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隷属の腕輪? それとも…
しおりを挟む「旦那様には、ご両親がおられません。幼い時に事故で亡くなられまして」
ロドリゲスは、庭園を歩きながらデュクスのことを教えてくれた。
城よりも小さいが、花壇にはやはり色とりどりの花が咲き誇っている。
その花たちを無感情に眺めながら、少女は黙ってロドリゲスの話に耳を傾けていた。
「ご兄弟もおらず、わたくし共が少々甘やかして育ててしまいました」
甘やかした、という言葉は、デュクスには不釣り合いに感じた。
彼の気難しそうなあの顔は、どちらかといえば厳しく育てられた人間のように思えたからだ。
「先代の旦那様同様、騎士になってくださり、わたくし共も安心していたのですが、嘆かわしい……」
やれやれ、と大袈裟に頭を左右にふり、ロドリゲスは溜息を吐いた。
「……あなたは、ずっとこのお屋敷で?」
疑問に思ったことを尋ねてみると、ロドリゲスは「はい」と頷いた。
「私の一族は、先々代の旦那様の代より、このお屋敷に仕えております」
エレオノール家は、その頃からあまり外から人を雇うことをしなくなったのだという。
多くの人の出入りを嫌う主人だったようで、それは今でも健在だと。
だがその代わり、とてもよくして貰えているのだと、ロドリゲスは朗らかに笑う。
「ですので、今回の件はわたくし共の不手際です。どうかお許しください」
ロドリゲスから笑顔が消え、顔を引き締めると頭を下げてくる。
「――謝ることなんか、何もないわ」
キスされて、抱きしめられたのを、怒っているわけではない。
ただ自分の諦めの悪い心が許せなくて、そんな自分が恥ずかしくて閉じこもっていただけだ。
「謝るなら私の方ね……。ただの、八つ当たりだから」
あんな風に感情が乱れたことなど、今までなかった。
もはやそんな衝動すら、失ってしまったと思っていたのに不思議だ。
「――先ほど、旦那様より、今夜は戻ってこられそうだという知らせが届いておりました。宜しければお夕食を一緒に摂られて、仲直りをしてみてはいかがでしょうか?」
「……………そうね」
そうは言いながらも、少女にその気はなかった。
目の前で咲き誇る、色とりどりなのだろうが灰色にしか見えない花へと手を差し伸べる。
瑞々しい花弁に触れてみた。
「…………」
記憶の中の青年は、たまに花を持ってきてくれた。
そのときの花はとても綺麗な色をしていて、外の世界には色が溢れているのだと教えてもらったものだ。
だが、実際に外に出てみたら、世界は灰色だった。
この世界にはもう、あの青年はいない。
たったそれだけで、少女の中にある色は褪せ、その色を取り戻そうとするかのように意思とは別に、デュクスを代用品のように求めようとする。
(馬鹿よね……あの人が私と同じくらいの魔力持ちで、まだ生きていたとしても――)
彼が生きていても、千年間抱き続けたこの恋が実ることなどありえない。
愛する人がいた彼の隣にはもう、少女が立ち入る隙もないのだから。
(闇の魔女が恋をしても、絶対に実ることなんかないのに……)
あの青年ではなかったとしても、結局、どんな恋をしても片思い以上、先に進むことはできない。
否、それ以上を、望んではいけないのだ。
「しばらくひとりにしてもらってもいいかしら」
花壇の花へと顔を向けたままそう言うと、ロドリゲスは「かしこまりました」とその場を去っていく。
ひとりになり、少女は立てた両膝の上で腕を組み、長い事、ただひたすら色のない花壇を眺めていた。
外の空気が冷たくなり、太陽の光が弱まっていく。
もうすぐ夜になるのだな、とどこか他人事のように少女はまだ花壇の前に蹲っていた。
遠くの山間に太陽が沈みゆく頃、ふとデュクスの魔力を感じた。こちらに向かって徐々に近づいてきている。まだ距離があるから、馬車で移動しているのだろう。
ふぅ、と息を吐いて立ち上がり、あの日同様、闇の中に隠れようとしたその時、グイッと腕を掴まれ、何かに抱きこまれた。
「え……?」
あまりの不意打ちに、『それ』もろとも闇の中に引き込んでしまう。目の前が闇一色で染まったとき、視界の端にキラリと輝く金を見た。
「捕まえた」
真上から聞こえてきたのは、デュクスの声だった。
その声に、身体が強張る。
「私にもあなたより遙かに劣るが、魔力がある。瞬間移動くらいはできる」
そうだった、と今更ながら思い出した。
