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女騎士の下剋上
しおりを挟むジルフォードに連れて来られたのは、城下街でも王族も宿泊するのであろうくらい、高級な宿だった。
部屋の中に入っても、ガーネットは両手で自分の顔を覆い、彼の腕の中に納まっている。
「ガーネット。もう顔を上げてくれ」
「…………」
「まだ怒っているのか? さっきは済まなかった。――本当に、悪いことをしたと思っている」
「…………」
「なんでも言うことを聞くから、許してくれ」
なんでも、と言われ、ようやくガーネットが顔を上げる。指の隙間からチラリ、とジルフォードを見上げると、困り果てた男の顔があった。
「――なんでも、と言いましたか?」
微かな声で、そう尋ねる。
「あぁ。今なら、何でも」
とはいえ、彼は王太子だ。
不敬なことは言えない。
眉を寄せて口を噤むガーネットの耳元に、ジルフォードは囁きかけた。
「今の俺は、成金貴族のジルだろ? お前の上司でも、王太子でもない」
つまりは無礼講。本当の意味で、今であれば彼に何でも要求できる、ということである。
「女王陛下、とでも呼べばいいか? それなら、今のお前は俺よりも立場が上だ」
「……ご冗談を」
それは言わないでほしい。
さっきの自分は、本当の自分ではない。
ちょっとキレてしまって、ジルフォードへの怒りも相まってあぁなってしまったが、普段は絶対にしないような醜態なのだ。
恥ずかしくて穴があったら入りたい。
心からそう思っていると、ジルフォードは部屋の中で存在感を主張している寝台へと歩み寄り、そこでガーネットを抱いたまま腰を下ろした。
やっと地面の感触が足先に触れ、ホッと安堵するガーネットのハイヒールを、彼はそっと脱がす。
「さぁ女王陛下。ご命令を」
チュッ、と頬に唇が降ってくる。
それを受け止めてから、ガーネットは甘く揺れる深紅の瞳でジルフォードを見上げた。
「本当に、何でも聞いてくださるのですか?」
「――あぁ」
このとき、ジルフォードは彼女が除隊を望むものだと思っていた。
あれだけ怒っていたのだ。もう、完全に心が離れてしまったのだと、取り返しがつかないと、諦めていた。
けれど、彼女の口から出た言葉は、そんなものではなかった。
「――上着、を、脱いでください……」
「…………」
「あと、そこに、横になって……」
そう命じられ、ジルフォードは困惑していたが、ガーネットは羞恥で彼の顔が見られなくなっていた。
「わかった」
また彼女を怒らせたらたまらない、とジルフォードは離しがたい彼女の身体を一度横へと降ろし、上着に手をかける。
それを適当に脱ぎ捨て、寝台の上に横になる。
「それから?」
「絶対、動かないでください」
「――それだけ?」
「あと、何を思っても、何も言わないでください」
「……わかった」
しばらくジルフォードは天井を見上げていた。
彼女は何を望んでいるのだろうか。
そう考えこんでいると、ガーネットが寝台の隅を移動した。
その手には、彼女のハンカチが握られている。
そしてそれはなぜか、ジルフォードの手首に結ばれ、寝台の柱へと括りつけている。
「…………」
何も言うな、と言われている。
ジルフォードは無言でその様子を見つめていた。
柱へと括りつけられたそれは、ともすればすぐに外れてしまうくらい、緩く結ばれている。
ジルフォードへの配慮だろう。
気に入らないのであれば、自分の言葉を反故にして解けばいい、という彼女なりのメッセージだ。
彼女は騎士だ。不届き者を縛り上げる際、どう足掻いても解けない縄縛りを身に着けている。だからどうしてもこうしたいのであれば、ハンカチ一枚でジルフォードの手首を拘束することくらい、簡単なはずだった。
ジルフォードの様子を窺っていたガーネットは、一度彼の身体を跨ぎ、そしてもう片方も同じように柱に括りつけていく。それに使われていたのは、ジルフォードの上着に刺していたポケットチーフだった。
(……殺される……?)
