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真吐き一座
第70話 演劇の国
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~真吐き一座 宿泊馬車~
月明かりと篝火だけが照らす宵闇の中、ラルバ達は大量の馬車の隙間を縫うように進んでいく。馬車の一つ一つはまるで一軒家のように大きく、明かりがついている窓からは、ちらほら手を振って挨拶をする国民の姿が見えた。そうして御者に指示された馬車に到着すると、馬車を引いている全長5mはあろう2体の巨大な生物がこちらをじろりと睨んだ。ラデックは物珍しそうに巨大生物に近づき、剛毛で筋肉質な体躯をまじまじと見つめる。
「これは……牛か?馬?にしてもデカイな……」
そこへ変装したイチルギがやってきて、同じように巨大生物を見上げる。
「駱駝よ。正確には馬と駱駝の間……で、ちょっと驢馬寄り」
「ウマロバラクダってことか」
「“コウテイラクダ”って種類で、暑さに強くて飲食無しでも1週間は生きるし、さらに海水以上の塩分が入った水も飲める。おまけに病気にも罹りづらくて波導の薄さも問題ナシ。この辺みたいな砂漠寄りの乾燥帯で暮らすなら、家族以上に信頼できるパートナーよ」
「ほう……それは凄いスペックだな」
ラデックが足を畳んで座っているコウテイラクダの身体を撫でようと手を伸ばすと、コウテイラクダは大量の唾を吐きかけて威嚇した。
「ぐあっ」
「……ごめん。言い忘れてたんだけど、この子達は賢い上にプライドがとても高くて、飼い主以外の人間に馴れ馴れしくされることを嫌っているの」
ラデックは涎に塗れた顔を拭って辺りを見回す。
「………………高スペックで優秀な動物が、これだけ群れを成していて襲撃もされず旅を続けていられる理由はそう言うことか」
「そうね。見知らぬ人間の言うことなんか絶対に聞かないわ。それどころか機嫌が悪いと飼い主の言うことさえ聞かない。売買に物凄く苦労する生き物なの。その傲慢さから“砂漠の王”とも呼ばれているわ」
「……失礼しました王様」
ラデックがコウテイラクダに深々と頭を下げると、コウテイラクダは笑うように鼻息を小刻みに吹き鳴らし、勢いよく顎をラデックの頭に乗せた。
「おごっ…………こ、これは……許されているのか?」
「んー…………許してやらんこともないって感じかしら……」
「……勿体なきお言葉」
ラデックとイチルギが馬車の中へ入ると、先に入っていたラルバがラデックに駆け寄ってきてから引き攣った顔をする。
「ラデックくちゃい!!おっさんのゲロみたいな臭いがする!!」
「……湖で洗ってくる」
「私も行く~」
湖へ向かうラルバとラデックの2人と入れ違いでジャハルが馬車に乗り込み、室内を見上げて感嘆の声を漏らした。
「おおお……これは凄いな。馬車の中とは到底思えない……」
幾何学模様の美しい絨毯。装飾が施されたランプ。簡易的なキッチンに大きなテーブル。角錐の屋根を覆うように迫り出したロフトと、壁にはカーテンの様に垂れ下がった幾つものハンモック。まるでロッジ風のホテルではないかと見紛う程に清潔な木造馬車が、一行を温かく出迎えた。
入室してきたばかりのジャハルに、ハピネスは椅子にもたれ掛かりながら指を突きつけ指示する。
「ジャハル君。悪いんだけどハンモック張ってくれるかい?私は見ての通り立ち上がる気力すらないのだよ」
「……はあ。仕方ない」
ジャハルは大きく溜息を吐いてから、渋々ハンモックの用意を始める。そこへ先程の御者が訪れ、ジャハル達にお辞儀をした。
「本来は一度長と顔を合わせて頂きたいのですが、今日はもう遅いのでこのままご就寝ください。明日の朝お迎えにあがります。お風呂は湖畔にある緑色の馬車をご利用ください。給水ホースが湖にまで伸びているのが目印です」
御者が再び頭を下げて退出する。ハンモックを張り終わったジャハルは大きく欠伸をして、気怠そうに辺りを見回した。
「警戒するに越したことはないが……今はまだすることもないし、風呂だけ世話になって休むとするか」
~真吐き一座 ???~
「座長。旅人は全員就寝した様です」
「そうか……所見は?」
「人道主義自己防衛軍の総指揮官が2人、グリディアン神殿の魔導外科医が2人……悪さをする連中とは思えません」
「うむ……あの女はどうだ?赤い角に紫髪の……」
「“ラルバ”ですか。確かに目付きが独特で捉え所のない振る舞いをしていますが……まだ現段階ではなんとも……」
「……“花形”を呼べ」
「えっ……!?そ、それは……」
「私の“異能“がそう指し示している」
「…………畏まりました」
「んひひひっ」
~真吐き一座 アサガオ劇団~
翌朝、ラルバ達は真吐き一座の中で最も大きな馬車に集められていた。アサガオの蔦があちこちに装飾された豪華な馬車の内部は大きなコンサートホールの様になっており、何人もの役者が舞台に並んで笑顔でラルバ達を迎え入れた。ラルバはウキウキしながら観客席のど真ん中に腰掛け、ラデックの袖を引いて隣に座らせた。
