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二章 夢見鳥
十二
しおりを挟む名もなき怪物が胡兵の中から消え去って数ヶ月後。胡兵が橙城に来て迎える、二回目の冬。初雪が降った翌日、夜が明けて次にやって来たのは、何とも爽やかな朝とは言い難い景色だった。
「あれって穢魂? すごい群れだなぁ」
「空の色もおかしくない?」
「気持ち悪~」
それまでと違い、昼間から活動を開始している穢魂に橙城市民らは絶えず、不安を口にしている。
昼間なのに空の色は夕焼けを焦がしたような濃い赤で、雲間に踊って見える穢魂の群れの影は、人間にとっては実に気味が悪い。大昔の妖怪絵巻の、百鬼夜行とはこんなだったのかな、などと人々は奇妙さ物珍しさと恐怖の間でさまざまな感想を抱いた。
「例の州境の結界、破れたらしいよ。虹華軍も動き出してるみたい」
「艮州以外でも穢魂被害が出たってほんと?」
市民らの会話に耳をそば立てながら、鱗と胡兵は夜でもないのに街をパトロールしていた。穢魂が活動している以上は、退魔師は昼間でも動かねばならない。
「恐怖心や不安感で人々の心の隙間が増えたら、被害は増大するだろうね。あたしたちの弱点は、恐怖や不安のやり場がないことだと思うの」
そう語る鱗の眼差しは、意志の強さか気の強さなのか、こういう話をする時は特に目が合うと凍りつくのではないかというほど冷たいと、胡兵はそんな気味がしていた。この前あんなことがあったばかりなのに、立ち直るのが早いと言うか、落ち込む期間が短いと言うか。鱗は構わず、話を続ける。
「その昔、虹華帝国ができる前……かつてこの土地にあった国は、いや、その他全ての文明含め、最低一度は滅びている。未曾有の危機に、神仏が人類を救わなかったことをあたしたちは知っている。信じ縋る先を失ったあたし達は、強大な脅威の前に絶望するしかないの」
当然、学のない胡兵に歴史の話はわからない。その鱗の発言のほとんどが右耳を通って左耳の外へとまっすぐ突き抜けて出て行った。胡兵は口を尖らせながら、地面の枯葉をかき分けて、直径四、五センチほどで長さ十センチ弱くらいの木の枝を選んで拾った。
「知らん知らんダルい話は何もわからん! 眼球裏痒くなる! カミサマホトケサマも無かったら作ればよくねーか。木端削って顔描いたら完成! そんでいい事あったらそこからこの木端が神だ。チョロいぜ!」
鱗はここまで会話が成り立たない相手と話したことがなかった。しかし不思議と、それが嫌だとは思わなかった。
「あーあたしもだんだん眼球裏痒くなってきたなぁ。木端彫るかー!」
鱗は悪ノリして、地面から手頃な木の枝を拾って、持ち帰るために懐にしまった。
――後でその木彫りのカミサマとやらを作ろう。大昔の人はきっと、そういうものをお守りって呼んでいたんだ。
上空は穢魂、市中は人々で落ち着かない、不穏な橙城の街中を練り歩く二人。今のところ、穢魂による騒ぎは起こっていないようだが、見かけ次第穢魂を退治しながら進む。雑談をしながらパトロールを続ける。
「木を彫ってそれを神様にするのもいいけどさぁ……アンタが新世界の神になるってのはどう?」
「はー⁉︎ 頭おかしくなったかついに……」
胡兵は思わず吹き出しながら答えた。
「冗談冗談。穢魂が急増していよいよ退魔師の数が足りない。アンタも本腰入れて頑張りなよね!」
退魔師が昼夜問わず駆り出されるようになれば余計、人材不足に拍車がかかるだろうことは、胡兵にも想像がついた。この国にどれだけの退魔師がいるのかは知らないが。
「結界破れたらしくて、だから艮州外にも派遣されるかもね。そもそも……錆刀の結界が張られていたこと自体謎なんだけどね」
「そうそう瀬々さんも意図がわからんって言ってたな」
「誰の仕業かわかんないし、虹華帝国って、それだけじゃなくて。ほら見て。警吏、ほとんど仕事してないのに治安そこまで悪いわけでもないでしょ」
街角の詰所で、だらしなく座りチェスだの将棋だので遊んでいる警吏たちを指して言う鱗。そもそも胡兵を迷子としながら彼らに届けなかったのも、ろくに動いてくれはしないことを鱗だけでなく橙城市民は皆、知っていたからである。
「……わかった! 影の仕事人が夜な夜な粛清してんだ!!」
――胡兵って、年下なんだろうけど、そこまで遠く離れてるとは思えないのに……すっごい子供っぽいこと言うんだよなぁ。
鱗は苦笑いした。
「街中の見回りはそろそろ別の担当が代わるって。あたしたちは……次は、北側郊外へ向かえと」
鱗はどこかから飛んできた式神、天書鳩が運んできた手紙を読んで、その内容を胡兵にも伝えた。
了解、と胡兵は鱗に続いて走り出した。
同時刻、橙城から墨波へ向かう道を歩く二人組のうち一人が大きなくしゃみをした。坊主頭で、年齢は三十代前半くらいの大柄な男。もう一人はそれより少し若く、華奢な体型でで身なりだけは女のような格好をしている。が、荒々しい喧嘩腰の口調で坊主頭を煽った。
「なんだテメェ、体調管理も仕事のうちだぜ?」
高い位置で結った金色の長い巻き髪の毛先を指で摘んでいじくりながら歩く女装男。
「それは抜かりない。それに、体調管理の説教なら閣下にすべきだろう。結界が破られるなどあってはならない……もっとも、ただの怠慢なら説教で済むが、暗殺とかじゃないといいな」
鼻を啜りながら、坊主頭の男は神妙に答えた。
「ハッ、縁起でもねえこと言うなやクソが」
「それを確認しに参るのだ。溜め込んだ大量の書類に判を捺してもらわにゃならんし……」
女装の男が肩にかけている荷物に目を遣りながら、坊主頭は答えた。そして目線を前に戻すと、少し先に物騒な物影が見えた。
鱗と胡兵は艮州と坎州の境のあたりまで来ていた。辺りに人気はなく、空の色の気色の悪さは橙城から見たものと変わらない。派手すぎる暖色の空に似合わぬ初冬の肌寒さがなんとも心地悪い。舗装されていない砂利道を歩くと、絶え間なくガチャガチャと石が擦れ合う音が耳に刺さる。その中に、地面の石ではない音が混ざった。二人は音の方を見る。道の両サイドの茂みの向こうに、その辺に居そうな動物より大きな黒い影と、電子的な赤い光が数点。
「……なにこれ、穢魂とは、また違いそうな……」
穢魂と違うなら退魔師の管轄じゃないかもしれない。鱗は対応に迷った。まだこちらに気づいていなさそうだと、鱗は胡兵とともに息を殺して様子を伺う。
その少し離れた場所から、坊主頭と女装男は同じものを見ていた。
「おい、抹香……」
女装男は坊主頭にそう呼びかけ、判断を仰ごうとした。未知のものを見る、緊張に身開いた目。
「まったくなんだと言うんだこんなときに……蚕蛾、お前は先に墨波へ向かえ。拙者はこの怪物の動向を追う」
「……りょーかい」
蚕蛾と呼ばれた女装男は小さく頷くと、金髪を翻し、走って先を急いだ。現場に残った坊主頭・抹香は、やれやれとため息をつき、
「む、どうやら子供が近くにいるな、援軍を呼んで一帯に規制をかけるか。して、それまで一仕事……」
と、懐から紙切れを出すと空に飛ばす。その紙切れは式神の郵便屋、天書鳩となって橙城方面へ飛んで行った。そして抹香はその場で大柄の体躯をのそりと反らせて伸ばし、胡兵ら二人の近くへ寄る。
