悪徳貴族は繰り返す破滅を終わらせたい

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 それからというもの、俺の味覚と嗅覚は徐々に回復を見せ、数日も経てば何の支障もなく食事を味わえるようになった。
 味がわかるようになった途端、俺の身体は正常に空腹を訴えてくるようになった。俺は渋々と弱った胃腸に配慮して出される野菜スープやポトフなんかを口にした。
 別に食べるのが嫌だったわけじゃないが、あれだけジェイドに対して食事を拒絶した手前、素直に食べるのはバツが悪かった。あいつはあいつで回復していく俺を複雑そうに見てきた。その視線には苛立ちを覚えたが、下手にこの件を掘り下げたくない俺としては無視するしかない。とにかくこの居心地の悪さのやり場がないのだった。

 結局アンナは解雇できておらず、しかもテレサは折に触れて顔を出すようになった。その手にはいつも差し入れの入ったカゴが提げられていた。
 差し入れは大体が甘味だった。リンゴのパイだったり、フルーツのコンポートだったり。
 差し入れはいらない、見舞いも不要だと伝えても、「そう仰らずに。娘が世話になっているお礼ですから」と聞き入れる様子がない。
 何か見返りを求めての行動なんじゃないかと思い至ったのは、あのリンゴ煮を食べた翌日のことだった。
 厚意なんてものは下心なくして成り立たない。親しげな笑顔、耳障りのいい言葉の裏には必ずその人物なりの思惑があるものだ。金が欲しいとか、コネクションを作りたいとか。身分の低い者は往々にして甘い蜜を吸おうと権力者に群がり媚を売るものだ。そういう人間を腐るほど見てきたし、それがおかしなことだとは思わない。この世はそういう仕組みになっているというだけのことだ。
 だから、性懲りも無く俺の元を訪れたテレサに俺は「何が望みだ?」と聞いてやった。すると彼女はあろうことか顔を輝かせこう言ったのだ。

「まあ、望みを聞いていただけるのですか? それでしたらぜひ、ユージン様のお髪を整えさせていただきたいですわ」

 違うそうじゃない。
 完全に予想外の方向から飛んできた回答に面食らう俺に、その場に居合わせていたジェイドが一瞬おかしな顔をした。いや、わかっている。すぐさま表情を取り繕っていたが、あれは確実に俺を笑っていた。もちろん、奴にはテレサが帰った後で裏手で頬を張ってやった。
 それ以来、俺はテレサに対して何か言うのは諦めた。打算もできないくらい馬鹿なのだと思うことにしたのだ。……ここに来てから伸ばしっぱなしになっていた髪はテレサにさっぱりと切り整えられた。



 そうこうして1週間ほどが経った頃、俺にとって予想外の出来事がまた起こった。
 その頃にはもう寝たきりの生活からは脱していた。とはいえ、やることといえば相変わらず暇潰しの読書くらいのものだったので、部屋に引きこもっている状況に変わりはなかった。
 “それ”がやってきた時も、俺はいつもと同じように本を読んでいた。
 ノックもなしに突然ドアが開いたかと思うと、何か小さな影が転がり込んできた。予期せぬ闖入者に俺は反射的に椅子から立ち上がって身構えた。だが、その影の正体を捉えると、今度は固まった。
 その正体は幼女だった。年の頃は5、6歳といったところだろうか。転げそうな拙い足取りで部屋に飛び込んできた彼女は俺を見ると凍ったように動かなくなった。
 未だ事態を飲み込めずにいた俺も、その子供を見つめたまま動けずにいた。
 30秒ほどはそうしていただろうか。金縛りが解けたらしい幼女がその短い足でとてとてと俺の目の前まで歩み寄ってきた。
 その子供がすぐそばまでやってきた頃、俺の思考はようやく回り始めた。
 こんな村外れの家に子供が訪れる理由なんてそうはない。身内がいるのでもない限り。見れば、どことなくアンナと似た面影がある。

(この一家は……!)

 勝手なことばかりする彼女らに憤りが湧いてくる。ジェイドもジェイドだ。一体何を思ってこの子供の立ち入りを許したのか。というか、何故この子供は一人きりで俺のところにやってきたんだ? 他の人間は何してる?
 積み重なる苛立ちに任せて怒鳴りつけようとしたが、そんな俺にその子供がぐいと何かを差し出した。

「あのね、あげる」
「は?」
「おみまい」

 もじもじと自分の爪先を見下ろしながら言う。差し出された小さな掌に握られていたのは、一輪の花だった。白くて丸い花びらが特徴のその花は図鑑で見たことがあった。この辺りの地域一帯に生えている一般的な野花だ。要するに雑草である。
 無意識のうちに眉間に皺が寄る。
 こんなものを差し出されてどうしろと?

(こんな無価値なもの、握り潰してしまえばいい)

 頭の片隅で声がする。その通りだと思う。こんな意思の疎通もできなさそうな生き物を相手にすることはない。ほんの少し怖がらせてやるだけで、もう二度と俺の前には現れないだろう。
 だから俺は差し出された手に手を伸ばした。
 すると、俺の動きに合わせて子供が俯けていた顔を上げた。ガラス玉みたいな丸い瞳が俺をまっすぐに映し出す。そこに映る冷淡な目をした男の姿に俺は息を呑んだ。その目は俺がいつも父から向けられているものと同じだったのだ。
 動揺を抑えられず、俺はそのまま花を受け取ってしまった。
 花を受け取った俺をその子供は澄んだ眼差しで見上げてきた。かと思うと、その表情が見る見る輝く。“花のような笑顔”なんて言葉が一瞬脳裏を掠めて、俺は自分の思考の気持ち悪さに慄いた。
 しかし、そんな俺の心情が目の前の子供に伝わるはずもなく、そいつはふっくらとした頬を上気させながらへらへらと笑っていた。
 ここからどうすべきかわからず途方に暮れそうになっていると、階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
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