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n+1周目

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 ノックの音で目が覚めたのは、俺が眠ってからさほど時間が経っていないタイミングでのことだった。まだ浅い眠りの中にいた俺の意識はその音ですぐに浮上した。だが、答える気はなく黙り込んでいると、ノックをした人物は勝手にドアを開けて中に入ってきた。

「お休みになられていたのですか」

 ベッドに寝転ぶ俺を見てそう白々しく零したのはジェイドだった。忌々しく思いながら起き上がると、奴の澄ました顔が目に入る。

「勝手に入ってくるな、無礼者め」
「大変申し訳ございません。ですが、お怪我をされていたようですので、具合を確認させていただきたく」

 吐き捨てるように罵った俺に対して、ジェイドは涼しい顔を崩すことはなかった。その生意気な態度には腹が立ったが、同時に訝しさも感じていた。以前のジェイドはもっと弁えていたはずだ。必要以上に関わらず、逆らわず、ずっとそうして俺の陰で生きてきたのではなかったか。それがここにきて変わろうとしているように思えて、俺は微かな危機感を覚えた。

「大した傷じゃない」
「手当てはされましたか」
「血は止まっている。必要ない」

 俺が素っ気なく答えるのにジェイドは眉を顰めた。以前の奴ならここで引き下がっていたのだ。だが――

「そういうわけにはまいりません。私に手当てをさせてください」

 そう言ってジェイドは食い下がった。そんな奴の態度に胸の奥から苦々しさが込み上げてくる。俺の傷なんて放っておけばいいものを。奴が何を考えているのかわからず、気味が悪かった。

「いい、自分でやる」
「怪我をされているのは利き腕だったかと。ご自分で手当てをするのは難しいのではないでしょうか」

 ああ言えばこう言う。腹立たしいことこの上なかったが、これ以上問答を続けるよりも気の済むようにさせてさっさと追い払った方が面倒が少ないと結論を出した。

「……好きにしろ」
「ありがとうございます」

 ジェイドは恭しく頭を下げると、薬箱を手にベッド脇の椅子に腰を下ろし手当てを始めた。傷の具合を見て、消毒し、薬を塗って包帯を巻く。その作業が嫌に丁寧で、居心地が悪い。そっぽを向きながらその居心地の悪さを耐え忍んだが、時間の進みが嫌に遅く感じて俺は密かに歯噛みした。
 数分ののち、包帯を結び終えたジェイドが「終わりました」と告げた。そして、わざとらしい溜息をつく。

「まさかあのまま寝てしまわれるおつもりだったとは」

 そんな小言を言われるとは思わず、俺は鼻で笑って返した。

「それの何が悪い」
「手当てせずにおけば傷が膿んでしまう可能性だってあるのですよ」
「仮にそうなったとして、お前に何か不都合があるのか?」

 皮肉げに笑って言ってやると、ジェイドがムッと顔を顰めた。ようやく崩れた表情に少しだけ胸がすっとしたが、同時に、こいつは何をこんなにムキになっているのかと呆れる。
 言い返してこないジェイドに対して、俺は犬や猫を追い払うように手を払った。

「気が済んだのならさっさと出ていけ」

 だが、俺の言葉を聞いても、ジェイドは椅子から立ち上がることもなく、俺をじっと見つめてきた。すると、不意にジェイドが口を開いた。

「――何故、イリアを探しに行かれたのですか」

 静かな口調で紡ぎ出された質問に俺は呆気にとられた。何故そんなことを聞いてくるんだという疑問がとりあえず浮かぶ。
 俺が何も答えずにいると、ジェイドは俺を見つめたままさらに言葉を続けた。

「野犬に襲われたところをユーク様が守ってくださったとイリアが言っていました。その怪我もその際に負ったものだと」

 言葉の内容に気を取られて、ジェイドが俺の本名を口にしたことに気付くのが遅れた。気付いてからも、それを指摘する余裕はなかった。ジェイドのまっすぐな眼差しに何かを見抜かれそうで恐ろしかった。この目から逃れたいという焦燥に思考が飲まれる。

「お前の質問に答える義理はない。いいからもう俺の前から消えろ、目障りだ」

 ジェイドから目を逸らし吐き捨てるように言うと、ジェイドはしばらく黙り込んだあと「失礼しました」と普段通りの平坦な声音で言って部屋を出ていった。

 ようやくジェイドがいなくなり、俺は深く溜息をついた。もう一度ベッドの上で横になり、膝を抱き込むようにして丸くなる。

(あの目は嫌だ)

 憎しみも軽蔑もなく静かに見つめてくる碧の瞳を思い出すと、胸の真ん中がきりきりと引き絞られるような感覚がした。嫌悪や不快感といった感情とは違う。それは、おそらく恐怖心だった。俺がジェイドなんかを恐れるはずがないと思いたかったが、あの目に見据えられたとき、身が竦んだのは確かだった。
 自身の身体を抱く腕に力を込める。

 ――何故、イリアを探しに行かれたのですか。

 それは俺自身が自分に問いかけていたのと同じ質問だ。
 イリアを見つけたあのとき、胸に走った安堵。その感情を自覚したとき、俺はこの自問への答えがわかりかけた気がした。だが、まだ向き合いたくない。答えを見つけてしまえば、今までの自分と何かが決定的に変わってしまう気がした。そうしたら、きっともう元には戻れない。俺はそれが何よりも恐ろしかった。
 そんな風に思う俺をジェイドには見透かされている気がしたのだ。

 何かが変わろうとしている。それはジェイドだけでなく、俺自身のことでもあるといい加減気付いていた。
 その変化にどういった意味があるのか、それがこの先何をもたらすのか。それを考えると胸が苦しくなって、俺は硬く目を瞑った。
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