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二度目の失恋

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 ずっと、自分の滅びの時を待ち望んだ。
 気が遠くなるほどの時を、生き続けた。
 だから、もう終わらせたいと思っていた。
 何かに絶望したわけでも、悲観したわけでもない。
 ただ、生きることに飽きてしまった。
 他者の手でも、自身の手でも死ねないこの身体が朽ちる時を待った。
 その時が来てやっと、冥府の神も少女を受けいれることだろう。
 闇に染まったこの魂も、他の魂同様まっさらになって、記憶の中の青年と同じ場所に行けるのかもしれない。
 そうであったら、良いなと、思っていた――。
 

「でもね、あの手記は……」
「もういいわ。聞きたくない」
 これ以上は聞くに堪えなかった。
 あの青年には恨まれていた。
 その事実だけで充分知り過ぎた。
「待って、あの手記は――」
「聞きたくないと言っているの!」
 ザワッ、と少女の周りに黒い霧のような闇の魔力が吹き出す。
「それ以上言ったら、あなたを殺すわ」
「…………」
 少女の漆黒の瞳に怒りを見たクリストフェルは、開きかけた口をゆっくりと閉じ、そっと息を吐きだした。
「姉様を傷つけようとしたわけじゃないんだ。だからもう、アレについては何も言わない。でも――デュクスのことは、嫌わないでやってほしいんだ」
「…………」
「あと、セルジュのことは、本当に注意してほしい」
 さきほどのクリストフェルの言葉を聞いた上で、少女がセルジュの持つ手記に近づこうとするはずがない。
 知りたくないことしか書かれていないのに、何故まだ忠告してくるのだろう。
「さっきの人が、ソレで私を殺そうとするとでも?」
「いや……そうじゃないんだ……」
「ならなに?」
「姉様を手に入れようとは、してくると思う」
「へぇ……」
 デュクスの他にも、そんなバカげたことをする者がいるとは、と少女は嘲笑を浮かべる。
 今まで、少女の力を欲して近づいて来たものは居た。
 その多くの魔術師たちはそれに失敗している。
 それが、たかが手記でどうこうなるはずがないのだ。
「そうね、もしそうなってあなたに都合が悪いことが起きたら、その『闇の魔女を殺す方法』とやらで、あなたが私を殺せばいいわ」
「…………それは、僕には難しいかな」
 クリストフェルでも発動できないくらいの魔力量が必要なのか、その術を何かしらの理由で使うことができないのか。
 だがそうであれば、言うほど脅威ではないのだろう。
 もしも『闇の魔女を殺す方法』を知る者が現れたとしても、少女はまだ生きている。
 そしてそれで強請られたとしても、滅びを望む少女にとってはなんの不都合もない。
 むしろ、是非やってみて頂きたいものだ。
 この世界に希望も期待も、未練もない。
「もう、何もないわ」
 少女は見ないようにしていた方向へと、視線を傾ける。
 そこにはデュクスとメアリーが立っていた。
 キラキラと輝く金髪を目にした瞬間、少女はすぐに視線を反らし、胸元でギュッと拳を握りしめる。
 デュクスを見つめていることが、辛かった。
 記憶の中のあの青年と重なるその姿を見るのが、苦痛へと変わってしまっている。
 彼に、恋い焦がれた人に恨まれていたという事実は、思いの外少女の心を傷つけていた。
 どうやって少女を殺す方法を知ったかはわからないが、手記として残したくらいだ。
 後世の誰かにその方法で闇の魔女を葬ってほしかったのだろう。
 それくらいには、憎まれていたのだ。
「…………もう、帰るわ」
 これ以上ここには居たくなかった。
 どうやったって、ここに居たらデュクスを目で追ってしまいそうになる。
