31 / 43
第四章
1 ここからが本番だ
しおりを挟む
空が白み始める気配もない深夜。
私はでき立てほやほやの刺繍入りハンカチを目の前でぴんと広げ、及第点を与える。少し縫い目が乱れているけれど仕方がない。短時間かつ見様見真似で作ったにしては上出来だ。
いける。きっと大丈夫。私は何度も自分に言い聞かせながら、ハンカチと二通の便箋、そして小瓶をコートの内ポケットにねじ込んで、再び城下へと向かった。
街は夜の静けさに沈んでいる。けれど時間は着実に進み、朝の気配も近づいているらしい。
早起きなパン屋の窓から微かに明かりが漏れ出している。朝の仕込みだろうか。
反対に、酒場など夜のお店からは、終業後特有の気怠さと浮足立つような高揚感が同時に発せられている。
私はそれらを横目に見ながら、ひたすら走る。
ウィオラは、リザエラの死に関わるだろう便箋に描かれていたのと同じ花の刺繍を、何かの証のように示して地下へと下って行った。「混沌に下れ」の一文が脳裏を過る。ウィオラの行動はきっと、禁じられた混沌術と関係がある。
消えたデュヘル、忍んで夜にお城を抜け出すウィオラ。二人があの地下で密会し、混沌術を使って共謀しているのでは。
そう、何か悪事を。たとえば、二人の関係の邪魔になる聖女リザエラの命を奪うこと……。
そこまで考えて、悪意のあまりの大きさに、全身がぶるりと震えた。
もしかすると、デュヘルの執拗なまでの愛情表現は全てカモフラージュで、実は彼の心はウィオラにあって、リザエラを自死に見せかけて殺害した?
いやいや、それはおかしい。リザエラの精神はどこかへ行ってしまったが、結局はリサがやって来てリザエラとして生きている。それは彼らにとって不都合だ。
それではもしかすると、リサの登場は彼らにとって予想外の事態であって、私が転生したのは、自分の命を狙う魔王と乳母の策略に気づいたリザエラが、ただではやられまいと対策をした結果だろうか。
そうか、だからデュヘル達は、想定外に生き返ってしまったリザエラを貶めるため、次の策を練っているのだ。そこでエナの事件。あの件でスケープゴートにされようとしていたのは山羊角リーチ侯爵などではなく、リザエラだったのでは。
冷たい夜気に打たれながらも、頬に一筋汗が伝う。
そうだ。エナの事件について、リザエラには動機がある。
エナはナーリスを害そうとした。母であるリザエラは、エナを憎んでもおかしくない。リザエラは自死を試みるような、精神的に不安定な女性なのだから、恐れが高じた末の短絡的犯行とされれば、誰もが納得するだろう。リーチ侯爵の濡れ衣が晴らされた後、糾弾を受けるのはこの私。
私は息を切らせながら最後の角を曲がり、秘密の通路を開く。首を振って、最悪の思考を打ち消した。
きっと考え過ぎだ。どちらにしても真相は、自分の目と耳で確かめる。この頃にはもう、確信していた。私がリザエラの身体に転生したのは、ただの偶然ではない。私にはきっと、ここでやるべきことがある。
最後の角が見えて来た。一度足を止め、肩で荒い息を繰り返す。全力疾走の末、ぜえぜえと苦し気な様子で見張りの狼さんの前に立つのは不審過ぎるので、平静を装うために息を整えた。
軽く汗を拭い、髪を撫でつけてから、背筋を伸ばして灰色の狼さんへと歩み寄る。
威圧的で大きな身体。だいぶ高い位置にある金色の瞳が、値踏みするような視線を向けてくる。ぎろりと光る鋭い目に怖気づきそうになりながら、私は例のハンカチを取り出し、狼さんの目の前に突きつけた。
金色の瞳が動き、刺繍をじっと見つめる。ほんの少し、眉が上がったように見えるが、それも一瞬のこと。彼は全く頬を動かさずに半身をずらす。
私は何食わぬ顔で階段へと足を進め、薄暗い地下へと下って行った。
背中に、金色の視線が注がれているような心地がしたが、振り返ることはしない。しばらく進むと踊り場が見える。折り返した辺りで肩越しに振り返り、背後に誰もいないことを確認してからやっと、詰めていた息を吐いた。
耳にばくばくと鼓動が響く。吐く息が少し震えている。ひとまず、ことは上手く運んだようだ。
あの刺繍が地下への鍵であるのかどうか半信半疑だったし、突貫工事の賜物である小花が偽物であると見抜かれてしまうのではないか不安もあった。けれど、全ての懸念に蓋をして、ここまで一直線に走り抜けたのだ。
少し気を抜けば、もう立ち上がれなくなってしまいそうな気がする。私は気持ちを奮い立たせて、深呼吸をした。
耳を澄ませばさらに地下深くから、微かな喧噪が這い上がって来る。間違いない。何人もの人間が階下にいる。
さあ、ここからが本番だ。
私は呼吸を整えて一段一段足を進め、やがて、光度の低い照明に照らされたその部屋へと辿りついた。
私はでき立てほやほやの刺繍入りハンカチを目の前でぴんと広げ、及第点を与える。少し縫い目が乱れているけれど仕方がない。短時間かつ見様見真似で作ったにしては上出来だ。
いける。きっと大丈夫。私は何度も自分に言い聞かせながら、ハンカチと二通の便箋、そして小瓶をコートの内ポケットにねじ込んで、再び城下へと向かった。
街は夜の静けさに沈んでいる。けれど時間は着実に進み、朝の気配も近づいているらしい。
早起きなパン屋の窓から微かに明かりが漏れ出している。朝の仕込みだろうか。
反対に、酒場など夜のお店からは、終業後特有の気怠さと浮足立つような高揚感が同時に発せられている。
