18 / 43
第二章
4 保護院にて②
しおりを挟む
後で知ったことだが、この保護院は魔王家が私的にお金を提供して運営しているらしい。そう考えると、この熱烈歓迎の訳も納得できた。
幸せの余韻が冷めやらない中、猫院長に促され、モフモフ聖歌隊が礼拝堂を後にすると、途端に静寂が訪れる。
それにしても立派な礼拝堂だ。天井にはフレスコ画。光を表す白と闇を表す黒が次第に分離し、昼と夜を生み出し世界が変容していく過程が鮮やかに描かれている。
天井から壁の方へと視線を下ろせば、薄緑色の燐光を放つ巨大な神樹が描かれていて、さらに下方には、本物の木の根がある。あれが先ほどから話題に上がっていた、神樹の根。只人が魔力と聖力を得る場所だろう。
根からは白い淡光と黒い靄が薄っすらと立ち昇っていて、神々しい。というかとってもファンタジー。思わず感動する私だけれど、隣に立つデュヘルは眉間に皺を寄せ、声を低くした。
「ああ、聞いていたとおりだな、院長殿」
猫院長は悲し気に眉を下げた。
「やはり陛下は一見されただけでも、神樹の根から発せられる力が弱まっていることがおわかりになりますか」
デュヘルは頷き、根の近くへと進む。その斜め後ろを追い、猫院長は続ける。
「只人の数が増えておりますから、神樹が人々に分け与えて下さる力の総量が多くなっています。力が枯渇していくのも当然のこと。ですがここだけの話、原因はそれだけではないのです」
「と言うと?」
「盗人です」
猫院長は忌々し気に吐き捨てる。
「偉大なる神樹のご慈悲の下、魔力や聖力を分け与えていただけるのは只人だけ。ですが畏れ多いことに、中にはその力を盗み転売することで、力を悪用する輩もいるのです」
「神樹の力を盗むだと? どうやって」
「魔力や聖力は体内を循環します。よって水分との親和性が高いようなのです。目撃者によると、盗人は小瓶の中に入れた液体に力を溶かしていたとかいないとか」
「間違いではないのか。証拠になるものは?」
「残念ながら陛下、目撃者がいる他に物的な証拠は残されていません」
「然るべき場所に届け出は?」
「いたしました。けれど、物証がないうえに目撃者が施設の子供しかいないので取り合っていただけず……」
デュヘルは、ああと唸り、頷いた。
「この件は私の方でも気に留めておくことにしよう」
猫院長は深々と一礼をして、感謝を示す。身体の動きに合わせて揺れる、ススキのように豊かな尻尾を眺めながら、私は思わず疑問を口にした。
「でもそれ、何に使うのかしら。魔族も聖族も自分で力を吸収して体内に留めることが出来るし、それが難しい人達は、わざわざ盗まなくても神樹の根から分け与えてもらえるのでしょう」
猫院長が、猫目をいっそう丸くしてこちらを見る。視線を浴びて、私は失言に気づいた。もしかするとこれは、世界の一般常識なのでは。
少し狼狽えた私に助け舟を出したのは、リザエラの記憶喪失を把握しているデュヘルだ。
「混沌術というものがあるのだ」
「混沌?」
その単語を耳にして、私の脳内で、ちりりと火種が弾けるような感覚がある。けれどそれが何なのか、掴むことはできなかった。
「そもそも全ての人間は魔力と聖力をその身に留めるための器を両方宿している。前者が強い者は魔族、反対に後者は聖族となり、共に未発達の場合は只人になる」
理解を確認するようにこちらの表情を窺がうデュヘルに軽く頷いて、私は続きを促した。
「つまり全ての人間は、魔族であっても聖族であっても、魔と聖どちらの力も保持している。そこに、自分が身に宿すことを苦手とする方の力を大量に流し込むと」
デュヘルは拳を二つ作り、宙で軽く打ち合わせた。
「性質的には対極にあるが、そもそもは表裏一体である二種類の力がぶつかり合い、極小ながらも創世期の混沌と同様の現象が起こる」
光も闇もなく、もちろん昼も夜もない。この世界が今の姿を取る以前、そんな混沌の世界があったということは、以前アリスから聞いていた。無から全てを創り出すほどの力の渦が、一個人の体内でとぐろを巻くのだから、想像するだけでも恐ろしい。
背中を氷が滑ったような心地がして、私はぶるりと身体を震わせた。
「では、その圧倒的な力を求めて、神樹の力を購入する者がいるということなのですね」
「ああ、そうだ」
デュヘルがさり気なく背中を撫でてくれる。ひんやりと凍り付いた背筋が解けて、いくらか呼吸が楽になった。
「一説によれば混沌術を使い混沌に下ることで、死後の世界に赴き死者を連れ帰ったり、人の容姿や性質を歪めたりすることができるらしい」
現世と冥界の境界を消し去り、人を形作る物を混ぜ合わせ、変質させる。これぞまさに混沌だ。
「混沌術はあまりにも強大な力ゆえ、私的利用は禁じられている」
当然だと思う。宇宙誕生の際に発生したと言われているビッグバンのような現象の種が、個々人、しかも私利私欲に塗れた人物の体内に生まれるなど危険極まりない。
「一方で、混沌術は公的利用されている。たとえばナーリスの部屋の鍵を思い出して欲しい。扉には混沌術による封印が施され、鍵には聖力と魔力が込められていて、事前に許可を得ている人物が力を流し込むと反応して開錠される」
だんだんと状況が掴めてきた。混沌術の存在は悪ではない。けれどそれを悪用する輩を相手にする密売者がいて、神樹の根から力を奪い儲けているのだ。どこまでも混沌としている。
そう、混沌。
再び、脳細胞が活性化するような心地になり、口の中で何度も「混沌」と呟いた。混沌、混沌。
――混沌に下れ。
はっとして顔を上げる。
リザエラの直筆と共にあった、菫模様の便箋に書かれた言葉「混沌に下れ」が脳裏に鮮明に蘇る。
世界を移動し、人間の姿形にすら干渉することができる強大な力。
謎の一文が混沌術と関連しているのなら、混沌術の使い手や、もしかすると密売人までもがリサの転生とリザエラの死にも関わっているのかもしれない。
考え出せば、妄想の跳躍が止まらない。
リザエラは本当に、あの薬で死ぬつもりだったのだろうか。もしかするとただ、異世界旅行をしたかっただけ? いやいや、さすがにそんな呑気なことではないかもしれないが、とにかく、禁じられた混沌術とリザエラには、どこか不穏な影がちらつくのだ。それでは誰が、いったいなぜリザエラに宛ててあんな一文を。
思考はどんどん薄暗い方向へと向かっていく。
これはただの推論だが、品行方正な聖女が実は混沌術に関連してたとなれば、たいそうなスキャンダル。失脚どころの騒ぎでは済まないだろう。
混沌術の匂いを漂わせたままリザエラが命を落とす。そうなれば、誰がどんな悪意のある作り話をでっち上げようとも、弁明できる者はすでに棺桶の中。永遠に口を封じられてしまっている。だから彼女は嵌められた。
この仮説が事実だとすれば、リザエラが聖女だと困る者全員に謀略を巡らせる動機がある。
考え過ぎかもしれない。けれど、失われたリザエラの記憶が私を追い立てているように、胸の奥に焦燥が募る。
もし、想像が真実に近い場合、陰謀に関わった者を探すためには、混沌術の使い手に目を付けて調査をするのが近道ではないか。
「リザエラ?」
デュヘルが怪訝そうにこちらの顔を覗き込んだ。
私は我に返り、少しくらい気の利いたことを言うべきかと思い、神妙な顔で提案した。
「それでは、混沌術の取り締まりを強化すれば、自然と悪人を特定することも出来そうですね」