デュクスは魔力持ちなのだから、簡単な魔術は使えて当然だ。
少女の魔力を感じて、文字通りわざわざ飛んできたのだろう。
「やっと外に出てきてくれたんだな」
たかが一日やそこら姿を消していただけなのに、デュクスは「心配した」と耳元で囁いてくる。
「…………」
甘美なその声音に、ぞくりと身体が粟立つ。
顔を上げてしまいたくなる衝動を抑え、逞しい胸板を両手で押しのけようとした。だがやはり、純粋な腕力では彼には敵わない。
「嫌なら魔力を使えば良いのに、本当にあなたは他人を傷つけることをしないんだな」
「…………」
気付かれていたか、と自嘲ながらも、少女は口を開かなかった。
「この前は驚かせてすまなかった。だが、キスをしたことを謝るつもりはない」
この青年は何を言っているのだろう。
恋人がいながら、他の女に手を出しておいて、それを悪びれない。
キスのひとつやふたつ、彼にとってはその程度のことだったのだろう、と少女は解釈した。
挨拶代わりに人々が肌を触れ合わせることがある、ということは知っている。
何か特別な想いがあったわけではない。
そう納得した時、ズキリ、と胸が小さな痛みを訴えた。
(まぁ……そうよね……)
キュッ、と下唇を噛みしめ、だがすぐにハッ、と息だけで笑った。
(何を、期待していたの……)
この世界に何かを求めても無駄だと、もうわかっているのに、今更期待して、勝手に落胆して馬鹿みたいだ。
人としての心は当に失っていたはずなのに、デュクスの前だと、簡単に心は?き乱されてしまう。
デュクスはあの青年ではないのに、そんなことは分かり切っているのに。
ダメなのだと心に蓋をしようとしても、まったく言うことを聞いてくれない。
「だが怒らせたいわけでもない。だから――」
言いながら、腕を取られた。
折れてしまいそうなくらい細い腕に、カシャンッ、と何かが嵌められ、手首に重みが加わった。
「それは私とあなたを繋ぐ魔道具だ」
少女の右手首には、青い宝玉が嵌め込まれ、金色の複雑な模様が描かれた腕輪が嵌まっていた。
「――きれい……」
思わず、声が出た。
この闇一色の世界でも、デュクスの髪同様、眩い光りを放っている。
「私も、同じものをつけている」
デュクスは少女の前に、自分の左腕を出しだしてきた。
そこには黒い宝玉で黒い装飾が施された腕輪が嵌まっている。
少女が付けているものと、色が違うだけで全く同じものだった。
「気に入ってくれたら嬉しいんだがな」
じっと、少女はふたつの腕輪を見比べた。
魔道具、というにはあまりにも脆弱な魔力しか感じない。
だがこの二つの腕輪は、細い魔力の糸で繋がっていた。
隷属の腕輪の類だろう。
千年以上前、生まれて二百年後くらいだったが、これと似たものを見たことがある。
まだ幼女の姿だった少女に、城の魔術師と名乗る者がこれを付けてきたことがある。
少女の滅びの力を欲し、幼い闇の魔女の力を利用しようとしたのだ。
それを思い出した瞬間、胸の奥がヒヤリと冷え、まるで穴が開いてしまったかのように、冷たい風が身体の奥を通り抜けていく。
(これが……目的……)
大きく目を見開き、少女はデュクスを見上げた。
彼は少しだけ寂しそうに笑っていた。
その表情から、この腕輪がやはり、そういう類のものだと確信し、少女は顔を歪めて青年をただただ見つめ続けた。
ふっ、と甘いコロンの香りが少女を包み込んでくる。
彼の胸に顔を押し付けられ、少女は自然と硬くなっていた身体の力を、フッ、と緩める。
されるがまま抱きしめられていると、額にチュッ、と口づけが降ってきた。
「もう、逃がさない……」
その声がどこか苦しそうで、でもその中に他の何かも入り混じっていて、彼の熱いくらいの体温を感じながら瞼を閉じた。
闇の魔女をわざわざ千年もの眠りから起こし、無遠慮に触れてきたのはこれが目的だったのか、と少女はどこか他人事のように感じた。
(――これも、一興か……)
闇の魔女に手錠をつけて思い通りにしたいというのであれば、それはそれで良いだろう。
きっと、そういう存在だと扱われることで、少女の中に芽生えた恋心もいつしか枯れるはずだ。
百年――否、千年の恋心が覚める瞬間は、少女が思っていたよりも、早くに訪れる。
このときはまだ、少女はそう思っていた。
その選択が間違っていたとも知らずに。
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