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第四章
5 塔の窓越しに
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※
リザエラは、誰かのことを愛せなかった。それが理由で、死のうとしたのではなく、異界へ逃げた。そう語った土竜さんの告発にはただの憶測が含まれていて、もしかすると彼は、自分の罪を見逃してもらうために咄嗟の推理で言葉を並べただけなのかもしれない。けれど私の胸には、欠けていたパズルのピースが揃ったような高揚感が湧いてきた。
私は自分のことをリザエラではなくリサだと思っていたが、実は逆で、リサこそがリザエラの転生後の人間なのではないか。トラックに撥ねられて異世界にやって来たのではなく、リサの死と共に元のリザエラに戻ったのだ。
そう考えれば、多くの事柄の辻褄が合う。一方で、良く分からない点もある。リザエラはどうして、普通に自死するのではなく、混沌へ下ったのか。この世界から逃げ出したいと思ったものの、ただ単に死ぬのが恐ろしくて、生まれ直したいと願ったのだろうか。そもそも、聖女であるリザエラはどうやって混沌術の道具を手に入れたのか。
「ウィオラ、聞こえる?」
私は隣室にいるはずのウィオラに声を掛けるが、強固な石で造られた壁は分厚い。状況を打破するため、とりあえず発してみた聖術の白い光は、壁に吸い込まれて消えて、何の奇跡も起こさなかった。聖術も魔術も封じられているらしい。
どうにかして彼女と言葉を交わす方法はないだろうか。私は室内をぐるりと見回した。
狭苦しい室内には硬いベッドと用を足すための小さな壺があるだけ。白茶けた剥き出しの石壁は古びて罅割れている。明かりと言えば、扉の隙間から覗くぼんやりとした聖力灯の淡白色と、高い位置にある小さな窓から差し込む陽光だけだ。
私はベッドの上で爪先立ちになり、辛うじて顔が出せる程度の大きさの窓から頭を突き出した。
「ウィオラ、ウィオラ」
声は、苛立たしいほど透き通る青空に溶けていく。しばらく繰り返すとやがて、少し離れた壁面からにゅっと茶色い耳が飛び出して、続いて紫色の瞳がこちら向いた。
「リザエラ様。そのような場所から」
ウィオラが困った顔で指摘したように、高い塔の壁から頭部だけ覗かせて会話をする二人など、滑稽極まりないだろう。とはいえ今は、誰が見ている訳でもないのだし、どちらにしても背に腹は代えられない。
私は単刀直入に訊いた。
「ねえウィオラ。あの土竜バーテンダーさんが言っていたことは真実なの?」
「はい。ほぼ事実通りです」
「じゃあ、私はどうして混沌に下ったの。そもそもどうやってあの小瓶を手に入れたの」
ウィオラは窮屈な四角い窓から突き出した顔を上に向け、天を眺めてから言った。
「あなたへ魔力の小瓶を渡し、混沌へ下るお手伝いをしたのは私です」
あまりの衝撃に息を吞む。いや、地下で捕まった時に私を庇ってくれる姿を見て、薄々勘づいていた。ウィオラはリザエラの死と、リサの転生に関わっている。けれどその理由がわからない。
私は硬いベッドの上で爪先を伸ばし首をぐいっと動かして、ウィオラと距離を詰めた。ほんの数センチだったけれど。
「どうしてウィオラが手伝ってくれたの」
「元々、私は息子のことで混沌術との関わりがありましたから」
「でも、私的利用は禁じられているのよ。私に協力することで、捕まる可能性だって増えるじゃない」
ウィオラは黙り込む。躊躇いがちに少し間を空けてから、平坦な声音で言った。
「本当に覚えていないのですね」
声の調子や仕草からは、ウィオラの感情が読み取れない。そもそも若干距離があるので、顔が薄っすらぼんやりとして見える。唯一、三角耳がぴんと立っていることだけははっきりとしていた。
「私がリザエラ様をお手伝いしたのは、ナーリス様の幸福のためでもあります」
「ナーリスの?」
「私は、全てを捧げてナーリス様にお仕えしております。その母君であられるリザエラ様にも、心からの忠誠を誓っております」
「良くわからないわ。私が混沌に下る……異世界に逃げることとナーリスの幸せに何の関係があるの」
ウィオラはじっとこちらを見つめた。
私達の間にふわりと風が吹き、前髪が乱れる。良く晴れた日の清々しいお日様の匂いがする。こんなピクニック日和なのに、薄暗く陰気な塔の窓から顔だけ向け合い暗い話題をぶつけ合わなくてはならないなんて、悲劇だ。
ウィオラも同じように感じたのかはわからない。彼女は結局、私の問いに答えることはなく、根拠不明な断言をした。
「とにかく、私はナーリス様を悲しませたくないのです。リザエラ様、明日の法廷では必ずやお守りしますので、どうかご安心ください」
引き留める間もなく、ぺこりと会釈を残してウィオラの首が引っ込んだ。再び微風が吹き抜ける。その中に、ウィオラがいつも纏っていた草花の香りはなかった。
私は茶色い三角耳が消えた辺りをしばらくぼんやりと見つめてから、溜息交じりに遠くへ目を向け、長閑にふかふかと浮かぶ白い雲を眺めた。
青空とは対照的に、気分が晴れない。結局、はっきりとした情報は得られていないし、そもそもが幽閉中の身なのだから当然だ。燦々と降り注ぐ金色の陽光に恨めしさすら感じた。
暖かな陽気の日には、ナーリスは中庭で過ごすことを好んでいる。今日もお花の中で、天使のように微笑んでいるだろうか。それとも、生母と乳母がいっぺんに罪を問われることになり、泣き暮らしているだろうか。
優しく繊細なナーリス。混沌術に関わる今回の委細について、あの子が何も知らなければ良いのだが。我が子の状況すら知ることができず、私はお腹の奥で重たい何かが蠢いているような、そわそわと落ち着かない気分になった。
今後の全ては明日、混沌術を私的利用した聖女リザエラと、その協力者であるウィオラの裁判で明らかになるだろう。
リザエラは、誰かのことを愛せなかった。それが理由で、死のうとしたのではなく、異界へ逃げた。そう語った土竜さんの告発にはただの憶測が含まれていて、もしかすると彼は、自分の罪を見逃してもらうために咄嗟の推理で言葉を並べただけなのかもしれない。けれど私の胸には、欠けていたパズルのピースが揃ったような高揚感が湧いてきた。
私は自分のことをリザエラではなくリサだと思っていたが、実は逆で、リサこそがリザエラの転生後の人間なのではないか。トラックに撥ねられて異世界にやって来たのではなく、リサの死と共に元のリザエラに戻ったのだ。
そう考えれば、多くの事柄の辻褄が合う。一方で、良く分からない点もある。リザエラはどうして、普通に自死するのではなく、混沌へ下ったのか。この世界から逃げ出したいと思ったものの、ただ単に死ぬのが恐ろしくて、生まれ直したいと願ったのだろうか。そもそも、聖女であるリザエラはどうやって混沌術の道具を手に入れたのか。
「ウィオラ、聞こえる?」
私は隣室にいるはずのウィオラに声を掛けるが、強固な石で造られた壁は分厚い。状況を打破するため、とりあえず発してみた聖術の白い光は、壁に吸い込まれて消えて、何の奇跡も起こさなかった。聖術も魔術も封じられているらしい。
どうにかして彼女と言葉を交わす方法はないだろうか。私は室内をぐるりと見回した。
狭苦しい室内には硬いベッドと用を足すための小さな壺があるだけ。白茶けた剥き出しの石壁は古びて罅割れている。明かりと言えば、扉の隙間から覗くぼんやりとした聖力灯の淡白色と、高い位置にある小さな窓から差し込む陽光だけだ。
私はベッドの上で爪先立ちになり、辛うじて顔が出せる程度の大きさの窓から頭を突き出した。
「ウィオラ、ウィオラ」