その過程でリザエラの死の真相に近づけると確信した。自死事件のせいで可愛い可愛いナーリスが、ひどく自分を責めることになってしまったのだ。モフモフを傷つける奴は絶対に許せない。
もちろん、私の心の叫びに気づいた風もなく、デュヘルが遠くを見ながら頷いた。
「ああ、それも一理ある」
「ですが、これに関わっているのは生粋の悪人だけではないのです」
元の穏やかな表情に戻った猫院長が、どこか悲し気に言った。
「只人の子を持つ富裕層の中には、我が子を保護院へ送ることを躊躇い、密売によって神樹の力を手に入れる者もいるのです。本来許されないことですが……彼らの気持ちも理解できますから複雑な心境ですわ」
只人は人としての生活を送るため、神樹の根がある保護院へ引き取られて行く。だが、全ての親がそれを受け入れる訳ではないのだろう。我が子をその手で育てたいと考えるのは当然のこと。
複雑な家庭に生まれた只人達やその家族の心を思えば、胸が痛む。同時に心の奥底に暗く陰湿な感情の火が灯り、私は自己嫌悪を覚えた。
リサの両親は娘と暮らすことができたはずなのに、それを選らばなかった。
三十年も生きて、今さら親の愛を求めてはいない。それでも、禁じられていると知りつつも財力に任せて神樹の力を買い、我が子に与えて共に暮らそうとする家族の心が、ほんの少しだけ羨ましい。
そう思った後、脳裏にナーリスの姿が浮かび上がる。彼は皇だから私達とお城で暮らしているけれど、その境遇だけを見れば、保護院にいる子供らと同じではないか。
私は何て歪んだ人間なのだろう。醜い嫉妬を覚える前に、ナーリスのことを考えるべきだったのに。
汚れた感情を上塗りするように、私は綺麗ごとを口にした。
「それなら、只人が生まれた家で暮らせるような制度を作ったら良いのでは。大人の只人のように毎日自宅から神樹の根に通うとか、それこそ盗人がやっているのと同じ方法で力を持ち出して、皆に配るようにするとか」
猫院長は驚きに目を瞠ってから、ゆるゆると首を振る。
「神樹の根が地面から露出する場所は限られています。子供のためだけに保護院の側へ移住できる一家は決して多くありません。また、神樹の力を何かに封じ、適切な場所へと配布するのは費用がかかりますから、現実的ではないのです」
「でも」
「リザエラ」
デュヘルが優しく肩を掴む。見上げれば、憐憫が宿る赤紫色の瞳はしかし、断固とした色を帯びていた。
「これは決まりなのだ。君のその気持ちだけでも、保護院の子らは嬉しいはずだよ」
それは悔しいほどの正論で、返す言葉を失った。世界の仕組みを前にして、私は何でちっぽけな存在なのだろう。
黙り込んだ私に一瞬だけ気遣うような視線を向けてから、デュヘルと猫院長は会話を続ける。
飛び交う言葉達は、分厚い壁を通して聞いたかのようにくぐもって耳に届く。無力感が渦巻く心を押し込めて、私はそれらをぼんやりと聞いた。当然、話の内容は全く頭に届かなかった。
幸せの余韻が冷めやらない中、猫院長に促され、モフモフ聖歌隊が礼拝堂を後にすると、途端に静寂が訪れる。
それにしても立派な礼拝堂だ。天井にはフレスコ画。光を表す白と闇を表す黒が次第に分離し、昼と夜を生み出し世界が変容していく過程が鮮やかに描かれている。
天井から壁の方へと視線を下ろせば、薄緑色の燐光を放つ巨大な神樹が描かれていて、さらに下方には、本物の木の根がある。あれが先ほどから話題に上がっていた、神樹の根。只人が魔力と聖力を得る場所だろう。
根からは白い淡光と黒い靄が薄っすらと立ち昇っていて、神々しい。というかとってもファンタジー。思わず感動する私だけれど、隣に立つデュヘルは眉間に皺を寄せ、声を低くした。
「ああ、聞いていたとおりだな、院長殿」
猫院長は悲し気に眉を下げた。
