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第二章

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 距離およそ5.0km。徒歩移動でかかるおおよその時間は一時間前後。その距離を約五分で駆け抜けた恐るべき脚力をもつ強者の傍ら、凄まじい速度で揺られた子供二人は地面に膝をつきダウンしていた。
 まだ口から吐瀉物を吐き出していないのが奇跡である。

「そんなに飛ばしたつもりはなかったんだが……加減って難しいなぁ」

 最早つっこむ気も反論する気も起きない。
 酷く青ざめ、こみ上げる気持ち悪さを必死の状態で堪えながら、ジルは背に担いでいたリュックを地面へとおろす。それから、リュックの中に詰め込んでいた水入りのペットボトルを二つ取り出し、その一つをミーリャへと手渡した。

 二人がペットボトルの中身を勢い良く飲み干し若干回復した頃、山道の出入口近辺でなにやらもめ事が起こり始めた。視線だけでそちらを見てみれば、旅人らしき格好の男女が多く集っているではないか。一体何事か。というかこの光景、市役所でも見た様な気がする。
 ジルは口元を抑えながら、げんなりとした表情を浮かべた。

「……なに? 何事?」

「さあ……何かもめているようだが……」

「ジル。お前獣族なら聴力いいはず。盗み聞くのね」

「やってるよ。言われなくても」

 ジルは一度、落ち着くように息を吐いた。それから、集中するために瞳を閉じ、人混みから発される会話を聞き取ろうと頭部に存在する獣耳を動かす。
 まず一番に聞こえたのは、顔もわからぬ男の怒鳴り声であった。

「おいおいおい! 冗談じゃねえぞ! ここに来るためにどんだけの時間を費やしたと思ってるんだ!!」

 知るかそんなこと。こちとらものの五分で到着したぞ馬鹿野郎。
 届くはずもない文句を垂れながら、新たに聞こえてきた声へと耳を傾ける。

「どのようなことを仰られようとも決定は決定です。この決定を覆すことは旅人の方々では不可能です。お引き取り下さい」

「んだとテメェッ!!」

「もう一度言います。お引き取りを。さもなくば業務を妨害した罪によりあなたを罰さねばなりません」

 淡々とした声が途切れたかと思えば、新たに金属音が鳴り響く。音とその長さからして剣を引き抜いた感じだろうか?
 おいおいおい、まじかよ。なんて物騒な山道なんだここは。
 ジルは既に帰りたい欲に駆られるが、それに耐えてひたすら会話を盗み聞く行為に集中する。

「罰するだと!? ただの見張りの分際で何を偉そうに!!」

「我々は上から指示されているのです。病の街には誰もいれるなと」

「ならさっき通した子についてはなんて言い訳する気だよ!?」

「あの方が通られた時は上からの連絡はきていませんでしたので」

 しれっと言いやがったこの見張り。
 店員なら確実にクレームを入れられる対象間違いなしだ。いやまあ、言ってることは理解できるっちゃできるが……。

 悩ましい、とジルは難しい顔になった。そんな彼のことなど当然のことだが露知らず、見張りは尚も言葉を続けていく。

「さあ、早々に退却されよ。ここは既に閉鎖区域。誰一人として通すことはできません。それに直、ここには多くの騎士がやって来る。あなた方旅人は正直彼らの邪魔にしかならないのです」

「は? 騎士?」

 反論するかと思った男は、予想外に間の抜けた声をつむぎ出した。それに対する見張りの解答は、ジルにとっては衝撃的なもので──……

「はい。病の街には今、『悪代表』が潜んでいますので」

「ぬぅわんですってぇえええええ!!!?」

 ついつい張り上げてしまった大声は、この山道全体に響き渡る程に巨大なものであった。



 ◇◇◇


 まずい。これはまずい。非常にまずい。
 具体的に何がと聞かれたらちょっとそれはわからないが、しかしまずい。

 己の傍らで怒りのオーラを募らせていく赤毛のイケメンを視界に入れないように努めながら、まだ幼い獣族の少年はこれからの動きを考える。

 自分たちの今回の目的は二ルディーを連れ戻すこと。彼女がいなければベナンを看る者がいないし、なにより病の街なんて怪しい名前の地に彼女を行かせればそこらでくたばるのが落ちだ。
 悪代表にはそれはもう、お目にかかるというか、そのお姿を遠くから眺めて見たい気もするが、そんなことをしている暇は残念ながら存在しない。というかそんなことをした暁にはこのイケメンから殺されてしまう可能性がある。むり。こわい。

 ジルの獣耳が情けなく折れ曲がる。

「……ジルのそのお飾りの耳が本物であるとしたら、山道閉鎖前に街に向かった人物が少なからず一人はいるはず。それがあのやかましい女だとすると面倒なのよ」

 無言のオルラッドをちら見して、ミーリャは言った。
 それに言葉を返すのはジルだ。

「でも後から騎士が来るって言ってたぞ、あの見張り。その騎士たちに二ルディーのことお願いすればいいんでないの? 単純にさ。というかお飾りってなに!?」

「黙るのよおバカ」

 ミーリャからの鋭い睨みを受け、ジルは即座に口を閉じた。
 そんなジルから視線を外し、ミーリャは顔を山道の入口の方へと向ける。

 彼女の視界には、尚も寄ってくる旅人を追い払っている見張りたちの姿が写っていた。偉そうな態度の彼らが気に食わないのか、彼女の顔は不機嫌一色に染まり果ててしまう。
 両サイドに怒れる強者が二名。ジルは肩身が狭いと、軽く背を曲げて縮こまることしかできない。

「騎士連中の全てが善人とは限らないのね。中には上の命令ならなんでもする、良心の欠片を捨てたクズ共もいるのよ。そんな連中にあのバカ女のことを頼んでどうするのかしら? 無事に、生きて、あの女を連れてくる可能性は極めて低いと、ミーリャは思うのよ」

「考えすぎでない? だって騎士だろ? なら正義側の人間なんじゃ……」

「正義の皮を被った悪もいる」

 口を噤んでいたオルラッドが、低く告げた。それに顔を上げたジルに構うことなく、彼は前方へ。旅人に囲まれる見張りへと声をかける。

「すまない。一つ聞きたいことがある。先程貴殿はこの先に誰かを通したと言っていたが、その人物はもしや緑の髪の女性か?」

「ん? ああ、よく知ってんな。えらいかわいい子だったよ。スーツ着てたし旅人ではなさそうだったが……もしやおたく、あの子と知り合いか?」

 だとしたらお気の毒に。そう言いたげに、見張りは哀れんだような表情を浮かべた。

「病の街は悪代表が潜む街。上は既にそう認識している。となると、騎士たちが来たら街中はひどい戦場になるだろう。あの姉ちゃんどころか、街の連中全員が戦いに巻き込まれ、運が悪ければ……」

 これ以上は言えないと、見張りは口を閉ざした。だがここまで聞いてしまえば、彼の言いたいことは嫌でもわかってしまう。

「……なるほど。情報の提供、感謝する」

 礼をひとつ。踵を返したオルラッドは、そのままジルたちの元へ。

「どうやら彼女は既に街へと向かったようだ。どうする?」

 どうするもこうするも、答えは一つである。
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