 辛くて、苦しくて、彼と瓜二つの顔など見たくないのに、粉々に砕けた心は縋るように彼をまだ求めている。
(本当に、とんだ片思いだわ……)
 嫌われていても尚、あの青年のことが好きなのだ。
 けれど今はあの青年のことを思い出すのも辛く苦しいものだった。
 以前のような真綿で包み込まれるような温かさが感じられず、心の奥がキンッと凍えて痛いだけのものになってしまった。
(知りたく、なかった……)
 クリストフェルは何を思ってこんな酷い事実を教えてきたのだろう。
 家族だと、姉だと、そう慕っているとみせかけて、少女を苦しめることが目的だったのだろうか。
 だがそれでもかまわない。
 闇の魔女がそういう扱いをされることなど、今に始まったことではないのだ。
「姉様。僕は、姉様の幸せを願ってる。それだけは、どうか信じて」
 懇願するクリストフェルの言葉は、もう少女の耳には届いていなかった。



 夜会が終わる前に、少女はその場を辞した。
 デュクスの屋敷に戻ってから、もう彼の顔も見たくないのにここにしか帰る場所がない、という事実に少女は忘れていた絶望という感情を思い出していた。
「…………」
 与えられた部屋のソファの上で、少女は蹲るように膝を抱えて、どこか宙を見つめている。
 いつも引き籠るあの闇の世界に、少女は戻れずにいたのだ。
 あの中に入ると、どうしたってあの記憶の中の青年のことを思い出してしまう。
 それが嫌で、少女は何もすることなく、ソファの上で流れる時間をひたすら待ち続けていた。
 カーテンが閉められた窓からは、朝陽の光りが注いで、部屋の中を薄暗く照らしている。
 デュクスは夜会の後も、屋敷に戻ってこなかった。
 婚約者だというメアリーの元へでも行ったのだろう。
 やはりあのふたりは婚約者同士だった。
 そうだろうとは思っていたから、大した驚きはない。
 ロドリゲスが「仕事が忙しいからあまり戻ってこない」と常に口にするのは、彼がメアリーのところへ行っているから戻ってこない、という事実を隠そうとしたからなのだろう。
 彼は彼なりに、主人であるデュクスの名誉を守ろうとしたのだろうが、少女相手に言い訳をする必要など、最初からないというのに。
「…………」
 どれほどの時間、そうしていただろう。
 不意に屋敷の中に魔力を感じた。
 デュクスが瞬間移動して戻ってきたのだろう。
 ちらりとカーテンで覆われていた窓を見ると、太陽が高い位置にあることがわかる。
 デュクスの気配が少女の元へと近づいてくるが、その痩躯はピクリとも動かなかった。
 そしてしばらくすると、コンコン、と部屋をノックする音が室内に響きわたる。
「レディ。入ってもいいか?」
 その声に、少女は返事をしなかった。
 もう一度ノックの音がして、その時ようやく少女の右手が動く。
 人差し指がピンッ、とドアの方へ向けられると、ソファのクッションが勢いよくそこへ飛んでいき、バンッ、と叩きつけられた。
 入ってくるな、という意思表示だった。
 ドアの向こう側から、小さな溜息の音が聞こえてくる。
 早く愛しいメアリーの元へ戻ればいいのに、少女の意思に反して、ドアはゆっくりと押し開けられた。
 その瞬間、少女の魔力によって、その場にあったクッションや枕、ぬいぐるみの数々が侵入者に向かって投げつけられていく。
「うわっ! おい!」
 さすがは騎士とでもいうのか、反射神経がかなり良いらしくデュクスはそのすべてを避けるが、少女は壁に叩きつけられたそれらをまた浮かび上がらせ、デュクスを襲わせる。
 寄るな、近づくな。
 少女は無言で訴えた。
「止せ!」
 デュクスが魔力で対抗してくるが、少女に比べれば微々たる量の魔力しか持たない彼は、襲い来るぬいぐるみに視界を奪われ、ジタバタしている。
 いい気味だ、と少女はこっそりと唇の端を吊り上げたが、すぐにその表情は無となった。
 デュクスの身動きを封じている内に、少女はフッとその場から消え、屋根の上へと移動する。
 そこでまた膝を抱えていると、両手にもぞもぞと蠢くぬいぐるみを抱えたデュクスが音もなく姿を現した。
 少女は憎々し気に自分の腕にある腕輪を睨みつけたが、しかし、外そうとは思えなかった。
 デュクスがこちらに近づく前に、少女はまた魔力で別の場所へと移動する。
 キッチン、リビング、応接間、庭園と転々と移動する中、デュクスは諦めず追いかけてくる。
 しかしそれもいつまで続くか、の問題だ。
 魔力は無限ではない。
 走れば疲れるのと同じで、魔力が底を尽きれば一定時間は力を使えなくなる。
 デュクスが諦めるのが先か、魔力が尽きるのが先か。
 少女はそれまで転々と移動を繰り返すつもりだった。
 けれど彼も、その転々と移動する中で、確実に距離を詰めてきている。
 もっと遠くへ行ってしまおうか。
 そう思い至った次の瞬間、屋敷の裏庭からまた移動しようとした少女は、デュクスによって捕らえられていた。
「まだ怒ってるのか」
 強い力で腕を掴まれ力なく顔を上げると、汗だくになったデュクスと目が合う。
 相当魔力を消費したのだろう。
 肩で息をしている彼を、少女はそっぽを向いて無視した。
「無視する前に、気に入らないことがあるなら言ってほしい」
「…………」
「昨日の夜会のことを怒ってるのか?」
「…………」
「しつこく追いかけたのは悪いと思ってるが、話がしたいんだ」
「…………」
「ひとつ弁解するが、メアリーは私の元婚約者ではあるが、子供の頃の話で今は違う」
「…………」
「あなたは私と話したくはないのかもしれないが、何故私にだけそんな態度なのか、理由を教えてほしい」
「…………」
「その腕輪のことを怒っているのか? だが、気に入ってくれているんじゃないのか?」
「…………」
「お願いだ。何か、言ってくれ」
「…………」
 デュクスのそのどの問いにも、少女は答える気がなかった。
 こうして彼が傍に居るだけで、胸が張り裂けそうになるくらい苦しいのだ。
 声を出してしまったら、泣いているみたいな声になってしまいそうで、きつく唇を引き結ぶ。
 ここまでしてくれるデュクスは、恐らく少女を嫌ってはいないのだろう。
 むしろ好意を寄せていることは火を見るより明らかだ。
 そんな彼にこんな態度を取り続けることは、かなり失礼なことである自覚が少女にはあった。
 でもダメなのだ。
 彼の顔を見ると、記憶の中のあの青年が、綺麗な思い出が蘇ってしまって、今はそれが息ができなくなるくらい辛くて、悲しくて。
 今までとは違う理由で、デュクスを見れなくなっていた。
「――私は、あなたも気づいているだろうが、不器用だ。焦り過ぎていて、あなたを逃がしたくなくて、強引なこともたくさんしてきた。だが――そんなに嫌われてしまったのであれば、諦めよう」
「…………」
「ここに留まることはない。あなたは自由だ。あなたが私の顔を見たくないというのであれば、もう追いかけない」
「…………」
「だが、見守らせてほしい」
「…………」
「私が願うのは、あなたの幸せだ。願わくばそれは、私の傍にいることで叶ってほしかったが――」
 デュクスはそこで言葉を区切った。
 見つめてくる青い双眸が、顔を背けたままの少女の肌に突き刺さる。
「――……。アーヴァイン卿には、気を付けてくれ」
 クリストフェルと同じ言葉を残し、デュクスは少女の手を離すとその場から霧のように消えていった。
 一人残された少女は、そっと空を見上げる。
 デュクスによって色鮮やかに見えた世界が、闇色に染まっていくのを感じた。
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