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n+1周目

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 階段を駆け上がってきた人物はおざなりにドアをノックすると、返事も待たずにほぼノータイムで室内に踏み込んできた。

「失礼いたします!」

 焦った声で言いながら入ってきたのはジェイドだった。
 ジェイドは俺の前に立つ子供を目に留めると、表情を強張らせた。すぐさま駆け寄り、庇うように子供の肩を抱いて俺から引き離す。そして、深々と頭を下げた。

「大変申し訳ございません。この子はイリアと申しまして、アンナの妹になります」
「……何故そんな奴がここにいる? お前が通したのか」
「いえ……。どうやら姉の跡を尾けてここまでやってきたようで、彼女が出払っている隙を狙って忍び込もうとしているところを私が保護しました。しかし、少し目を離した隙に」
「ここまで上がり込まれた、と」

 呆れてものも言えない。子供相手とはいえ油断しすぎだ。

「大変申し訳ございません。罰するのなら、私を」

 硬い声音で言うと、ジェイドはますます深くこうべを垂れた。元凶である子供だけが状況を理解しておらず、きょとんとしていた。
 そういえば前に――繰り返し以前の“前”のことだが――街でぶつかってきた子供を躾けてやろうとしたことがあった。あの時もジェイドはこうやって子供を庇ったのだ。「私が代わりに罰を受けますので、どうかご慈悲を」と。
 美しい自己犠牲の精神に吐き気がしたところまで思い出して、奴の変わらなさに辟易とした。だが――。
 先程子供の瞳に映っていた自分の温度のない目が脳裏に蘇る。

(あの時の俺も同じ目をしていたのか?)

 そのことを考えると、ぞっとするような冷たい風が背筋を撫でた。
 だが、緊張感のない子供の声で俺は我に返った。

「ジル、なにかわるいことしちゃったの? イリアもいっしょにあやまったげようか?」
「大丈夫だよ。だから、先にお部屋から出ていてくれるかな?」
「えー、イリア、もっとユージンさまとおはなししたい」
「それは……」

 俺を丸切り無視して交わされる二人の会話に不快感が募っていく。
 が、ふと俺を窺い見たジェイドの視線がある一点で止まると、その目が大きく見開かれた。何を見ているのかとその視線の先を辿り、俺も気が付いた。
 俺の手の中にはさきほど受け取ってしまった白い花が未だに握られていたのだ。

「ちがっ、これは!」

 かっと頭に血が上って、俺は咄嗟に叫んだ。その拍子に花を持つ手に力が入り、花の茎が握り潰される。
 手の中でへなりと力なく項垂れた花を見て、声を震わせたのはイリアだった。

「イリアのおはな……」

 琥珀色の瞳が見る見ると潤んでいき、まさかと思った時にはもう泣き出していた。部屋にイリアの泣き声が響き渡る。
 ジェイドは必死にイリアを泣き止ませようとしていた。背中を叩き、優しく声をかける。だが、一向に泣き止む気配がない。
 ついに俺は耐え切れなくなり、叫んだ。

「ああもううるさい!! 花ひとつで泣き喚くな、鬱陶しい!!」
「だ、だってぇ、ユージンさまにおはな、あげたかったのにっ……」
「花くらいまた持ってくればいいだろう!」

 いや待て、それはおかしい。
 自分の口から飛び出た言葉に即座に脳内でツッコミを入れる。
 この言い方では完全に花を受け取ることが前提になってしまっている。さっきは咄嗟に受け取ってしまったが、俺は二度もこんな雑草をもらうつもりはないのだ。
 俺の発言のおかしさにジェイドも気が付いているようだった。ジェイドは怪訝そうに眉間に皺を寄せながら、注意深い視線を俺に投げかけてきた。
 その傍にいるイリアはといえば、俺の言葉を聞くなりぴたりと泣き止んだ。そして、涙でぐちゃぐちゃになった顔を不安げに歪ませながら「またもらってくれる?」と聞いてくる。その無垢な眼差しに、あろうことか俺はややたじろいだ。
 言葉が出てこない。何故だ、だって、こんなものはいらないと言えばいいだけなのに。

(なんだって花を受け取った時のこいつの顔を思い出してるんだ……!)

 きらきらと輝く瞳と、顔いっぱいに広がる喜びの笑み。
 あんな笑顔を向けられたことは今まで一度もなかった。俺の知る笑みは、皮肉や嘲り、媚びの込められたものだけだ。
 あの笑顔を思い浮かべると胸の奥がざわざわとして、ますます言葉に詰まった。
 黙り込む俺の答えをイリアはごねることもなく粘り強く待ち続けた。そして――

「………………ああ」

 長い沈黙の末、俺は絞り出すように答えた。すぐにでも撤回したい感情を歯を食いしばって堪える。
 自分の言動の意味不明さに叫び出したい。こんなのは俺じゃない。
 だが、俺の返事を聞いたイリアのあどけない笑みを目にすると、荒れ狂っていた感情がにわかに鎮まった。その反面、あのざわざわと落ち着かない感覚がまた胸の内側を引っ掻く。

「……もう気は済んだだろう。出て行けよ」

 激情が過ぎ去ると残ったのは疲労感で、俺は最後投げやりに言い捨てた。

 「おはなもってくるね、やくそくよ」

 ジェイドに抱きかかえられて部屋を出ていくときにイリアは言った。嬉しそうにはにかみながら。
 逆に、ジェイドは感情の読めない無表情をしていた。あれなら思い切り怪訝な顔をされた方が幾分かマシに思えた。

 一人になって静寂の戻った室内で、俺は深く息を吐き出した。そして、脱力してベッドの縁に腰を下ろした。深く項垂れながら片手で顔を覆う。

「俺は……一体、何を……」

 無意識のうちに口から自問がこぼれた。当然答えはない。
 指の隙間から膝の上に置かれたもう片方の手を、そこに未だ握られている白い花を見下ろした。
 茎が傷んだ花はすでにしおれ始めている。こうなっては雑草以下、ただのゴミだ。だが、俺はそれを屑入れに放り込む気になれなかった。
 胸のざわめきは未だなくならない。
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