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職場での甘い時間
しおりを挟む気持ちが通じた後でも、ガーネットは騎士服を身に纏えばいつも通りに振る舞っている。
「騎士長殿。ご報告が」
ジルフォードの部屋に訪れたガーネットは、手に数枚の書類を持っている。
「なんだ?」
「エリス殿より、これを」
昨日張り込みをしていたエリスから、書類を預かっていた。これは内密な任務なので、普段騎士長に接触しないエリスたちの報告は、ガーネットが代行していた。
別段、騎士が騎士長の部屋を訪れることなどなんら問題ないのだが、これはジルフォードが少しでもガーネットと同じ空間にいたいがための我儘だった。
もちろん、ガーネットはそんなこと、知る由もない。
「かなり収穫がありました」
書類を手渡しながら、ガーネットはそう口にする。そこには、エリスたちが得た、王女誘拐の日時が印されていた。
「どうやってこの情報を得たと? 信憑性は」
「今回、エリス殿とオールウェン殿は彼等のアジトを突き止めたそうです。そこでの会話だと、聞き及んでおります」
「――なるほど」
ここのところ動きが激しくなってきたのは分かっている。そのため、自己判断で深追いしたのか、とジルフォードは目を眇めた。情報は有難いが、追うな、とも命じている。騎士とはいえ貴重な人材だ。何かあってからでは遅い。そんな部下の処分をどうしようかと考える。
「あくまで後追いはしていないとも。偶然の成り行きだったとも聞いています」
「――偶然?」
「あの店で知り合った者たちと、二件目に行ったときにローブを纏う人物が廃墟に入っているのを見たそうです」
オールウェンは無口で何を考えているかわからない男だが、無類の酒好きだ。任務が終わったら寄り道してはいけない、と厳重に決まってはいないため、彼等は二件目へと足を運んだのだろう。
「そうか」
ふぅ、と息を吐き、執務椅子の背もたれへと身体を預ける。
「この日時、この王宮での夜会が開かれる日だな」
「はい」
わずかにガーネットが顎を引く。
今の彼女は、本当にベッドの中で乱れる彼女と同一人物なのか、と疑うくらい、完璧な騎士だ。
昨晩も彼女を抱いている。
以前より可愛くおねだりをするようになったガーネットの変化が日を増すごとに愛おしくてたまらず、一日も置かずに寝所へと連れ込んでいた。
「ステラ様の護衛に通常通り私が就くにしろ、警備は如何致しましょう」
「――あまり、派手には動けないからな」
今回の件は第四騎士団の団長が絡んでいる。いつも以上に警備を厳重にすれば、すぐに気づかれてしまうだろう。せっかく見せた尻尾だ。逃してはならない。
「その日は、俺もステラと共にいよう」
「――不自然では?」
「ステラに何か我儘を言わせればいい。いつものことだろう」
「…………」
ガーネットは一瞬黙り込み、そして頷いた。ステラの我儘は王宮内では、朝の挨拶の如く日常的なことであり、いきなり何かを始めるのも特に珍しくはない。ガーネットも彼女の思い付きと我儘で、ドレスを着せられたのだ。前科があるのだから、もう一度似たようなことが起こっても、不自然ではないだろう。
「畏まりました」
ガーネットは一度礼を取り、踵を返す。
そのまま退室しようとした彼女を、ジルフォードは引き留めた。
「待て」
「はい」
その場でガーネットが立ち止まり、こちらを振り返る。その仕草はとても優雅で、まるで踊っているようだ。
だがすぐに、その騎士の顔が崩れる。
気配を悟られないよう、ジルフォードが真後ろに立っていたからである。
「仕事に忙殺されて疲れ果てている恋人に、キスもひとつもなしか?」
「…………任務中、です」
「任務中に抱いたこともあっただろ」
「……………」
すぐにガーネットの頬がカッと紅潮していく。もう何度も抱いているのに、ガーネットはたったこれだけですぐに顔を赤らめる。
もっとすごいことだってしている仲なのだが、騎士の制服をまとっている彼女は、初心な姿をいまだに見せるから、ついこうして揶揄ってしまうのを辞められない。
「き、騎士長殿は、私を揶揄いすぎです」
揶揄われている自覚はあるのか、とジルフォードはこっそり唇の端を吊り上げた。
制服を脱げば、彼女はその唇でジルフォードの名を呼ぶが、それ以外は「騎士長殿」や「ジルフォード殿下」と呼び続けている。
二人の関係を隠しているつもりはないのだが、彼女がそうしたいというのだから、そのままにしていた。
「可愛がっている、と訂正しておく」
「同じことです」
「いや違う。お前は変な解釈をすることがあるからな」
「ちゃんと訂正しておかないと、後で痛い目を見るのは俺だ」