胡兵と鱗の目前に、フシュー、フシュー、と空気を漏らすような息遣いをした化獣が、フラフラと彷徨い歩く。
「む、君たちは退魔師かね」
抹香は胡兵に声をかけた。
「うわ……、お、おっちゃんは?」
胡兵はつい驚いて大声を出してしまいそうになったのを必死に引っ込め、聞き返す。強くて味方ならこの際、なんでもいいと思った。
「拙者はコードネーム『抹香』と申す者。詳しくは言えんが、ええと……手広く慈善事業をしている」
全てにおいてあやふやな回答をする坊主頭は、子供の目には少々厳つい見た目をしていて、警戒心を煽った。
――これは多分慈善事業なんかじゃないやつだ。
額に一筋汗が流れて行ったのを感じた胡兵。鱗も同じようなことを考えているのか、困ったようななんとも言えない顔で坊主頭を見ている。
そうこう話しているうちに、謎の化獣は三人の気配に気付いて、向かってくる。
鎧でも付けているかのような、騒がしい足音を立てながら近付いてくる化獣。その姿を間近で見ると、確かに今までにみた穢魂と違い、生物の死骸の集合体故の特有の生々しさを感じない。鉄色の板や棒を組み合わせて作った機械みたいだ、と三人は共通の感想を抱いた。
その組み合わせた板のような体の隙間から覗く小さな点状の赤い光が、一層その明るさを強めたと思うと、化獣は胡兵を狙って襲いかかってきた。ヒグマの三倍くらいはありそうな大きさ。四足歩行の体は、豚を彷彿とさせるずんぐりむっくりなシルエットだが、顔に当たる部位が無いように見える。背中にはこれまた鉄のような素材感の二対の翼が生えていて、化獣はそのひとつを上方にしならすように振り上げて、胡兵に叩きつけようとした。
抹香は胡兵を自分の後ろに引き退がらせて、素手で化獣の翼を受け止めて見せた。
「なにはともあれ、慈善事業の一環として助太刀致す!」
その筋肉自慢の腕に思い切り力を込め、抹香は掴んだ化獣の翼を捻るように引き倒す。化獣はバランスを崩されよろけ、一時少し後ろに逃げるような動きをした。
「油断なされるな、拙者……本来軍人ゆえ、対人戦は得意でも化け物は専門外、退魔師諸君にはかなわぬ。魔脚とやらも使えん」
この間、鱗は化獣の外見、動きやその他気配から、正体や傾向を探ろうと観察していた。外見は機械のように見えても、ロボットではなく生き物らしい。鱗は『壊死』の他に、魔脚を使って、生物相手であれば不鮮明ながら多少の透視のようなことができる。
「大体奴のバイタルは把握した。図体デカいから心臓を狙おう。見たところ多分内臓は一個体分しかなさそうだし、動きから推定した骨格的に肋のスキマは……」
「あ~眼球裏痒い。骨とか折っちゃえばいいだろ! ぶっ飛ばすぞこの羽の生えた豚ァ!!」
鱗の分析を面倒くさがって遮り、胡兵は周辺から精を呼び集めた。幸いにも、化獣の表面を覆う金属板が胡兵に味方する。親指をくいと立てると、精は魔脚となり、倒れた大きな丸太が一つ浮かび上がり、そしてそれは胡兵の手に合わせて化け物に向かってハンマーのように動いた。
「神の見えざる手‼︎」
修行中のある日、鱗に頼んで適当に決めさせた呪文を唱える胡兵。それと同時に丸太が化け物の背中を強く打ちつける。丸太側も強い衝撃で繊維に沿って細かく裂け、次は使えなさそうになくなったが、化獣の身体を覆う硬そうな素材は背中から割れて、そこからパラパラ剥がれ落ちていった。
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