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虹色の宝石を
しおりを挟む城下街につき、馬車を降りた少女はハレスに連れられてその街並みを興味なさそうに眺めていた。街中では、忙しなく働く人々や、買い物を楽しむ人々、小さな子供たちが無意味に駆け回っている姿を多く見た。その誰しもが、少女のことなど全く気にしていない。
ハレスの後ろにくっつくようにしてその景色を眺めていた少女は、顔につけた黒いレースの目隠しに手をやった。
こんなものをつけていれば、魔力の有無に関係なく瞳の色など見えないだろうが、ちらほらと見かける魔力持ちの兵士たちすら、少女を認識できないのかまるでこちらに気づかない。
それどころか、恰幅の良い商人の女性が「綺麗な髪のお嬢さんだねぇ」と気さくに声をかけてきたのだ。
それには驚き、思わずハレスの後ろに隠れてしまった。
「ハレスさん。あんたいつ結婚したんだい?」
商人の女性がハレスへと尋ねる。どうやら顔見知りだったようだ。
「彼女とはそう言う関係ではない」
「そだろうねぇ。あんたにはもったいないくらい美人だ」
その言葉で、彼女が少女の顔を認識できていることを知った。自分の見目については興味がないし、特に周囲から何か言われたことがあったわけではないが、この時代では少女の容姿は「美人」に当たるのだろう。
ハレスの後ろに隠れて、ひょこ、と顔だけ覗かせていた少女に向かって、商人の女性はにっこりと笑顔を向けてくる。
「なんだい。やけに大人しいお嬢さんだねぇ。どこかの姫君かい?」
揶揄われているのだと、少女にはわかった。
見た目の年齢の割に子供っぽい娘だと、そう揶揄されたのだ。
「あまり話しかけないで頂きたい。レディはさる高貴なお方の縁者だ」
ハレスが女性の視界から少女を背に隠す。
彼の背中から垂れ伸びるマントをギュッ、と掴みながらも、少女はまたひょこり、と顔を覗かせた。
商人の女性の前には色とりどりの宝石が並べられていた。土産物のアクセサリーを売る店なのだろう。
魔道具だろうか、とそれを注意深く見つめたが、ただの装飾品のようだ。
そういえば、と少女は昔を思い出した。
『それ、綺麗な色をしているわね』
記憶の中の青年の胸には、鮮やかな青い宝石が光っていた。
『あぁ、これか。珍しい石でね、光りの強さによって、色が変わるんだ』
だが、少女は青年のその胸に輝く宝石が青い以外の色になるのを、見たことはなかった。
地下牢の中ではそれ以上の色の変化は訪れないのだという。
外に出れば、空から降り注ぐ太陽光でその石は虹色に輝くのだと、青年は言っていた。
「虹色……」
ぽつり、と少女が呟いたとき、ハレスが勢いよく振り返った。
「何か気になるものが?」
ここまでくる間、どんなものを見ても無反応だった少女が、ここに来て初めて何かに興味を示したのだから彼が驚くのも当然だった。
「虹色に輝く宝石はあるかしら?」
少女はハレスにこっそりとそう尋ねた。彼にではなく、本来商人の女性に尋ねるべきなのだが、何故がそれができなかったのだ。
「虹色に輝く宝石? どうだ? あるか?」
ハレスは少女の代わりに商人の女性へと尋ねた。
すると彼女はさも当然のように、「これだよ」と大粒の宝石がついたブローチを少女へ差し出してくる。
だがいつまで経っても受け取ろうとしない少女の様子を察し、代わりにハレスが受け取って近くで見せてくれた。
大きな手のひらに乗せられた複雑な細工が施されたブローチは、記憶の中のモノとは違ったが、その中央で輝く宝石はキラキラと輝いていた。
恐る恐るそれを手に取り、太陽に照らしてみる。
(あの人が持っていたものは、この石なのかしら……)
太陽光によって、その宝石は鮮やかに輝いていた。だが、色が青・赤・緑しかない。あの青年は虹色に輝く、と言っていた。少々大袈裟に言っただけなのかもしれないが、これではないのかな、と少女は結論付けた。
「お気に召したのであれば、購入しますか?」
少女の様子に、ハレスは軍服のポケットから金貨を数枚出し、尋ねてくる。
「――いいえ、ありがとう」
ハレスにブローチを返し、少女は立ち並ぶ他の店へと視線を反らす。
「おや、残念。お姫様のお気には召さなかったかい」
「すまない」
「探している宝石があるなら、あたしが探してみるけど、どうだい?」
商人の女性の言葉を、少女は無視した。ただ遠くを見ながらも、脳裏によぎるあの青年の胸元の宝石を思い描く。
あの青年が身に着けていたものと同じものを見つけたところで、何の意味もない。
