シドの国

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クザン村

第30話 担い手は誰?

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~クザン湖~

「まあ案内できる所なんてここぐらいしかないんですが……すみません……」
 この村唯一の水源であるクザン湖。クアンタは持参したボロボロの魔袋またいを水面につけて水を汲んでいる。その様子を見て、ラデックは湖の“悲惨な状態”と交互に視線を向けて口元を押さえた。
「まさか……飲み水か?」
 湖は水面こそ透き通っているものの、その殆どは湖底と見間違うほどに茶色く濁りきった汚れが溜まっている。そのせいでクザン湖は巨大な水田のように見えており、もしもよどんだ泥の正体に気づかなければ、誰も湖だと思うことはないだろう。
 クアンタはハッとしたような顔をして、ラデックに向き直り否定のジェスチャーをする。
「あ、いえ、あの……た、確かに飲料水にも使いますが、その際には何度も濾過ろかして浄化魔法をかけます……でないと私達も毒におかされてしまうので……」
「つまりその湖は“何度も濾過ろかした程度では決して口に出来ないほどの猛毒”なんだな?」
 ラデックの確認に、クアンタは再びハッとした顔をして口籠くちごもり、黙って深々と頭を下げた。
「す、すみません……飲料水としては問題ないとは言え……言わない方が良かったですね……」
 ラルバはクアンタの見ていない所で水をすくい、少し臭いを嗅ぐとグイッと飲み干した。それを見てしまったハピネスはギョッとした顔で硬直し、ラルバの様子を伺っている。
「ん……なんだハピネス。お前も飲むか?」
「いや、結構……その、ど、どうだ?」
「クソまずい。まあ飲んでも死なんよ……ひと月はもだえ苦しむだろうがな」
 ラルバはあたりを見回してからクアンタに近寄り、ニコッと態とらしい笑顔で話しかける。
「まあ飲み水くらい気にしませんよ!研究者たるもの、漠然とした嫌悪感程度には縛られません!ところでぇ~……下流は?」
「えっと、はい?」
「海とは繋がってないのですか?地下水脈は?」
「えっと、あの……わかん、ないです……」
「これだけデカイ湖ですものねぇ。水源はどっかにあるんでしょうが、排水はどうなってるんでしょうねぇ。生態系も気になる!」
 ラルバはそれっぽく研究者っぽいことを言ってクアンタに詰め寄る。しかし肝心のクアンタは目線を下に向けて泳がし困惑の色を見せる。しかしラルバは気にせずベラベラと喋り続ける。
「これだけ色々溶け込んでいると比重も変わりそうですねぇああそれでこんなに濁っているんですね?恐らく循環も滅多にしないんでしょう普通は春になれば冬の間に冷え込んだ水が温められ一旦下に潜り混ざった後に更に温まって上昇し冬が来てもう一度冷やされ下降してを繰り返して循環しますがこれだけ濁っているということは酸素は愚か毒素も沈殿してより悪化していることでしょうしかしそれでも濁り切っていないということは多少なりとも新しい水が流入しているということであり水面が上昇していないなら排水もしているということしかしこの辺の地質的にこれだけの量を排水できるかと言われると難しいきっとどこかで地下水脈に通じてるとは思うんですが岩か何かで塞がっているとも考えられなくはない――――――――」
 息継ぎすら無しにまくし立てるラルバに、最早クアンタは呆然としたまま立ち尽くすしかできず、うつろな目で口を半開きにして硬直している。
 ラデックがラルバの戯言ざれごとを話半分に聞いていると、ハピネスが木にもたれかかって休んでいるのが視界に入った。
「……座ったらどうだ?」
 ラデックは切り株を指差して促すが、未だ疲れが残っているハピネスは少し辛そうな顔のまま黙って首を振る。
「さてクアンタさん次行きましょう!」
 調査を終えたラルバはクザン湖に背を向け意気揚々と歩き出す。
「あ、はい」
 クアンタは慌てて魔袋またいをしまってラルバを追いかける。ハピネスも蹌踉よろめきながら何とか歩き出し、杖を泥濘ぬかるんだ地面に突き刺し進み始めた。ラデックがそれを見送ってから進もうとすると、後ろの方でバリアがしゃがみこんでラプーの顔を覗き込んでいた。
「…………大丈夫?」
「んあ」
「そう」
 男性にしてはやたらと背の低いラプーの顔を覗き込むために汚した膝を払い、ラルバの歩いて行った方へ進むバリア。ラデックは不審に思いラプーの顔を見下ろすが、こちらを見上げるのっぺりとした中年の顔には、特に何も変わりはないように見えた。
「……何故バリアはお前を気遣ったんだ?」
「チビだからだでよ」
「……そうか」
 ラデックは首を捻って答えを考えながら、ラプーと2人でクザン湖を後にした。

~担い手大堂~

「クアンタさーん。ここは何ですかー?」
 村の端に位置する装飾の施された家屋。入り口の古びた看板には大きく“担い手大堂”と書かれており、あちこちに用途不明の杖や錆びついた鎧が無造作に飾られている。
「あっ。あの、そこは」
 担い手大堂を早足で素通りしようとしていたクアンタは、立ち止まってしまったラルバの質問に脂汗を浮かべながら目を泳がせる。
「えーと、担い手大堂?担い手って誰のことです?」
「あ、あの、あのですね。そこは……おきゃ、お客様などの方に用意されっされた宿みたいなもので……良ければラルバ様にと……」
 寝小便を隠している子供以上につたない演技に、横にいたラデックは気の毒になって聞こえないフリをした。しかしラルバはそんなクアンタの嘘にも何食わぬ顔で気づかない素振りを続けている。
「へー。じゃあラデック君泊まらせてもらうといい!」
「あっあのっ!そのっ、できっれば、代表者であるラルバ様に……っ」
「いやあ建築関係はラデック君の方が詳しいのだよ。それに彼は対話と同じ速度でメモを取ることができるからねぇ、出来れば私は屋外探索で彼には村民の方のインタビューを任せたい。それに何より彼には一度見たものを忘れないという特殊な能力もある!クアンタさんシャッターアイってご存知?」
 当然ながらラデックは建築は詳しくないし速記も出来ず、ましてやシャッターアイどころか昨晩の食事さえ思い出すのに時間がかかる。しかしラルバにそう言われてしまえば従わざるを得ず、ラデックは嫌そうな顔を堪えて無言の肯定をするしかなかった。
「あ、あの、その」
「構いませんよー」
 突然会話に入ってきた声。全員が声の方を見ると、1人の男性が立っていた。
「どうもー私“バビィ“と申しますー。”妻“がお世話になってますー」
 妻。その発言にラデックはギョッとしてクアンタを見た。何故ならバビィと名乗る男は、どう見てもクアンタの夫というよりは父と言うべき歳だったからである。
 10代後半の、充分少女と言って差し支えないクアンタとは対照的に、老化で後退した生え際と目尻のしわ。ガタガタの歯並びは煙草たばこの黄ばみで余計に汚れて見え、温和で優しそうな顔立ちを台無しにしている。油脂で光を反射する茶褐色の肌に、歩く度に揺れる脂肪で大きく出っ張った腹部。そのみにくい身体に加齢臭と煙草の臭いをまとう姿は、どう見ても一家の大黒柱ではなくギャンブル依存症の浮浪者ふろうしゃだ。
「えっと……バビィさん。あなたが……クアンタの旦那さん?」
 ラデックが慎重に言葉を選んで尋ねると、バビィは少し恥ずかしそうにして会釈をする。
「いやあ仰りたいことは分かりますよ。私の見た目はあまり良くないと感じるでしょう。たまに他所の人と話すと毎回同じ反応を返されますから……」
「いや、こちらの責任だ。申し訳ない」
「いいんですよ。村と外の常識は少し違ってまして、ここじゃ私みたいな方が結構モテるんですよ。ね?クアンタ?」
 バビィが優しそうな微笑みでクアンタに目をやると、クアンタはニコッと笑ってバビィに抱きついた。しかし演技に極端に向いていないクアンタの表情からは、尋常じゃない嫌悪と恐怖の色が見て取れる。
 ラルバは顎を撫でながら適当に相槌を打って興味なさそうに他所を眺めているが、ラデック達にはラルバの好奇心が溢れ出す様子がひしひしと伝わってきた。
「まあ所変わればって奴ですかねぇ。前に訪れた村ではお洒落しゃれのために歯を抜くだとか頬に矢を突き刺すだとか、突拍子もない奇行祭りでしたよ。それに比べりゃぁ歳の差ぐらい!些細ささいな問題ですねぇ」
 バビィはフラフラと退屈そうに歩き回るラルバに少し会釈えしゃくをしてクアンタの背中を撫でる。
「じゃあクアンタ。お客さんに失礼のないようにね」
 クアンタのバビィを見上げる可愛らしい笑顔とは裏腹に、服の裾を握る手は静かに震えていた。

~クアンタの家~

「では、私はお夕飯を持ってきますね……主人が作っておいてくれたそうです……少し待っていてください……」
 ラルバ達が家に戻ると、先に戻っていたイチルギが読んでいた本を閉じてクアンタに会釈をしてからラルバを睨む。
「おかえり」
「あっれぇルギルギいつ帰ってたの?」
「ハピネス。ちょっと」
 ラルバの質問を無視してハピネスの手を引くイチルギ。
「えっ?イチルギ?ちょ、ちょっと待ってくれ」
「別に何もしないわよ」
 困惑した表情で手を引かれていくハピネスをラルバが追いかけようとするが、イチルギに手のひらを突きつけられて制止される。それでも近づこうとするラルバを、今度はラデックが腕を掴んで引き留めた。
「ラルバ、イチルギに干渉は無用だろう」
「えー気になるじゃん」
「そのうち本人から話すだろ。放っておいた方がいい」
「あれぇラデックなんか知ってる?」
「楽しみにしていてくれ」
「プレゼントは家に帰る前に開けちゃうタイプなんだよなぁ……貰ったことないけど」
「別にプレゼントではないが……」
 そうこうしていると、クアンタが大きなお盆に人数分の夕飯を持って部屋に入ってきた。
「お待たせしました……あれ?お連れの方は……」
 クアンタがあたりを見回すのと同時に、ハピネスが玄関からふらりと入ってくる。
「おっと……ああ、すまない。少し席を外していてね」
 何事もなかったかのように椅子へ腰掛けるハピネスに、不機嫌そうなラルバが詰め寄って顔を覗く。未だ生々しい火傷の痕には眉毛も睫毛まつげも生えてきておらず、いびつまぶたが緊張で僅かに痙攣けいれんしている。灰色に濁った眼玉は失明しているにも拘らず、ラルバを警戒するようにじっと目を合わせる。
「……な、なんだ?」
「イチルギとなにを話した?」
「いや……何も……?」
「ふぅむ……そうか」
 ラルバは不満そうに頭を掻いて椅子の上であぐらをかく。クアンタが不機嫌なラルバに恐る恐る料理を差し出して、お盆で身体を守るように抱える。
「ど、どうぞ……“らぷら”の煮付けです……一応この村ではこれを主食としています……」
 ラルバ達の目の前に出された魚の姿煮は香ばしい匂いと湯気を纏い、食欲をそそる赤褐色のスープから顔を覗かせている。ラデックが手を合わせてから食べようと箸を持つと、ラルバが自分の皿そっちのけで横取りし、煮付けの上半分を骨ごと噛みちぎった。
「いただきまふ……んぐ……食ったことあるなコレ。なんだっけ」
 小さいなまずのような魚の鋭く尖った中骨をものともせずバクバクと喰らうラルバに、ハピネスは食べる素振りもなく煮付けを見つめながら答える。
「この村では”らぷら“と言うそうだが……一般的には”山鯨やまくじら“や”岩鯨いわくじら“と呼ばれる魚だ。通り名だと総称して“トコネムリ”とも呼ばれる。この小ささだと岩鯨の方になるのだろうか」
「ああ、あっちグルメの国で売ってたやつか。でもコレそんな美味くないぞ?なあバリア」
 ラルバの真似をして“らぷら”を骨ごと食べているバリアは、目を伏せながら静かにうなずく。
「すみません……こんな物しかお出しできなくて……すみません……」
 再びもてなしに文句を言われたクアンタは、申し訳なさそうに何度も頭を下げて謝る。しかし、ここに自らを弁護してくれていたイチルギは居らず、ラデックもハピネスもクアンタの方へは意識を向けずに沈黙している。そんな気まずい空気の中でも平然としていたラルバは、自分とラデックの分の煮付けを数分でペロリと平らげ、ハピネスとラプーの分の煮付けを当然のように奪い取る。
「クアンタさーん、コレも湖の?よくあんな汚ったないとこで獲ったもの食べる気になるね」
 突然話を振られたクアンタはビクッと身体を震わせ、またしても挙動不審に身を揺らしながら目を背ける。
「あ、あの、はい、すみません……でっでも解毒はちゃんと……して……ある、と、思い……ます……」
 しきりにお盆を持ち替えて、わざとなのではないかと思うほどに目を泳がせるクアンタ。その明らかに嘘をついている態度に、またしてもラデックは頭を掻いて困惑の色を示す。基本的にラルバが知らぬフリを通すのであれば自分も騙されたフリをするのだが、ここまであからさまに嘘をつかれてしまうと騙される方が不自然である。

「嘘だな」

 突然のラルバの言葉に、クアンタはのしかかる感情に絡まり石のように固まる。まぶたを痙攣させ滑稽こっけいな表情を浮かべるペテン師をラルバが睨むと、クアンタは顔を真っ青に染めて歯をガチガチと打ち鳴らして震え始める。そしてあまりの恐怖に、ラルバが席を立っただけでその場にぺたんと座り込んでしまった。
 あまりに情けなく崩れ落ちるクアンタに、ハピネスが非情な追い討ちをかける。
「……トコネムリは雑食で、動物だろうが植物だろうが土でも毒でもなんでも食べてしまう。例え病気だろうが猛毒でその身を犯されようが捕食と繁殖に支障をきたすことは無い。だからヒトシズク・レストランで出されるトコネムリの様に餌を厳選して、ましてや刺身で食べるとなると、この悪食の害魚が途端に高級食材になるんだ。だからトコネムリの生命力の高さなら、あの湖の汚染程度では死にはしない。死にはしないが――――あのレベルで汚れているならば、トコネムリは穴を掘って休眠状態になってしまうだろう。奴らは危険が迫ると自らをゴムのような粘液で防護して仮死状態になり、1年でも10年でも生き延びることができる。常眠トコネムリと呼ばれる所以だ。故に……仮死状態で湖の底に埋まっている猛毒のトコネムリを、わざわざ何匹も捕まえて解毒して食する文化をでっち上げるのは無理があるだろう」
 ハピネスの雑学にラルバは感心して耳を傾ける。
「ほぉーん。でも私が食べた限りじゃ、私の分とそれ以外の煮付けじゃあ毒の成分が違ったな。多分私のやつだけしっかり解毒して、別の“何か”を入れたんだろう……例えば――――睡眠薬とか?」
 ラルバが座り込んでいたクアンタを見下ろすが、クアンタは糸の切れた操り人形のようにピクリとも動かず茫然ぼうぜんと俯いている。するとラルバは膝を伸ばしたまま大きく腰を曲げてクアンタの顔を覗き込み
「代わってあげよっか」
「……え」
 突拍子もない発言に、クアンタは目を見開いてラルバを見つめる。
「クアンタちゃん。近々“担い手大堂”に行く予定だったんでしょ?代わってあげるよ」
「で、でもあそこは……!!」
 ラデックはクアンタの慌てる様子を見ながら心底気の毒に思った。ラルバに睡眠薬を盛り、自らの生贄いけにえ役を押し付けようと企んだのだろう。バビィが担い手大堂前に来たタイミングや、クアンタが残した置き手紙を読んで毒の煮付けを用意したところをから、クアンタがラルバを陥れる計画をバビィが受け入れたと推測できる。しかしクアンタは先程までラルバを騙そうとしていたにも拘らず、今はもう身を震わせながら目に涙すら溜めている。人を陥れるのにまるで向かない臆病なお人好し。ラルバがこの村に寄らなかった場合の未来を想像して、ラデックの同情はより深まった。
 ラルバはクアンタの震えを止めるように両肩を持って、優しい笑顔で慰めるように語り出す。
「クアンタちゃん……君が嘘を吐いていたみたいにね。私も嘘を吐いていたんだよ。私は民俗学者なんかじゃないし、ここに助手も案内もいない。私達はただ、こんな幼気な女の子においたする悪者をらしめる正義のヒーローなのさ」
「ラルバ。嘘はよくない」
「ああそうだなラデック。嘘はよくない!と言うわけで嘘つきの死んで然るべきクソ変態ロリコンオヤジのケツの穴に何をぶち込むか!今からみんなで考えてもらいます!!」
「ラルバ。嘘はよくない」
「嘘じゃないよ?」
「嘘だと言うんだ」
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不定期で更新します。また、フォーマットが不安定ですが、どこかのタイミングで直します。
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