「やはり陛下は一見されただけでも、神樹の根から発せられる力が弱まっていることがおわかりになりますか」
デュヘルは頷き、根の近くへと進む。その斜め後ろを追い、猫院長は続ける。
「只人の数が増えておりますから、神樹が人々に分け与えて下さる力の総量が多くなっています。力が枯渇していくのも当然のこと。ですがここだけの話、原因はそれだけではないのです」
「と言うと?」
「盗人です」
猫院長は忌々し気に吐き捨てる。
「偉大なる神樹のご慈悲の下、魔力や聖力を分け与えていただけるのは只人だけ。ですが畏れ多いことに、中にはその力を盗み転売することで、力を悪用する輩もいるのです」
「神樹の力を盗むだと? どうやって」
「魔力や聖力は体内を循環します。よって水分との親和性が高いようなのです。目撃者によると、盗人は小瓶の中に入れた液体に力を溶かしていたとかいないとか」
「間違いではないのか。証拠になるものは?」
「残念ながら陛下、目撃者がいる他に物的な証拠は残されていません」
「然るべき場所に届け出は?」
「いたしました。けれど、物証がないうえに目撃者が施設の子供しかいないので取り合っていただけず……」
デュヘルは、ああと唸り、頷いた。
「この件は私の方でも気に留めておくことにしよう」
猫院長は深々と一礼をして、感謝を示す。身体の動きに合わせて揺れる、ススキのように豊かな尻尾を眺めながら、私は思わず疑問を口にした。
「でもそれ、何に使うのかしら。魔族も聖族も自分で力を吸収して体内に留めることが出来るし、それが難しい人達は、わざわざ盗まなくても神樹の根から分け与えてもらえるのでしょう」
猫院長が、猫目をいっそう丸くしてこちらを見る。視線を浴びて、私は失言に気づいた。もしかするとこれは、世界の一般常識なのでは。
少し狼狽えた私に助け舟を出したのは、リザエラの記憶喪失を把握しているデュヘルだ。
「混沌術というものがあるのだ」
「混沌?」
その単語を耳にして、私の脳内で、ちりりと火種が弾けるような感覚がある。けれどそれが何なのか、掴むことはできなかった。
「そもそも全ての人間は魔力と聖力をその身に留めるための器を両方宿している。前者が強い者は魔族、反対に後者は聖族となり、共に未発達の場合は只人になる」
理解を確認するようにこちらの表情を窺がうデュヘルに軽く頷いて、私は続きを促した。
「つまり全ての人間は、魔族であっても聖族であっても、魔と聖どちらの力も保持している。そこに、自分が身に宿すことを苦手とする方の力を大量に流し込むと」
デュヘルは拳を二つ作り、宙で軽く打ち合わせた。
「性質的には対極にあるが、そもそもは表裏一体である二種類の力がぶつかり合い、極小ながらも創世期の混沌と同様の現象が起こる」
光も闇もなく、もちろん昼も夜もない。この世界が今の姿を取る以前、そんな混沌の世界があったということは、以前アリスから聞いていた。無から全てを創り出すほどの力の渦が、一個人の体内でとぐろを巻くのだから、想像するだけでも恐ろしい。
背中を氷が滑ったような心地がして、私はぶるりと身体を震わせた。
「では、その圧倒的な力を求めて、神樹の力を購入する者がいるということなのですね」
「ああ、そうだ」
デュヘルがさり気なく背中を撫でてくれる。ひんやりと凍り付いた背筋が解けて、いくらか呼吸が楽になった。
「一説によれば混沌術を使い混沌に下ることで、死後の世界に赴き死者を連れ帰ったり、人の容姿や性質を歪めたりすることができるらしい」
現世と冥界の境界を消し去り、人を形作る物を混ぜ合わせ、変質させる。これぞまさに混沌だ。
「混沌術はあまりにも強大な力ゆえ、私的利用は禁じられている」
当然だと思う。宇宙誕生の際に発生したと言われているビッグバンのような現象の種が、個々人、しかも私利私欲に塗れた人物の体内に生まれるなど危険極まりない。
「一方で、混沌術は公的利用されている。たとえばナーリスの部屋の鍵を思い出して欲しい。扉には混沌術による封印が施され、鍵には聖力と魔力が込められていて、事前に許可を得ている人物が力を流し込むと反応して開錠される」
だんだんと状況が掴めてきた。混沌術の存在は悪ではない。けれどそれを悪用する輩を相手にする密売者がいて、神樹の根から力を奪い儲けているのだ。どこまでも混沌としている。
そう、混沌。
再び、脳細胞が活性化するような心地になり、口の中で何度も「混沌」と呟いた。混沌、混沌。
――混沌に下れ。
はっとして顔を上げる。
リザエラの直筆と共にあった、菫模様の便箋に書かれた言葉「混沌に下れ」が脳裏に鮮明に蘇る。
世界を移動し、人間の姿形にすら干渉することができる強大な力。
謎の一文が混沌術と関連しているのなら、混沌術の使い手や、もしかすると密売人までもがリサの転生とリザエラの死にも関わっているのかもしれない。
考え出せば、妄想の跳躍が止まらない。
リザエラは本当に、あの薬で死ぬつもりだったのだろうか。もしかするとただ、異世界旅行をしたかっただけ? いやいや、さすがにそんな呑気なことではないかもしれないが、とにかく、禁じられた混沌術とリザエラには、どこか不穏な影がちらつくのだ。それでは誰が、いったいなぜリザエラに宛ててあんな一文を。
思考はどんどん薄暗い方向へと向かっていく。
これはただの推論だが、品行方正な聖女が実は混沌術に関連してたとなれば、たいそうなスキャンダル。失脚どころの騒ぎでは済まないだろう。
混沌術の匂いを漂わせたままリザエラが命を落とす。そうなれば、誰がどんな悪意のある作り話をでっち上げようとも、弁明できる者はすでに棺桶の中。永遠に口を封じられてしまっている。だから彼女は嵌められた。
この仮説が事実だとすれば、リザエラが聖女だと困る者全員に謀略を巡らせる動機がある。
考え過ぎかもしれない。けれど、失われたリザエラの記憶が私を追い立てているように、胸の奥に焦燥が募る。
もし、想像が真実に近い場合、陰謀に関わった者を探すためには、混沌術の使い手に目を付けて調査をするのが近道ではないか。
「リザエラ?」
デュヘルが怪訝そうにこちらの顔を覗き込んだ。
私は我に返り、少しくらい気の利いたことを言うべきかと思い、神妙な顔で提案した。
「それでは、混沌術の取り締まりを強化すれば、自然と悪人を特定することも出来そうですね」
その過程でリザエラの死の真相に近づけると確信した。自死事件のせいで可愛い可愛いナーリスが、ひどく自分を責めることになってしまったのだ。モフモフを傷つける奴は絶対に許せない。
もちろん、私の心の叫びに気づいた風もなく、デュヘルが遠くを見ながら頷いた。
「ああ、それも一理ある」
「ですが、これに関わっているのは生粋の悪人だけではないのです」
元の穏やかな表情に戻った猫院長が、どこか悲し気に言った。
「只人の子を持つ富裕層の中には、我が子を保護院へ送ることを躊躇い、密売によって神樹の力を手に入れる者もいるのです。本来許されないことですが……彼らの気持ちも理解できますから複雑な心境ですわ」
只人は人としての生活を送るため、神樹の根がある保護院へ引き取られて行く。だが、全ての親がそれを受け入れる訳ではないのだろう。我が子をその手で育てたいと考えるのは当然のこと。
複雑な家庭に生まれた只人達やその家族の心を思えば、胸が痛む。同時に心の奥底に暗く陰湿な感情の火が灯り、私は自己嫌悪を覚えた。
リサの両親は娘と暮らすことができたはずなのに、それを選らばなかった。
