最強騎士令嬢は強面王太子の溺愛に困惑する

潮 雨花

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叶わない夢

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 いつだってそうだった。
 薄暗い、真っ暗な暗闇の中、今日はくるか、明日はくるか、そう待ち続けた。
 けれど、来なかったではないか。



 スラリと細い体躯に、無理矢理潰しているとわかる大きな胸、腰まで長い銀色の髪を頭の高い位置で一括りにした、瞳の色は血だまりのような赤色の少女。騎士服を身に着ける彼女が王城内を歩けば、大抵の人間はサッと壁に身を寄せ、道を開ける。
 冷たい印象のある吊り上がった眼差しが原因なのか、それとも先日、騎士団で行われた対抗戦で優勝してしまったからか、子爵令嬢ガーネット・マイアスを見る人々の目は、畏怖を隠そうとしない。
「はぁ……」
 小さく溜息を吐くと、そこへ、数少ない友人であり、ガーネットの幼馴染である青年が話しかけてきた。
「やぁ! ガーネット」
「――ご機嫌麗しゅうございます。アレクセイ殿下」
 穏やかで優しい声を掛けてきた隣国の王太子・アレクセイに、ガーネットは騎士の最上級の礼をしようと膝を折ろうとしたが、それを腕を掴まれて制された。
「やめておくれよ。キミにそんなことをされたら、私は悲しくて夜も眠れなくなってしまう」
「…………」
 またそんな冗談を、とガーネットは思わず鼻で嗤う。
 だがその不遜な態度に、アレクセイが目くじらを立てることはなく、むしろ嬉しそうに笑みを深くした。
 目が覚めるような金髪に蒼い瞳のこの青年は、ガーネットが騎士団に入団したと聞くと、 度々こうして顔を見にやってくる。
 幼い頃、外交の予行練習、という名目で隣国へ出されたガーネットは、このアレクセイの遊び相手だった。
 だがガーネットは知っている。
 実は外交の予行練習、という名目で厄介払いされたことも、この王子が遊び相手になる予定などなかったことも。
 子爵家の妾腹の子どもとして生まれたガーネットは、踊り子だった母の特徴を色濃く受け継いでしまい、子供の頃は正妻から煙たがられていた。
 だから外へ追いやられたのだが、その先でこの王子に気に入られてしまった。
 けれどここに、なんら恋慕の情はない。
 王子は珍しい物が好きなのだ。
 彼が気に入ったのは、ガーネットの名前の由来でもある赤い瞳なのだろう。
「それよりもどうしたの? 元気がないようだけど」
「…………」
 落ち込めば落ち込むほど、ガーネットの顔はまるで怒っているようになる。
 それを知っているからこそ、誰も近寄りたがらない雰囲気を醸し出すガーネットに近づけるのは、彼だけだった。
「いえ、アレクセイ殿下のお気を煩わせることは何も」
 幼馴染とはいえ、王子である彼に愚痴をこぼすわけにはいかないと、ガーネットは唇を引き結ぶ。
「ほら、また泣きそうな顔をして……何かあったのかい? このアレク兄さまに言ってごらん」
 幼少期に彼に呼べと言われ呼んでいた「アレク兄さま」という愛称を、彼は揶揄いも含めて口にする。
 しかも、泣きそう、などではない。
 涙なんてここ数年流したことなどなかったし、そんなか弱い女が騎士になどなれるはずもない。
「いえ、ですから何も」
「私は心配してるんだ。ガーネットはそうやっていつも感情を呑み込むだろう? ほら、なんでもないというなら、笑って」
 頬に添えられる大きな手は、剣を握る人間のものだ。剣だこが出来ていて、指は太く筋張っている。
 ガーネットが剣を習えたのも、この王子のお陰だ。
 強くなりたい。騎士になりたい。
 そう願ったガーネットに、アレクセイは稽古をつけてくれた。初めて剣を持ったときはブンブン振りまわすだけだったそれが今では、自国の騎士団最強とまで謳われるまで成長している。
「はい、アレクセイ殿下」
 言いながら、ガーネットは小さく笑う。
「――ほんとうに、どうかしたのか」
 途端、アレクセイの表情が硬くなった。
 やはり心の奥に渦巻く蟠りを上手く隠し通すことなど、この幼馴染相手にできるはずがなかった。
「酷いことでも言われた? それとも傷つけられた? なんでも言いなさい。もしそうであるなら、私がその者を厳重に処罰してあげる」
「ご冗談を。それにここはあなたの国ではありませんよ」
「やっぱり、何かされたのか」
 最初の言葉を否定しなかったため、アレクセイは確信を得てしまった。
 いつもは穏やかな笑みに包まれている表情が、大陸一の強国リーゼリック王国第一王子がする冷たい面へと変わる。
「私の可愛いガーネットを……。キミが祖国で騎士になりたいというから、十四でこちらに返してあげたけど、やはり間違いだった」
 チリッと肌を焼くような殺気に、ガーネットは慌てた。この王子は懐に入れた者への執着が凄まじい。男でも、女でも。彼は自分が大切にしている者を傷つけられることを酷く嫌うのだ。
(まずい、外交問題になる……!)
