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第三章

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「ミーリャ、大丈夫かな……」

 助けるはずが逆に助けられているという不思議な現状。なんとなくむず痒い気持ちに陥るのは仕方が無いことだと言えよう。

 アドレンの小脇に抱えられたまま、少年は呟いた。残してきた少女の強さは理解しているが、それでも本当にそれで良かったのかと悩んでしまう。
 不安からか、頭部の獣耳を垂れるジルを、アドレンは一瞥。少し考えて、彼はこう言った。

「大丈夫だろうよ。あのガキは無駄に強えからな。俺らの出る幕は無に等しいはずだ」

「それはまあ、わかってるけどさぁ……」

 空中を漂うように前を行くハンドマンを追いかけ、街角を曲がる。まだ続く道に、心の中でげんなりとした。

「そりゃ、ミーリャも、アランちゃんだって、強いのは知ってる。知ってるけど、でも……俺の中で多分、一番強いであろうオルラッドがこの状態だからすんごい不安なの。わかって」

「おいやめろ。滅茶苦茶不安増したじゃねーか。ふざけんなよ」

 内心冷や汗をかきつつ、アドレンは吐き捨てた。さすがの彼も、実の妹のことが気がかりなのだ。

 あいつは一人になるとすぐ無茶をする。早く迎えに行ってやらないと……。

 そう思うと同時に、残してきた少女のことも、彼は気にかけた。さすがに女性に戦いを任せるのは、と、彼の紳士精神がひょっこりと顔を覗かせているのだ。

「……おいガキ」

「はい」

 ガキという単語に素早く反応したジルに若干呆れつつ、アドレンは告げる。

「俺はどうも女に守られるってのは好かねえみてえだ。だからちょっくら戻ってくるわ。アランのことは頼んだからちゃんと見つけて連れてこい。何かあったらその耳引っこ抜くからな」

「任せてください旦那! 俺すっごくがんばる!!」

 引き抜かれないよう頭部の獣耳を両手で隠し、放るようにアドレンの腕から解放されたジルは、その勢いのままハンドマンを追いかけ駆けて行く。それを見届け、アドレンは踵を返した。

 かなりの不安はあるが、致し方ない。敵の方を片付けなければ安心などできないのだから。
 肩に担いだ英雄を尻目、彼はため息を吐き出す。

「……まあ、武器にはなるか」

 ジルがこの場にいたら、すかさず「やめたげて!」と叫んだに違いない。

 そんなジルは、必死の形相でハンドマンを追いかけていた。アランに何かあったら獣耳を引き抜かれるため、命を賭しても無事に彼女を見つけ出さなければならない。
 上空に飛んだハンドマンを追うように、地を蹴り、建物の壁を利用しつつ、屋根の上へ。そこから見えた一つの時計塔に、ああ、と少年は悟る。

「アランちゃん、あそこにいんの?」

 ハンドマンは親指をたてた。なるほど。かなり友好的な骨である。
 ジルは己の親指を立て返す。そして、一度深呼吸をしてから、軽く後退。勢いを付けて跳んだ。

 いかな雑魚と言えども、獣族の血が半分くらいは流れている身である。オルラッドたちほど素早くは動けないが、それでも平均的な人間を上回るスピードは持っているはずだ。

 できるだけ早く辿り着くよう最短距離を選びながら、少年はただひたすらに突き進む。願うは少女の無事。どうか生きていますようにと、空中で祈るように手を組んでから、時計塔の出入り口前へ。
 華麗な着地を決めた自身に若干感動しながら、目の前に聳え立つ巨大なそれを見上げた。

 時計塔は木材ではなく、石が使用されていた。見た目は氷木に似ており、氷そのものである。しかし、触れてもそんなに冷たいわけではない。

「単純に考えて氷石ひょうせき? いや、単純すぎか……」

 考えつつ、時計塔の入口をくぐる。同時に全身を襲った、身震いする程の冷気に、思わず体を丸めて腕をさすった。

「なにここ冷蔵庫の中? すごい寒いんだけど……」

 だからといって帰るわけにはいかない。
 傍らで浮遊するハンドマンを一瞥し、ジルは軽く猫背になったまま歩き出す。

「アランー! アランちゃん、どこだー?」

 大声で叫んだ少年は、慌てて口を塞いだ。そういえばここ敵いるかもしれないんだった、と青ざめ、辺りを警戒しつつ前方へ。できるだけ息を殺して先に進む。

 時計塔内部は、異常なまでに静まり返ってしまっていた。人の姿も、気配もないここに、本当にアランはいるのだろうか。
 不安が増す。同時に嫌な予感も増す。

 いけないいけない。

 ジルは頭を振って息を吐いた。

「──ああ、なんてこと……」

 ふと聞こえてきた声に、獣耳が反応する。
 ジルは一度考えてから、柱の陰に隠れるように移動しながら、声の聞こえてきた方へ。音を立てないよう細心の注意を払いつつ、目の前に現れた扉をそっと開き、隙間を作る。

 作った隙間から覗くことにより見えたのは、どこかの、薄暗い部屋の中だった。茶色い木製の壁と床、そして家具が、一般的な民家を思い出させる。

 あれ?
 ここ、時計塔だよな……?

 つい疑問を抱いてしまった。しかし、それに答える者は誰もいない。
 眉を顰めるジルの耳に、先ほどの声が聞こえてくる。

「ああ、ああ、ひどい、こんなのあんまりだわ……」

 嘆きに満ち溢れたその声は、室内に佇む、一人の女性から発されていた。白く短い髪に、ヤギのような角。
 獣族か、と少年は悟る。同時に女性は言葉を紡ぐ。

「私とあの人の子よ。なのに、どうして……」

 聞くところに子供の話をしているようだ。そして察するところに、あまりよくない話だろう。

 これ以上聞くのはやめておこう

 身を引きかけたジルの視界、一人の少年がやって来る。赤い瞳に白い髪。その頭には女性と似たような角が存在しており、ジルは思わず引きかけた顔を元の位置に戻した。獣族の子供に親近感が湧いたのだ。

「母さん、どうしたの?」

 少年が問う。
 どこか気だるげなそれに、女性は慌てたように振り返り、笑みを浮かべた。

「あ、あら、なんでもないのよ。ごめんね、起こしちゃったみたいで……」

「……お腹空いて目が覚めただけ」

「あら、そうなの? じゃあ軽く何か作ってあげるわ。そこに座って待っててちょうだい」

「わかった」

 頷く少年。素直な彼に、女性は微笑む。

「いい子ね、アドレン──」

 女性の口から飛び出したその名に、ジルが驚き噎せるのに、そう時間はかからなかった。
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