気づいたらモフモフの国の聖女でした~オタク聖女は自らの死の真相を解き明かす~

平本りこ

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第四章

6 風向きが悪い

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 そこに広がるのは、生粋の日本人リサが思い浮かべる法廷のイメージそのままの光景だ。

 中央には証言台があり、それを囲むように傍聴席がある。長方形の部屋の最も奥、裁判官が座る場所には、毛刈り後の羊獣人さんが座っている。法曹界に所属するだけあり、ピシッとした黒衣を着込み、身ぎれいにしている。きっちり長さが揃った白い羊毛が雲のように頭頂に乗っていた。

「静粛に。これより、混沌術の不正利用に係る審議を開始する。罪状は……」

 私は被告人席に背筋を伸ばして座り、周囲を観察する。

 証言台を挟んだ向こう側には日本で言う検察側の人々が座り、何やら資料に目を走らせている。

 対してこちら側には、私とウィオラだけ。もしかして、弁護人はいないのだろうか。そんな不公平な、と思ったけれど、地球の常識が異世界に通用するとは限らない。

 私は、どんよりと重たい胃の辺りを密かに摩りながら、話す度に揺れる裁判官の白い毛を見つめて平静を保とうとした。

 少し前までの私なら、ここまで緊張することはなかっただろう。だってこの世界の全てが夢かゲーム内のものだと思っていたのだから。裁判はもちろんのこと、怪我や命を落とすことですら、実感を伴わなかったのだ。

 けれど今は、状況が異なる。私は確信してしまった。これは作り物の世界での出来事ではない。現実なのだ。

「本廷は被告人であり、おうの乳母でもあるウィオラ殿が罪を全面的に認めていることから、まずは彼女の証言から開始いたします」

 私は思わず「え」と声を漏らした。いつもと何も変わらない表情をしたウィオラが、立ち上がる。

 お腹の前で行儀良く手を組みしずしずと証言台へと向かう紫色の背中を見送って、私はただ瞬きを繰り返した。

 ウィオラはぐるりと部屋中を見回してから、青ざめた唇を薄く開いた。

「全ては、私が犯したあやまちです」

 ただでさえ引き締まった空気が、さらに張り詰める。ウィオラは声を震わせることもなく、控えめながらもどっしりと構えている。

「私は私利私欲のために、混沌術を利用しようとしました。そしてその知識を使い、聖女リザエラ様へ、混沌へ下るようにとそそのかしました」

 ざわり、と微かな動揺が空気を揺らす。ウィオラは続けた。

「ですから全ては私に非が」
「それでは何の説明にもなっていませんよ、ウィオラ殿」

 傍聴席から鋭い声が飛んだ。視線を向ければ、反り返った山羊やぎ角を持つ男がご丁寧に起立して、こちらを見据えていた。リーチ侯爵だ。

「ウィオラ殿、あなたには、ご子息のため混沌術に手を出すだけの理由があります。ですがなぜ、リザエラ様は禁忌に触れたのか。全くもってわからないではないか」
「それは、私がリザエラ様を促したからです」
「ですが理由もなく混沌に下るなんてあり得ないでしょう」

 そうだそうだ、と野次が飛ぶ。聴衆の不満は次第に、黙りこくったままの私に向かい始める。聖女に対して向けるには無遠慮過ぎる視線と言葉が、矢のように降り注ぐ。

 それでも私は沈黙するしかない。だってこちらが聞きたいくらいなのだ。なぜリザエラは混沌へ下ったのか。

 ウィオラを見れば、ただ唇を引き結び、静かな目をリーチ侯爵に向けていた。

「さあ、ウィオラ殿。遠慮することはない。もしやあなたは、リザエラ様を庇っているのではないか? ああ、恐れることはないのですよ。本当に悪いのは誰なのか、はっきりさせましょう」

 何てあからさまな挑発だろう。私はリーチ侯爵の金色の目を睨もうとして、すんでのところで堪えた。ガラの悪い顔を晒してしまえば、風向きはもっと悪くなる。

 言葉はおろか、態度ですら反撃できない私に向けて、リーチ侯爵は勝ち誇ったような笑みを浮かべている。とてつもなく苛立たしいけれど、ここはぐっと堪えるだけだ。

「ウィオラ殿、もう無理はなさらなくてよろしいのです。言っておしまいなさい。心が楽になるはずです」

 ウィオラはしかし、口を閉ざしたままだ。リーチ侯爵は水を得た魚ならぬ、美味しそうな草地を見つけた山羊のように生き生きとしている。

「もしやウィオラ殿。皇のことをご心配されているのでは? リザエラ様が裁きを受ければ、ナーリス様の身に良くないことが起こるのではないかと思っておられるのでしょう。しかし心配にはおよびません。私はきちんと調べてまいりました」

 傍聴席にいるにもかかわらず、なぜかリーチ侯爵の独擅場になっている。ちらりと裁判官の顔色を窺ってみたけれど、特に咎めるような様子はない。

 リーチ侯爵は懐から紙を取り出して、わざとらしく読み上げた。

「通常、子よりも親が先に世を去るのが世界の道理。過去、皇を残して魔王または聖人がご逝去されたことは大変多くあります。しかしそのいずれの場合も、皇の体内を流れる力が枯渇することはありませんでした。神樹に残された魔力と聖力の器がきちんと機能し続けるからです。どの皇もきっかり百年生きてお役目を果たされました」

 つまりリーチ侯爵が主張したいのは、極論リザエラが処刑されたとしてもナーリスは無事ですよ、ということか。

 さすがに気分を害した私は、山羊侯爵をギロリとひと睨みした。あいにく、悦に入った様子の彼は、気づかない。

「ですから何も心配する必要はありません。ウィオラ殿、あなたはリザエラ様に脅されて、自ら全ての罪を被ろうとしているのでしょう?」
「なっ……」

 思わず声が漏れた。さすがに酷い言い様だ。

 リーチ侯爵の言葉に感化されたように、潜めた話し声がさざ波のように広がっていく。そのほとんどが、罪を押し付けられたウィオラを哀れみリザエラを糾弾する囁きだ。

 冗談じゃない。気づけば私は叫んでいた。

「濡れ衣よ!」
「おやおや、あなたこそ、エナの事件の時には私を犯人だと一方的に断定したではありませんか」

 私の喉が、ぐっ、と音を立てた。言い返せない。代わりに質問を投げつける。

「そ、そもそもどうしてあなた、こんなところにいるの? 部屋に閉じ込められていたはずでしょう」
「濡れ衣だと証明されたのですよ。あなたが幽閉されている間に」
「どうやって」
「それは」

「真犯人が見つかったのだ」

 聞き慣れた、朗々とした声が法廷内に響いた。

 今にも高笑いを始めんばかりだったリーチ侯爵が、ぴたりと動きを止める。ケモ耳さんや獣人さんの色とりどりの瞳が、重厚な扉の方へと向いた。

 長い四肢を黒い上下に包んだ銀髪の男性が、そこにいた。魔王デュヘル。彼と顔を合わせるのは、あの地下空間で失望の眼差しを向けられて以来だ。

 私は下腹に力を入れて震えを抑え、ほんの少し前までは「世界中が敵になっても味方だ」とお砂糖を吐き出してくれていた夫の冷たい瞳を見つめた。

 冷淡な色を帯びる赤紫の目はしかし、私を映すことはなく、ただ真っすぐに、ウィオラへと向けられていた。
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