もしこの場にあるのであれば、その輝きを見てみたかったというだけの話だ。
『あなたにも、いつか見せてやりたいな』
記憶の中のあの青年の言葉が、ただの希望であり願望ではないことなど、知っていた。
地下牢の中で死ぬまで長い時を生きなければならない少女には、外に出てその輝きを目にすることなど不可能なことだ。
(いいえ……、私は、できたのに、しなかった……)
地下牢から出ることなど、本当に簡単だったのだ。
サイコロを振るくらいの力だけで、世界を滅ぼせる。
でもそれをしなかったのは、地下牢から出れば人々を恐怖のどん底に落としてしまうと知っていたからだ。
何重にも重ねられた魔力封じのお陰で、闇の魔女は封印されているのだと人々は信じていた。死なない闇の魔女がちゃんと封じられているから、人々は安心して生活ができるのだ。
もしそれがなんの意味もなしていないのだと知れば、彼等は闇の魔女をこの世から滅そうとするか、ただ怯えてどこかに逃げ隠れるかのどちらかだろう。
少女は自分が死なないことを知っていた。
何をされても、どんなことをしても、この肉体は滅びない。
だから人々が最初は前者を選び、最終的には後者になることが、わかっていたのだ。
(地底の中がよくお似合いの私が、こんな場所に立っているなんてね……)
地上には色々な光りで溢れ、様々な人間たちの笑顔で満ち満ちていた。
この城下街の人々も、少女が闇の魔女だと知らないからこそ、笑顔でいられるのだろう。
「…………何してるんだろ」
この街は本当に美しくて綺麗だと思う。
少女が見て来なかったものが、世界にはもっと溢れているのだろう。
だがそのどれもこれもが、少女の気まぐれで一瞬にして無に帰すことができる。
そんな壊れやすいものの上に立っているのだと改めて自覚すると、ツキン、と小さな痛みが胸を刺した。
「もう、帰るわ」
城下街は少女には合わなかった。
クリストフェルは楽しい、と言っていたが、楽しみ方が全然わからない。
くるりと踵を返して来た道を戻ろうとした少女は、どこかから聞こえる楽器の音に気づいた。
優しい弦楽器の音だ。切なくて、悲しくて、でも温もりのある不思議な音だった。
「この音は?」
「近くで吟遊詩人が詩をうたっているのでしょう」
「――帰るまえに、少し聴いてみたいわ」
「ならば、広場へと行きましょう」
ハレスが人をかき分け、少女のために道を作ってくれる。大きな背に守られるようにして、少女はその後に続いた。
間もなくしてやってきた広場では、ひとりの吟遊詩人が詩を謡い始めたところだった。人々はまばらで、その詩に足を止めるものはまだ少ない。
少女はハレスの背に隠れたまま、吟遊詩人が謡う噴水前で立ち止まった。
不思議な人間だった。
茶色いローブを顔が隠れるまで深くかぶり、身に纏う洋服はこの街で人々が纏うモノとは全く形が違う。
ローブから一束だけ胸元に垂れ伸びた髪は、少女同様、漆黒だった。
体格から、この吟遊詩人が男なのだということは伺えたが、どこか女性じみた線の細さもある。
纏う空気も、街中の者たちとはどこか違い、儚げな印象を覚えた。
彼は、遠い異国の物語を謳っていた。
叶わぬ恋の詩だった。
「…………」
不思議と心惹かれる弦楽器の音色と、青年の蠱惑的な歌声に、少しずつ人々も足を止めている。
詩が終わると、人々は吟遊詩人が地面に置いていた帽子に硬貨を入れていく。
それを見た少女は、ハレスのマントをグイグイと引っ張った。
高い位置にある彼が少女を見下ろし、寡黙で優秀な騎士はその意図を察して、金貨を一枚、少女に差し出してきた。
それを受け取り、少女は吟遊詩人の帽子の中へその金貨を落とした。
ぺこり、と詩人が小さく会釈をする。
「まだ夜ではないのに、陽の中を歩いておいでなのですね」
ぽそり、と吟遊詩人がそう言った。
その言葉に、少女はぴくりと肩を震わせる。
「あなた……」
「冥府からも忌み嫌われた闇の魔女」
吟遊詩人ははっきりと少女を「闇の魔女」だと言ったが、その声は少女にしか届いてはいなかった。
「やっとあなたの光をみつけたようですね」
吟遊詩人が被るローブが、ふわりと風に揺れた。
そこから覗いた双眸には、瞳がなかった。
「…………」
盲目の吟遊詩人は瞠目する少女へと唇だけで笑みを作り、ローブを深くかぶり直した。
そして硬貨が入った帽子を手に、その場から去っていく。
その後ろ姿を、少女は黙って見つめていた。
しばらくの間、そこから動けなかった。
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