀬々は戦いに備えて離宮から逃げられるように準備していた時、なんとなく鞄に詰めた人形のことを思い出して、絡繰人形たちを思わず眺めてしまった。店主に声をかけられ、たまたま居合わせた人形の製作者と、自分でもその真偽がよくわからない絡繰人形が好きだという話をした。椿もそばにいてくれない状況でよその人と初めて話すのは緊張する、と瀬々は思った。しかし、人形師はその陰湿な雰囲気と裏腹に、瀬々の一方的とも言える地に足のつかない話を、なんでも受け止めて聞いた。瀬々は、自分のコミュニケーションが不得手なことを許されている気がした。そして、口数は少ないのに不思議に話しやすい人だと勝手ながら思った。
瀬々は青桐医院のドアをノックした。程なくして開いだドアの向こうには女の子。十代前半くらいか、瀬々は自分より年下の子供だと思った。目が腫れているが、患者ではないのだろう。
「父なら席を外してますが」
ツンとした態度の少女が言うのに、瀬々は構わずに話を続けた。
「先日の騒ぎで失った腕のかわりを作って欲しいのです。形だけのものより、できれば戦える腕がいい。これは社会貢献的な意味でなく、わたしの個人的な興味にすぎない話ですが、もう一度あの怪物に会いたい。そして会うからには次は……」
瀬々は腕のない左袖を右手でひらひらと遊ばせて見せた。少女、鱗は瀬々の隻腕を知る。すこし考えた。父の研究は多岐にわたる。地下の書斎に何か残っていれば、少しでも力になれないか? それに、この人は再度怪物に、戦える腕を持って会いに行こうとしている――それは父の仇を取ることにも繋がる。
「いい返事ができるかはわからないけど……」
鱗は時間をくれと頼んだ。瀬々は了承した。
その後ほどなくして、「実用化にはまだ遠いんだ」と父、雷が言っていた義手の設計図があったのを思い出して、鱗は地下室を漁った。資料に目を通すと、実験段階で義手の製作を任せていた人形師の名も書いてあった。鱗はその人形師を探した。もう数年前に亡くなっていて、ほんの最近孫が工房を継いだという情報に辿り着く。さらに、その孫の名は、どこかで聞いたよく知った名前だった。
鱗は墨波地区へ向かい、その人形師の工房を訪ねた。見つけた資料を押し付けて、義手製作を頼めないか打診した。父を喪って、母もおかしくなった。鱗は家でそのことばかり考えているのに疲れてしまっていたせいか、変に必死に義手の件を訴えた。
食い下がらない鱗に、人形師――軍を退いた楸は軽くため息をついて、
「時間はもらうよ。そんで、本当にできるかも確約できない。善処はするが……」
と宥めた。鱗の顔中の力みが解けた。
「本人とも打ち合わせが必要だなぁ……当然、その義手を求めている人とは連絡つくんだよな? 今度連れてきて……ついでに、茶菓子か汁粉くらいしかないけど、お嬢も遊びに来るつもりでさぁ」
自分が赴いたっていいのだが、鱗の気分転換を兼ねるならば来てもらうのもありだろうと考えて、楸はそう言った。
数ヶ月後、希望に沿った戦える義手を手に入れた瀬々は、その代金の支払いと生計を立てていくため、仕事を探した。鞍寅に乗って旅をしながら、鱗の薬を売り歩くのが始まりで、徐々に他のものも扱うようになった。遺跡を巡るのが好きだと気づいたので、遺跡発掘の許可も取得して、それも生業とした。
旅をしていれば、どこかで行方不明になった椿を発見できるかもしれない。それに変に屋敷に閉じ込められているより、こうして市井に紛れていたほうが余程、出自を隠すには丁度いい。
時が経てばいつか本当に何者かわからなくなる日が来るかもしれないから、自分が何者なのかは自分で決めよう。そう瀬々は決意を新たにした。
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