三十年も生きて、今さら親の愛を求めてはいない。それでも、禁じられていると知りつつも財力に任せて神樹の力を買い、我が子に与えて共に暮らそうとする家族の心が、ほんの少しだけ羨ましい。
そう思った後、脳裏にナーリスの姿が浮かび上がる。彼は皇だから私達とお城で暮らしているけれど、その境遇だけを見れば、保護院にいる子供らと同じではないか。
私は何て歪んだ人間なのだろう。醜い嫉妬を覚える前に、ナーリスのことを考えるべきだったのに。
汚れた感情を上塗りするように、私は綺麗ごとを口にした。
「それなら、只人が生まれた家で暮らせるような制度を作ったら良いのでは。大人の只人のように毎日自宅から神樹の根に通うとか、それこそ盗人がやっているのと同じ方法で力を持ち出して、皆に配るようにするとか」
猫院長は驚きに目を瞠ってから、ゆるゆると首を振る。
「神樹の根が地面から露出する場所は限られています。子供のためだけに保護院の側へ移住できる一家は決して多くありません。また、神樹の力を何かに封じ、適切な場所へと配布するのは費用がかかりますから、現実的ではないのです」
「でも」
「リザエラ」
デュヘルが優しく肩を掴む。見上げれば、憐憫が宿る赤紫色の瞳はしかし、断固とした色を帯びていた。
「これは決まりなのだ。君のその気持ちだけでも、保護院の子らは嬉しいはずだよ」
それは悔しいほどの正論で、返す言葉を失った。世界の仕組みを前にして、私は何でちっぽけな存在なのだろう。
黙り込んだ私に一瞬だけ気遣うような視線を向けてから、デュヘルと猫院長は会話を続ける。
飛び交う言葉達は、分厚い壁を通して聞いたかのようにくぐもって耳に届く。無力感が渦巻く心を押し込めて、私はそれらをぼんやりと聞いた。当然、話の内容は全く頭に届かなかった。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
転生王子はダラけたい
朝比奈 和
ファンタジー
大学生の俺、一ノ瀬陽翔(いちのせ はると)が転生したのは、小さな王国グレスハートの末っ子王子、フィル・グレスハートだった。
束縛だらけだった前世、今世では好きなペットをモフモフしながら、ダラけて自由に生きるんだ!
と思ったのだが……召喚獣に精霊に鉱石に魔獣に、この世界のことを知れば知るほどトラブル発生で悪目立ち!
ぐーたら生活したいのに、全然出来ないんだけどっ!
ダラけたいのにダラけられない、フィルの物語は始まったばかり!
※2016年11月。第1巻
2017年 4月。第2巻
2017年 9月。第3巻
2017年12月。第4巻
2018年 3月。第5巻
2018年 8月。第6巻
2018年12月。第7巻
2019年 5月。第8巻
2019年10月。第9巻
2020年 6月。第10巻
2020年12月。第11巻 出版しました。
PNもエリン改め、朝比奈 和(あさひな なごむ)となります。
投稿継続中です。よろしくお願いします!
幼馴染の勇者が一般人の僕をパーティーに入れようとするんですが
空色蜻蛉
ファンタジー
羊飼いの少年リヒトは、ある事件で勇者になってしまった幼馴染みに巻き込まれ、世界を救う旅へ……ではなく世界一周観光旅行に出発する。
「君達、僕は一般人だって何度言ったら分かるんだ?!
人間外の戦闘に巻き込まないでくれ。
魔王討伐の旅じゃなくて観光旅行なら別に良いけど……え? じゃあ観光旅行で良いって本気?」
どこまでもリヒト優先の幼馴染みと共に、人助けそっちのけで愉快な珍道中が始まる。一行のマスコット家畜メリーさんは巨大化するし、リヒト自身も秘密を抱えているがそれはそれとして。
人生は楽しまないと勿体ない!!
◇空色蜻蛉の作品一覧はhttps://kakuyomu.jp/users/25tonbo/news/1177354054882823862をご覧ください。

少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
追い出された万能職に新しい人生が始まりました
東堂大稀(旧:To-do)
ファンタジー
「お前、クビな」
その一言で『万能職』の青年ロアは勇者パーティーから追い出された。
『万能職』は冒険者の最底辺職だ。
冒険者ギルドの区分では『万能職』と耳触りのいい呼び方をされているが、めったにそんな呼び方をしてもらえない職業だった。
『雑用係』『運び屋』『なんでも屋』『小間使い』『見習い』。
口汚い者たちなど『寄生虫」と呼んだり、あえて『万能様』と皮肉を効かせて呼んでいた。
要するにパーティーの戦闘以外の仕事をなんでもこなす、雑用専門の最下級職だった。
その底辺職を7年も勤めた彼は、追い出されたことによって新しい人生を始める……。
あなたは異世界に行ったら何をします?~良いことしてポイント稼いで気ままに生きていこう~
深楽朱夜
ファンタジー
13人の神がいる異世界《アタラクシア》にこの世界を治癒する為の魔術、異界人召喚によって呼ばれた主人公
じゃ、この世界を治せばいいの?そうじゃない、この魔法そのものが治療なので後は好きに生きていって下さい
…この世界でも生きていける術は用意している
責任はとります、《アタラクシア》に来てくれてありがとう
という訳で異世界暮らし始めちゃいます?
※誤字 脱字 矛盾 作者承知の上です 寛容な心で読んで頂けると幸いです
※表紙イラストはAIイラスト自動作成で作っています
世界のピンチが救われるまで本能に従ってはいけません!!〜少年聖女と獣人騎士の攻防戦〜
アマンダ
恋愛
「世界を救ってほしい!でも女ってバレないで!!」
え?どういうこと!?オカマな女神からの無茶ぶりに応え、男の子のフリをして―――異世界転移をしたミコト。頼れる愉快な仲間たちと共に世界を救う7つの至宝探しの旅へ…ってなんかお仲間の獣人騎士様がどんどん過保護になっていくのですが!?
“運命の番い”を求めてるんでしょ?ひと目見たらすぐにわかるんでしょ?じゃあ番いじゃない私に構わないで!そんなに優しくしないでください!!
全力で逃げようとする聖女vs本能に従い追いかける騎士の攻防!運命のいたずらに負けることなく世界を救えるのか…!?
運命の番いを探し求めてる獣人騎士様を好きになっちゃった女の子と、番いじゃない&恋愛対象でもないはずの少年に手を出したくて仕方がない!!獣人騎士の、理性と本能の間で揺れ動くハイテンションラブコメディ!!
7/24より、第4章 海の都編 開始です!
他サイト様でも連載しています。

新人聖騎士、新米聖女と救済の旅に出る~聖女の正体が魔王だなんて聞いてない~
福留しゅん
ファンタジー
「実は余は魔王なのです」「はい?」「さあ我が騎士、共に救済の旅に出ましょう!」「今何つった?」
聖パラティヌス教国、未来の聖女と聖女を守る聖騎士を育成する施設、学院を卒業した新人聖騎士ニッコロは、新米聖女ミカエラに共に救済の旅に行こうと誘われる。その過程でかつて人類に絶望を与えた古の魔王に関わる聖地を巡礼しようとも提案された。
しかし、ミカエラは自分が魔王であることを打ち明ける。魔王である彼女が聖女となった目的は? 聖地を巡礼するのはどうしてか? 古の魔王はどのような在り方だったか? そして、聖地で彼らを待ち受ける出会いとは?
普通の聖騎士と聖女魔王の旅が今始まる――。
「さあ我が騎士、もっと余を褒めるのです!」「はいはい凄い凄い」「むー、せめて頭を撫でてください!」
※小説家になろう様にて先行公開中
神による異世界転生〜転生した私の異世界ライフ〜
シュガーコクーン
ファンタジー
女神のうっかりで死んでしまったOLが一人。そのOLは、女神によって幼女に戻って異世界転生させてもらうことに。
その幼女の新たな名前はリティア。リティアの繰り広げる異世界ファンタジーが今始まる!
「こんな話をいれて欲しい!」そんな要望も是非下さい!出来る限り書きたいと思います。
素人のつたない作品ですが、よければリティアの異世界ライフをお楽しみ下さい╰(*´︶`*)╯
旧題「神による異世界転生〜転生幼女の異世界ライフ〜」
現在、小説家になろうでこの作品のリメイクを連載しています!そちらも是非覗いてみてください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる