48 / 52
第四章
9 死闘②
しおりを挟む
身体中が耐え難い熱に炙られる。空気を吸い込んだ拍子に高温の煙に喉が焼かれ、声すら上げられない。水蒸気から生成した肉体を纏った精霊王の肌も焼け落ちていくが、所詮は紛い物。ほんの僅かたりとも苦しむ様子はない。
「哀れな子だね。君の肉体が朽ちれば、融合した僕の手も返ってくる……」
『そうはさせないっ』
耳元で声が響いた直後、気づけば、ラフィアの全身は水の膜に包まれていた。
「下僕」
精霊王が忌々し気に吐き捨てた言葉で、ラフィアは状況を理解する。
ハイラリーフが水の膜に変化して、ラフィアの身体を炎の舌から守っているのだ。苦痛の棘が遠のいて、ラフィアは掠れる声を上げる。
「ハイラリーフ、だめ! 耳飾りの中にいて。だって辺りには水蒸気が」
水の膜を通して鼓膜に直接声が返ってくる。
『何言ってんのよ。あたしはあんたの精霊でしょ。さっき、邪魔だから耳飾りの中にいろ、だなんて言ったことを後悔させてやるんだから!』
「危険よ!」
叫ぶがしかし、ハイラリーフの助力はありがたい。
もう少し。精霊王が自我を見失い、世界を巡る水の粒子の一つへと戻るまで、ラフィアは砂と水に還る訳にはいかぬのだ。
予想外の事態に精霊王が怒気を露わに暴れ出す。ラフィアとの融合部分を振り払おうとしているようだ。
「忌々しい」
そこでふと思い至ったらしく、精霊王は口の端を持ち上げた。
「ああ、そうか。斬ってしまえば……」
空中に、炎に焼かれても溶けぬ氷柱が生み出された。冷酷に煌めく鋭利な先端が、ラフィアの腕に向かう。僅かな躊躇いもなく襲い来る重苦しい衝撃が、骨肉を斬り裂いた。
あまりの激痛に、喉の奥から絞り出すような叫びが漏れた。
対して、自由になった精霊王は不敵な笑みを浮かべ、ラフィアの身体を踏みつけて跳躍する。鷹の姿になり、天へと向かった。
『ああっ! 逃げた』
ハイラリーフの声が、苦痛に捻じ曲げられた意識を辛うじて正常に保つ。
瞼が重い。途切れそうになる意識を鼓舞して細く目を開ける。鷹が、火の海を抜け煙の緞帳の中へと滑るように飛翔するのが見える。
ああ、全ては無駄だった。絶望に全てを奪い取られそうになったラフィアだが、次に目に映った光景に、辛うじて自我を繋ぎ止めた。
精霊王の様子がおかしい。悠々と上昇していた鷹が突然、空中でよろめいた。懸命に羽ばたきを繰り返しているものの、ゆらゆらと上下左右に揺れ、高度が上がらない。
異様な光景に、誰もが咄嗟に動けない。
その刹那、固唾を呑んで見守る群衆の中から一筋の銀色の閃光が放たれて、鷹の身体の真ん中を貫いた。誰かが弓で精霊王を仕留めたのだ。
常の精霊王ならば、すぐさま本来の姿に戻り、別の鳥になって何事もなかったかのように飛び去るだろう。しかし今や、水蒸気に囲まれ弱り切った精霊王は、次なる変化を試みることができぬらしい。
羽根を撒き散らしながら、鷹が炎へと落下する。その姿は揺らぎ、水蒸気へと戻り始めている。
『なぜ。こんな戯曲は、ちっとも楽しくない……』
やがて、放射線状に空中へと霧散した水の粒子は炎に炙られ空気の一部となる。しばらく待てども、再度収斂することはなかった。
『きゃあ、すごいじゃない! 誰よあの弓射ったの! とにかくこれで、あんたも無事に』
明るく言ったハイラリーフの声が、突然勢いを失う。続いて吐き出された張り詰めた呼気に、ラフィアは己の命が尽きようとしているのを察した。
「ハイラリーフ、早く耳飾りに戻って」
『何言ってんのよ。そんなことしたらあんたが』
「どうせもうだめよ。痛くて苦しくて、もう一歩も歩けないの」
『それなら、あたしが連れて』
しかし彼女の声は途中で、雨と炎が揺らす空気の中へと溶けていく。共に逃げるなど不可能だと気づいたのだ。
ハイラリーフは今、自らの姿を変え、ラフィアを守る水の鎧となっている。一介の精霊である彼女には、水を操り変化させる力がないからだ。ハイラリーフがラフィアを炎の外に担ぎ出そうとして動物に化ければ、途端にラフィアは焼け焦げる。この場所から無事に逃げ出す方法はない。
『ご主人様……』
