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第一章
1 皇女の降嫁
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橙色の砂丘が、雲一つない蒼天に雄大な稜線を描いている。
一面の砂漠地帯で、降嫁の隊列をなす駱駝達。その鞍上、豪奢な房飾の付いた輿の隙間から青玉のような瞳を煌めかせ、後宮育ちの皇女ラフィアは、夢にまで見た広大な世界を見回した。
空気にはほとんど水を感じない。布越しとはいえ、容赦ない陽光を浴びた肌が焼かれるように熱く、砂上を渡る熱風を吸い込めば、鼻腔に痛みすら感じて息苦しい。
到底、人の住む世界ではない。ラフィアは、砂漠の真ん中に点々と並ぶ黒い天幕の群れを眺め、無遠慮にもそう思った。
ラフィアにとって家といえば、風雨にも動じぬ堅固なものであり、大理石や色付きタイルで繊細に装飾された美しきものである。しかしこの集落では、薄っぺらい素朴な毛織物を支柱で支えただけの天幕が住居なのだという。
後宮でも、天幕を利用することはあった。だがそれは、晴れやかな陽気の日に中庭で食事をしたり花を愛でたりと余暇を楽しむ際に利用するものである。あのような心許ない壁の中で暮らすなど、にわかには信じがたい。
この日、天幕の中からわらわらと人間が出て来るのを目にしたラフィアは、聞き及んでいた砂漠の民の風俗が真実であったと知り、目を疑ったものである。
やがて駱駝の足が止まり、屈強な護衛の手により輿が下ろされる。
手を取られ、輿を覆う鮮やかな深紅の布の内から、砂上へと足を踏み出した。
砂漠用のサンダルを履いているとはいえ、分厚い砂の層を踏めば足の甲に熱砂が盛り上がり、予期せぬ熱さに息を吞む。幸い、火傷するほどではない。
導かれるがまま数歩進み、砂が薄い平地へ出る。固い地面が足裏を押し返して初めて、長旅を終え地上に帰ってきたのだと実感できた。
辺りは知らぬ喧騒に満ちている。耳を澄まさずとも、何か動物の鳴き声が聞こえてくるし、人々の活気に満ちた囁き声が溢れている。どこかでグルルと唸るのは、噂に聞く砂竜だろうか。
ラフィアは皇女にしては珍しく、未知の世界への好奇心に溢れた娘である。
心赴くまま周囲を見回し、興味深く観察していたものだから、彼の呼ぶ声を耳にした時も、反応が遅れてしまった。
「……皇女様」
低いがどこか甘みのある声音で再度呼びかけられて、ラフィアは正面に顔を向ける。
頭部から被った純白の紗を透かして、前方に立つ飴色の瞳を持つ青年の姿が目に映った。
「皇女様、遥々ようこそお越しくださいました。白の氏族長アースィム。あなたの夫になる者です」
実直そうな声音で言った未来の夫は、砂漠の民らしい精悍な顔に柔らかな笑みを浮かべ、こちらを見つめている。
彼は、立ち止まり動かないラフィアを促すように左腕を掲げ、集落の広場へと先導した。
その逆側の袖は空である。
アースィムは先の戦いで皇子を守り、右腕を負傷し失った。ラフィアの降嫁はいわば、その代償とも言えるものなのだ。
一面の砂漠地帯で、降嫁の隊列をなす駱駝達。その鞍上、豪奢な房飾の付いた輿の隙間から青玉のような瞳を煌めかせ、後宮育ちの皇女ラフィアは、夢にまで見た広大な世界を見回した。
空気にはほとんど水を感じない。布越しとはいえ、容赦ない陽光を浴びた肌が焼かれるように熱く、砂上を渡る熱風を吸い込めば、鼻腔に痛みすら感じて息苦しい。
到底、人の住む世界ではない。ラフィアは、砂漠の真ん中に点々と並ぶ黒い天幕の群れを眺め、無遠慮にもそう思った。
ラフィアにとって家といえば、風雨にも動じぬ堅固なものであり、大理石や色付きタイルで繊細に装飾された美しきものである。しかしこの集落では、薄っぺらい素朴な毛織物を支柱で支えただけの天幕が住居なのだという。
後宮でも、天幕を利用することはあった。だがそれは、晴れやかな陽気の日に中庭で食事をしたり花を愛でたりと余暇を楽しむ際に利用するものである。あのような心許ない壁の中で暮らすなど、にわかには信じがたい。
この日、天幕の中からわらわらと人間が出て来るのを目にしたラフィアは、聞き及んでいた砂漠の民の風俗が真実であったと知り、目を疑ったものである。
やがて駱駝の足が止まり、屈強な護衛の手により輿が下ろされる。
手を取られ、輿を覆う鮮やかな深紅の布の内から、砂上へと足を踏み出した。
砂漠用のサンダルを履いているとはいえ、分厚い砂の層を踏めば足の甲に熱砂が盛り上がり、予期せぬ熱さに息を吞む。幸い、火傷するほどではない。
導かれるがまま数歩進み、砂が薄い平地へ出る。固い地面が足裏を押し返して初めて、長旅を終え地上に帰ってきたのだと実感できた。
辺りは知らぬ喧騒に満ちている。耳を澄まさずとも、何か動物の鳴き声が聞こえてくるし、人々の活気に満ちた囁き声が溢れている。どこかでグルルと唸るのは、噂に聞く砂竜だろうか。
ラフィアは皇女にしては珍しく、未知の世界への好奇心に溢れた娘である。
心赴くまま周囲を見回し、興味深く観察していたものだから、彼の呼ぶ声を耳にした時も、反応が遅れてしまった。
「……皇女様」
低いがどこか甘みのある声音で再度呼びかけられて、ラフィアは正面に顔を向ける。
頭部から被った純白の紗を透かして、前方に立つ飴色の瞳を持つ青年の姿が目に映った。
「皇女様、遥々ようこそお越しくださいました。白の氏族長アースィム。あなたの夫になる者です」
実直そうな声音で言った未来の夫は、砂漠の民らしい精悍な顔に柔らかな笑みを浮かべ、こちらを見つめている。
彼は、立ち止まり動かないラフィアを促すように左腕を掲げ、集落の広場へと先導した。
その逆側の袖は空である。
アースィムは先の戦いで皇子を守り、右腕を負傷し失った。ラフィアの降嫁はいわば、その代償とも言えるものなのだ。
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