寝台の上で充分に喘がせ蕩けさせてから、今までジルフォードのことをどう見ていたのか、既に白状させていた。
それを聞いたジルフォードは、もう卒倒しそうだった。
なんでそうなる? と頭を抱えたくもなったのを、昨日のことのように思い出した。
「なんなら、皆の前で、俺のことを呼び捨てにしても構わないんだぞ」
「――謹んで遠慮させていただきます」
「何故だ? あの男にも、俺の婚約者になることを認めさせただろう」
善は急げという。ガーネットの気が変わらないうちに、ジルフォードは父王へ彼女との婚約を認めるように詰め寄ったのだ。
許しを得た――ではない。本当に詰め寄り、半ば脅しに誓い形で認めさせたのである。
『ガーネットとの結婚を認めなければ、世継ぎは諦めてもらう。この婚姻を認めないというのであれば、俺は王位継承権を放棄しこの国を出て行く』
そうなると必然的に王位継承権はステラのものとなる
だがステラに女王の任は荷が勝ちすぎているし、本人にもその気が全くない。
それは本人も主張しており、父王が案の定、この結婚を認めない、と口にすることを想定し、ジルフォードはステラも連れ、あらかじめ口裏を合わせていた。
『お父さまがガーネットを私のお義姉さまとして認めてくれないなら、私もお兄さまたちに着いて行くわ! お父様なんてもう知らない! 大っっっ嫌い!』
これが良かったのだろう。
ふたりの子供たちにそこまで言われれば、国王は認めざるを得なかったのだ。
特に父王は、ステラにめっぽう弱い。
愛してやまなかった亡き妻に瓜二つだから、ということもあるのだろう。愛しい妻の忘れ形見であるステラにそんなことを言われれば、何も言えなくなるのを見越し、ジルフォードは逸早くステラにガーネットと本当に結婚する旨を打ち明けていた。
だが、まだ一般には公表はしていなかった。
ガーネットがそれを拒んだからだ。
それをするならば、兄のように慕っているアレクセイたちに先に伝えたい、という理由で。
いつもであれば神出鬼没でほぼ毎日のように王宮に訪れていたアレクセイだが、今は何か仕事があるようで、リーゼリックにもいないのだという。
そしてそのかつての遊び相手――とガーネットが今でも信じている臣下三人も、不在だった。
(なんでこんなときばかりあの男はいないんだ……)
普段は、来るな、と言ってもガーネットに会いに来る男だ。
本当にタイミングが悪いこと、この上なかった。
「まだ――その、恥ずかしい……ので」
「もっと恥ずかしいことを寝所でしているのにか?」
「っ……!」
昨晩のことを思い出したのだろう。
制服から出ている彼女の肌という肌が、真っ赤に染まっていった。
「そ、そんなことをいう殿下は嫌いです!」
まるでステラのようなことを言うガーネットが、ほんのわずかに恋人としての顔を覗かせた。
(あぁ、まいった……)
これでもかというほど抱いたのに、また抱きたくなってしまったのだ。
ムッ、と片頬だけ膨らませて拗ねる彼女は、年相応の少女だ。今、騎士ガーネット・マイアスは成りをひそめ、そこに居るのはただのガーネットだった。
「怒らないでくれ、ガーネット。もうしない……とは言わないが」
キッ、と睨まれてしまった。
そんな仕草も愛らしい。
そこに本気の怒りが見えないのを良いことに、ジルフォードは柔らかい頬に手を添えた。
「愛してるんだ。だから、お前を狙う不届き者たちを早く牽制したい」
「――そんな人、いません」
「俺のような男がいない、と言い切れないだろう」
「ジルフォードのような殿方がわんさかいたとしても、一瞬で返り討ちにして御覧に入れます」
彼女とこうしても良いのは、ジルフォードだけだと遠回しだが言ってしまっているのだが、彼女は自分の心の中に秘めていた想いをうっかり口にしてしまっていることに全く気付いていなかった。
(だが、もう許してやるか……)
騎士長から殿下へ代わり、そしてジルフォードと呼んでくれた彼女はもう、恋人としての顔を隠していないのだから。
「今お前を抱きたくて仕方がないが、夜まで我慢する。だがせめてキスをしてくれないか?」
「……本当に、しませんか?」
「あぁ……」
顔を近づけ、キスを強請る。
するとガーネットはちらりとジルフォードを見上げ、そしてギュッ、と制服の上着の裾を掴んできた。
「――ちょっとなら……、今、してもいいですよ……?」
上目遣いで可愛くおねだりをしてきたのは、果たしてあの生真面目な女騎士と同一人物なのか。もじもじとしはじめた彼女へ、ジルフォードは慈愛の笑みを浮かべ、細い腰を抱き寄せた。
「ちょっと、じゃ、済まないけどな」
そう言って、その甘い唇を塞いだのだった。
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