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第二章
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しおりを挟む「──ボル・デ・ジャーノ!!」
高々と張り上げられたミーリャの声。呪文を紡ぐそれに呼応し出現したのは、細かく綴られた文字の羅列だ。
黒紫色の文字たちは、淡い紫色の光を放ちながら辺りへ拡散する。
散り散りに舞ったそれらが動きを止めた刹那、ドラゴンが攻撃体制に入った。巨大な羽を羽ばたかせながら、ミーリャ目掛けて突進してくるその姿を見て、ジルはその翡翠の瞳に涙を浮かべる。
「ひいい!」
悲鳴をあげ、庇うように、獣族の少年は血濡れの二ルディーに覆いかぶさった。少しでもダメージを軽減できるように。彼女の命の灯火が、ここで消えてしまわぬように。
強く目を瞑ったジルは、しかし、なかなかこない衝撃に疑問を抱き、恐る恐る顔をあげた。そのまま視線を背後へ。ミーリャの小さな背中越しに、彼女の前方に広がる景色へと目を向ける。
──そこに、ドラゴンはいなかった。
目を瞑る前までは、確かに存在していた、複数体の獰猛な肉食生物。つい今まで牙をむき、その巨体で空気を割くように突き進んでいたはずなのに、一体どこへ行ってしまったのか。
浮かぶ疑問。悩ましげに若干表情を浮かべミーリャを見る彼は、彼女が無言で空を見上げていることに気がついた。
──上……?
軽く小首をかしげ、視線をあげようとしたジル。その視界の端で気持ちの悪い落下音と共に、何かが地面へ落ちてきた。慌てて見てみれば、それは巨大な肉片のようだ。
まだ真新しいであろう、新鮮味のある肉片。真っ赤な鮮血を滴らせるそれは、どことなく、鶏肉に似ているような気もしなくはない。
ジルは即座に上を向くことをやめた。今見てしまえば、確実に汚物を吐瀉する自信があったからだ。
「……ま、それでいいのね。お前にこれはまだ早いのよ」
ジルの挙動不審な行動を気配で感じながら、ミーリャはそう言った。そして、頭上に広がる凄惨なる光景から顔を逸らす。
ドラゴンの一網打尽には成功した。早くあの人間を超えかけている男に助力せねば。
考えつつ、視線をその、人間を超えかけている男に向ける。
「お、っと……!」
例の男は、丁度己が身に降りかかる攻撃を避けているところであった。 アランとアドレン、この兄妹の攻撃は非常に息があっており、交互に、時には同時に繰り出されるそれには、さすがのオルラッドも手を焼いているようだ。一筋縄ではいかないらしい。
確実に首を狙ってきたアドレンの腕を蹴りあげ、幾度かバク転。ある程度離れた位置で体制を整えれば、同時にドラゴンたちの消失事件に気づいたアランが、困ったように眉尻を下げる。
「もう、かわいいペットたちまで殺られるなんて。悲しいことだわ。私の周りには敗者しか生まれないのかしら……」
片頬に手を添えため息を一つ。嘆かわしい、と言いたげなアランは、武器を手に、その場で急遽しゃがみ込んだ。
その動作に、声を上げたのはミーリャだ。
「オルラッド! 女を止めるのね!」
「了解した!」
何かを悟ったようなミーリャの指示に、頷き駆け出したオルラッド。だがしかし、その行く手は妹を守るように前に出たアドレンに阻まれ、オルラッドはつい舌を打つ。
そんな短いやり取りの直後、アランの行動は完了した。地面に触れた手の先を中心に、巨大な陣が彼女の足下に出現していく。
それは、魔術や呪術とはまた異なった陣であり、なんとなく事態を把握したジルは、頭に乗っかっていた子ドラゴンをそっと腕の中へ。二ルディーを背に、子ドラゴンを抱きしめる腕に力を込める。
「さあ、おいでなさい!」
微笑み、告げる。
白き少女の足下で今、地面が大きく盛り上がった。
──召喚士、という存在をご存知だろうか?
その世界にあった一番の方法で、人間ではない何かと契約し、己と共に戦わせる者達のことだ。ゲームなどによく出てくる存在だし、知らない人は少ないのではなかろうか。
ファンタジー系統の作品では、この召喚士を取り扱ったものが多く存在する。中には重要な立ち位置として描かれているものもあるが、そうでないものも勿論存在する。まあ、どちらにせよ、言えることは一つ。
「……召喚士は、やばい」
語彙力の欠如によりなんと言い表せばいいのかわからず、ジルはとりあえずとそんな言葉を紡ぎだした。その視界の中では、漆黒の大地から生成された、言うなればゴーレムのような石の巨人が、その肩にアランを座らせながら佇んでいる。
正直言ってこわい。とてもこわい。
震える主人と連動するように、ジルの腕に抱かれた子ドラゴンもその小さな体を震わせる。
その弱き者の姿が非常に気に入ったようだ。アランは巨人の上で優雅に足を組んで見せながら、嬉しそうに微笑んでみせた。
「そう。それが正しい反応。弱者が強者に恐れおののくその姿……ああ、やはり、何度見てもいいものだわ……でも、少し足りないようね……」
困ったように、少女は呟く。
「おチビさん、ダメじゃない。恐れを抱いたならばきちんと敗北宣言をしないと。地に額を押し付け、恐怖に震え、涙しながら、私に逆らったことを謝罪しないと……ん?」
そこまで言って、少女は考え込む。その間も巨人の足元でオルラッドとアドレンが争いあっているが、そんなことは彼女にとって特に問題ではないようだ。
深く考え込んだ後、彼女は顔をあげてジルを見た。向けられた赤い瞳に、少年の獣耳は天に向かってピンと立つ。
「そういえばおチビさん。あなた、特に逆らっていなかったわね……」
そりゃあ、あなたみたいな人にこんな弱者は逆らえませんよっ!
心の中で叫ぶのは、口に出したら殺される、というかこの状況が確実に悪化するから、ということにしておこう。決して勇気がない訳では無い。多分。
口を噤むジルの前、怒り心頭、といった風に表情を歪めたミーリャが、腰に手を当て舌を打つ。
その行いが癪だったようだ。アランの柔らかな笑みが途端に崩れ去っていった。残ったのは他者を見下す冷たい表情だけである。
「あら、教育のなっていないおチビさんもいるものね。良いわ。あなたのその態度はあまり気に入っていなかったし、今、この機会に調教してあげる」
「ほざくがいいのよ、クソ女。たかが召喚士如きが、ミーリャに適うとでも? 勘違いも甚だしいのね」
「……汚いお口。耳障りだわ」
アランが片手を前へ。それに従うように動きだした巨人は、その巨体のどこにそんなスピードを出せる軽やかさが備わっているんだと疑問に思うほど、凄まじい速度でミーリャの前へ。
一切の容赦なく、巨大な腕を振り上げ、小柄なミーリャに向かってその拳を一気に振り下ろす。
「……ここだと雑魚がいるのよ」
焦るジルを尻目、ミーリャは冷静な動作で向かい来る拳に手をかざす。
「移動するのね──シャルド!」
瞬間、忽然と姿を消した三つの存在に、その場にいた誰もが、動きを止め、驚愕の表情を浮かべていた。
一瞬にして、二つの命がこの場から姿を消した。
いったいぜんたいどうなっているんだ!!、と心の底から叫びたいのを我慢していれば、強者二人の呟きが音に敏感な獣耳に届いてくる。
「今の、空間移動か? おいおい、高位魔術の類だぞ……」
「空間移動を使えるのは一握りの魔術師のみだと聞いていたが……まさか、こんなに身近に……」
感慨深いと、一時休戦し語らう二人に呆れた視線を送ってやる。
お前ら、実は仲良いだろ……。
口にすれば確実に殺されること間違いなしであろう感想を頭の中に浮かべていれば、ふと、背後で小さなうめき声。慌てて振り返れば、血濡れた二ルディーの瞳がうっすらと開かれていた。
痛みのせいか二ルディーの眉間には軽くシワが寄せられていた。意識はハッキリと覚醒しているらしい。視線だけで辺りを見回した彼女は、一度深い息を吐いてからその身を起こす。
「ちょっ、いきなり起き上がったら傷が……っ!」
「黙りなさい、雑魚よ。傷なんて既に癒えています」
「はあ!?」
何を馬鹿なことをと、真偽を確かめるべく二ルディーの胸元に視線をやる。当然、凄まじい速度で顔面に右ストレートを喰らってしまった。
情けなく地面に伏し、痛みに震えるジルに子ドラゴンが不安そうに寄り添っている。なぜこうも懐いたのだろうか……。二ルディーはジルを殴った拳を擦った後、ズレたメガネを静かに正した。
「それで? 現状はどのようになっているのです? あの超人共はなぜ争いあっていないんですか? まさか和解? そんな馬鹿な。私の気絶していた間に恐るべき超人同盟が完成されたというのですか……!」
「勝手な妄想はやめんかい!」
右ストレートを喰らった頬をいたわる様に撫でながら、ジルは地に伏していたその身を起こした。若干目尻に涙が溜まっているのは痛みが残っているからだろう。
同じ雑魚だからと侮っていた。こいつ、存外力強いぞ……。
つい先日、旅のはじめに出会した謎のスライムのことを脳裏に思い返しながら、ジルは泣きたくなった。
一方。そんな二人とは裏腹に、一応戦いの最中であるオルラッドとアドレン。二人は漸く意識を現実に戻すと、やれ仕切り直そうと、お互い武器を構え直す。
先程までの和やかに近い空気はどこへやら、既に緊迫した空気が二人を包み込んでいた。
「さて、こちらも早々に決着をつけよう。勝利するであろうミーリャに、敗北した姿など見せられないからな」
「そりゃこっちのセリフだ。さすがに二度も敗北したとなりゃ、アランに顔向け出来ねえ。──そういうわけで、俺は確実な方法を取らせてもらうとしよう」
なに、とオルラッドが声を発する暇もなく、アドレンは地を蹴った。目的は一つ。オルラッドにとって足枷となるもののみ。
アドレンはまず、起き上がったばかりの二ルディーの元へ。驚く彼女を容赦なく蹴り飛ばした。
予想外の事態に対応できなかった彼女は当然、その豪奢な体を地面に打ち付けながら離れた位置へ。強い衝撃と痛みに震え、立ち上がることもままならない。
「二ル──うぐっ!!」
倒れた二ルディーの名を叫ぼうと震えた、その細い喉を片手で捕らえ、アドレンはそのまま軽々とジルを持ち上げる。当然、支えのないこの状況では、少年の首は絞まるだけ。
──ああ、そうだ。そうだよなぁ。
呼吸という、生き物にとって大事な活動。それを妨げられ、徐々に苦しさがジルを襲う。
──夢に見たんなら、俺は……
霞む視界。頭の中では、走馬灯のように今までの思い出が流れている。
──ここに来るべきじゃなかった……。
後悔しても、時既に遅かった。
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