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グリディアン神殿
第66話 クソとドブ
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~グリディアン神殿 中央庁舎 (イチルギ・バリア・ジャハルサイド)~
明けない夜はない。当然、差別と悪意に蝕まれたこの国にも夜明けは訪れる。止まない雨はなく、過ぎない冬もない。しかし、朝が来て、空が晴れ、春が来る。そんな奇跡が重なるのは、この国にとっては遥か遠い未来の話になるだろう。
統合軍最高司令官ロゼは、身体中の痛みと共に目を覚ました。うっすらと目を開けると、燃える様な美しいオレンジ色の空が見えた。なんとか上体を持ち上げて身体に目を向けると、ザルバスとの戦闘で負った大怪我が跡形もなく消え去っていた。
「まだ寝てた方がいいよ」
聞き覚えのない女性の声。ロゼが声の方へ顔を向けると、ぼんやりとバリアのシルエットが見て取れた。自分の怪我を治したのは彼女だろうと朧げに推測を立てながらロゼは目を伏せる。
「……寝て、いられ……るか……」
激しく痛む身体に鞭を打ってロゼはふらふらと立ち上がり、そして顔を前に向けた。
燃え盛る家、家、家。上空に撃ち出される魔法の柱。それに貫かれ墜落する戦闘機。ロゼが異能で目にしていた200年前の大戦争を彷彿とさせる地獄絵図が、今まさに目の前に広がっている。ロゼが陽の光だと思っていた空を覆うオレンジは凄惨な戦火による光であり、体の痺れによるものだと思っていた振動は、空襲と爆発による地響きであった。
「――――な」
そしてロゼはあることに気がつく。自分は三階の執務室にいた筈なのに、何故こんなにも国を一望できているのか。焦点を近くへ向けると、執務室の壁は扉側を残して崩れ落ちており、中央庁舎はまるで演劇の舞台セットの様に外から丸見えの状態になっていた。
「何がっ……!何が起こっている!?」
「だから寝てた方がいいって言ったのに……」
後ろからバリアが近づく。
「お前っ……!!これは……これは一体どういうことだっ!!」
「私は何も聞いてないよ」
「ぐっ……クソッ!!」
ロゼは出口に向け走り出そうと足を踏み出すが、激痛に怯み盛大に倒れ込む。バリアはその傍にしゃがんでロゼの顔を覗き込む。
「怪我は治したけど、体内の波導が落ち着くまで大人しくしていた方がいいと思うよ」
「ザ……ザルバスは……?」
「さっき起きたけど、この光景を見てまた気を失った」
「当たり前だ馬鹿野郎!!」
ロゼは壁にもたれ掛かって気を失っているザルバスを一瞥すると、痛みで痺れる全身をなんとか持ち上げ再び出口に目を向ける。それを後ろからバリアが声をかけて引き止める。
「行かない方がいいよ」
「うるさいっ!!この国はっ!!!平和はあいつの夢なんだよっ!!!あいつが目を覚ました時にこの有様じゃあ……!!!俺はザルバスにどんな顔して会えばいいんだよ……!!!」
そう言い放って執務室の扉を開くロゼ。しかし扉の先に廊下はなく、外壁の殆どが爆撃で削り取られ、瓦解したコンクリートから突き出る剥き出しの鉄筋がぶらぶらと伸びているだけであった。足元には一階に積み重なる瓦礫の山だけが広がり、2階にあったであろう棚や机が散乱している。そしてロゼが開いた扉も、既に外れかけていた蝶番が短い悲鳴を上げて壊れ、瓦礫の山の上に落下していった。
ロゼは力なくその場にぺたんと座り込んだ。
「……イチルギ達は?」
「イチルギとジャハルは救護活動で大分前にどっか行っちゃった。それより前にハピネスとシスターとナハルがラルバについて行った。私は留守番」
「そうか…………」
淡々と話すバリアの方へ、ロゼはゆっくり顔を向ける。