ちらり、と彼女のスカートの下に隠れているであろう、太ももの短剣を盗み見た。
本来、この体勢であれば、ジルフォードの命は彼女の手の中だ。
(いや、違うか……)
両手を縛る布は、少し引っ張れば解けてしまいそうだ。ジルフォードを殺したいのであれば、もっときつく締めあげるだろう。
ジルフォードから見えない足元で、布擦れの音がする。
次、彼女がジルフォードの視界に入った時、彼女は薄い下着姿だった。
ドレスとかつらを脱いでいたのか、とジルフォードは納得する。
たわわな胸の中央に小さな突起が薄く見え、喉が鳴る。
黒髪の下に隠れていた銀糸を思わせる長い髪は、彼女を美しく象るように数本が肩に張り付いていた。
「あの、ちょっとなら……、何か、言っても良いです」
自分が命じたが、無言のままジルフォードに目で追われていることに耐え兼ねたガーネットは、ぽそりとそう口にする。
「――俺は、何をすれば?」
「何も……」
言いながら、ガーネットは這い上がり、ジルフォードの上に馬乗りになった。
そしてその細い手が、彼の下履きを寛げていく。
だが寛げただけで手を止めた彼女は、今度はジルフォードのシャツに手を伸ばし、ひとつずつボタンを外していく。
そして均整の取れた筋肉を剥き出しにするように、シャツを左右に開く。
ガーネットは、その肉体美に目を奪われていた。そして、彼に復讐しようと考えていた。
(情婦にこんなことされたら、彼だって、きっと私がどんなに辛かったかわかってくれる……)
いつもは恐れ多くて、自分から彼の身体に触れたことはほとんどない。彼とは恋人同士ではないのだ。好き勝手に触れて良いわけがない。
そしてジルフォードもそれが当たり前だというかのように、触るよう言ってきたことは一度もなかった。
ジルフォードは、自分の身体にたかが情婦風情が触れることを嫌っているのだと、ガーネットは思っていた。
そしてそうだと信じ込み、彼の身体に腕を伸ばして縋りついたとしても、意味を持って触れたことは一度としてなかった。
だからガーネットが嫌がることをした彼にも、嫌がることをしてやろうと考えたのだ。
(本当に、逞しくて、綺麗……)
ガーネットは吸い込まれるようにして、ジルフォードの首筋に唇を寄せた。
チュッ、と音を立てて吸い上げてみる。
「ッ!」
小さく、彼が喉を震わせる。
だが、彼は拒絶しなかった。
(これは、いいのか……)
やめろ、と怒声が上がるまで、彼の身体に触れてみようと決めていたガーネットは、顔を上げ、彼の鎖骨を舐めてみる。
少ししょっぱくて、でも甘いと思った。
ギュッ、とジルフォードの手が握りしめられる。
(ここは、嫌なのかな……)
他も確かめてみようと、また顔を上げ、引き締まった胸筋に手を添えてみる。硬い板のような筋肉だ。だが、肌は滑らかで、触り心地は良い。そしてふたつの突起の内、ひとつに指を当ててみた。
ぴくん、とジルフォードの身体が微かに震える。
(――男の人って、こういうところ弄られるの、嫌い……よね?)
恐らく、多分。
いかんせん、男性経験はジルフォードしかいない彼女だ。女性と違って男は上半身裸になっても恥ずかしがったりしないので、そこが性感帯ではないのだと理解している。だから女のように吸ったり、弄ったり、そういうことをされるのが嫌いだと。
じっとそこを見つめ、身を屈める。
長い髪が肩から落ちて、彼の胸に落ちた。
くすぐったかったのか、ジルフォードが身じろぎをする。
すぐに自分の髪を後ろへと払い除け、ガーネットは剥き出しの胸に唇を寄せた。最初は舌先で舐め、チロチロと舌を動かす。そうしてから、いつもされているようにチュッと吸い上げてみた。
「ッ!」
また、彼の喉が小さく震える。ちらりと上目遣いでジルフォードの顔を見上げると、下唇を噛んでいるのが見えた。
(やっぱり、嫌なのね……)
もっと彼の嫌悪を煽ってやろうと、もう片方も同じように触れる。
だが再び、一度だけで離れ、今度は六つに割れた腹筋を指の腹で撫でた。ぴくぴくと痙攣しているそこを、壊れ物を扱うように丁寧に、六つに割れたひとつひとつの感触を味わうようにして触れた。
(私、どんなに鍛えてもこんな風にはなれなかったな……)
腹筋や背筋が良いと聞いたから、騎士になる前、起きた時と寝る前、何百回と鍛えたが、元々筋肉が付きにくい体質らしく、腹が引き締まっただけで筋肉は付かなかった。そのお陰で、今は相手の力を利用して素早く動き攻撃をする術を身に着けたのだが、本当は腕っぷしが強くなりたかったのだ。
(――ずるい)
勝手に嫉妬し、ガーネットは左の胸の下にある腹筋にガブリ、と噛みついた。もちろん、甘噛みだ。
王太子の身体に傷はつけられない。
ふと、先ほど彼の手の甲に傷をつけてしまったことを思い出し、ガバッ、と顔を上げる。
ジルフォードは何事か、と目を見開いていたが、その時、彼の手のことが心配になって赤く紅潮した彼の顔をちゃんと見ていなかった。
彼の身体の上を這いあがり、寝台の柱に括りつけていた手に届く位置で止まる。その体勢はまるで、彼の顔に胸を押し付けているようになっていた。
だがそんなことにも気づかず、ガーネットは縛った手を確認する。
「あ……」
彼の右手の甲には、爪痕がくっきりと残っていた。
情事の際でも、どんなに快楽に溺れていたときでさえ、高貴な身体に爪を立てたことなんてない。
(――どうしよう……)
騎士長をしているのだ。
訓練中にかすり傷を負うことはあるだろう。その程度の傷に目くじらを立てるほど、彼は心の狭い男ではない。けれど、意図的につけたという自覚があるから、ガーネットは真っ青になってしまった。
「あ、あの、ジルフォード殿下……!」
早く謝ってしまおう。
それで許されることではないかもしれないが、謝らないよりましだ。非礼は詫びるものであって、知らん顔をするものではない。
「申し訳ありません。恐れ多くも、御身に傷を……!」
彼の身体の上から、退こうとした。
だがそれを許さないとばかりに、緩く結んでいた彼の左手に力が籠められ、ガーネットの腰へと長い腕を巻き付けてきた。
「ッ……!」
何かお咎めがある。それは肉体的な何かだ、と瞬時に身構え、身体を固くする。息を呑んでそれを待っていると、腹筋の力だけで起き上がった彼は、ガーネットの腰を持ち上げる形で、胸に埋まった顔を彼女へと向けた。
「終わりか?」
「え? いえ、あの……、申し訳ありませんでした。高貴なる殿下の御身に、私風情が傷を――……、なんとお詫びして良いモノか……」
もっと謝れ、と言われているのだと勘違いし、ガーネットは震えそうになる身体を叱咤して言葉を紡ぐ。
そのとき、ジルフォードは彼女の愛らしい唇から零れる、ふたりを隔てる身分差を並べ立てる言葉の数々に、そういうことか、と納得していた。
(だからお前は、いつまでも俺を愛してくれない……)
多少はジルフォードに向けられているであろう彼女の心は、この身分差のせいで完全に彼へと向けられることがないのだ。
これはわからせなければならない。
ふたりの未来のために。
「これくらいなんだ。お前は俺の身体を傷つける権利を持っている」
「えぇ!? そのような……」
「お前は俺が唯一それを許した存在だ。その自覚がないのか」
「…………」
何を言い出すのだ、とジルフォードを見下ろしていたガーネットは、この時ようやく、今の自分の姿があまりにもあられのないものにされていることに気づいた。
「あ、あの、騎士長殿!」
「違うだろ」
「えっと……、ジルフォード殿下」
「それも違う」
「――では、何とお呼びすれば……、きゃんっ!」
いつまでも名前を呼んでくれない彼女に焦れ、ジルフォードはすぐ傍にあった、柔らかい胸で唯一硬くなる小さな突起に噛みついていた。
その瞬間、ガーネットから甘い嬌声が零れる。
カリカリとそれを歯で擦れば、ぷっくりと立ち上がるそれを、薄い下着の上から吸い上げる。
「んっ! ぁんっ!」
チュッ、チュッ、と吸い上げられれば、そこからビリッ、と痺れるような刺激でガーネットは声を上げずにはいられなくなる。
一際強く吸い上げられると、脳天まで貫くような刺激に息がつまった。
ぐちゅん、と蜜壺から愛蜜が溢れ出した。背中をのけ反らせてビクビクと震える身体は、後ろに倒れることなく、彼の腕によってしっかりと支えられている。
「なんだ。胸だけで達したか」
「ご、ごめんなさ……」
快楽を与えられた身体は素直だ。
叱られているのに、ちょっとした刺激でガーネットの身体は簡単に濡れてしまう。
じわり、と宝石のような赤い瞳に涙がにじんだ。
「どうして、泣く?」
下着を脱がせながらも甘く囁く声に、ガーネットは震える唇で答える。
「こんな……淫らな、身体……で――」
「そうなるようにしたのは、俺だろう?」
ぷるぷると怯えた仔猫のように腕の中で震えるガーネットへ、ジルフォードは甘く、優しく、囁いた。
「ですが……」
「お前は、妙なことを考えすぎる。俺はお前が、俺がすることひとつひとつに反応するのが可愛くて仕方がない」
「…………お戯れを」
「何がお戯れ、だ。俺は嘘がつけないと、前にも教えただろう」
言われて、彼が嘘を口にしたことがなかったことを思い出す。
本当にそう思っているのか、と、ガーネットの胸の奥に芽生えた小さな恋の種が、じんわりと温かくなっていくのを感じた。
「俺がこんなことを言うのも、したいと思うのも、お前ひとりだ」
「――嘘」
「嘘は言えない。そう何度も言ってるだろ?」
ジルフォードに愛されている。
王太子であり、騎士長であり、高貴な身の上で、絶対に心を寄せてはいけない人に、逆に心を寄せられていた。
このとき、やっとガーネットはそのことに気づいた。
「騎士のくせにお前はこういうことにばかり鈍い。他のことであれば、敏いくらいだろう」
「――かも、しれません……」
ここは素直に認めるガーネットだ。騎士として敏い、という褒め句が嬉しくて、否定したくなかったのである。
「お前は?」
「え……?」
「こうされたいと、触れても良いと許しているのは、俺を特別な存在と思ってのことか? 俺が欲しいと望んでいるか?」
好きか、と尋ねられている。どんなに鈍いガーネットでも、こればかりは会話の流れから汲み取れた。
心ではそれを肯定したい。だが、やはり口には出せない。彼に心を寄せられていると知ったところで、王太子と下級貴族の娘であるガーネットが彼に好意を寄せることなど許されないからだ。
「…………」
「素直に言ってくれ。何も気にしなくて良い。俺の身分のせいでそれが言えないのであれば、成金貴族の俺に、言えばいい」
任務にかこつけて、告白しても良いのだと、許しが出た。
抱きしめられたまま、ジルフォードを見つめる。
いつもは高い位置にある彼の顔は、今はガーネットの目の前にあった。恋い焦がれる男の金色の優しい瞳は、やっぱり綺麗だった。
「――お慕いしております」
愛してる、なんて言えない。恥ずかしいからだ。
目元を真っ赤にして、ガーネットはジルフォードを見つめた。
「ずっと、お慕いしておりました」
ぽろり、と涙が零れる。
伝えたところで、ふたりに未来はないのに。想いが通じていても、彼と生涯を共にすることなど、国王が許すはずがない。
たとえ、せめて一緒にいることを王太子と騎士という関係で許されたとしても、彼にはそれなりの――九人目の令嬢が当てがわれ、そして子を成す。それを近くで見ている未来の自分など、想像したくなかった。
これは、悲恋だ。
そのことをジルフォードはどう考えているのだろう。
だが聞くのが怖くて、それを口にするのが恐ろしくて、ガーネットはくしゃりと顔を歪めて溢れる涙を、瞼を閉じて止めようとした。
「どうした。また何か妙なことを考えているのか?」
「――いえ……」
「お前は嘘つきだな。でも、下手過ぎる」
言いながら、唇で頬を流れる涙を拭われる。その仕草は、絵本の中の騎士さながらだ。
「言ってみろ。何がそんなに不安なんだ?」
優しく促される。
ふるふると震える唇に、大きく逞しい、彼の指が添えられた。
「私、は……妾にも、なれない、から……」
「どういうことだ?」
「陛下が、お許しくださらない。あなたをこんなに想っているのに――、未来の国の栄光を願っているのに……。あなたが他のご令嬢と結婚するなんて……耐えられません」
一度促されれば、言葉はあっさりと唇から零れ落ちた。
それを、ジルフォードは真っすぐな瞳で見つめてくる。
「私は――平民同然。妾にすら、していただけない……。騎士として――未来のあなた方ご夫妻を、見守るだけなんて――。それなら、死んだ方が……ましです」
朝焼けの中で眠る彼の寝顔を見て思った。
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「…………」
ガーネットの視線が、寝台の横にあるテーブルの、蝋燭の灯ったキャンドルトーチのすぐ脇にあるペーパーナイフに注がれる。
今すぐそれで、首を掻き斬ろうか。
そっと伸ばした手を、ジルフォードの大きな手に掴まれた。
「馬鹿なことを」
言葉は辛らつだが、声音は酷く切なそうでいて、だが嬉しそうでもあった。
「そんなに俺を愛しているのであれば、永遠に、その命尽きるまで、俺の傍に居れば良い」
「――騎士として……?」
苦しくても耐えろ、だなんて、酷い人だと、ガーネットは微苦笑を浮かべる。
「そうじゃない。俺の妻に、妃になればいい」
「――無理ですよ」
妃になるだけの教養がない。
社交界にも出ていないし、その資格もない。
「無理なんかじゃない。ステラだって、懐いてるだろう?」
婚約者遊戯まで提案してきたのだ。
ステラはガーネットが未来の自分の義姉になることを、少なからず望んでいる。そうでなくては、彼女はあんなこと言いだすはずがなかった。
「殿下方が私をどう思おうが、陛下は――」
「あの男がどうした。どうせもうすぐ退位する身だ。文句は言わせない」
国王であり、父親でもある人を「あの男」呼ばわりするのは、実にジルフォードらしかった。
「でも、私、教養などなにも――」
「ステラが手を貸すだろう。あれでいて一国の王女だ。お前に足りないものは、あいつが補うだろうし、教えてもくれるはずだ」
ジルフォードはふと考える。
これは、この国始まって以来、例を見ない最強の王妃が誕生するのではないかと。自分の身を自分で護れるだけではなく、相手を返り討ちにもできる王妃には、誰も手出しできまい。
ジルフォードの母は、ジルフォードを生んでから子に恵まれなかった。ようやく生まれたステラは女児で、世継ぎがひとりしか産めなかった彼女はある日、暗殺されてしまった。過激な王族派の貴族たちが彼女をその地位から無理矢理引きずりおろしたのだ。
国王は激怒し、その者たちの家を取り潰し、血を絶やした。全員、一族皆、処刑したのだ。その中には幼い子供もいたが、容赦はされなかった。
血なまぐさい話である。
そのときジルフォードは十歳だった。
そんな父を見たから、呆気なく暗殺された母に心を痛めたから、か弱い娘を愛することができなくなったのだ。
――お前もあっけなく殺されるのだろう。
そういう目でしか、令嬢を見られなくなっていたのである。
「お前は、俺の理想の妃なんだ。俺の母――亡き王妃のことを知っているか?」
「――はい。暗殺された、と……」
「そうだ。だが、お前は俺の母のようにはならないだろう。お前はもはや、この国一番の騎士だ。俺すら、本気で手合わせをしたら勝てる自信がない」
「そんなこと……」
「だからこそ、名実ともに、実力のある女であるお前を、俺の生涯の伴侶としたいんだ」
きっとガーネットであれば、どんなに熟睡していても刺客に襲われたところで返り討ちにするはずだ。ジルフォードの隣で眠る彼女にそんな素振りはないが、ジルフォード以外の人間がそこを襲ったとき、つい先刻見せた「女王」の顔で、どんな人間でも逆に地に伏させる。
そんな確信が、ジルフォードにはあった。
「しかし、他の方々は……」
「文句のある奴など俺が黙らせる。お前は、俺と結婚したくない理由を並べ立てているが、俺のすべてが欲しくはないのか」
「私は……!」
違う、とガーネットは声を張る。
それをジルフォードは「なんだ?」と微笑みながら見つめた。
「なあ、ガーネット。お遊びではなく、俺の婚約者になってくれ。あの男も、八人も婚約破棄した俺がお前となら結婚すると言えば、納得する」
あの男、というのは国王のことだろう。
カーネットは目を見開き、そして戸惑った。
はい、とも、いいえ、とも言えない。
唇に指を添えてそれに歯を立てながらもじもじしていると、その手を取られ、歯型のついたそこを彼の唇に含まれる。
「んっ」
甘く鳴いたガーネットに、ジルフォードは妖艶な笑みを浮かべる。
「それに……」
腰を支えていた手が、ガーネットの太ももの間に触れた。
一度達し潤っているそこは、ジルフォードが放った白濁の液と、彼女の愛蜜で濡れている。
「何度もここへ俺の子種を注いだ。そろそろ子どもが出来ていてもおかしくはない頃だろう?」
「まさか、それを見越して、避妊してくださらなかった……!?」
「それ以外、何がある? 俺は適当な女を孕ませる趣味はないぞ」
面倒だから避妊してくれないのか、程度にしか考えていなかったと言えば、彼は怒るだろうか。
俺はそんな不誠実な男ではない、と。
「俺が孕ませたいのは、お前だけだ。そうすれば、お前も嫌だとは言えなくなるだろう?」
「――ひとりで、育てます……」
「王族の子をか? それこそ、誰も許しはしない。子を取り上げられ、その子供が周囲から虐げられるのも嫌だろう?」
妾腹の子だ、と昔のガーネットのように周囲から冷たい目で見られる。そんな哀れなまだ見ぬ我が子を想像すれば、背筋が凍り付く思いだ。
「私のような思いを子供にはさせません!」
「ならば、俺と結婚して、王妃の座を得るんだな。良いじゃないか。一介の騎士がいきなり王妃へ出世……。悪くはないだろう」
「――出世……」
それはガーネットが願ってやまないものだ。
絶対の権力と力、地位と名声。
そのすべてが一瞬で手に入る。
「……たしかに」
「アレクセイから聞いたぞ。お前、出世がしたいんだろう?」
「――はい……」
「だがこの国では女の出世は認められない。だから除隊してリーゼリックで騎士になりたいのだよな?」
「そこまで、ご存じで……」
「お前の望む形の出世ではないのだろうが、これではダメか? 俺ではお前の願いを叶えられないか?」
他に、リーゼリック王国にしかないものをガーネットが望んでいるのであれば、リュクスメディア国王ではそれは叶わない。だが、もしそうだとしても、ジルフォードは腐っても王太子だ。彼女が望むものがないというなら、それをこの国に生み出すだけである。
強国と謳われるリーゼリック国王だ。
軍事力ではリュクスメディア王国は僅かに劣っている。彼女がその軍事力がある上で、リーゼリック国王でのし上がりたい、というのでなければ、全て叶えられるはずだ。
だが、それはないということも、ジルフォードは確信していた。
それを望むのであれば、この国で騎士にはなっていないだろう。
アレクセイが手を焼いた、というくらい、この国に執着したのだから、軍事力は関係がないのは明白だった。
「そんな名誉なこと……これ以上ないものです」
「なら、どうする?」
意地悪く囁きかけられ、ガーネットは唇を噤んだ。
王妃になって夢を叶える。
それは想像したことがない。
絶対的な力が欲しかったから、何があってもすべてを守り抜ける力が欲しいと心から願ったから、騎士になろうと誓った。
もう二度と――大切なものを奪われないために。
「俺を手に入れ、出世もできる。さあガーネット。もう答えは決まってるだろ?」
ガーネットの指を食んでいた彼の唇が、彼女のそれと重なり合う。吐息が唇にかかって、その薄く柔らかい感触に、ぞくりと身体の奥で甘い熱が火を灯した。
「俺と結婚してくれ。ガーネット」
「――…………はい」
その瞬間、深く唇が重なった。
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