砂竜使いアースィムの訳ありな妻

平本りこ

文字の大きさ
上 下
1 / 52
第一章

1 皇女の降嫁

しおりを挟む
 橙色の砂丘が、雲一つない蒼天に雄大な稜線を描いている。

 一面の砂漠地帯で、降嫁こうかの隊列をなす駱駝らくだ達。その鞍上あんじょう、豪奢な房飾の付いた輿の隙間から青玉のような瞳を煌めかせ、後宮ハレム育ちの皇女ラフィアは、夢にまで見た広大な世界を見回した。

 空気にはほとんど水を感じない。布越しとはいえ、容赦ない陽光を浴びた肌が焼かれるように熱く、砂上を渡る熱風を吸い込めば、鼻腔に痛みすら感じて息苦しい。

 到底、人の住む世界ではない。ラフィアは、砂漠の真ん中に点々と並ぶ黒い天幕の群れを眺め、無遠慮にもそう思った。

 ラフィアにとって家といえば、風雨にも動じぬ堅固なものであり、大理石や色付きタイルで繊細に装飾された美しきものである。しかしこの集落では、薄っぺらい素朴な毛織物を支柱で支えただけの天幕が住居なのだという。

 後宮でも、天幕を利用することはあった。だがそれは、晴れやかな陽気の日に中庭で食事をしたり花を愛でたりと余暇を楽しむ際に利用するものである。あのような心許こころもとないの中で暮らすなど、にわかには信じがたい。

 この日、天幕の中からわらわらと人間が出て来るのを目にしたラフィアは、聞き及んでいた砂漠の民の風俗が真実であったと知り、目を疑ったものである。

 やがて駱駝の足が止まり、屈強な護衛の手により輿が下ろされる。

 手を取られ、輿を覆う鮮やかな深紅の布の内から、砂上へと足を踏み出した。

 砂漠用のサンダルを履いているとはいえ、分厚い砂の層を踏めば足の甲に熱砂が盛り上がり、予期せぬ熱さに息を吞む。幸い、火傷するほどではない。

 導かれるがまま数歩進み、砂が薄い平地へ出る。固い地面が足裏を押し返して初めて、長旅を終え地上に帰ってきたのだと実感できた。

 辺りは知らぬ喧騒に満ちている。耳を澄まさずとも、何か動物の鳴き声が聞こえてくるし、人々の活気に満ちた囁き声が溢れている。どこかでグルルと唸るのは、噂に聞く砂竜さりゅうだろうか。

 ラフィアは皇女にしては珍しく、未知の世界への好奇心に溢れた娘である。

 心赴くまま周囲を見回し、興味深く観察していたものだから、彼の呼ぶ声を耳にした時も、反応が遅れてしまった。

「……皇女様」

 低いがどこか甘みのある声音で再度呼びかけられて、ラフィアは正面に顔を向ける。

 頭部から被った純白のうすぎぬを透かして、前方に立つ飴色あめいろの瞳を持つ青年の姿が目に映った。

「皇女様、遥々ようこそお越しくださいました。白の氏族長アースィム。あなたの夫になる者です」

 実直そうな声音で言った未来の夫は、砂漠の民らしい精悍な顔に柔らかな笑みを浮かべ、こちらを見つめている。

 彼は、立ち止まり動かないラフィアを促すように左腕を掲げ、集落の広場へと先導した。

 その逆側の袖はからである。

 アースィムは先の戦いで皇子を守り、右腕を負傷し失った。ラフィアの降嫁はいわば、その代償とも言えるものなのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

カフェノートで二十二年前の君と出会えた奇跡(早乙女のことを思い出して

なかじまあゆこ
青春
カフェの二階でカフェノートを見つけた早乙女。そのノートに書かれている内容が楽しくて読み続けているとそれは二十二年前のカフェノートだった。 そして、何気なくそのノートに書き込みをしてみると返事がきた。 これってどういうこと? 二十二年前の君と早乙女は古いカフェノートで出会った。 ちょっと不思議で切なく笑える青春コメディです。それと父との物語。内容は違いますがわたしの父への思いも込めて書きました。 どうぞよろしくお願いします(^-^)/

初恋は草海に抱かれ

浅葱
恋愛
遊牧の民である娘は、時折物々交換に訪れる四神の眷属に恋をした。しかし眷属と人が一緒になることはないと両親に告げられる。それでも娘は諦めきれなくて……。 ※内モンゴルのイメージでお読みください※ 小説家になろうでの『大団円ハピエン企画』参加作品です。全3話。 ※「異世界で四神と結婚しろと言われました」に出てくる黒月の両親のラブロマンス。一応読まなくてもわかるようには書いています。なろうからの再掲です。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

遥かなる物語

うなぎ太郎
ファンタジー
スラーレン帝国の首都、エラルトはこの世界最大の都市。この街に貴族の令息や令嬢達が通う学園、スラーレン中央学園があった。 この学園にある一人の男子生徒がいた。彼の名は、シャルル・ベルタン。ノア・ベルタン伯爵の息子だ。 彼と友人達はこの学園で、様々なことを学び、成長していく。 だが彼が帝国の歴史を変える英雄になろうとは、誰も想像もしていなかったのであった…彼は日々動き続ける世界で何を失い、何を手に入れるのか? ーーーーーーーー 序盤はほのぼのとした学園小説にしようと思います。中盤以降は戦闘や魔法、政争がメインで異世界ファンタジー的要素も強いです。 ※作者独自の世界観です。 ※甘々ご都合主義では無いですが、一応ハッピーエンドです。

処理中です...