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油断
しおりを挟むレオンを連れて自分の教室まで戻る道すがら、シャーロットは後半のあの事件がいつ頃起きるのか、それを思い出そうとしていた。
(いつだったっけ……、もっと読み込んでおけばよかったなぁ……)
いくら大好きな小説だからとはいえ、最初から最後まで隈なく展開を覚えていられるはずがない。前世では色々な作品を読んでいたこともあり、この世界の原作に当たる小説もその中の一つでしかないのだ。
(誑かされた男子生徒の顔だって、挿絵では顔もなかったし、白黒じゃあ髪の色もわからないし……)
ただわかっているのは、マリアンヌを凌辱する男子生徒は高等部の一年生ということだ。
ふと、シャーロットは背後からついてくるレオンを振り返った。
「レオン様。マリアンヌ様の護衛騎士ってどなたかご存じですか?」
「はい。五名の騎士が日替わりで就いているはず――なのですが」
はず、というところを強調するのは、今日の担当がその任を怠っていたからだろう。
「お名前を伺っても?」
名前がヒントになって何か思い出すかもしれない。そう思って尋ねたのだが、レオンに渋い顔をされてしまった。
「聞いて、どうするおつもりですか?」
「いえ、特には――」
「――あまり他の男をあなたに近づけたくはありません」
レオンは嫉妬深い男だ。
シャーロットを想うあまり、自分の恋人が他の男に興味を持つことにあまり良い顔をしないのは、逆を言えばそれだけ愛されているということだ。
だが――。
「心配なさらないでください。私にはもう心に決めている方がいらっしゃいますもの」
二人の会話を誰が聞いているとも知れないため、彼の名を出すことはできないが、真っすぐにレオンの紫色の双眸を見つめてハッキリと口にした。
シャーロットの意図が通じたのか、彼は一瞬目を見開くと、すぐに表情を戻し彼らの名を教えてくれた。
「――……。オーガスタ、イーデン、クレイグ、ナサニエル……」
原作小説では名前すらなかった彼らにも、当然名前があったのだと、今更ながらこの世界で確かに生きている人たちなのだということを、名を聞くことで実感する。
「それから一番年若いアランという五名の騎士です」
「アラン?」
その名前にピンときた。
(そうだ! アラン!! そうそう! それくらい覚えやすい名前だった!!)
犯人の名前を耳にした瞬間、彼が男子生徒たちを誑かしたきっかけを思い出し、シャーロットは顔面蒼白になった。
(たしかアランはマリアンヌの愛撫担当にされて、そこから歪んだ勘違いをするようになって……)
自分を想っていると勘違いしたアランは、まったく振り向かないマリアンヌに憎悪を向けるようになり、そしてあの事件を起こすのだ。
(私……)
彼が愛撫担当にされた場面、シャーロットは現実でも出くわしている。怪我をして医務室から謹慎塔に戻る帰り道。レオンと中庭を歩いたとき、コンラッドとマリアンヌの情事に居合わせている。アランは年若いが愛撫が上手く、マリアンヌは簡単に感じてしまった。あの時なのだ。自分の愛撫に感じる彼女に、アランは有らぬ誤解をしてしまうのである。それがすべての元凶になってしまうのだ。
(あの時、私が邪魔していたら……)
もう少し早くこの展開を何とかしようと考えていれば、シャーロットは確実にアランが誤った道に行かないよう、あの場に乱入して食い止めることができた。だが、あの時は自分のことで精いっぱいで、他人のことなどどうでもよくて、思い出そうともしなかった。
しかしこれは起こるべくして起こる悲劇でもある。それを食い止めてしまえば、しかも主要キャラに起こることを妨害すれば、彼らのシナリオが変わってしまう可能性がある。
ハッピーエンドで終わるはずの物語が、シャーロットの介入でそうではなくなってしまったら……?
