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初めての会話

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 ジルフォードに連れて来られたのは、彼の執務室だった。
(あぁやっぱりお叱りか……)
 執務室に一介の騎士が呼び出される。そんなのお叱り以外、あるはずがない。
 落胆に肩を落としそうになるが、毅然とした態度で手を後ろに組み、執務机に腰かけた王太子を見つめた。
「お前は、本当にアレクセイと仲が良いんだな」
「――………は?」
 たっぷりと間を開けて、ガーネットは困惑気な顔をしてしまった。
 騎士長を示す白い制服が、彼の逞しい筋肉を膨張させて見え、こうして対峙していると威圧感が凄い。
 なのに、今の彼はどこか小さく見えた。
「えぇ……、幼少期にアレクセイ殿下の遊び相手を勤めさせて頂いており、今でも友好は深めておりますが……」
 それに何か問題があるのだろうか。
 リーゼリック王国とリュクスメディア王国は、今は同盟国同士だ。戦力のリーゼリック、豊穣のリュクスメディアと呼ばれ、戦力は劣るものの、リュクスメディアは豊かな土地を有している。
(確かに、現王同士はあまり仲が宜しくないようだけど……)
 だがそれも、子供同士の諍いくらいの仲の悪さであって、政治的にどうこう、という話ではなかったはずである。
(まさか軽口を叩かれたのを叱責される……?)
 当人同士が仲が良いとはいえ、隣国の王子と子爵令嬢では身分差がありすぎる。
 しかも没落寸前の子爵家の、妾腹の娘であるガーネットが、おいそれと隣国の王子と談笑をするべきではないのだ。
 ここは早々に自分の非を認め、お咎めを少しでも少なくしようと、ガーネットはバッと頭を下げた。
「申し訳ございません。リュクスメディア王国の品格を損なった行いをし、申し開きの言葉もありません」
 きっと、「騎士としての自覚を持て!」とか、「それでもこの国の剣になると誓った騎士のやることか!」という叱責が飛ぶはずだ。そして減俸か謹慎かを言い渡される。
 だが、いつまで経ってもその言葉が叩きつけられることはなく、執務室は沈黙に包まれる。だんまりを決め込む王太子に、徐々に不安になっていく。
 やはり対抗戦の話だったのだろうか。ツツ、と冷や汗が背中を滑り落ちる。違うなら違うと指摘してほしい。ちらりと目線を上に上げようとしたとき、思っていたより近くに、白い制服が見えた。
「顔を上げろ」
 命じられ、恐る恐る顔を上げる。
 ジルフォードは、手を伸ばせば届く距離に立っている。
 いつの間に、と思ってから、そんなことはどうでも良いとキリッと顔を引き締め、背筋をピンと伸ばした。
「あいつに、何を言われた」
「――ただの世間話です。騎士長殿のお耳に入れることは何も」
「何を、と俺は聞いている」
 言わないと、この場から辞すことは許されないのだろう。
 騎士がどこでどんな情報を仕入れたのか、それをまとめるのも騎士長の仕事なのだろう。
 その相手が隣国の王子ともなれば、些細な情報も耳に入れておきたいのかもしれない。
 そう思い直し、ガーネットは引き結んだ唇を開いた。
「私的なことですが、宜しいでしょうか」
「許す」
「――少し、落ち込むことがありまして、情けないことに、アレクセイ殿下よりお慰めの言葉を頂戴しました」
「慰め……?」
「優しいお方ですので」
 一瞬、ジルフォードの眼光が鋭くなる。
 怒っているようにも見えるし、何か探りを入れられているようにも思える。
「それで? あれになんと言われた」
「…………」
 さすがに、上司でもありこの国の王太子に言っても良いモノだろうか。
 転職の際、まだ心が決まっていないのにそれを上司や周りに伝えるのはナンセンスだ。
 引き抜きされました、と素直に言えば、何かしら問題になる。
 騎士がひとり抜けるくらいどうということはないだろうが、今後のためにも隠しておきたい。
「なんだ。愛でも囁かれたか」
 黙っていたことをどう取ったのか、耳を疑うような言葉が返ってくる。
「まさか」
 自分たちはそう言う関係ではないし、アレクセイは既に可愛らしいお妃様を娶っている。夫婦仲も円満だと聞くし、彼は愛妾を持つほど多情でもない。
確かにアレクセイは「私の可愛いガーネット」とよく口にするが、それは兄が妹を溺愛しているようなものであって、色っぽい意味は微塵もないのだ。
 それに、とガーネットは心の中で呟く。
「私のような女に心寄せる方がいるように思っておられますか?」
 少々自嘲気味になってしまったが、仕方がない。
 没落寸前の子爵家の、妾腹の娘で、男より剣の腕が立ち、令嬢としての嗜みなどほとんど身についていないのだ。
 そんな女、誰が貰ってくれるというのだろう。
 しかもこの、老人のような銀髪に、真っ赤な瞳。
 アレクセイや数少ない友人たちは珍しいし美しいと、そう賛美してくれるが、普通はそうではない。
 ガーネットの姿をみれば、皆、気味が悪いと口にする。
 まるで蛇のようだと。
 これを理由に、実家では散々な目にあった。
 父も、継母も、腹違いの兄弟たちや、使用人。そのすべてから、ガーネットは疎まれ、迫害を受けてきた。
 あの日の怒りが、呼び起される。
『絶対、見返してやる……!』
 幼い少女の小さな心に沸いた復讐心。
 それを抱いて、今まで生きてきたのだ。
「仮にアレクセイ殿下から愛を囁いて頂いたとしても、それを本気に取るほど愚かではありません」
 あ~はいはい、と聞き流せる。
 それに、隠したりなんかしない。
 そう強く主張すると、ジルフォードが一瞬、目を見開いた。だがすぐに眇められ、鋭い眼光に射抜かれる。
「……そうか」
「はい」
 凛とした姿勢で返事を返す。そしてまた、同じ問いを向けられた。
「で、何と言われた」
「…………」
「俺には言えないことを言われたか」
「……今は」
「――命令だ。言え」
 これに従わなければ、謀反の容疑を掛けられるかもしれない。
 だからガーネットは、言葉を選んだ。
「……リーゼリックへ帰ってきてはどうか、と」
「帰る?」
 そのギラつく瞳は、お前はこの国の民だろう、と言っている。
「私は幼少期、リーゼリックへ奉公に行っておりました。私にとっては、第二の故郷です」
 ご存じでしょう、という言葉は呑み込む。
 一介の騎士がどう育ったのか、一々覚えているわけがない。言われて思い出す、その程度の情報だからだ。
 ジルフォードは、また押し黙り、しばらくしてから口を開いた。
「その第二の故郷に帰りたいと思うようなことがあったか」
 何故、こんなに突っ込んだことを聞いてくるのだろう。
 曖昧な返事をしたら、今度こそ叱責され、謀反の容疑で制服を取り上げられるかもしれない。
 騎士でなくなれば、あの家に帰らないといけない。
 帰ったところで、受け入れられることはないだろうが。
「――息抜き程度に帰りたい、とは思います」
 これは本心だった。
 久しぶりに幼馴染たちにも会いたいし、手合わせをしてもらいたい。
 長い休みが取れれば、またあの広い草原を馬で駆け回りたい。特産が特にはない土地だけ広い国だが、その分、武器や鎧はどの国にも劣らない強度や性能を誇っている。それを見て回りたいな、と一瞬、思考が第二の故郷へと飛んだ。
「それをすぐ言わなかったのはなぜだ」
「――いえ、言えば、休暇をせがむようになりますので、言いづらく……」
 騎士団は基本的に希望休通りに休みが取れるが、長い休みとなると何かしら祝い事があるとか、家族に不幸があったとか、そういうことでしか許されない。
傷心旅行のための休暇を希望する、なんて騎士としてみっともないとガーネットは考えていた。
「――休暇が欲しいか」
「いえ、必要ありません」
休暇を取れば、その分給料も減ってしまう。
 実家からの支援が見込めないガーネットには、生活費がどうしても必要だ。騎士団の一介の騎士の給料なんて多いはずもなく、給料日前は食事を我慢することも度々あるほどの薄給だ。
(そういう面でも、アレクセイ殿下の元で騎士になれば、お給料も上がるのかしら)
 数日水だけで過ごす、というのは、出来れば避けたい。浪費しているつもりはないが、騎士の装備品は自前だ。剣を新しく買い替えれば、それなりの出費になる。
 制服は支給制だが、そういえばブーツの裏に穴が開き始めていたな、とどうでも良いことを思い出してしまった。
(今月も、しばらくは水だけの生活か……)
 はぁ、と溜息を吐きそうになり、今は騎士長の前にいたことを思い出し、溜息を呑み込んだ。
「わかった。下がれ」
 やっと解放される、と一瞬体の力を抜き、頭を下げ、ガーネットはその足で、靴屋へと足を向けたのだった。
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