「俺を…………俺を統合軍本部に連れて行ってくれ」
「嫌」
「頼む」
「なんで?」
「ザルバスが戦えない今、この国は俺が守らなきゃいけない。俺は……このままじゃ、ザルバスに顔向けができない」
「じゃあ嫌」
「頼む……っ!!俺の身体なんかどうなったっていいんだ!!助けてもらったことは感謝してる……!!!でもっ!!!俺にはそれ以上にやるべきことが……っ!!」
「無理無理っ!お前じゃなんの役にも立たないよ!」
背後から飛んできた陽気な否定。ロゼが後ろを向くと、先程扉が外れたばかりの入り口にラルバが立っていた。いつの間にか現れた傍若無人な風来坊は、惨憺たる戦禍と対照的にあどけなく笑う。
「ロゼ坊じゃこの内戦を終わらせることは出来ないよ。まあ?片っ端から全員ぶっ殺すって言うなら可能だけど……」
「お前……まさかこの騒ぎはお前が……!?」
「え?私?いやあまさか。そんな野蛮なことしないよ~」
ラルバは大袈裟に否定のジェスチャーをする。しかしロゼは鬼の形相でラルバへと詰め寄る。
「お前っ……!!!ふざけやがって……ぶっ殺してやる……!!!」
ロゼが異能を使おうと手を向けるが、ラルバは雷魔法でロゼの神経を怯ませて中断させる。
「何故私を恨む?」
ラルバは戯けた態度から冷たく鋭い眼差しでロゼに問いかける。
「何故だと……!?こんな惨事を引き起こしておいて……!!!」
「私が?この戦争を引き起こした?仮にそうだったとして、それが何故恨まれることになるんだ?感謝されこそすれ……恨まれる道理など全くない」
「感謝……!?感謝だと……!?ふざけるのもいい加減に――――」
「いや、ラルバの言うことは正しいよ。ロゼ」
割り込んできた声の方を見ると、ザルバスが壁にもたれ掛かったままこちらを見つめている。
「ザルバス……!!」
ロゼは力を振り絞ってザルバスに駆け寄り抱きついた。
「ごめんねロゼ……無事で、よかった……」
「ザルバスっ……!!謝るな……!!お前は、一度たりとも裏切っていなかったじゃないか……!!」
「いいや……裏切ったんだよ。私は」
ザルバスは自分を抱き締めるロゼの背中をゆっくりと撫でる。
「私は……ロゼの期待を裏切った。本当は、奴に屈するべきじゃなかったんだ。例え目の前で無実の人間が大勢犠牲になろうとも、奴の思い通りになるべきじゃなかった。一度でも首を縦に振ってしまえば、それ以上の人間が確実に犠牲になる……そして何より、反撃の手段の一切を失う……ロゼの信じたザルバスという人間がやるべきことは、平和への淀みなき邁進だったのに……私は、子供達を目の前で殺されるという拷問程度に屈した。全ては私の弱さが招いたことだ……」
「……違う」
「違わないよ」
「違う!!お前が弱いことくらい知ってる!!!俺の信じたザルバスは……頭が良くて誰よりも強いザルバスはっ……弱者に甘いクソ馬鹿野郎だっ……!!だから、俺が、俺が気付いて守ってやらなきゃいけなかった……!!!でも、俺が弱かったから、馬鹿だから気付けなかった……!!!お前はっ……ずっと助けを求めていたのにっ……!!」
「……もうちょっと尊敬されてると思ってたんだけど、ちょっとショックだなぁ……」
ザルバスは伏せていた目をラルバの方へ向ける。
「……君が“手紙”の人?」
「うん。ご機嫌いかが?ザルバス大統領」
「んー……取り敢えず立つ気力もない。お陰でグリディアンの命令も効きが悪いよ」
「あーやっぱ“秘密を知った奴は殺せ”的な命令だったんだ。本当に頭が悪いねあのデブは。殺害が不可能じゃ意味ないっつーのに」
その言葉に、ロゼはハッとしてラルバに振り向く。
「あの“デブ”ってことは、お前黒幕に会ったのか!?」
「うん。ぶっ殺してきたよ」