「シャーロット嬢? どうかされたのですか」
「いえ……」
シャーロットは冷たくなる拳を握りしめ、思考を巡らせた。
(……もう手遅れなんだし、私が責任を感じるのもおかしな話だよね)
アランが勘違いするきっかけを作ったのはコンラッドである。あの男の性癖がもう少しまともであれば、起こるはずのないことでもあったのだ。
自分にそう言い聞かせるが、それでも責任を感じてしまうのは、コンラッドに少しばかり恩を感じているからである。
彼が居なければ、シャーロットはレオンと結婚を約束するまで自分たちの関係を進展させなかっただろう。今、こうしてシャーロットが彼と共にあれるのは、コンラッドの手助けあってこそだ。
「顔色が悪い。体調が悪いのではありませんか?」
身を屈めて、レオンがシャーロットの顔を覗き込んでくる。
心配そうな紫色の瞳を向けてもらえるのも、コンラッドがふたりをくっつけようとしたからである。
(こうなるって知ってたから、レオン様に攻撃魔法も教えてもらったんだもん。物語を変えなかったことを後悔するより、迷わず進まないと)
握りしめた拳を解き、シャーロットはそっとレオンの制服の袖を掴んだ。
「本当に大丈夫ですの。ただひとつ、お伺いしても宜しいでしょうか……?」
シャーロットは今後に備え、レオンにあることを尋ね、そしてその答えを元に、行動を始めた。
二週間後の放課後、シャーロットはひとり、校舎の裏にある倉庫小屋の物陰に隠れていた。
(レオン様が言うに、アランが学園で彼女の護衛に就くのは一週間に二度。時期的にそろそろなんだけどな……)
原作ではシャーロットが学園を去って一、二カ月辺りで事件は起こる。さらにマリアンヌが凌辱されかける現場もわかっている。放課後のこの倉庫小屋だ。
マリアンヌはアランに騙され、コンラッドが待っていると信じてここにやってくる。そして男子生徒に囲まれ、倉庫小屋の中で暴行を受けるのだ。
(レオン様を撒いちゃったけど、大丈夫だったかな……)
シャーロットはこの現場を、ひとりで押さえようとしていた。レオンが居た方が百人力ではあるものの、もしタイミングがずれてしまえば、マリアンヌのあられもない姿を彼に見せてしまうことになる。
レオンには自分以外の女の『そんな姿』を見てほしくはなくて、トイレに行くと嘘をついて彼を撒いてきてしまったのだ。
(怒られるかな……)
シャーロットは風魔法の使い手であり、魔法さえ使えば騎士だって撒けるくらい早く移動ができる。こんな危険なことに首を突っ込もうとしていることが彼にバレれば、お仕置きものかもしれない。
(それはそれで……)
彼からのお仕置きなら、どんなことでも受けさせてほしいと、むしろ希望するくらいだ。
(怒ったレオン様に……とか、私、そういうシチュエーションすっごい好きなんだよねぇ~)
場違いにもひとりニマニマしながらも、シャーロットは風の範囲魔法で人の気配を辿っていた。
(あ、誰か来た……)
人数は三人。男女の区別はできないが、恐らくマリアンヌを襲うよう誑かされた男子生徒たちだろう。
気配を消す魔法も重ね掛けし、シャーロットは物陰で息を顰めた。
シャーロットの予想通り、三人の男子生徒たちが倉庫小屋の中に入っていく。顔は見えなかった。
(――……緊張してきた)
緊張で心臓が早鐘のように鼓動を繰り返している。それを胸の上に手を当てて落ち着かせるよう努めた。
(緊張したらダメ。また、失敗しちゃう……)
魔法は術者の精神力にも影響を受ける。極度の緊張や動揺は魔法を乱し、コントロールが効かなくなることがあるのだ。それをシャーロットは一度経験している。
レオンにたくさん訓練をしてもらったが、こんな場面で魔法を使うのはこれが初めてだ。
(魔道騎士のお嫁さんになるんだから、失敗は許されない……)
何度か深呼吸をし、鼓動し過ぎて痛む胸を手で押さえた。
(マリアンヌが襲われかけたらすぐに攻撃魔法を仕掛けて助け出す。余裕があったらあの男の子たちも捕まえて……)
この日までに考えた、これからのプランを頭の中で反芻していたときだった。
もう一人、誰かが近づいてくる。
(マリアンヌかな……?)
自身を落ち着かせつつ、シャーロットはその時を待った。
「きゃああああ!!」
マリアンヌの悲鳴が聞こえ、彼女が三人の男子生徒に倉庫小屋の中へと連れ込まれた。
(今だ!)
そう思うのに、足が動かない。
(どうして!?)
足がガクガクと震えていて立てない。こんなときに、と自分を叱責し、シャーロットは自分の頬を引っぱたいた。
(私は、バレリア侯爵家のシャーロット! こんなの怖くない!!)
それにあの下級生たちも、上級生であり侯爵家の令嬢に手出しはできないはずだ。
まだコンラッドとの正式な婚約破棄もしていない。そんな人間に何かすれば、それこそ学園を追い出されるだけでは済まされない。
「いやぁあああああああ!!!」
マリアンヌの二度目の悲鳴に、シャーロットはようやく駆け出した。
もつれそうになる足に風魔法をかけ加速し、シャーロットは倉庫小屋の扉をその勢いのまま蹴破った。
ドガシャーン、とけたたましい音が鳴り響く。
「これは何事ですの!!」
シャーロットは仁王立ちし、マリアンヌに群がる男子生徒を睥睨した。
「なっ、誰だ!?」
「おい、どうすんだよ!」
「俺に聞くなよ!」
床に押し倒され、制服を破かれたマリアンヌに圧し掛かっていた男子生徒たちがシャーロットの姿に慌て始める。
「早く彼女から退きなさい!」
悪役令嬢さながらの命令口調で命じるが、彼らは退こうとはしなかった。
このときシャーロットは、もう少し考えるべきだった。
彼らには、もうひとり仲間がいるということを
……。
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