私はそれらを横目に見ながら、ひたすら走る。
ウィオラは、リザエラの死に関わるだろう便箋に描かれていたのと同じ花の刺繍を、何かの証のように示して地下へと下って行った。「混沌に下れ」の一文が脳裏を過る。ウィオラの行動はきっと、禁じられた混沌術と関係がある。
消えたデュヘル、忍んで夜にお城を抜け出すウィオラ。二人があの地下で密会し、混沌術を使って共謀しているのでは。
そう、何か悪事を。たとえば、二人の関係の邪魔になる聖女リザエラの命を奪うこと……。
そこまで考えて、悪意のあまりの大きさに、全身がぶるりと震えた。
もしかすると、デュヘルの執拗なまでの愛情表現は全てカモフラージュで、実は彼の心はウィオラにあって、リザエラを自死に見せかけて殺害した?
いやいや、それはおかしい。リザエラの精神はどこかへ行ってしまったが、結局はリサがやって来てリザエラとして生きている。それは彼らにとって不都合だ。
それではもしかすると、リサの登場は彼らにとって予想外の事態であって、私が転生したのは、自分の命を狙う魔王と乳母の策略に気づいたリザエラが、ただではやられまいと対策をした結果だろうか。
そうか、だからデュヘル達は、想定外に生き返ってしまったリザエラを貶めるため、次の策を練っているのだ。そこでエナの事件。あの件でスケープゴートにされようとしていたのは山羊角リーチ侯爵などではなく、リザエラだったのでは。
冷たい夜気に打たれながらも、頬に一筋汗が伝う。
そうだ。エナの事件について、リザエラには動機がある。
エナはナーリスを害そうとした。母であるリザエラは、エナを憎んでもおかしくない。リザエラは自死を試みるような、精神的に不安定な女性なのだから、恐れが高じた末の短絡的犯行とされれば、誰もが納得するだろう。リーチ侯爵の濡れ衣が晴らされた後、糾弾を受けるのはこの私。
私は息を切らせながら最後の角を曲がり、秘密の通路を開く。首を振って、最悪の思考を打ち消した。
きっと考え過ぎだ。どちらにしても真相は、自分の目と耳で確かめる。この頃にはもう、確信していた。私がリザエラの身体に転生したのは、ただの偶然ではない。私にはきっと、ここでやるべきことがある。
最後の角が見えて来た。一度足を止め、肩で荒い息を繰り返す。全力疾走の末、ぜえぜえと苦し気な様子で見張りの狼さんの前に立つのは不審過ぎるので、平静を装うために息を整えた。
軽く汗を拭い、髪を撫でつけてから、背筋を伸ばして灰色の狼さんへと歩み寄る。
威圧的で大きな身体。だいぶ高い位置にある金色の瞳が、値踏みするような視線を向けてくる。ぎろりと光る鋭い目に怖気づきそうになりながら、私は例のハンカチを取り出し、狼さんの目の前に突きつけた。
金色の瞳が動き、刺繍をじっと見つめる。ほんの少し、眉が上がったように見えるが、それも一瞬のこと。彼は全く頬を動かさずに半身をずらす。
私は何食わぬ顔で階段へと足を進め、薄暗い地下へと下って行った。
背中に、金色の視線が注がれているような心地がしたが、振り返ることはしない。しばらく進むと踊り場が見える。折り返した辺りで肩越しに振り返り、背後に誰もいないことを確認してからやっと、詰めていた息を吐いた。
耳にばくばくと鼓動が響く。吐く息が少し震えている。ひとまず、ことは上手く運んだようだ。
あの刺繍が地下への鍵であるのかどうか半信半疑だったし、突貫工事の賜物である小花が偽物であると見抜かれてしまうのではないか不安もあった。けれど、全ての懸念に蓋をして、ここまで一直線に走り抜けたのだ。
少し気を抜けば、もう立ち上がれなくなってしまいそうな気がする。私は気持ちを奮い立たせて、深呼吸をした。
耳を澄ませばさらに地下深くから、微かな喧噪が這い上がって来る。間違いない。何人もの人間が階下にいる。
さあ、ここからが本番だ。
私は呼吸を整えて一段一段足を進め、やがて、光度の低い照明に照らされたその部屋へと辿りついた。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います
霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。
得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。
しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。
傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。
基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。
が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
異世界転生~チート魔法でスローライフ
リョンコ
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。
その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」
大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
『特別』を願った僕の転生先は放置された第7皇子!?
mio
ファンタジー
特別になることを望む『平凡』な大学生・弥登陽斗はある日突然亡くなる。
神様に『特別』になりたい願いを叶えてやると言われ、生まれ変わった先は異世界の第7皇子!? しかも母親はなんだかさびれた離宮に追いやられているし、騎士団に入っている兄はなかなか会うことができない。それでも穏やかな日々。
そんな生活も母の死を境に変わっていく。なぜか絡んでくる異母兄弟をあしらいつつ、兄の元で剣に魔法に、いろいろと学んでいくことに。兄と兄の部下との新たな日常に、以前とはまた違った幸せを感じていた。
日常を壊し、強制的に終わらせたとある不幸が起こるまでは。
神様、一つ言わせてください。僕が言っていた特別はこういうことではないと思うんですけど!?
他サイトでも投稿しております。
【完結】魔法は使えるけど、話が違うんじゃね!?
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
「話が違う!!」
思わず叫んだオレはがくりと膝をついた。頭を抱えて呻く姿に、周囲はドン引きだ。
「確かに! 確かに『魔法』は使える。でもオレが望んだのと全っ然! 違うじゃないか!!」
全力で世界を否定する異世界人に、誰も口を挟めなかった。
異世界転移―――魔法が使え、皇帝や貴族、魔物、獣人もいる中世ヨーロッパ風の世界。簡易説明とカミサマ曰くのチート能力『魔法』『転生先基準の美形』を授かったオレの新たな人生が始まる!
と思ったが、違う! 説明と違う!!! オレが知ってるファンタジーな世界じゃない!?
放り込まれた戦場を絶叫しながら駆け抜けること数十回。
あれ? この話は詐欺じゃないのか? 絶対にオレ、騙されたよな?
これは、間違った意味で想像を超える『ファンタジーな魔法世界』を生き抜く青年の成長物語―――ではなく、苦労しながら足掻く青年の哀れな戦場記録である。
【注意事項】BLっぽい表現が一部ありますが、BLではありません
(ネタバレになるので詳細は伏せます)
【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう
2019年7月 ※エブリスタ「特集 最強無敵の主人公~どんな逆境もイージーモード!~」掲載
2020年6月 ※ノベルアップ+ 第2回小説大賞「異世界ファンタジー」二次選考通過作品(24作品)
2021年5月 ※ノベルバ 第1回ノベルバノベル登竜門コンテスト、最終選考掲載作品
2021年9月 9/26完結、エブリスタ、ファンタジー4位
呪われた子と、家族に捨てられたけど、実は神様に祝福されてます。
光子
ファンタジー
前世、神様の手違いにより、事故で間違って死んでしまった私は、転生した次の世界で、イージーモードで過ごせるように、特別な力を神様に授けられ、生まれ変わった。
ーーー筈が、この世界で、呪われていると差別されている紅い瞳を宿して産まれてきてしまい、まさかの、呪われた子と、家族に虐められるまさかのハードモード人生に…!
8歳で遂に森に捨てられた私ーーキリアは、そこで、同じく、呪われた紅い瞳の魔法使いと出会う。
同じ境遇の紅い瞳の魔法使い達に出会い、優しく暖かな生活を送れるようになったキリアは、紅い瞳の偏見を少しでも良くしたいと思うようになる。
実は神様の祝福である紅の瞳を持って産まれ、更には、神様から特別な力をさずけられたキリアの物語。
恋愛カテゴリーからファンタジーに変更しました。混乱させてしまい、すみません。
自由にゆるーく書いていますので、暖かい目で読んで下さると嬉しいです。
憧れのスローライフを異世界で?
さくらもち
ファンタジー
アラフォー独身女子 雪菜は最近ではネット小説しか楽しみが無い寂しく会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、仕事中に突然目眩がして気がつくと転生したようで幼女だった。
日々成長しつつネット小説テンプレキターと転生先でのんびりスローライフをするための地盤堅めに邁進する。
気付いたら異世界の娼館に売られていたけど、なんだかんだ美男子に救われる話。
sorato
恋愛
20歳女、東京出身。親も彼氏もおらずブラック企業で働く日和は、ある日突然異世界へと転移していた。それも、気を失っている内に。
気付いたときには既に娼館に売られた後。娼館の店主にお薦め客候補の姿絵を見せられるが、どの客も生理的に受け付けない男ばかり。そんな中、日和が目をつけたのは絶世の美男子であるヨルクという男で――……。
※男は太っていて脂ぎっている方がより素晴らしいとされ、女は細く印象の薄い方がより美しいとされる美醜逆転的な概念の異世界でのお話です。
!直接的な行為の描写はありませんが、そういうことを匂わす言葉はたくさん出てきますのでR15指定しています。苦手な方はバックしてください。
※小説家になろうさんでも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる