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魂の番

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 チャイムと同時に、帝一はドアの鍵を開け、やってきた人物へ冷ややかな視線を向けた。
「早かったな」
 ドアの前に立っていたのは、弟の皇司だった。
「あんたが早く持ってこいって……、なんだよ、この、におい……」
 部屋から漂うオメガフェロモンにあてられたのか、皇司の息は荒く、全身から汗が吹き出していた。
「…………」
 魂の番というのは、厄介だ。
 発情期が来れば、こうしてお互いを引き寄せて求め合ってしまう。
 寝室で苦しむ華月の吐息を耳にした帝一は、フェロモンで朦朧とし始めた皇司の胸倉を掴み、部屋へと引きずり込んだ。そして無理矢理寝室へと押し込むと、ドアを閉める。
「おい! 兄さ……!」
「抗えるものなら、抗ってみろ」
「は……?」
 状況が把握できない皇司だったが、すぐにベッドの上で自慰をしていた青年の姿に、息を呑んだ。
 発情期の強烈な疼きに堪えられず、自分の最奥に指を三本挿れ、小さな牡を扱くその姿は、皇司の理性を吹き飛ばすには十分だった。
 目の前で繰り広げられる痴態。そして咽るような甘ったるい蜜のような香りに、引き寄せられていく。息が荒くなり、彼の中を激しく掻き回して征服したい、という欲求に支配されていく。
「あ、あ……、な、んで……!? ど、して……」
 緩慢に近づくと、美しい青年の驚愕と恐怖に引きつった表情に迎えられる。
その瞬間、ぷつんと、皇司の中で何かが弾けとんだ。



「あ、あぁ、ああああっ」
 わけもわからず、最奥を突き上げられる。
 激しい律動に悲鳴に近い嬌声が上がっても、彼は止める気配を見せなかった。何度も何度も、精を受け止めさせられ、それでも治まらない快楽の波に頭がおかしくなりそうだ。
 ぐじゅぐじゅと泡立つ淫猥な水音も、パンパンと肌同士が打ち付けられる音も、すべてが官能を刺激して熱を生み出していく。
「や……! いや……! こわ、い……っ」
 最奥を征服しながらも、彼は華月の身体中に舌を這わせ、いくつもの赤い痕を刻んでいく。逃げようとしても、すぐに引き戻され、さらに深く最奥を貫かれた。
「あぁあああっ!」
 彼は、物言わず華月を抱いた。
 泣き叫ぶ華月の唇を強引に奪い、息すら奪おうとしてくる。
「いや、いやぁあああ!!」
 何度目かわからない絶頂に身を震わせ、中に注がれる熱い迸りに身体の奥がずくりと疼く感覚に涙を流し続ける。
 口では嫌だと言っておきながら、心は歓喜に打ち震えている。ずっと欲しくて欲しくてたまらない、狂おしいほどの欲望を満たされていく。
 肉食獣に喰われる小動物が如く、逃げ出そう抗いを見せるとすぐに拘束され、貪るように食い尽くされていく。そんな恐怖が華月を襲った。
 華奢な体躯を組み敷くのは、愛しい人のはずなのに、身体は彼に抱かれてこんなに歓喜しているのに、恐怖心が抑えられない。
「やめ、やめて……」
 すすり泣く声すら、甘くかすれてしまう。
 前も後ろも、もうドロドロで、どちらの体液なのかすらわからない。
 後ろから突き上げられ、シーツを握りしめる手が小刻みに震えた。
「い、や……! 助……け……! 帝ちゃ……!」
 部屋の外に居るであろう帝一に必死で助けを求めた。だが、他の男の名を呼ぶことを許さないとでも言うのか、顔を横向きにされ、後ろから無理矢理深く唇を奪い、言葉を攫われる。
「ん……。んんっ……」
 唾液が呑み込めず、唇を伝ってシーツを濡らしていく。激しい舌の動きに息が上がり、唇が離れた頃にはもう、全身の力が抜けきっていた。
「はぁ……、は……」
 背後から抱きしめられるような形で、首筋に彼の吐息を感じる。
 カチャ、と金属音がうなじから聞こえ、長年首輪で遮られていた首元に、熱い息がかかった。
「あ……」
 ぺろりと首筋を舐められ、そこに歯が当たる。噛まれる。支配される。そう思った。
 けれど――。
「そこまでだ」
 強い力で腕を引っ張られ、大きな腕に身体を絡めとられる。そのすぐあと、首筋に何かを打たれた。
「ごめんな、華月」
「帝……」
 どうしてこんなことを、と問いたかったのに、意識が薄れていく。
 そのまま、目の前が暗く閉ざされ、華月は意識を手放していた。



「一体、なんのつもりなんだ……!」
 眠りについた華月をベッドに寝かせていた帝一へ、身なりを整えた皇司が静かに怒りをぶつけてくる。
「……強硬手段に出たまでだ」
 ごちゃごちゃとうるさい弟へ、帝一は大仰な溜息を吐くことで対峙する。
「はぁ!? こいつ、兄さんの番なんだろ!? それをなんで……!」
「俺の番、か……」
 自嘲気味に笑い、弟を見据えると、何だよ、と更に威嚇に近い声音が返ってきた。
「まだわからないのか? 華月は、お前の魂の番だ」
 これだけは変わらない真実だというのに、皇司ははっと鼻で嗤う。
「そんな迷信、信じるわけ……」
「なら、どうしてお前は華月の首筋に噛みつこうとした? いくらオメガフェロモンに惑わされたからって、どうして華月を抱いた?」
 想い合っていれば話は別だが、皇司は何故か華月を――オメガを憎んでいる。
 いくらアルファでも誰でもオメガフェロモンに影響を受けるわけではない。確かにオメガフェロモンを感じればアルファは性的な欲求を制御できなくなるが、そのオメガをものにしようとしない限り、精神力があれば耐えられるのだ。
 しかし魂の番は、互いに憎み合っていたとしても求め合ってしまう。
 だから厄介なのである。
「だからオメガは嫌いなんだ。こうやって、アルファである俺たちを誘惑して……!」
 すべてそいつのせいだ、と言い張る弟に、帝一は鋭い眼光を向ける。
「お前の意思の弱さのせいじゃないのか」
 一言そう言ってやれば、皇司は下唇を噛みしめて黙り込んだ。
「――どうしてそこまで華月を憎むんだ。華月がお前に何かしたのか」
「……オメガは卑しい存在だろ」
「それが華月を――オメガを否定する理由か」
「そうだって言ってるだろ!」
「華月を壊す勢いで抱き潰しておいて、よく言う」
 強い抑制剤で発情期を無理やり終わらせたにしても、華月が失神してしまうくらいに求めたことをもう忘れてしまったのだろうか。
「華月からは甘い蜜のような匂いがしたはずだ」
「あれは、オメガの……」
「ただのオメガのフェロモンは、あんな匂いじゃない。あれは……、魂の番同士にしか感じ取れない匂いだ」
「なんだよ、兄さんだってあの甘ったるい匂いを……」
「いや、俺にはわからない」
「じゃあなんでそんなこと知ってるんだよ」
「居たからだ。俺には、魂の番がいた」
「……は? ……居た……?」
 言葉尻に気づいたのか、皇司が困惑気に問い返してくる。
「――俺の魂の番は死んだ。三年前のことだ」
 淡々と事実だけを述べる帝一に、動揺を隠しきれない皇司は、静かに眠り続ける華月へと視線を投げた。
「なら、こいつは……?」
「お前がいらないというなら、俺がもらう。本人も了承済みだ」
 華月の汗で張り付いた前髪をそっとかき分け、静かに呟くと、皇司はカッと目を見開き、そして叫んだ。
「……ッ! なら、好きにすればいい! 俺はオメガなんかいらない……!」
 弟はその勢いのまま部屋を飛び出していく。それを玄関まで見送っていた帝一は、ふと背後を振り返る。
そこには、シーツを身体に纏わせた姿の、悲しげな眼をした華月が立っていた。



 皇司が去った部屋は、とても静かだった。
 帝一と廊下で対峙していた華月は、相手が黙り込んだままこちらの出方を待っているのに気づき、小さく息を吐く。
「……鍵、返してもらえた?」
 ほんの数分前のことなどなかったかのような態度でそう問いかければ、帝一は静かに手の平を差し出してくる。かつて皇司に渡した鍵が握られていた。
「……うん。これだ」
 チェーンに繋がれた鍵を受け取り、それにそっと口づける。ふわりと香る皇司の残り香に、華月は目を細めた。
「皇ちゃんって物持ちが良いよね。彼にとっては意味のないものを、まだ持ってるんだもん」
 にっこりと笑顔で揶揄するが、帝一は眉根を寄せた表情のまま、にこりともしない。
 わざとらしく明るく振る舞う華月はくるりと踵を返し、寝室へと戻る。ベッドの上に転がった自分の首輪を拾い上げつつ、一定の距離を開けたまま近づいて来ない帝一へ、手にしたものを投げた。綺麗に弧を描いたそれを、彼は姿勢を崩さないままキャッチする。
「どうしたの? なんで、いつまでもそんな顔するの」
 華月の問いに、やっと帝一が口を開く。
「怒ってるんだろ」
「怒ってないよ」
「いや、怒ってる」
 真っすぐに向けられる視線があまりにも真剣で、華月は喉の奥にしまい込もうと思っていたどす黒い感情を吐き出していた。
「――じゃあ聞くけど、なんで……、約束を破ったの」
 ここに来ると決めたのは華月だが、あんな形で皇司に組み敷かれることなど、望んではいなかった。
「鍵を返してもらうだけのはずだったでしょ。それなのに――」
 胸の前で握りしめていた手に力が籠る。白い肌が黄色く変色してしまうほど握りしめたそれを、大きな手が包み込んだ。
「あぁするのが、お前たちのためだと思った」
「僕たちのため……?」
「俺もお前も、どうしたってかつての番を求めてしまう。だが――俺はともかく、華月にはまだ希望がある」
「あんな形で抱かれることが!? あんなの、皇ちゃんだって……僕だって、幸せになれないじゃないか!」
 三年ぶりに抱かれた。
 抱いてもらえた。
 だがそれは、フェロモンによる作用が大きい。
「あんな形で満たされても……虚しいよ」
「最後の思い出が出来ただろ」
「ッ……!」
 思わず手を振り上げていた。
 だが、振り下ろせない。
 帝一が、華月よりも辛そうに顔を歪めていたからだ。
 ふるふると震える手を、華月は静かに降ろした。そのまま項垂れ、広い胸板に額を押し付ける。
「これから、泣いても喚いても、俺はお前を抱く。その前に、皇との現実を見せた方が良いとずっと思っていた」
「…………」
「この前、お前を抱こうとしたことを覚えているか?」
 ここに来る前、帝一が初めて華月の肌に触れた日のことだ。あのとき――帝一は華月を抱かなかった。
 静かに泣いて、触れてくる帝一の手の動きに身体を震わせて全身で拒絶する華月を、彼は抱けなかったのだ。
「あの時、お前の中にはまだ皇がいると気づいた。三年も引き離していたのに、お前はいつまで経っても皇の影を追ってる。――俺だって……」
 その続きを、彼は口にはしなかった。
 けれど、気づいていた。
 帝一の中にもまだ、悠がいるのだ。
 死別しても、それでもなお、帝一は悠を想い続けている。だから、華月を無理やりにでも組み敷けなかったのだ。
 だが、ふたりの中には『番になる』という話をなかったことにする、という選択肢がない。好きになれなくても、そこに愛がなくても、魂の番を失った者同士しかわからない虚無感を埋められるのは、失った者同士なのだ。
 もう――戻れはしない。
 華月は、大きく息を吸い、長い時間をかけて吐き出した。
「――僕も、会場に行く」
「その必要はないだろ」
「ううん。あの人たちに、言わないといけないことがあるでしょ……?」
 もう戻れないのであれば、やらねばならないことがある。
「僕たちが決めたことなんだから、ちゃんと後片付けもしないとね」
 身体に纏っていたシーツを床に落とし、くるりと彼に背中を向けると、後ろ髪を掻きあげてうなじを露わにする。
「……いいのか?」
 綺麗な白いうなじには、消えかかってはいるものの噛み痕が残っている。それは三年前、誰よりも愛おしい唯一無二の大切な人につけてもらったものだ。
「もう良いんだ。こんな想いするくらいなら……僕は……」
 おずおずとした手付きの指先が、首筋を撫でていく。
 そっと、瞼を閉じた。
 次にやってくる痛みを、受け止めるために。

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