「早速演劇でも見せてくれるのかな?楽しみだな!」
そこへジャハルが早足で駆け寄ってきてラルバを咎める。
「まだ何も言われてないだろう。勝手に座るな」
「じゃあ舞台立っていいの?」
「そうじゃないだろうが……!」
しかし、後ろからやって来たスタッフが優しく微笑んでジャハルを宥める。
「いいんですよ。そのままお好きな席へ腰掛けてください」
その言葉にラルバは鬼の首を取った様に威張り嘲笑する。
「ほらぁ~迷惑かけないの!!」
「ぐっ……!!いい気になるな!」
「ほらほら、なんか始まるみたいだよ。おくちチャック!!」
ラルバが人差し指を口元に当てて「しぃ~!」とジャハルを睨む。ジャハルが不満そうにラルバの隣に腰掛けると、他のメンバーも同じように席を選んで着席する。そして観客席は段々と暗くなり、舞台だけがスポットライトに照らし出された。
そして舞台の中央に立つ壮年の男が一歩前に出てマイクを手に取る。
「初めまして旅のお方。この度は“真吐き一座”にようこそいらっしゃいました。私はこの国の座長……所謂総裁を務めています。“シガーラット”と申します」
薄ら濡れたように艶かしく輝く赤毛のオールバック。白い紳士服に黄金の装飾があしらわれた豪華な衣装。金の瞳と頬の輪郭を覆う髭が清潔感と高貴さをより際立たせている。シガーラットと名乗る男はラルバ達に深々と頭を下げ、隣にいた女性にマイクを手渡す。
「こんにちは!!アタシが真吐き一座の花形。“タリニャ”です!!」
薄い水色に紺色のメッシュがかったウェーブの髪、使奴のような黒い白目に彩度をもたない真っ白な肌。額から大きく伸びた2本の傷痕。そして身体の細やかな凹凸さえも丸わかりの扇情的な薄衣の衣装を身に纏った彼女は、優雅な立ち振る舞いと明瞭な美声でラルバ達に挨拶をした。
「こんな砂漠のど真ん中でアタシ達に会うなんて、旅人さん達ツいてるよ!!今回は真吐き一座の紹介も兼ねて、アタシらの演劇を披露します!!どうぞ楽しんでいってください!!」
タリニャが頭を下げるのと同時に、後ろにいた人間達も同じように頭を下げる。そして舞台に幕が降り、ファンファーレのような音楽が流れ始めた。再び幕が上がると、戦士の格好をしたタリニャが中央に立っており、その歌声でミュージカルが繰り広げられた。
今から遠い昔の話。まだ空と海が繋がっていた頃。善と悪が家族だった頃。
悪意に追われ逃げてきた剣士が、殺意に呑まれ這う狩人が、敵意に疲れ蹲る賢者が、善意に耐えかね俯く騎士が、剣を捨て、弓を捨て、杖を捨て、盾を捨て。
今まで奪った命に顔向けするために、奪ったものを与えるために、守れなかったものを取り戻すために、大事なものを忘れぬために。自分に吐いた一つの嘘。
嘘を真と成そう。偽りを誠と成そう。これは終わらない罪滅ぼし。喜びで支払う憎しみの代価。
真を吐こう。誠を尽くそう。ここは真吐き一座。嘘が真になるまで、偽りが誠になるまで。
美しいコーラス、デュエット。アクロバティックな殺陣。優雅な演舞。役者達が演技を終えると、皆舞台の上で深々と頭を下げ幕が降りた。
ジャハルは惚けた表情のまま拍手を送り、役者達を褒め称えた。
「素晴らしい……自分達の国の成り立ちを劇にしているのか。歌も舞も、見事なものだ」
その隣に座るラルバが、怪しい笑顔でくすりと笑う。
「ふぅん……けっこうヤるじゃん。悪くないかな」
ジャハルは怪訝な顔でラルバを睨む。
「悪くないって……使奴と比べるな。あの演技は充分素晴らしいものだったろう」
しかし、ラルバは席を立ちながらボソリと呟く。
「いや、演技はヘタクソだよ」
ラルバの呟きにジャハルは驚いて彼女を見上げるが、ラルバはジャハルの方を向くことなく足早に立ち去ってしまった。ラルバの隣にいたラデックが、顎を摩りながら小さく頷く。
「ジャハル。俺達も出よう」
「え?あ、ああ」
ジャハルが振り向くと、既に他のメンバーも出口に向かって歩き出していた。
「劇は如何でしたでしょうか」
馬車を出ると、外には座長のシガーラットが立っていた。そこへハザクラが歩み寄り、軽くお辞儀をする。
「大変良いものを見させて頂きました。ご好意に厚く感謝申し上げます」
シガーラットは満足そうに微笑みを返す。
「それは良かった。ジャハルさんのお話ですと、目的地は“スヴァルタスフォード自治区”だと伺っております。1週間ほどで到着すると思いますので、それまでは各自ご自由にお過ごし下さい」
するとラルバが勢いよく手を上げる、
「はいはいはーい!!ご自由にってことはー、練習とかも見学していいのー?」
ラルバの厚かましい発言に全員がラルバを睨むが、シガーラットは優しく微笑んだまま頷いた。
「勿論でございます。皆旅をしている都合上、他国の方との交流が少ないので喜ぶと思います。もし良かったら、演劇体験などもしていって下さい」
「演劇体験!?それどこでできんのー!?」
「あちらの馬車でしたらすぐご案内できるかと思いますよ」
「やったー!!ラデック行こー!!あ、全員解散!!また夜ねー!!」
子供のように燥ぎ遠ざかっていくラルバを呆然と見つめるハザクラ。すると、その肩をイチルギが同情するようにポンと叩く。
「……ハザクラ君。これはまだ大人しい方よ。まだ大人しい方……」
「…………そうか」
~真吐き一座 ローズマリー劇団 (ラルバ・ラデック・ハピネスサイド)~
「じゃあ皆さん準備できましたかぁ?」
スタッフが更衣室に声をかけると、3人は意気揚々とカーテンを開けた。
「じゃじゃーん!!どう!?」
ラルバが真っ白な白衣姿を一回転してラデックに見せる。
「良いんじゃないか。…………それは何の職業だ?医者か?」
「精神科医!!」
「……精神科医か。ラルバが……」
3人は演劇体験のため、それぞれ小道具を借りていた。窮屈な衣装部屋には所狭しと衣装や小道具が飾ってあり、辺りには植物の油の匂いが立ち込めている。
「ラデックのそれは何?画家?」
ラルバがラデックのペンキに塗れたオーバーオール姿を見て首を捻る。
「絵本作家だ。昔からの憧れでな」
「絵本作家……ラデックって絵描けたっけ?」
「まだ描けない。……ハピネスのそれはなんだ?」
ラデックはハピネスの豪華絢爛な衣装を指差して尋ねる。
「これかい?女王様だよ」
ハピネスが満面の笑みで答えると、2人は反応に困って押し黙る。そしてラルバが石のように数秒硬直した後、小声で呟いた。
「……………………なんで?」
「やりたいから」
依然満足そうに笑うハピネスに、2人がこれ以上何か尋ねることはなかった。
3人の衣装姿を見ると、スタッフは拍手をしながら何度も頷いた。
「皆さんよくお似合いですよぉ!!あ、ラデックさん、ここのボタンはこっちに留めるのが一般的なので……はい!こうした方が自然ですよぉ!」
「ああ、ありがとう。それにしても沢山の衣装だな」
「えへへぇ、そうですかぁ?そう言っていただけると縫った甲斐がありますねぇ!」
「縫った?これ全部あなたが?」
「いや全部じゃないんですけどねぇ?まあ半分近くは私かなぁ……」
「それは凄い……職人技だな」
「でも肝心なのは演技の方ですからねぇ」
「演技?あなたも役者なのか?」
「はい!真吐き一座ではほぼ全ての人が役者ですよぉ。監督と座長は別ですけどねぇ。役者であることは当然でぇ、それ以外にも役割――――私みたいに衣装係だったりするんですよぉ」
「そうなのか……ではあの“タリニャ”という花形女優も、裏にはもう一つの顔があるんだな」
ラデックの言葉に、スタッフは目を見開いて強く否定をする。
「ややややややっ!!タリニャさんは別ですよぉ!!あの人は別です!!」
「そうなのか?」
「アサガオ劇団の花形ってことは真吐き一座の看板役者ですからねぇ。いやあ憧れちゃうなぁ……」
「…………憧れる?」
ラデックが怪訝な面持ちでスタッフに尋ねる。
「そりゃぁ憧れちゃいますよぉ!!あの美貌にあの才能!!流石はナンバーワンですよねぇ!!」
「……そうか……憧れる、か」
~真吐き一座 アネモネ劇団 (ジャハル・ナハルサイド)~
ナハルが当てもなく馬車の周辺を彷徨いていると、後ろからジャハルが声をかけて来た。
「……なんでしょう」
「特に用事がある訳じゃない。1人でいるのは珍しいと思ってな」
「……シスターはハザクラさんに連れられて他へ行きました。2人きりで話したいと」
「そうか。私もハザクラについて行こうとしたが、まあ同じような理由だ。よかったら我々も少し散策してみないか?丁度そこの馬車が劇団の一つらしい」
「……まあ、構いませんが」
終始不機嫌そうなナハルに、ジャハルは少し困惑して微笑んだ。
「やあやあ!!よく来たね!!いやあよく来たよ!!」
ジャハルとナハルが入室するや否や、中にいたシルクハット姿の小太りの男性が手を叩いて喜んだ。背の低い卵のようなシルエットの男性は「ちょっと待ってて!」と言って大慌てで椅子を2つ引き摺って来た。
「座って座って!いやあ嬉しいなあ!あ、申し遅れました!私はこのアネモネ劇団の監督、“ウェンズ”と申します!!」
ウェンズはシルクハットを取り、頭頂部が禿げた丸い頭を深々と下げる。それに合わせて思わずジャハル達もお辞儀を返す。
「わ、私は人道主義自己防衛軍のジャハルと言います。こっちはナハル」
「どうも……グリディアン神殿のナハルと申します」
「ジャハルさんにナハルさん!!良いお名前だ!!」
ウェンズは端から踏み台のような小さい椅子を持って来て、そこにちょこんと腰掛ける。
「今うちの役者はで払っていてね。余り面白いことができる訳ではないんだけど、なんでも聞いてください!!」
心底嬉しそうにニコニコと笑顔でこちらを見つめるウェンズに、ジャハルは申し訳なさそうに頭を掻く
「あ、いや、その。すみません……実は散策ついでに入ったもので……特に目的がある訳ではないんです……」
「あっ!!いやいや!!劇団というのはそう言うものですから!!我々はお客さんに楽しい何かを提供する!!お客さんは“よくわからないけど楽しそうだから”訪れる!!極めて一般的な理由ですよ!!」
「そ、そうですか……では……あの花形の彼女。“タリニャ”さんが歌っていた歌についてお聞きしても良いですか?」
「ああ!!“詭弁の英雄譚”ですね!!あれはですね――――」
~今際湖 湖畔 (ハザクラ・バリア・シスターサイド)~
「あれはこの国の成り立ちであり、同時に信念のようなものです」
小さな岩に腰掛け優雅にアコーディオンを弾く男性が、ハザクラ達の問いに答える。黒と薄い赤の縦縞模様のスーツに、縁の無い眼鏡と大きな一輪の花が装飾されたヘッドドレス。色白で華奢な礼儀正しい紳士は、自らを“ライラ“と名乗った。
「この国は元々、脛に傷のある者同士が作ったと言われています。そして彼等は自分達の技術を使い、今度は人を傷つけるのではなく楽しませようと誓った。そしてその信念は今尚受け継がれており、この国の方々は他者を助けることに躊躇をしません。あなた方を助けることは、我々にとって道徳上の義務だったんですよ」
ハザクラはライラの横に座り、彼の目を見る。
「ではもう一つお聞きしたい。自分達が正義であるなら、何故旅芸人などをしているんだ?」
ライラは演奏の手を止める。
「……?正義であることと旅芸人であることは相反しますか?」
「あなたは見たところ吟遊詩人のようだ。吟遊詩人と言えば、社会情勢なんかを歌こともあるだろう」
「それは……そうですね」
「劇団の脚本に史実が扱われることもある」
「はい」
「しかし、論理というのは不完全だ。語り方によって善悪が反転し、またそれを収益のために故意に誇張することもあるだろう」
「我々はそんなことしませんよ」
「聞き手はそう思わない。メディアが情報を発信した時点で、受け手によって都合良く解釈されるのは当然だ。それを正義と思って行っているならば、その真意を知りたい」
「…………」
高圧的なハザクラの理詰めに、ライラは若干俯いて視線を逸らす。後ろでその様子を見ていたシスターは、堪らずハザクラの肩を掴んだ。
「ハザクラさん。失礼が過ぎます。助けてくださった方にする態度ではありません」
シスターがライラに頭を下げる。
「大変申し訳ございません……お気を悪くされたのなら――――」
「聡明な方ですね」
シスターの謝罪を遮ってライラが微笑む。シスターは驚いて言葉を詰まらせ、瞳孔を小刻みに揺らした。
「ハザクラさん……あなたの推測は半分正解ですよ。確かに、私はこの国に“男娼“として雇われています」
ライラの言葉に、ハザクラが思わず息を呑んだ。
「……俺は何も言っていないが」
「仕事の関係上、自分に向けられる眼差しがどういう“色”をしているかが何となく分かるんですよ……人の身体を触る以上爪の手入れは欠かせませんし、服だって着心地以上に脱がしやすさを重視した作りになってしまう。その辺の事情を知っている方とそうでない方では、私への接し方が明確に異なるんですよ……」
自分の考えを的確に見抜かれてしまったハザクラは、首筋を伝う不快な生暖かさに身を震わせる。
「でも惜しかったですね。シスターさんの推測が満点です。私は男娼ではありますが、この仕事を低俗な仕事だと思ったことはありません。ハザクラさんは哀れなの男娼の葛藤に漬け込んで真吐き一座の裏話を聞き出そうとしたのでしょうが……残念でしたね」
ライラがニコっと笑うと、ハザクラは参りましたと言わんばかりに深々と頭を下げる。
「大変申し訳ないことをした……」
「いえいえ……慣れていますから」
ライラはシスターにも優しそうな微笑みを向けるが、シスターは心の奥を覗かれる様な忌避感を覚えて一歩後退る。ハザクラが背を向けその場を立ち去ろうとすると、ライラは再びアコーディオンを弾いて軽快な音楽を奏で始めた。そしてシスターがハザクラの後を追おうと踵を返すと、ライラは一言だけシスターに告げる。
「恥じることはありませんよ」
「えっ?」
シスターが足を止めてライラの方へ振り返る。
「感謝に生かされている人間を、人は善人と呼びます」
そうライラが微笑むと、シスターは彼をキッと睨みつけて足速にその場を後にした。ライラはその背中を見送りながら、曲のテンポを少しだけ落として呟く。
「……難儀な人だ」
~真吐き一座 夕暮れの宿泊馬車~
「おかえんなさい。もうラルバ以外みんな帰って来てるわよ」
宿泊馬車で待っていたイチルギが、帰ってきたラデックを出迎えた。
「ただいま……ラルバ以外?」
「え?そうだけど。一緒じゃ無いの?」
「先に戻ると言っていたんだが……変だな」
不審に思ったラデックが再び外に出ようと扉に手をかける。すると、勢いよく外から扉が開かれた。
「ひいっ……!!ひぃっ……!!」
突然部屋に飛び込んできた男性は、慌てて扉を閉めてラデック達の方へ振り返る。すると、ジャハルがその顔を見て声を上げた。
「あなたは……確かアネモネ劇団の監督……!そんなに慌ててどうした……!?」
アネモネ劇団のウェンズ監督は、大きく深呼吸をしてからジャハルに駆け寄り、部屋をぐるりと見渡してから小声で叫んだ。
「あっ……貴方達のお仲間……!!あの赤い角の方が……!!座長に監禁されているっ……!!!」
月明かりと篝火だけが照らす宵闇の中、ラルバ達は大量の馬車の隙間を縫うように進んでいく。馬車の一つ一つはまるで一軒家のように大きく、明かりがついている窓からは、ちらほら手を振って挨拶をする国民の姿が見えた。そうして御者に指示された馬車に到着すると、馬車を引いている全長5mはあろう2体の巨大な生物がこちらをじろりと睨んだ。ラデックは物珍しそうに巨大生物に近づき、剛毛で筋肉質な体躯をまじまじと見つめる。
「これは……牛か?馬?にしてもデカイな……」
そこへ変装したイチルギがやってきて、同じように巨大生物を見上げる。
「駱駝よ。正確には馬と駱駝の間……で、ちょっと驢馬寄り」
「ウマロバラクダってことか」
「“コウテイラクダ”って種類で、暑さに強くて飲食無しでも1週間は生きるし、さらに海水以上の塩分が入った水も飲める。おまけに病気にも罹りづらくて波導の薄さも問題ナシ。この辺みたいな砂漠寄りの乾燥帯で暮らすなら、家族以上に信頼できるパートナーよ」
「ほう……それは凄いスペックだな」
ラデックが足を畳んで座っているコウテイラクダの身体を撫でようと手を伸ばすと、コウテイラクダは大量の唾を吐きかけて威嚇した。
「ぐあっ」
「……ごめん。言い忘れてたんだけど、この子達は賢い上にプライドがとても高くて、飼い主以外の人間に馴れ馴れしくされることを嫌っているの」
ラデックは涎に塗れた顔を拭って辺りを見回す。
「………………高スペックで優秀な動物が、これだけ群れを成していて襲撃もされず旅を続けていられる理由はそう言うことか」
「そうね。見知らぬ人間の言うことなんか絶対に聞かないわ。それどころか機嫌が悪いと飼い主の言うことさえ聞かない。売買に物凄く苦労する生き物なの。その傲慢さから“砂漠の王”とも呼ばれているわ」
「……失礼しました王様」
ラデックがコウテイラクダに深々と頭を下げると、コウテイラクダは笑うように鼻息を小刻みに吹き鳴らし、勢いよく顎をラデックの頭に乗せた。
「おごっ…………こ、これは……許されているのか?」
「んー…………許してやらんこともないって感じかしら……」
「……勿体なきお言葉」
ラデックとイチルギが馬車の中へ入ると、先に入っていたラルバがラデックに駆け寄ってきてから引き攣った顔をする。
「ラデックくちゃい!!おっさんのゲロみたいな臭いがする!!」
「……湖で洗ってくる」
「私も行く~」
湖へ向かうラルバとラデックの2人と入れ違いでジャハルが馬車に乗り込み、室内を見上げて感嘆の声を漏らした。
「おおお……これは凄いな。馬車の中とは到底思えない……」
幾何学模様の美しい絨毯。装飾が施されたランプ。簡易的なキッチンに大きなテーブル。角錐の屋根を覆うように迫り出したロフトと、壁にはカーテンの様に垂れ下がった幾つものハンモック。まるでロッジ風のホテルではないかと見紛う程に清潔な木造馬車が、一行を温かく出迎えた。
入室してきたばかりのジャハルに、ハピネスは椅子にもたれ掛かりながら指を突きつけ指示する。
「ジャハル君。悪いんだけどハンモック張ってくれるかい?私は見ての通り立ち上がる気力すらないのだよ」
「……はあ。仕方ない」
ジャハルは大きく溜息を吐いてから、渋々ハンモックの用意を始める。そこへ先程の御者が訪れ、ジャハル達にお辞儀をした。
「本来は一度長と顔を合わせて頂きたいのですが、今日はもう遅いのでこのままご就寝ください。明日の朝お迎えにあがります。お風呂は湖畔にある緑色の馬車をご利用ください。給水ホースが湖にまで伸びているのが目印です」
御者が再び頭を下げて退出する。ハンモックを張り終わったジャハルは大きく欠伸をして、気怠そうに辺りを見回した。
「警戒するに越したことはないが……今はまだすることもないし、風呂だけ世話になって休むとするか」
~真吐き一座 ???~
「座長。旅人は全員就寝した様です」
「そうか……所見は?」
「人道主義自己防衛軍の総指揮官が2人、グリディアン神殿の魔導外科医が2人……悪さをする連中とは思えません」
「うむ……あの女はどうだ?赤い角に紫髪の……」
「“ラルバ”ですか。確かに目付きが独特で捉え所のない振る舞いをしていますが……まだ現段階ではなんとも……」
「……“花形”を呼べ」
「えっ……!?そ、それは……」
「私の“異能“がそう指し示している」
「…………畏まりました」
「んひひひっ」
~真吐き一座 アサガオ劇団~
翌朝、ラルバ達は真吐き一座の中で最も大きな馬車に集められていた。アサガオの蔦があちこちに装飾された豪華な馬車の内部は大きなコンサートホールの様になっており、何人もの役者が舞台に並んで笑顔でラルバ達を迎え入れた。ラルバはウキウキしながら観客席のど真ん中に腰掛け、ラデックの袖を引いて隣に座らせた。
「早速演劇でも見せてくれるのかな?楽しみだな!」
そこへジャハルが早足で駆け寄ってきてラルバを咎める。
「まだ何も言われてないだろう。勝手に座るな」
「じゃあ舞台立っていいの?」
「そうじゃないだろうが……!」
しかし、後ろからやって来たスタッフが優しく微笑んでジャハルを宥める。
「いいんですよ。そのままお好きな席へ腰掛けてください」
その言葉にラルバは鬼の首を取った様に威張り嘲笑する。
「ほらぁ~迷惑かけないの!!」
「ぐっ……!!いい気になるな!」
「ほらほら、なんか始まるみたいだよ。おくちチャック!!」
ラルバが人差し指を口元に当てて「しぃ~!」とジャハルを睨む。ジャハルが不満そうにラルバの隣に腰掛けると、他のメンバーも同じように席を選んで着席する。そして観客席は段々と暗くなり、舞台だけがスポットライトに照らし出された。
そして舞台の中央に立つ壮年の男が一歩前に出てマイクを手に取る。
「初めまして旅のお方。この度は“真吐き一座”にようこそいらっしゃいました。私はこの国の座長……所謂総裁を務めています。“シガーラット”と申します」
薄ら濡れたように艶かしく輝く赤毛のオールバック。白い紳士服に黄金の装飾があしらわれた豪華な衣装。金の瞳と頬の輪郭を覆う髭が清潔感と高貴さをより際立たせている。シガーラットと名乗る男はラルバ達に深々と頭を下げ、隣にいた女性にマイクを手渡す。
「こんにちは!!アタシが真吐き一座の花形。“タリニャ”です!!」
薄い水色に紺色のメッシュがかったウェーブの髪、使奴のような黒い白目に彩度をもたない真っ白な肌。額から大きく伸びた2本の傷痕。そして身体の細やかな凹凸さえも丸わかりの扇情的な薄衣の衣装を身に纏った彼女は、優雅な立ち振る舞いと明瞭な美声でラルバ達に挨拶をした。
「こんな砂漠のど真ん中でアタシ達に会うなんて、旅人さん達ツいてるよ!!今回は真吐き一座の紹介も兼ねて、アタシらの演劇を披露します!!どうぞ楽しんでいってください!!」
タリニャが頭を下げるのと同時に、後ろにいた人間達も同じように頭を下げる。そして舞台に幕が降り、ファンファーレのような音楽が流れ始めた。再び幕が上がると、戦士の格好をしたタリニャが中央に立っており、その歌声でミュージカルが繰り広げられた。
今から遠い昔の話。まだ空と海が繋がっていた頃。善と悪が家族だった頃。
悪意に追われ逃げてきた剣士が、殺意に呑まれ這う狩人が、敵意に疲れ蹲る賢者が、善意に耐えかね俯く騎士が、剣を捨て、弓を捨て、杖を捨て、盾を捨て。
今まで奪った命に顔向けするために、奪ったものを与えるために、守れなかったものを取り戻すために、大事なものを忘れぬために。自分に吐いた一つの嘘。
嘘を真と成そう。偽りを誠と成そう。これは終わらない罪滅ぼし。喜びで支払う憎しみの代価。
真を吐こう。誠を尽くそう。ここは真吐き一座。嘘が真になるまで、偽りが誠になるまで。
美しいコーラス、デュエット。アクロバティックな殺陣。優雅な演舞。役者達が演技を終えると、皆舞台の上で深々と頭を下げ幕が降りた。
ジャハルは惚けた表情のまま拍手を送り、役者達を褒め称えた。
「素晴らしい……自分達の国の成り立ちを劇にしているのか。歌も舞も、見事なものだ」
その隣に座るラルバが、怪しい笑顔でくすりと笑う。
「ふぅん……けっこうヤるじゃん。悪くないかな」
ジャハルは怪訝な顔でラルバを睨む。
「悪くないって……使奴と比べるな。あの演技は充分素晴らしいものだったろう」
しかし、ラルバは席を立ちながらボソリと呟く。
「いや、演技はヘタクソだよ」
ラルバの呟きにジャハルは驚いて彼女を見上げるが、ラルバはジャハルの方を向くことなく足早に立ち去ってしまった。ラルバの隣にいたラデックが、顎を摩りながら小さく頷く。
「ジャハル。俺達も出よう」
「え?あ、ああ」
ジャハルが振り向くと、既に他のメンバーも出口に向かって歩き出していた。
「劇は如何でしたでしょうか」
馬車を出ると、外には座長のシガーラットが立っていた。そこへハザクラが歩み寄り、軽くお辞儀をする。
「大変良いものを見させて頂きました。ご好意に厚く感謝申し上げます」
シガーラットは満足そうに微笑みを返す。
「それは良かった。ジャハルさんのお話ですと、目的地は“スヴァルタスフォード自治区”だと伺っております。1週間ほどで到着すると思いますので、それまでは各自ご自由にお過ごし下さい」
するとラルバが勢いよく手を上げる、
「はいはいはーい!!ご自由にってことはー、練習とかも見学していいのー?」
ラルバの厚かましい発言に全員がラルバを睨むが、シガーラットは優しく微笑んだまま頷いた。
「勿論でございます。皆旅をしている都合上、他国の方との交流が少ないので喜ぶと思います。もし良かったら、演劇体験などもしていって下さい」
「演劇体験!?それどこでできんのー!?」
「あちらの馬車でしたらすぐご案内できるかと思いますよ」
「やったー!!ラデック行こー!!あ、全員解散!!また夜ねー!!」
子供のように燥ぎ遠ざかっていくラルバを呆然と見つめるハザクラ。すると、その肩をイチルギが同情するようにポンと叩く。