腰に手を当てVサインで満面の笑みを浮かべるラルバ。その嘘の様な報告に、ザルバスは吹き出す様に笑い出す。
「くっ……あっはははは!そうか、あいつは死んだのか。ロゼ、いい人を連れて来てくれたよ」
「こいつがいい人だなんて……ザルバス、この数年で本当に頭が悪くなったのか?」
「いやいや……何せ私からロゼを救ってくれたのも彼女だよ」
「えっ」
「ロゼのカードデッキに紙が挟まってたんだ。“殺害命令なら蘇生は命令違反にならない“って。だからロゼの死を確信した後に、ほんの僅かだが応急処置ができた。結局蘇生自体はイチルギがやってくれたから、どれほどの効果があったかは分からないけど……」
ロゼは信じられないといった表情でラルバを見上げる。
「……だったとしても、この惨事が肯定されることなんかねぇ。絶対にだ!」
ロゼは未だ爆発音が鳴り止まない市街地へ目を向ける。
「罪のない男子供が今も苦しんでいる……奴等が犠牲になる必要がどこにある!?このクソみたいな国の悪意に巻き込まれただけの一般人を殺していい道理がどこにある!?」
ロゼの慟哭にザルバスは胸を痛め顔を歪ませる。しかし、目を伏せてゆっくりと首を振った。
「違うよロゼ。一般人を殺していい道理なんかない」
「当たり前だ!!だから私は――――」
「それと同時に、悪を滅ぼしていい道理もないんだ」
ザルバスの言葉にロゼは動きを止める。いつものザルバスの独りよがりな持論だと思った。しかしいつもと違うのは、ザルバスが守ろうとしているものが善ではなく悪ということだった。
「幸せに生きたい。これは生物ならば当然持って生まれる願いだ。しかし、他者を貶めることに幸福を見出す人間。他者を傷つけることに幸福を見出す人間。そういった“先天性の悪性”を持った人間を救済する術はない。私達は、私達だけが幸せに生きるために、罪のない悪人を一方的に排除していたんだよ」
「そ、そんなの……仕方ないだろ……じゃあどうしろっていうんだよ!!」
「ロゼ……君には私の理想論を聞かせ過ぎた。私に染まってしまった。昔の君は、既に答えを知っていたよ」
ロゼは胸の真ん中を貫かれた様な気分だった。ずっと頭のどこかで引っかかっていた出所不明の自己嫌悪が、ザルバスの言葉によって輪郭を帯びていく。
「弱い奴に権利はない。強い奴がルールだってね……私達は、平和な世の中を望む集団として強者の位置に立ち、平和を望まない弱者を一方的に虐げていたんだ。ほらね?虐げる側も、虐げられる側も、互いに罪はないだろう?人間は一人では生きられない……集団で生きるには、異分子を排除することが不可欠だ……」
ザルバスは若干咳き込みながらラルバを見上げる。
「人間は生きているだけで罪を背負っている。逆を言えば、誰を殺そうが何を奪おうが……誰にも罪なんてないんだよ」
最早壁に寄りかかる力もなくなったザルバスは、ゆっくりと体を壁に擦りつけながら倒れた。
「私は、この国を統べる者として……差別を終わらせなくてはならない……もし、私が本当に自分の理想を叶えるならば……一刻も早く……平和主義者が、攻撃的思想を持つ者を排除する世の中にしなければならない……戦争が始まったのは、今じゃないんだ。遥か昔から……戦争は始まっていたんだよ。片方が、極めて不利だっただけだ……」
譫言の様に言葉を紡ぐザルバスを、ロゼが心配そうに撫でる。
「ザルバス……お前……」
「はっ……笑ってしまうよ。私は、争いのない世界にしたかっただけなのに……実際そこにあるのは、争いが表面化しない世界だけなんだ……今と違うのは、片方が、多いか、少ないか……それだけだ。結局、差別も、争いも、なくなりはしない。今と大して変わらない。私には……私には選べない。悪人も、善人も、死んでいい人間なんか誰一人いやしないんだ……!」
ザルバスの目に溜まった涙が、次第に溢れて頬を伝い流れていく。ラルバはそれを静かに眺めながら、吐き捨てる様に語り始める。
「病気で苦しんでいる子供が2人いたとして、治す薬は一つしかない。さて、どちらの子供を助けるか。どちらを助けても、どちらかを殺すことになる。1人助けることができたと自分を慰めて、片方の死を必要な犠牲と肯定できるか。それが10人と20人なら?老人しかいない村と児童養護施設だったら?一つの主要都市と三つの田舎町だったら?ただの算数と割り切れない馬鹿のために、この私が代わりに手を下してやっただけだ。お前らは焼け野原に残った蕾が腐らぬ様、愚直に愛してやればいい。この腐敗した掃き溜めを花畑にするよりずっと簡単だろう?」
見下す様なラルバの物言いにロゼは息を荒げ睨みつけるが、肝心の言葉は出て来ず恨めしそうに歯を食い縛る。
「当然私にこの国を救おうなんて大それた思想はない。黒幕を追い詰める煙幕が欲しかっただけだ。ものはついでってやつだな。しかし、お前らが国民の思想を塗り替えるのにモタモタしていれば、この戦争以上の犠牲者が生まれるだろうな。しかもその犠牲者のうちの殆どは、生まれながらに被差別階級に生まれた力なき者だ。戦争で地位年齢関係なく死ぬか、差別で無力な者だけ死ぬか、お前はどちらを選びたかったと言うんだ?まさか戦争も起こさず差別でも殺させないなんて5歳児の描いた絵本の主人公みたいな事を言う気じゃないだろうな」
ラルバはそのまま2人に背を向け、足元に広がる戦争を眺めながら微笑む。
「見ろ、あの重火器を担いで走り回る男共の顔を。糞尿を運ぶよりよっぽど生き生きとしている。今際の際に聞いてみたいものだな。糞を浚さらって老いる人生と爆炎に抱かれてくたばる今、どちらが幸福だったのかを」
ロゼはラルバの横に立って国を見下ろす。
「……俺は絶対に感謝なんかしない」
「まだ言うか」
「差別社会と戦争のどっちがいいかなんて……クソとドブ、食うならどっち見たいな話だろ」
明けない夜はない。当然、差別と悪意に蝕まれたこの国にも夜明けは訪れる。止まない雨はなく、過ぎない冬もない。しかし、朝が来て、空が晴れ、春が来る。そんな奇跡が重なるのは、この国にとっては遥か遠い未来の話になるだろう。
統合軍最高司令官ロゼは、身体中の痛みと共に目を覚ました。うっすらと目を開けると、燃える様な美しいオレンジ色の空が見えた。なんとか上体を持ち上げて身体に目を向けると、ザルバスとの戦闘で負った大怪我が跡形もなく消え去っていた。
「まだ寝てた方がいいよ」
聞き覚えのない女性の声。ロゼが声の方へ顔を向けると、ぼんやりとバリアのシルエットが見て取れた。自分の怪我を治したのは彼女だろうと朧げに推測を立てながらロゼは目を伏せる。
「……寝て、いられ……るか……」
激しく痛む身体に鞭を打ってロゼはふらふらと立ち上がり、そして顔を前に向けた。
燃え盛る家、家、家。上空に撃ち出される魔法の柱。それに貫かれ墜落する戦闘機。ロゼが異能で目にしていた200年前の大戦争を彷彿とさせる地獄絵図が、今まさに目の前に広がっている。ロゼが陽の光だと思っていた空を覆うオレンジは凄惨な戦火による光であり、体の痺れによるものだと思っていた振動は、空襲と爆発による地響きであった。
「――――な」
そしてロゼはあることに気がつく。自分は三階の執務室にいた筈なのに、何故こんなにも国を一望できているのか。焦点を近くへ向けると、執務室の壁は扉側を残して崩れ落ちており、中央庁舎はまるで演劇の舞台セットの様に外から丸見えの状態になっていた。
「何がっ……!何が起こっている!?」
「だから寝てた方がいいって言ったのに……」
後ろからバリアが近づく。
「お前っ……!!これは……これは一体どういうことだっ!!」