「私はあなたのご主人様じゃないのでしょう?」
『あんなの撤回よ! 精霊王みたいな非道な奴、仕える価値もなかったわ。ねえ、あたし水蒸気に戻っても良い。だがら最期まであんたを』
「いいえ、ハイラリーフ。あなたには他に、お願いがあるの」
ラフィアは、とうとう視力が消え色を失った虚空に向けて願いを述べた。
全てを聞き終えて、ハイラリーフは沈黙した。それを肯定の意と信じ、ラフィアは最期の言葉を告げた。
「……だから、お願い。耳飾りに戻って、そして」
生きて。
願いは、炎に焼かれて天へと戻る水に乗り、水神マージの御許へと昇っていく。
「哀れな子だね。君の肉体が朽ちれば、融合した僕の手も返ってくる……」
『そうはさせないっ』
耳元で声が響いた直後、気づけば、ラフィアの全身は水の膜に包まれていた。
「下僕」
精霊王が忌々し気に吐き捨てた言葉で、ラフィアは状況を理解する。
ハイラリーフが水の膜に変化して、ラフィアの身体を炎の舌から守っているのだ。苦痛の棘が遠のいて、ラフィアは掠れる声を上げる。
「ハイラリーフ、だめ! 耳飾りの中にいて。だって辺りには水蒸気が」
水の膜を通して鼓膜に直接声が返ってくる。
『何言ってんのよ。あたしはあんたの精霊でしょ。さっき、邪魔だから耳飾りの中にいろ、だなんて言ったことを後悔させてやるんだから!』
「危険よ!」
叫ぶがしかし、ハイラリーフの助力はありがたい。
もう少し。精霊王が自我を見失い、世界を巡る水の粒子の一つへと戻るまで、ラフィアは砂と水に還る訳にはいかぬのだ。
予想外の事態に精霊王が怒気を露わに暴れ出す。ラフィアとの融合部分を振り払おうとしているようだ。
「忌々しい」
そこでふと思い至ったらしく、精霊王は口の端を持ち上げた。
「ああ、そうか。斬ってしまえば……」
空中に、炎に焼かれても溶けぬ氷柱が生み出された。冷酷に煌めく鋭利な先端が、ラフィアの腕に向かう。僅かな躊躇いもなく襲い来る重苦しい衝撃が、骨肉を斬り裂いた。
あまりの激痛に、喉の奥から絞り出すような叫びが漏れた。
対して、自由になった精霊王は不敵な笑みを浮かべ、ラフィアの身体を踏みつけて跳躍する。鷹の姿になり、天へと向かった。
『ああっ! 逃げた』
ハイラリーフの声が、苦痛に捻じ曲げられた意識を辛うじて正常に保つ。
瞼が重い。途切れそうになる意識を鼓舞して細く目を開ける。鷹が、火の海を抜け煙の緞帳の中へと滑るように飛翔するのが見える。
ああ、全ては無駄だった。絶望に全てを奪い取られそうになったラフィアだが、次に目に映った光景に、辛うじて自我を繋ぎ止めた。
精霊王の様子がおかしい。悠々と上昇していた鷹が突然、空中でよろめいた。懸命に羽ばたきを繰り返しているものの、ゆらゆらと上下左右に揺れ、高度が上がらない。
異様な光景に、誰もが咄嗟に動けない。
その刹那、固唾を呑んで見守る群衆の中から一筋の銀色の閃光が放たれて、鷹の身体の真ん中を貫いた。誰かが弓で精霊王を仕留めたのだ。
常の精霊王ならば、すぐさま本来の姿に戻り、別の鳥になって何事もなかったかのように飛び去るだろう。しかし今や、水蒸気に囲まれ弱り切った精霊王は、次なる変化を試みることができぬらしい。
羽根を撒き散らしながら、鷹が炎へと落下する。その姿は揺らぎ、水蒸気へと戻り始めている。
『なぜ。こんな戯曲は、ちっとも楽しくない……』
やがて、放射線状に空中へと霧散した水の粒子は炎に炙られ空気の一部となる。しばらく待てども、再度収斂することはなかった。
『きゃあ、すごいじゃない! 誰よあの弓射ったの! とにかくこれで、あんたも無事に』
明るく言ったハイラリーフの声が、突然勢いを失う。続いて吐き出された張り詰めた呼気に、ラフィアは己の命が尽きようとしているのを察した。
「ハイラリーフ、早く耳飾りに戻って」
『何言ってんのよ。そんなことしたらあんたが』
「どうせもうだめよ。痛くて苦しくて、もう一歩も歩けないの」
『それなら、あたしが連れて』
しかし彼女の声は途中で、雨と炎が揺らす空気の中へと溶けていく。共に逃げるなど不可能だと気づいたのだ。