 下手をすれば戦争に発展しかねないアレクセイの雰囲気に蹴落とされ、ガーネットはそうじゃないと頭を左右に振り、彼の腕に縋りついた。
「違います。そんなことされていません。私の強さはあなたがよくわかっていらっしゃるではありませんか。アレク兄さま!」
 ご機嫌を取ろうと敢えて「アレク兄さま」と呼ぶと、アレクセイはその身に纏っていた殺気をフッと消す。
「あぁ、私の可愛いガーネット……! それで、何かあったの?」
 再び穏やかな雰囲気を取り戻したアレクセイに内心ほっとしながら、ガーネットは渋々告白した。
「――私は、出世できないそうです」
「え?」
「女だから、どんなに結果を残しても、他の者たちの上に立つことはない、――と」
 先ほど呼び出された謁見の間で、国王から言われた言葉を思い出し、ガーネットは思わず顔を顰めた。
出世のため、ガーネットは騎士になりたかった。
 没落寸前で妾腹の子とはいえ、子爵の令嬢として生まれたガーネットは、どうしても出世してやりたかったのだが、その夢がここで潰えてしまった。
 それに気落ちして、表情が険しくなってしまったのだと告白すると、アレクセイは大きな手で銀色の髪の一束掬い、それに口づけた。
「そうか……、それは残念だったね」
「――いえ、前々から、わかっていたことではありましたので」
 そう、わかっていた。
 女が騎士を率いることなどできないと。
 だが、世界に絶対なんてない。
 優秀な成績を収めれば女の自分でも出世することができると、信じていた。
 これは恐らく、アレクセイの国がそうだったから、その感覚がまだ残っているのだろう。
 余所は余所、うちはうち、というやつだ。
「私がとりなしてあげようか? グラントン王に私から言えば、無視はできないはずだ」
「いいえ。とんでもございません。私はあなたの力を借りて出世しても嬉しくない」
「…………」
 アレクセイは寂しそうに眉根を寄せた後、そうだ、と声を上げた。
「なら、私の国に来ると良い。キミなら、すぐに我が国を率いる最強の女騎士長になれるよ」
「――……ご冗談を」
 強国であるリーゼリックは、その軍事力もすさまじい。出世する、というだけであれば、祖国に拘ることはない。妾腹の娘なので、実家も快くガーネットを隣国へ捧げるだろう。 この国も、祖国を捨てる女騎士を引き留めはしないはずだ。
 人を引き留めるには、それなりの対価が必要になる。
 ガーネットはその対価に、出世を、と望むだろうが、今先刻、それは諦めろと国王直々に釘を刺された。
 ならば、女が出世できる国に移り住む他ない。
 アレクセイの言葉を否定しつつも、その方法もありかな、と思い始めていたガーネットの様子に、王子はにこりと微笑んだ。
「いつでもおいで。そうだな……我が国の剣となってくれるなら、私の専属騎士団に入れることを約束するよ」
 つまりは、王族直轄の騎士団に飛び級させてくれるということだ。
 今は一介の騎士でしかないガーネットにしてみれば、これ以上ない誘い文句だ。
 アレクセイはこういうとき、嘘や冗談は言わない。本気で自分の騎士団に入れると約束してくれている。
「……考えさせていただいても?」
 だが、その提案にすぐに飛びつくことはできない。
 これでも今は、この国の騎士だ。
 一度は王のため、国のため、民のために剣を取ることを誓った身である。易々とその誓いは覆せない。
「あぁ。こちらに来ると言ってくれれば、色々な手続きは私が手を貸すよ。きっとガーネットが戻ってくると知ったら、みんな通常業務を差し置いてでも手を貸してくれるよ」
 言われて、かつて彼の国で知り合った友たちを思い出した。
 この国では友はいないけれど、彼の国には少ないけれど友がいる。ガーネットと同じくアレクセイの遊び相手だった少年たちを思い出し、小さく微笑んだ。
「懐かしゅうございますね。彼等は元気ですか?」
「あぁ、それはもう、元気があり余ってるみたいで、仕事をほっぽり出して度々脱出するから、今日は見張りを増やして部屋に閉じ込めてきたよ」
 十九歳であるガーネットより二つ上の青年たちの顔を思い浮かべた。揃いも揃って雑務が苦手で、身体を動かすことが生き甲斐な三人の青年たち。
 そんな彼等が泣きべそをかきながら書類と戦っていると思うと、新しい笑いが込み上げてきた。
「あまり虐めないでやってくださいね。あれでも武術に秀でた人たちなのですから」
 昔のくせで、つい軽口をたたいてしまう。
 はっとして、ガーネットは未だに掴んだままだったアレクセイの手を離し、そっと頭を下げた。
「申し訳ありません。出過ぎたことを」
「もう……なんですぐにそう改まるかな?」
 彼は年に似合わず、拗ねたように唇を尖らせる。
「私はこの国の、一介の騎士でしかありませんので」
 そう告げた時、背後から重厚感のある声が響いた。
「そこで何をしている」
 振り返れば、ここリュクスメディア王国の王太子であり、ガーネットの上司でもあるジルフォードが、険しい顔で立っていた。
 逞しい体躯の背の高い彼は、騎士長を示す白い制服の上からでも均整の取れた筋肉が着いているとわかる。
 王太子、なんて雰囲気ではなく、軍の総帥だと言われれば誰しもが納得するほどの強面だ。
「やあ、ジル。今日も相変わらず怖い顔だね」
 それを冷かせるのは、アレクセイだけだろう。
 ジルフォードはちらりとガーネットを見下ろした後、アレクセイへと視線を戻す。
「来るとは聞いていないが?」
「やだなぁ、お忍びで来たんだよ。一々書面でやり取りしてたら、なかなかここに来れないじゃないか」
「一々来る必要などないだろう。お前が来ると、女たちが煩いから迷惑だ」
「も~、そんなんだから、婚約者殿に逃げられるんじゃない? 他人の忠告は聞くべきだよ」
「お前に関係ない」
 強国の王子相手に、王太子も強気だ。
 ジルフォードとアレクセイは、同い年の二十七歳。お互い武道を極めた身として、度々競い合っているようで、仲も悪くはない。ただし、良いというわけでもなかった。
「では騎士長殿、アレクセイ殿下、私はこれで」
 王族の立ち話にいつまでも付き合うことはないだろう、と頭を下げて踵を返そうとした。だが、それを太い腕で引き留められた。
「ガーネット、お前は俺と一緒に来い」
「は……?」
 まさか、騎士長とはいえ王太子に名を覚えられているとは思わなかった。
 何かしでかしただろうか、とガーネットは咄嗟に考えた。だが、何もしてない――はずだ。
(まさか対抗戦で勝ち残ってしまったことを叱責される……?)
 普通は叱責どころか、賞賛されるべきだが、ガーネットは女だ。
 女が自分よりも体躯の良い騎士たちを倒してしまったとなれば、騎士団としての信用にかかわる。
(――私は、負ければよかったのか……?)
 頃合いを見て、手加減をすればよかったのか。優秀な成績を残せばそれなりの金品と出世が約束されていた、あの場で。
 ギュッと拳を握りしめ、ガーネットは目を伏せる。長い銀色の睫毛が、フルフルと震えるのを堪え、改めてジルフォードを見上げた。
「はっ、仰せのままに」
 黄金の瞳と目が合う。
「…………」
じっと見つめられ、なんだろうか、と首を傾げそうになって、なんとか思いとどまった。
真っすぐに彼の瞳を見つめ返すと、ふっ、とジルフォードから視線をそらし、掴まれていた腕も解放された。
「来い」
 言われて、ジルフォードの後に続く。
 その背後で、アレクセイがボソリと呟いた。
「早く素直になっちゃえばいいのに」
 え? と振り返った時、アレクセイは来た道を戻り、どこかへと立ち去ってしまった。
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