「私は何も聞いてないよ」
「ぐっ……クソッ!!」
ロゼは出口に向け走り出そうと足を踏み出すが、激痛に怯み盛大に倒れ込む。バリアはその傍にしゃがんでロゼの顔を覗き込む。
「怪我は治したけど、体内の波導が落ち着くまで大人しくしていた方がいいと思うよ」
「ザ……ザルバスは……?」
「さっき起きたけど、この光景を見てまた気を失った」
「当たり前だ馬鹿野郎!!」
ロゼは壁にもたれ掛かって気を失っているザルバスを一瞥すると、痛みで痺れる全身をなんとか持ち上げ再び出口に目を向ける。それを後ろからバリアが声をかけて引き止める。
「行かない方がいいよ」
「うるさいっ!!この国はっ!!!平和はあいつの夢なんだよっ!!!あいつが目を覚ました時にこの有様じゃあ……!!!俺はザルバスにどんな顔して会えばいいんだよ……!!!」
そう言い放って執務室の扉を開くロゼ。しかし扉の先に廊下はなく、外壁の殆どが爆撃で削り取られ、瓦解したコンクリートから突き出る剥き出しの鉄筋がぶらぶらと伸びているだけであった。足元には一階に積み重なる瓦礫の山だけが広がり、2階にあったであろう棚や机が散乱している。そしてロゼが開いた扉も、既に外れかけていた蝶番が短い悲鳴を上げて壊れ、瓦礫の山の上に落下していった。
ロゼは力なくその場にぺたんと座り込んだ。
「……イチルギ達は?」
「イチルギとジャハルは救護活動で大分前にどっか行っちゃった。それより前にハピネスとシスターとナハルがラルバについて行った。私は留守番」
「そうか…………」
淡々と話すバリアの方へ、ロゼはゆっくり顔を向ける。
「俺を…………俺を統合軍本部に連れて行ってくれ」
「嫌」
「頼む」
「なんで?」
「ザルバスが戦えない今、この国は俺が守らなきゃいけない。俺は……このままじゃ、ザルバスに顔向けができない」
「じゃあ嫌」
「頼む……っ!!俺の身体なんかどうなったっていいんだ!!助けてもらったことは感謝してる……!!!でもっ!!!俺にはそれ以上にやるべきことが……っ!!」
「無理無理っ!お前じゃなんの役にも立たないよ!」
背後から飛んできた陽気な否定。ロゼが後ろを向くと、先程扉が外れたばかりの入り口にラルバが立っていた。いつの間にか現れた傍若無人な風来坊は、惨憺たる戦禍と対照的にあどけなく笑う。
「ロゼ坊じゃこの内戦を終わらせることは出来ないよ。まあ?片っ端から全員ぶっ殺すって言うなら可能だけど……」
「お前……まさかこの騒ぎはお前が……!?」
「え?私?いやあまさか。そんな野蛮なことしないよ~」
ラルバは大袈裟に否定のジェスチャーをする。しかしロゼは鬼の形相でラルバへと詰め寄る。
「お前っ……!!!ふざけやがって……ぶっ殺してやる……!!!」
ロゼが異能を使おうと手を向けるが、ラルバは雷魔法でロゼの神経を怯ませて中断させる。
「何故私を恨む?」
ラルバは戯けた態度から冷たく鋭い眼差しでロゼに問いかける。
「何故だと……!?こんな惨事を引き起こしておいて……!!!」
「私が?この戦争を引き起こした?仮にそうだったとして、それが何故恨まれることになるんだ?感謝されこそすれ……恨まれる道理など全くない」
「感謝……!?感謝だと……!?ふざけるのもいい加減に――――」
「いや、ラルバの言うことは正しいよ。ロゼ」
割り込んできた声の方を見ると、ザルバスが壁にもたれ掛かったままこちらを見つめている。
「ザルバス……!!」
ロゼは力を振り絞ってザルバスに駆け寄り抱きついた。
「ごめんねロゼ……無事で、よかった……」
「ザルバスっ……!!謝るな……!!お前は、一度たりとも裏切っていなかったじゃないか……!!」
「いいや……裏切ったんだよ。私は」
ザルバスは自分を抱き締めるロゼの背中をゆっくりと撫でる。
「私は……ロゼの期待を裏切った。本当は、奴に屈するべきじゃなかったんだ。例え目の前で無実の人間が大勢犠牲になろうとも、奴の思い通りになるべきじゃなかった。一度でも首を縦に振ってしまえば、それ以上の人間が確実に犠牲になる……そして何より、反撃の手段の一切を失う……ロゼの信じたザルバスという人間がやるべきことは、平和への淀みなき邁進だったのに……私は、子供達を目の前で殺されるという拷問程度に屈した。全ては私の弱さが招いたことだ……」
「……違う」
「違わないよ」
「違う!!お前が弱いことくらい知ってる!!!俺の信じたザルバスは……頭が良くて誰よりも強いザルバスはっ……弱者に甘いクソ馬鹿野郎だっ……!!だから、俺が、俺が気付いて守ってやらなきゃいけなかった……!!!でも、俺が弱かったから、馬鹿だから気付けなかった……!!!お前はっ……ずっと助けを求めていたのにっ……!!」
「……もうちょっと尊敬されてると思ってたんだけど、ちょっとショックだなぁ……」
ザルバスは伏せていた目をラルバの方へ向ける。
「……君が“手紙”の人?」
「うん。ご機嫌いかが?ザルバス大統領」
「んー……取り敢えず立つ気力もない。お陰でグリディアンの命令も効きが悪いよ」
「あーやっぱ“秘密を知った奴は殺せ”的な命令だったんだ。本当に頭が悪いねあのデブは。殺害が不可能じゃ意味ないっつーのに」
その言葉に、ロゼはハッとしてラルバに振り向く。
「あの“デブ”ってことは、お前黒幕に会ったのか!?」
「うん。ぶっ殺してきたよ」
腰に手を当てVサインで満面の笑みを浮かべるラルバ。その嘘の様な報告に、ザルバスは吹き出す様に笑い出す。
「くっ……あっはははは!そうか、あいつは死んだのか。ロゼ、いい人を連れて来てくれたよ」
「こいつがいい人だなんて……ザルバス、この数年で本当に頭が悪くなったのか?」
「いやいや……何せ私からロゼを救ってくれたのも彼女だよ」
「えっ」
「ロゼのカードデッキに紙が挟まってたんだ。“殺害命令なら蘇生は命令違反にならない“って。だからロゼの死を確信した後に、ほんの僅かだが応急処置ができた。結局蘇生自体はイチルギがやってくれたから、どれほどの効果があったかは分からないけど……」
ロゼは信じられないといった表情でラルバを見上げる。
「……だったとしても、この惨事が肯定されることなんかねぇ。絶対にだ!」
ロゼは未だ爆発音が鳴り止まない市街地へ目を向ける。
「罪のない男子供が今も苦しんでいる……奴等が犠牲になる必要がどこにある!?このクソみたいな国の悪意に巻き込まれただけの一般人を殺していい道理がどこにある!?」
ロゼの慟哭にザルバスは胸を痛め顔を歪ませる。しかし、目を伏せてゆっくりと首を振った。
「違うよロゼ。一般人を殺していい道理なんかない」
「当たり前だ!!だから私は――――」
「それと同時に、悪を滅ぼしていい道理もないんだ」
ザルバスの言葉にロゼは動きを止める。いつものザルバスの独りよがりな持論だと思った。しかしいつもと違うのは、ザルバスが守ろうとしているものが善ではなく悪ということだった。
「幸せに生きたい。これは生物ならば当然持って生まれる願いだ。しかし、他者を貶めることに幸福を見出す人間。他者を傷つけることに幸福を見出す人間。そういった“先天性の悪性”を持った人間を救済する術はない。私達は、私達だけが幸せに生きるために、罪のない悪人を一方的に排除していたんだよ」
「そ、そんなの……仕方ないだろ……じゃあどうしろっていうんだよ!!」
「ロゼ……君には私の理想論を聞かせ過ぎた。私に染まってしまった。昔の君は、既に答えを知っていたよ」
ロゼは胸の真ん中を貫かれた様な気分だった。ずっと頭のどこかで引っかかっていた出所不明の自己嫌悪が、ザルバスの言葉によって輪郭を帯びていく。
「弱い奴に権利はない。強い奴がルールだってね……私達は、平和な世の中を望む集団として強者の位置に立ち、平和を望まない弱者を一方的に虐げていたんだ。ほらね?虐げる側も、虐げられる側も、互いに罪はないだろう?人間は一人では生きられない……集団で生きるには、異分子を排除することが不可欠だ……」
ザルバスは若干咳き込みながらラルバを見上げる。
「人間は生きているだけで罪を背負っている。逆を言えば、誰を殺そうが何を奪おうが……誰にも罪なんてないんだよ」
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「私は、この国を統べる者として……差別を終わらせなくてはならない……もし、私が本当に自分の理想を叶えるならば……一刻も早く……平和主義者が、攻撃的思想を持つ者を排除する世の中にしなければならない……戦争が始まったのは、今じゃないんだ。遥か昔から……戦争は始まっていたんだよ。片方が、極めて不利だっただけだ……」
譫言の様に言葉を紡ぐザルバスを、ロゼが心配そうに撫でる。
「ザルバス……お前……」
「はっ……笑ってしまうよ。私は、争いのない世界にしたかっただけなのに……実際そこにあるのは、争いが表面化しない世界だけなんだ……今と違うのは、片方が、多いか、少ないか……それだけだ。結局、差別も、争いも、なくなりはしない。今と大して変わらない。私には……私には選べない。悪人も、善人も、死んでいい人間なんか誰一人いやしないんだ……!」
ザルバスの目に溜まった涙が、次第に溢れて頬を伝い流れていく。ラルバはそれを静かに眺めながら、吐き捨てる様に語り始める。
「病気で苦しんでいる子供が2人いたとして、治す薬は一つしかない。さて、どちらの子供を助けるか。どちらを助けても、どちらかを殺すことになる。1人助けることができたと自分を慰めて、片方の死を必要な犠牲と肯定できるか。それが10人と20人なら?老人しかいない村と児童養護施設だったら?一つの主要都市と三つの田舎町だったら?ただの算数と割り切れない馬鹿のために、この私が代わりに手を下してやっただけだ。お前らは焼け野原に残った蕾が腐らぬ様、愚直に愛してやればいい。この腐敗した掃き溜めを花畑にするよりずっと簡単だろう?」
見下す様なラルバの物言いにロゼは息を荒げ睨みつけるが、肝心の言葉は出て来ず恨めしそうに歯を食い縛る。
「当然私にこの国を救おうなんて大それた思想はない。黒幕を追い詰める煙幕が欲しかっただけだ。ものはついでってやつだな。しかし、お前らが国民の思想を塗り替えるのにモタモタしていれば、この戦争以上の犠牲者が生まれるだろうな。しかもその犠牲者のうちの殆どは、生まれながらに被差別階級に生まれた力なき者だ。戦争で地位年齢関係なく死ぬか、差別で無力な者だけ死ぬか、お前はどちらを選びたかったと言うんだ?まさか戦争も起こさず差別でも殺させないなんて5歳児の描いた絵本の主人公みたいな事を言う気じゃないだろうな」
ラルバはそのまま2人に背を向け、足元に広がる戦争を眺めながら微笑む。
「見ろ、あの重火器を担いで走り回る男共の顔を。糞尿を運ぶよりよっぽど生き生きとしている。今際の際に聞いてみたいものだな。糞を浚さらって老いる人生と爆炎に抱かれてくたばる今、どちらが幸福だったのかを」
ロゼはラルバの横に立って国を見下ろす。
「……俺は絶対に感謝なんかしない」
「まだ言うか」
「差別社会と戦争のどっちがいいかなんて……クソとドブ、食うならどっち見たいな話だろ」
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