ハイラリーフは今、自らの姿を変え、ラフィアを守る水の鎧となっている。一介の精霊である彼女には、水を操り変化させる力がないからだ。ハイラリーフがラフィアを炎の外に担ぎ出そうとして動物に化ければ、途端にラフィアは焼け焦げる。この場所から無事に逃げ出す方法はない。
『ご主人様……』
「私はあなたのご主人様じゃないのでしょう?」
『あんなの撤回よ! 精霊王みたいな非道な奴、仕える価値もなかったわ。ねえ、あたし水蒸気に戻っても良い。だがら最期まであんたを』
「いいえ、ハイラリーフ。あなたには他に、お願いがあるの」
ラフィアは、とうとう視力が消え色を失った虚空に向けて願いを述べた。
全てを聞き終えて、ハイラリーフは沈黙した。それを肯定の意と信じ、ラフィアは最期の言葉を告げた。
「……だから、お願い。耳飾りに戻って、そして」
生きて。
願いは、炎に焼かれて天へと戻る水に乗り、水神マージの御許へと昇っていく。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
亡くなった王太子妃
沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。
侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。
王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。
なぜなら彼女は死んでしまったのだから。
白砂の咎人
杏仁みかん
ファンタジー
特異な砂で家族を失った子供たちは、永久の楽園を目指して旅をする。
~あらすじ~
白い砂が、街を、人を、砂に変えていく──
生物は等しく砂に変わり、その砂もまた、人を砂に変える。
死の連鎖は止むことがなく、世界中が砂に覆われるのは、もはや時間の問題だ。
家族で砂漠を旅しながら商いを営んできた少年リアンは、砂渦に巻き込まれた両親と離別し、新たな家族に招かれる。
頼りになる父親役、デュラン。
子供の気持ちをいち早く察する母親役、ルーシー。
楽園を夢見る、気の強い年長の少女、クニークルス。
スラム出身で悪戯っ子の少年、コシュカ。
最も幼く、内気で器用な獣人(レゴ)の少女、スクァーレル。
奇跡的にも同世代の子供たちに巡り合ったリアンは、新たに名前を付けられ、共に家族として生きていくことを決断する。
新たな家族が目指すのは「白砂」のない楽園。
未だ見ぬ世界の果てに、子供たちが描く理想の楽園は、本当にあるのだろうか。
心温まるけど、どこか切ない──
傷ついた子供たちとそれを見守る保護者の視点で成長を描くホームドラマです。
=====
結構地味なお話なので更新頻度低。10年ぐらいの構想が身を結ぶか否かのお話。
現在は別の活動中により、更新停止中です。
カクヨムユーザーミーティングで批評を戴き、今後色々と構成を見直すことになります。
ここまでのお話で、ご意見・ご感想など戴けると非常に助かります!
カクヨムでも連載中。
また、2005年~2010年に本作より前に制作した、本作の後日譚(というか原作)であるゲームノベルスも、BOOTHから無料で再リリースしました。
L I N K - the gritty age - 無料公開版 Ver2.00.2
https://kimagure-penguin.booth.pm/items/3539627
ぜひ、本作と併せてお楽しみ下さい。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
母の日 母にカンシャを
れん
恋愛
母の日、普段は恥ずかしくて言えない、日ごろの感謝の気持ちを込めて花束を贈ったら……まさか、こうなるとは思わなかった。
※時事ネタ思いつき作品です。
ノクターンからの転載。全9話。
性描写、近親相姦描写(母×子)を含みます。
苦手な方はご注意ください。
表紙は画像生成AIで出力しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる