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第二章
5 天使ナーリスと家族水入らず
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※
「ごめんなさい、さっきは変なことを言ってしまいました。保護院の人達の気分を害してしまったのではないかしら」
がたごとと揺れる馬車の中。私は肩を縮こまらせて、謝罪する。
しゅんとする私に対し、向かい側に座るデュヘルはいつも通りの甘ったるい笑みを浮かべて言った。
「大丈夫さ。院長も心の中では只人の立場が良くなることを望んでいる」
「でも、私の言葉はただの理想論。それこそ異端の思考かも」
魔女裁判にでもかけられて火炙りになるのでは。本気でそんなことを妄想してから気づく。聖術使いなのだから、実際私は地球で言うところの魔女だ。だけどそれは悪ではない。
「万が一そうであったとしても、私はありのままの君を受け入れる」
デュヘルは私の手を取った。
「世界中が君の敵になっても、私と、きっとナーリスも君の味方だ」
何て大袈裟な。けれどその言葉は強く心を掴み、胸を騒がせた。
甘い声が耳朶を撫で、蕩けるような眼差しが注がれて、触れた指先から甘く痺れるような熱が這い上がる。気づけば鼓動が速まって、全身の血の巡りが活性化する。なんだか暑い。まさか、これはときめき。
いやいやおかしい。どうして油ギトギトお砂糖塗れ揚げパンにドキドキしているのだろう。この胸の高鳴りは気のせい。そう、だって相手は揚げパンなのだから。
柄にもない感情を抱いたことに動揺し、理論崩壊した結論に至る。
私はぱっと手を離し、意識して神妙な顔を作って言った。
「……ナーリスに会いたいですね」
デュヘルは顔色も変えずに「そうだな」と頷いた。
やがて馬車は魔王城へと帰りつく。出迎えのケモ耳さん達に荷物を預け、私達は先ほど宣言した通り、ナーリスを訪ねることにした。
いつ見ても重たそうな扉の前に立ち、室内に呼びかけるが反応はない。扉を開いてみたが、差し込む黄金色の日差しを浴びて大判の絵本が散らばる中に、茶色いモフモフの姿はなかった。まだ食事時ではない。となるときっと。
「中庭にいるのでしょうか」
本日は晴天。このような日には、ナーリスが中庭で過ごす頻度が高い。きっと今日も、色とりどりのお花を愛でているのだろう。
デュヘルも私の推測に同意して、共に階下へと下る。
中庭は、いつ来ても馨しい香りで満ちている。この世界には明確な四季がないようで、常に過ごしやすい気候であり、年中花が咲いている。それでも来る度に目を楽しませてくれる色が異なるのは、庭師の努力とセンスのお陰だろう。
この日、花壇で競う様に輝きを放っているのは、純白の羽毛のような花弁を持つ花々だった。
まるで、天使の羽根が舞う天国のような情景の中、白の間から三角耳がぴょこんと飛び出した。続いて茶色い顔と赤い宝石のような瞳が現われて、こちらを見る。ナーリスだ。
誕生祭での晩餐会以降、短時間であれば人型を取れるようになったのだが、あいにく数十分しか保てないので、彼は今でも子犬姿で過ごしている。三角耳の間にに花弁を乗せちゃって、今日も破壊的に可愛らしい。
鼻血が出そうになるのを鼻の上部を摘まんで止める私に少し首を傾けてから、ナーリスは花壇から飛び出した。
「父上、母上! お出かけは終わったの」
「ああ、ナーリス。今帰ったよ」
すかさずデュヘルが歩み寄り、跳び上がったナーリスを抱き上げた。
息子の茶色い額に軽く口付けてから、顔を寄せ合う。イケメンとモフモフ。その姿はいつもながら絵になった。これ以上の尊さは危険領域だ。私は一つ咳払いをして平静を保ち、二人に寄り添った。
「ナーリスただいま。お花を摘んでいたの? 素敵な色ね」
ナーリスは少し顔を緊張させてから、控えめな笑みを浮かべた。
「う、うん。母上にも摘んであげようか」
「ぜひ!」
いけない、だいぶ食い気味に答えてしまった。ナーリスはおずおずと頷いて、人見知りでもするようにデュヘルの胸に顔を埋めた。
私は心の中で溜息を吐く。繊細なナーリスは少しずつ心を開いてくれているものの、やはりどこか母親を苦手としているようだった。けれど着実に距離は縮まっている。方向性は間違っていない。頑張るのよ私。
「そうかリザエラ。それほどに、この小花が気に入ったのか」
デュヘルが不穏な笑みを浮かべ、ナーリスを石畳の小道の上に下ろす。それから花壇の中へと分け入った。
「純白の羽毛のように美しい花々だ。魔力の刃を使い根こそぎ刈り取って、君のベッドを花で満た」
「やめてください。お花が可哀想ですから、一本だけください!」
先ほどとは真逆の意図で言葉を被せて叫ぶ。その様子を見ていたナーリスはびくんと身体を震わせ、やがて笑い声を上げ始めた。
……ナ、ナーリスが笑った!
静かな喜びに胸が満たされて、感動の大洪水が起きる。
リザエラの死に纏わりつく疑念、只人や災害の増加に、皇としてのナーリスの今後について。気がかりなことばかりだけれど、至高のモフモフナーリスと、世界中のケモ耳のために、私はどんな努力も惜しまない。デュヘルのことだって、必要があるのなら、もうちょっと好きになれる。多分。
微風に白い花弁が舞い、草花や土の香りが鼻先をくすぐる長閑な世界。平和そのものの一家の声が、青々とした空へと吸い込まれていった。
「ごめんなさい、さっきは変なことを言ってしまいました。保護院の人達の気分を害してしまったのではないかしら」
がたごとと揺れる馬車の中。私は肩を縮こまらせて、謝罪する。
しゅんとする私に対し、向かい側に座るデュヘルはいつも通りの甘ったるい笑みを浮かべて言った。
「大丈夫さ。院長も心の中では只人の立場が良くなることを望んでいる」
「でも、私の言葉はただの理想論。それこそ異端の思考かも」
魔女裁判にでもかけられて火炙りになるのでは。本気でそんなことを妄想してから気づく。聖術使いなのだから、実際私は地球で言うところの魔女だ。だけどそれは悪ではない。
「万が一そうであったとしても、私はありのままの君を受け入れる」
デュヘルは私の手を取った。
「世界中が君の敵になっても、私と、きっとナーリスも君の味方だ」
何て大袈裟な。けれどその言葉は強く心を掴み、胸を騒がせた。
甘い声が耳朶を撫で、蕩けるような眼差しが注がれて、触れた指先から甘く痺れるような熱が這い上がる。気づけば鼓動が速まって、全身の血の巡りが活性化する。なんだか暑い。まさか、これはときめき。
いやいやおかしい。どうして油ギトギトお砂糖塗れ揚げパンにドキドキしているのだろう。この胸の高鳴りは気のせい。そう、だって相手は揚げパンなのだから。
柄にもない感情を抱いたことに動揺し、理論崩壊した結論に至る。
私はぱっと手を離し、意識して神妙な顔を作って言った。
「……ナーリスに会いたいですね」
デュヘルは顔色も変えずに「そうだな」と頷いた。
やがて馬車は魔王城へと帰りつく。出迎えのケモ耳さん達に荷物を預け、私達は先ほど宣言した通り、ナーリスを訪ねることにした。
いつ見ても重たそうな扉の前に立ち、室内に呼びかけるが反応はない。扉を開いてみたが、差し込む黄金色の日差しを浴びて大判の絵本が散らばる中に、茶色いモフモフの姿はなかった。まだ食事時ではない。となるときっと。
「中庭にいるのでしょうか」
本日は晴天。このような日には、ナーリスが中庭で過ごす頻度が高い。きっと今日も、色とりどりのお花を愛でているのだろう。
デュヘルも私の推測に同意して、共に階下へと下る。
中庭は、いつ来ても馨しい香りで満ちている。この世界には明確な四季がないようで、常に過ごしやすい気候であり、年中花が咲いている。それでも来る度に目を楽しませてくれる色が異なるのは、庭師の努力とセンスのお陰だろう。
この日、花壇で競う様に輝きを放っているのは、純白の羽毛のような花弁を持つ花々だった。
まるで、天使の羽根が舞う天国のような情景の中、白の間から三角耳がぴょこんと飛び出した。続いて茶色い顔と赤い宝石のような瞳が現われて、こちらを見る。ナーリスだ。
誕生祭での晩餐会以降、短時間であれば人型を取れるようになったのだが、あいにく数十分しか保てないので、彼は今でも子犬姿で過ごしている。三角耳の間にに花弁を乗せちゃって、今日も破壊的に可愛らしい。
鼻血が出そうになるのを鼻の上部を摘まんで止める私に少し首を傾けてから、ナーリスは花壇から飛び出した。
「父上、母上! お出かけは終わったの」
「ああ、ナーリス。今帰ったよ」
すかさずデュヘルが歩み寄り、跳び上がったナーリスを抱き上げた。
息子の茶色い額に軽く口付けてから、顔を寄せ合う。イケメンとモフモフ。その姿はいつもながら絵になった。これ以上の尊さは危険領域だ。私は一つ咳払いをして平静を保ち、二人に寄り添った。
「ナーリスただいま。お花を摘んでいたの? 素敵な色ね」
ナーリスは少し顔を緊張させてから、控えめな笑みを浮かべた。
「う、うん。母上にも摘んであげようか」
「ぜひ!」
いけない、だいぶ食い気味に答えてしまった。ナーリスはおずおずと頷いて、人見知りでもするようにデュヘルの胸に顔を埋めた。
私は心の中で溜息を吐く。繊細なナーリスは少しずつ心を開いてくれているものの、やはりどこか母親を苦手としているようだった。けれど着実に距離は縮まっている。方向性は間違っていない。頑張るのよ私。
「そうかリザエラ。それほどに、この小花が気に入ったのか」
デュヘルが不穏な笑みを浮かべ、ナーリスを石畳の小道の上に下ろす。それから花壇の中へと分け入った。
「純白の羽毛のように美しい花々だ。魔力の刃を使い根こそぎ刈り取って、君のベッドを花で満た」
「やめてください。お花が可哀想ですから、一本だけください!」
先ほどとは真逆の意図で言葉を被せて叫ぶ。その様子を見ていたナーリスはびくんと身体を震わせ、やがて笑い声を上げ始めた。
……ナ、ナーリスが笑った!
静かな喜びに胸が満たされて、感動の大洪水が起きる。
リザエラの死に纏わりつく疑念、只人や災害の増加に、皇としてのナーリスの今後について。気がかりなことばかりだけれど、至高のモフモフナーリスと、世界中のケモ耳のために、私はどんな努力も惜しまない。デュヘルのことだって、必要があるのなら、もうちょっと好きになれる。多分。
微風に白い花弁が舞い、草花や土の香りが鼻先をくすぐる長閑な世界。平和そのものの一家の声が、青々とした空へと吸い込まれていった。
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