声は、苛立たしいほど透き通る青空に溶けていく。しばらく繰り返すとやがて、少し離れた壁面からにゅっと茶色い耳が飛び出して、続いて紫色の瞳がこちら向いた。
「リザエラ様。そのような場所から」
ウィオラが困った顔で指摘したように、高い塔の壁から頭部だけ覗かせて会話をする二人など、滑稽極まりないだろう。とはいえ今は、誰が見ている訳でもないのだし、どちらにしても背に腹は代えられない。
私は単刀直入に訊いた。
「ねえウィオラ。あの土竜バーテンダーさんが言っていたことは真実なの?」
「はい。ほぼ事実通りです」
「じゃあ、私はどうして混沌に下ったの。そもそもどうやってあの小瓶を手に入れたの」
ウィオラは窮屈な四角い窓から突き出した顔を上に向け、天を眺めてから言った。
「あなたへ魔力の小瓶を渡し、混沌へ下るお手伝いをしたのは私です」
あまりの衝撃に息を吞む。いや、地下で捕まった時に私を庇ってくれる姿を見て、薄々勘づいていた。ウィオラはリザエラの死と、リサの転生に関わっている。けれどその理由がわからない。
私は硬いベッドの上で爪先を伸ばし首をぐいっと動かして、ウィオラと距離を詰めた。ほんの数センチだったけれど。
「どうしてウィオラが手伝ってくれたの」
「元々、私は息子のことで混沌術との関わりがありましたから」
「でも、私的利用は禁じられているのよ。私に協力することで、捕まる可能性だって増えるじゃない」
ウィオラは黙り込む。躊躇いがちに少し間を空けてから、平坦な声音で言った。
「本当に覚えていないのですね」
声の調子や仕草からは、ウィオラの感情が読み取れない。そもそも若干距離があるので、顔が薄っすらぼんやりとして見える。唯一、三角耳がぴんと立っていることだけははっきりとしていた。
「私がリザエラ様をお手伝いしたのは、ナーリス様の幸福のためでもあります」
「ナーリスの?」
「私は、全てを捧げてナーリス様にお仕えしております。その母君であられるリザエラ様にも、心からの忠誠を誓っております」
「良くわからないわ。私が混沌に下る……異世界に逃げることとナーリスの幸せに何の関係があるの」
ウィオラはじっとこちらを見つめた。
私達の間にふわりと風が吹き、前髪が乱れる。良く晴れた日の清々しいお日様の匂いがする。こんなピクニック日和なのに、薄暗く陰気な塔の窓から顔だけ向け合い暗い話題をぶつけ合わなくてはならないなんて、悲劇だ。
ウィオラも同じように感じたのかはわからない。彼女は結局、私の問いに答えることはなく、根拠不明な断言をした。
「とにかく、私はナーリス様を悲しませたくないのです。リザエラ様、明日の法廷では必ずやお守りしますので、どうかご安心ください」
引き留める間もなく、ぺこりと会釈を残してウィオラの首が引っ込んだ。再び微風が吹き抜ける。その中に、ウィオラがいつも纏っていた草花の香りはなかった。
私は茶色い三角耳が消えた辺りをしばらくぼんやりと見つめてから、溜息交じりに遠くへ目を向け、長閑にふかふかと浮かぶ白い雲を眺めた。
青空とは対照的に、気分が晴れない。結局、はっきりとした情報は得られていないし、そもそもが幽閉中の身なのだから当然だ。燦々と降り注ぐ金色の陽光に恨めしさすら感じた。
暖かな陽気の日には、ナーリスは中庭で過ごすことを好んでいる。今日もお花の中で、天使のように微笑んでいるだろうか。それとも、生母と乳母がいっぺんに罪を問われることになり、泣き暮らしているだろうか。
優しく繊細なナーリス。混沌術に関わる今回の委細について、あの子が何も知らなければ良いのだが。我が子の状況すら知ることができず、私はお腹の奥で重たい何かが蠢いているような、そわそわと落ち着かない気分になった。
今後の全ては明日、混沌術を私的利用した聖女リザエラと、その協力者であるウィオラの裁判で明らかになるだろう。
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