「……ハザクラ君。これはまだ大人しい方よ。まだ大人しい方……」
「…………そうか」
~真吐き一座 ローズマリー劇団 (ラルバ・ラデック・ハピネスサイド)~
「じゃあ皆さん準備できましたかぁ?」
スタッフが更衣室に声をかけると、3人は意気揚々とカーテンを開けた。
「じゃじゃーん!!どう!?」
ラルバが真っ白な白衣姿を一回転してラデックに見せる。
「良いんじゃないか。…………それは何の職業だ?医者か?」
「精神科医!!」
「……精神科医か。ラルバが……」
3人は演劇体験のため、それぞれ小道具を借りていた。窮屈な衣装部屋には所狭しと衣装や小道具が飾ってあり、辺りには植物の油の匂いが立ち込めている。
「ラデックのそれは何?画家?」
ラルバがラデックのペンキに塗れたオーバーオール姿を見て首を捻る。
「絵本作家だ。昔からの憧れでな」
「絵本作家……ラデックって絵描けたっけ?」
「まだ描けない。……ハピネスのそれはなんだ?」
ラデックはハピネスの豪華絢爛な衣装を指差して尋ねる。
「これかい?女王様だよ」
ハピネスが満面の笑みで答えると、2人は反応に困って押し黙る。そしてラルバが石のように数秒硬直した後、小声で呟いた。
「……………………なんで?」
「やりたいから」
依然満足そうに笑うハピネスに、2人がこれ以上何か尋ねることはなかった。
3人の衣装姿を見ると、スタッフは拍手をしながら何度も頷いた。
「皆さんよくお似合いですよぉ!!あ、ラデックさん、ここのボタンはこっちに留めるのが一般的なので……はい!こうした方が自然ですよぉ!」
「ああ、ありがとう。それにしても沢山の衣装だな」
「えへへぇ、そうですかぁ?そう言っていただけると縫った甲斐がありますねぇ!」
「縫った?これ全部あなたが?」
「いや全部じゃないんですけどねぇ?まあ半分近くは私かなぁ……」
「それは凄い……職人技だな」
「でも肝心なのは演技の方ですからねぇ」
「演技?あなたも役者なのか?」
「はい!真吐き一座ではほぼ全ての人が役者ですよぉ。監督と座長は別ですけどねぇ。役者であることは当然でぇ、それ以外にも役割――――私みたいに衣装係だったりするんですよぉ」
「そうなのか……ではあの“タリニャ”という花形女優も、裏にはもう一つの顔があるんだな」
ラデックの言葉に、スタッフは目を見開いて強く否定をする。
「ややややややっ!!タリニャさんは別ですよぉ!!あの人は別です!!」
「そうなのか?」
「アサガオ劇団の花形ってことは真吐き一座の看板役者ですからねぇ。いやあ憧れちゃうなぁ……」
「…………憧れる?」
ラデックが怪訝な面持ちでスタッフに尋ねる。
「そりゃぁ憧れちゃいますよぉ!!あの美貌にあの才能!!流石はナンバーワンですよねぇ!!」
「……そうか……憧れる、か」
~真吐き一座 アネモネ劇団 (ジャハル・ナハルサイド)~
ナハルが当てもなく馬車の周辺を彷徨いていると、後ろからジャハルが声をかけて来た。
「……なんでしょう」
「特に用事がある訳じゃない。1人でいるのは珍しいと思ってな」
「……シスターはハザクラさんに連れられて他へ行きました。2人きりで話したいと」
「そうか。私もハザクラについて行こうとしたが、まあ同じような理由だ。よかったら我々も少し散策してみないか?丁度そこの馬車が劇団の一つらしい」
「……まあ、構いませんが」
終始不機嫌そうなナハルに、ジャハルは少し困惑して微笑んだ。
「やあやあ!!よく来たね!!いやあよく来たよ!!」
ジャハルとナハルが入室するや否や、中にいたシルクハット姿の小太りの男性が手を叩いて喜んだ。背の低い卵のようなシルエットの男性は「ちょっと待ってて!」と言って大慌てで椅子を2つ引き摺って来た。
「座って座って!いやあ嬉しいなあ!あ、申し遅れました!私はこのアネモネ劇団の監督、“ウェンズ”と申します!!」
ウェンズはシルクハットを取り、頭頂部が禿げた丸い頭を深々と下げる。それに合わせて思わずジャハル達もお辞儀を返す。
「わ、私は人道主義自己防衛軍のジャハルと言います。こっちはナハル」
「どうも……グリディアン神殿のナハルと申します」
「ジャハルさんにナハルさん!!良いお名前だ!!」
ウェンズは端から踏み台のような小さい椅子を持って来て、そこにちょこんと腰掛ける。
「今うちの役者はで払っていてね。余り面白いことができる訳ではないんだけど、なんでも聞いてください!!」
心底嬉しそうにニコニコと笑顔でこちらを見つめるウェンズに、ジャハルは申し訳なさそうに頭を掻く
「あ、いや、その。すみません……実は散策ついでに入ったもので……特に目的がある訳ではないんです……」
「あっ!!いやいや!!劇団というのはそう言うものですから!!我々はお客さんに楽しい何かを提供する!!お客さんは“よくわからないけど楽しそうだから”訪れる!!極めて一般的な理由ですよ!!」
「そ、そうですか……では……あの花形の彼女。“タリニャ”さんが歌っていた歌についてお聞きしても良いですか?」
「ああ!!“詭弁の英雄譚”ですね!!あれはですね――――」
~今際湖 湖畔 (ハザクラ・バリア・シスターサイド)~
「あれはこの国の成り立ちであり、同時に信念のようなものです」
小さな岩に腰掛け優雅にアコーディオンを弾く男性が、ハザクラ達の問いに答える。黒と薄い赤の縦縞模様のスーツに、縁の無い眼鏡と大きな一輪の花が装飾されたヘッドドレス。色白で華奢な礼儀正しい紳士は、自らを“ライラ“と名乗った。
「この国は元々、脛に傷のある者同士が作ったと言われています。そして彼等は自分達の技術を使い、今度は人を傷つけるのではなく楽しませようと誓った。そしてその信念は今尚受け継がれており、この国の方々は他者を助けることに躊躇をしません。あなた方を助けることは、我々にとって道徳上の義務だったんですよ」
ハザクラはライラの横に座り、彼の目を見る。
「ではもう一つお聞きしたい。自分達が正義であるなら、何故旅芸人などをしているんだ?」
ライラは演奏の手を止める。
「……?正義であることと旅芸人であることは相反しますか?」
「あなたは見たところ吟遊詩人のようだ。吟遊詩人と言えば、社会情勢なんかを歌こともあるだろう」
「それは……そうですね」
「劇団の脚本に史実が扱われることもある」
「はい」
「しかし、論理というのは不完全だ。語り方によって善悪が反転し、またそれを収益のために故意に誇張することもあるだろう」
「我々はそんなことしませんよ」
「聞き手はそう思わない。メディアが情報を発信した時点で、受け手によって都合良く解釈されるのは当然だ。それを正義と思って行っているならば、その真意を知りたい」
「…………」
高圧的なハザクラの理詰めに、ライラは若干俯いて視線を逸らす。後ろでその様子を見ていたシスターは、堪らずハザクラの肩を掴んだ。
「ハザクラさん。失礼が過ぎます。助けてくださった方にする態度ではありません」
シスターがライラに頭を下げる。
「大変申し訳ございません……お気を悪くされたのなら――――」
「聡明な方ですね」
シスターの謝罪を遮ってライラが微笑む。シスターは驚いて言葉を詰まらせ、瞳孔を小刻みに揺らした。
「ハザクラさん……あなたの推測は半分正解ですよ。確かに、私はこの国に“男娼“として雇われています」
ライラの言葉に、ハザクラが思わず息を呑んだ。
「……俺は何も言っていないが」
「仕事の関係上、自分に向けられる眼差しがどういう“色”をしているかが何となく分かるんですよ……人の身体を触る以上爪の手入れは欠かせませんし、服だって着心地以上に脱がしやすさを重視した作りになってしまう。その辺の事情を知っている方とそうでない方では、私への接し方が明確に異なるんですよ……」
自分の考えを的確に見抜かれてしまったハザクラは、首筋を伝う不快な生暖かさに身を震わせる。
「でも惜しかったですね。シスターさんの推測が満点です。私は男娼ではありますが、この仕事を低俗な仕事だと思ったことはありません。ハザクラさんは哀れなの男娼の葛藤に漬け込んで真吐き一座の裏話を聞き出そうとしたのでしょうが……残念でしたね」
ライラがニコっと笑うと、ハザクラは参りましたと言わんばかりに深々と頭を下げる。
「大変申し訳ないことをした……」
「いえいえ……慣れていますから」
ライラはシスターにも優しそうな微笑みを向けるが、シスターは心の奥を覗かれる様な忌避感を覚えて一歩後退る。ハザクラが背を向けその場を立ち去ろうとすると、ライラは再びアコーディオンを弾いて軽快な音楽を奏で始めた。そしてシスターがハザクラの後を追おうと踵を返すと、ライラは一言だけシスターに告げる。
「恥じることはありませんよ」
「えっ?」
シスターが足を止めてライラの方へ振り返る。
「感謝に生かされている人間を、人は善人と呼びます」
そうライラが微笑むと、シスターは彼をキッと睨みつけて足速にその場を後にした。ライラはその背中を見送りながら、曲のテンポを少しだけ落として呟く。
「……難儀な人だ」
~真吐き一座 夕暮れの宿泊馬車~
「おかえんなさい。もうラルバ以外みんな帰って来てるわよ」
宿泊馬車で待っていたイチルギが、帰ってきたラデックを出迎えた。
「ただいま……ラルバ以外?」
「え?そうだけど。一緒じゃ無いの?」
「先に戻ると言っていたんだが……変だな」
不審に思ったラデックが再び外に出ようと扉に手をかける。すると、勢いよく外から扉が開かれた。
「ひいっ……!!ひぃっ……!!」
突然部屋に飛び込んできた男性は、慌てて扉を閉めてラデック達の方へ振り返る。すると、ジャハルがその顔を見て声を上げた。
「あなたは……確かアネモネ劇団の監督……!そんなに慌ててどうした……!?」
アネモネ劇団のウェンズ監督は、大きく深呼吸をしてからジャハルに駆け寄り、部屋をぐるりと見渡してから小声で叫んだ。
「あっ……貴方達のお仲間……!!あの赤い角の方が……!!座長に監禁されているっ……!!!」
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